あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

マオリ 1

2015-04-09 | 過去の話
この夏、僕にマオリの名前がついた。
ヒ・ティリティリという。
ナイロというマオリの男がつけてくれた。
僕の名前はひじり、ニックネームはヘッジ。はりねずみのヘッジホッグからきている。
日本人の友達はヘッジと正しく発音する人もいるが、ヒッヂと呼ぶ人が多い。たまにヒッチと呼ばれる事もある。ヒジリ君とかヒジリさんと呼ばれる事も多い。
僕としては呼びやすいように呼んでもらえればそれでいいので一々訂正はしない。
福島のスキー場で働いていた時にはローカルの発音でヒジリがシジリとなり最終的にスズリとなった。
その時の友達は今でもスズリ君と僕を呼ぶ。
日本語の名前、聖は静岡と長野の県境にある南アルプス南端の3000mを越える山、聖岳からもらったものだ。
僕はまだこの山へ登ったことが無い。
日本とニュージーランドを往復していた頃は冬を追いかける生活をしていたので日本の夏山を僕はほとんど知らない。
山と云えばスキー板を担いで登るものだと思っていたのだ。
山仲間のトーマス曰く、聖岳は谷が深くアプローチが大変で他の山の様に俗化が進んでいない、良い山なのだそうだ。いつか時間を見つけて登りたい山だ。
僕のお客さんは山に登る人が多いので、聖岳の聖です、と自己紹介すればすぐに分かってくれる。
この名前を付けてくれた親に今では感謝をしている。
子供の時には、ケンとかカズとかマサとかそういう普通の名前がついた友達が羨ましかった。なんで自分だけ変な名前なんだろうと、子供心に悩んだものだった。
全ての人が聖岳を知っているわけではないので「どういう字を書くのですか?」と聞かれる事もある。
なので「松田聖子の聖です」と答える。
たぶん今、松田聖子と道ですれ違っても僕は気が付かないだろうが、彼女の名前の効き目はてきめんでほとんどの人が納得してくれる。
「ひじりなんて、エライお坊さんのようですね」
そんなことも言われる時がある。しかし時代によっては乞食とか浮浪者の事をもそう呼んだのだ。
京都のお菓子で聖というものもある。生八つ橋で粒餡が入っていて肉桂の香りが良い。緑茶にとても良く合う。大好きなお菓子の一つだ。
ある日ナイロと飲んでいると名前の話になった。
「ヘッジ、オマエの日本語の名前は何だ?」
「ヒジリと言う」
「意味はあるのか?」
「セイントとか僧侶とかそういう意味だが、オレの場合は山から名前を貰った」
「そうか。ヒジリ、ヒジリ、ヒティリ、ティリティリ、ヒティリティリ、ヒ・ティリティリ!オマエの名前はヒ・ティリティリだ」
「ヒ・ティリティリか、いいな。どういう意味だ?」
「意味は無い。音が良いだろう」
そんな具合で、ヒ・ティリティリという名前がついたわけだ。
僕にとってこの夏はマオリと関係が深かった。
マオリの言葉も多少覚え、唄も歌えるようになった。ボイルアップというマオリの料理も覚えた。
同時に十数年この国に住んでいながら、マオリの事を何も知らない事に気が付いた。

