ツアーの合間に時間ができた。
クライストチャーチの家で4日間の休息である。
庭ではトマトが鈴生りで収穫を待っている。
きゅうりも大きく実り、早く取ってくれと言っている。
苺は大きく実り、真っ赤だ。葉っぱの陰のヤツは傷みかけている。それらはニワトリのご馳走になる。
木で熟した作物は甘く味が濃く、エネルギーも高い。
こういう食べ物を食べていれば病気にもならないだろうな。
久しぶりの我が家で、自分のパソコンに向かい文を書いているのだが、やはり使い慣れた道具だと文も進む。
クィーンズタウンでは友達からいただいたキンドルでネットをつないでいて、タッチパネルと言うのか、スクリーンに浮かび上がるキーボードで文を書く。
ちょっとしたメッセージぐらいならいいのだが、長い文を書くのにはちょっと使いづらい。
文の途中で変な所を触り別の画面に飛んでしまったり、変な字が出てしまいそれが消せないとか、そんなことをやっているうちに嫌になってしまう。
仕事が忙しいというのもあるがブログの更新もままならず、気がついてみれば2月も半ばになろうとするのに三つしか話を書いていない。
ネタになるような事は数あれど、文としてまとまらない。
まあ、これが本職ではないのでこのブログのファンの方にも勘弁してもらおうか。
今シーズンはテアナウのトーマスの家に世話になることが多い。
そこで面白い話を聞いた。
トーマスの姪っ子だったか甥っ子だったか、オークランドでワーホリをしているのだが、その人のニュージーランドに対する印象とはゴチャゴチャしてゴミが多い所なんだそうな。
何てことはない、オークランドの一部を見てそれがそのままニュージーランドの印象になっているだけの話だが、人の主観とはそういうものなんだろうと思う。
自分の見聞きした情報で人は判断をするのだが、それにはその人の背景という物が深く関係する。
僕は自分の生き様を通してお客さんに話をするのだが、別のガイドはその人の生き様で話をする。
否定的な物の考えを持ちながら生きている人はそういう話になるだろうし、楽しく生きている人は楽しい話になるだろう。
以前にも書いたが、バケツを逆さから見れば底が無く蓋が開かない入れ物だ。
人間というものは少ない情報で全体を把握しようとするところがある。
3日ぐらいこの国を回った人が「この国はどこに行っても日本人ばかりね」というようなことを平気で言う。
日本人ばかりなのではなく、「あなたが行く所が日本人が多い所なのだし、その多い日本人の中にあなたも入っているのです」、という事に気がつかないし僕もそこまで指摘しない。
僕の個人的なお客さんは、クラブフィールドへ行ったり、アーサーズパスや西海岸といった日本人どころか人間がいないような場所へ連れて行くので、「この国は~」というような言葉は出ない。
それは情報の種類なのだと思う。
周りが観光客でごったがえす場所だけを見るか、深い所でこの国を見るか、オークランドのような都会だけ見るのか。
それによって主観も変わる。
経験という情報が多ければ、見える角度も多くなる。
俯瞰で物を見るとはそういうことではないのだろうか。
トーマスの姪っ子はテアナウにしばらく滞在しケトリンズなども周り、こういう世界があることに気がついたらしい。
そこからどうするか、あとは本人次第。
バケツをどういう方向で見るのか、それがその人の生き様なのだろうから。
クライストチャーチの家で4日間の休息である。
庭ではトマトが鈴生りで収穫を待っている。
きゅうりも大きく実り、早く取ってくれと言っている。
苺は大きく実り、真っ赤だ。葉っぱの陰のヤツは傷みかけている。それらはニワトリのご馳走になる。
木で熟した作物は甘く味が濃く、エネルギーも高い。
こういう食べ物を食べていれば病気にもならないだろうな。
久しぶりの我が家で、自分のパソコンに向かい文を書いているのだが、やはり使い慣れた道具だと文も進む。
クィーンズタウンでは友達からいただいたキンドルでネットをつないでいて、タッチパネルと言うのか、スクリーンに浮かび上がるキーボードで文を書く。
ちょっとしたメッセージぐらいならいいのだが、長い文を書くのにはちょっと使いづらい。
文の途中で変な所を触り別の画面に飛んでしまったり、変な字が出てしまいそれが消せないとか、そんなことをやっているうちに嫌になってしまう。
仕事が忙しいというのもあるがブログの更新もままならず、気がついてみれば2月も半ばになろうとするのに三つしか話を書いていない。
ネタになるような事は数あれど、文としてまとまらない。
まあ、これが本職ではないのでこのブログのファンの方にも勘弁してもらおうか。
今シーズンはテアナウのトーマスの家に世話になることが多い。
そこで面白い話を聞いた。
トーマスの姪っ子だったか甥っ子だったか、オークランドでワーホリをしているのだが、その人のニュージーランドに対する印象とはゴチャゴチャしてゴミが多い所なんだそうな。
何てことはない、オークランドの一部を見てそれがそのままニュージーランドの印象になっているだけの話だが、人の主観とはそういうものなんだろうと思う。
自分の見聞きした情報で人は判断をするのだが、それにはその人の背景という物が深く関係する。
僕は自分の生き様を通してお客さんに話をするのだが、別のガイドはその人の生き様で話をする。
否定的な物の考えを持ちながら生きている人はそういう話になるだろうし、楽しく生きている人は楽しい話になるだろう。
以前にも書いたが、バケツを逆さから見れば底が無く蓋が開かない入れ物だ。
人間というものは少ない情報で全体を把握しようとするところがある。
3日ぐらいこの国を回った人が「この国はどこに行っても日本人ばかりね」というようなことを平気で言う。
日本人ばかりなのではなく、「あなたが行く所が日本人が多い所なのだし、その多い日本人の中にあなたも入っているのです」、という事に気がつかないし僕もそこまで指摘しない。
僕の個人的なお客さんは、クラブフィールドへ行ったり、アーサーズパスや西海岸といった日本人どころか人間がいないような場所へ連れて行くので、「この国は~」というような言葉は出ない。
それは情報の種類なのだと思う。
周りが観光客でごったがえす場所だけを見るか、深い所でこの国を見るか、オークランドのような都会だけ見るのか。
それによって主観も変わる。
経験という情報が多ければ、見える角度も多くなる。
俯瞰で物を見るとはそういうことではないのだろうか。
トーマスの姪っ子はテアナウにしばらく滞在しケトリンズなども周り、こういう世界があることに気がついたらしい。
そこからどうするか、あとは本人次第。
バケツをどういう方向で見るのか、それがその人の生き様なのだろうから。