ある夏の夜、僕はいつものテラスでボケッと山を眺めていた。時間は午後9時を過ぎたところだが、空は充分明るい。
日中は西日が差すこの場所は日没後の数時間が一番心地良い。
日が出ている時にはTシャツだが、太陽が沈むにしたがって気温が下がるのでフリース、ニット帽、山用ジャケットとどんどん着込んで山に居るような姿でテラスに座る。
目の前には氷河が削った跡がそのまま残っている山、曲がりくねり横たわる大河のような湖。
自分のいるこの場所も数万年前は氷の中だった。
西にある稜線がポッカリ、シルエットで映る。
今年の夏、何十回ここからこの景色を見たのだろう。
湖を走る蒸気船が黒い煙をたなびかせる。絵になるとはこんな景色だ。
部屋の中から尺八の音が聞こえてきた。尺八という言葉はいろいろな意味があるが、楽器の尺八である。
吹いているのはフラットメイトのヘナレだ。
フラットメイトとは同居人のことである。
ニュージーランドではフラットシェアというシステムがある。
一つの家を何人か共同で使うことだ。キッチン、リビング、バスルームなどは共有スペースで、ベッドルームは個人のスペースだ。
大体どこの家でも子供が学校を出ると親元を離れフラットに住む。
友達と住む事もあれば、赤の他人と住む事もある。電話代、光熱費、食費などは住む人が話し合って決める。
時には話が合わなくてケンカをする事もあるだろうし、ひどいヤツに当れば全く家事をしないとか家賃をふみたおされることもある。
そうやって他人と住む事により、共同生活のモラルを身に付け大人になっていく。
とても良いシステムだ。いつまでも親離れできない日本の若者とは大きな違いである。
僕が今いる家はヘナレの持ち家で、彼と日本人の彼女のイクと2人で住んでいる。
そこに僕がフラットメイトとして入った。
テラスからの眺め、あかあかと燃える薪ストーブ、木を組んだ壁に当る間接照明、立て掛けられる4つのギター、テレビの上の燭台、葦を編んだ敷物、木彫りのマオリの神サマ、羊歯の幹を彫った門柱、軽石を釣り糸で結んだインテリア、白い革張りのソファー、家にあるすべての物が調和する。
これがヘナレのセンスだ。
ヘナレとは去年2回ぐらい会っただけだったが、今年から一緒に住むようになった。
スキーに対する考え、山に対する考え、人生観、音楽の趣味が重なり、一週間で十年来の友達のように意気投合してしまいお互いにブラザーと呼び合うようになった。
ヘナレは不動産セールスのかたわら、夏はフィッシングガイド、冬はヘリスキーガイドもこなす。
普段はスーツで仕事ヘ行くが、フィッシングガイドの時には釣り用のベストを着込み嬉々として家を出る。
生粋のマオリだがマオリ語は片言しか喋れない。ちなみに日本語も片言だ。
夏の夕暮れはゆっくりと光を落とし、西の空がオレンジ、白、そして藍色の三色に染まる。
ヘナレがテラスに出てきた。
「美しい。今晩もきれいだな」
「オレはこの時間が一番好きだな。夕方と夜の狭間だ」
「トワイライトゾーン、たそがれどきだよ」
再びヘナレが尺八を吹き始めた。竹独特の音色が辺りに木霊する。
ヘナレが日本に行った時、誰かが吹いているのを見て欲しくなり楽器屋へ行って尋ねた。
「スミマセーン、シャクハチクダサイ」
最初の2軒では若い女性の店員が顔を赤らめながら言った。
「そんな事、言っちゃダメです」
3軒目でやっと尺八を見せてもらい、値札を見た。18000円。
「・・・・・・クソ、高いな」
思わず呟き、尋ねた。
「アノ、ベツノヤツアリマスカ?」
「ノーノー、オンリーワン」
1時間悩んで買った。
音が出るまで1週間かかった。
僕は1ヶ月ほどやって音さえ出せなくてあきらめてしまったが、ヤツはちゃんとメロディーを奏でるくらい上手くなっている。
10mほど離れたお隣さんからギターの音とマオリ語の唄が聞こえてきた。
隣にはマオリの若いヤツらが住んでいる。年は20代前半。とてもきれいなハーモニーでマオリの唄を歌う。
僕はヘナレに言った。
「なあ、ヘナレ。民族音楽ってあるだろう。オレは世界のあちこちで民族音楽を聞いてきた。南米のアンデスではフォルクローレがぴったりだった。中国の西の外れ、イスラムの地では名前も知らないビワみたいな楽器の物悲しい音が、辺りの雰囲気に溶け込んでいた。そしてここだ。この景色、この空の色にはヤツラの唄が合うんだよ。だから唄の意味は分からなくても好きなんだ」
「分かる。分かるよ、その気持ち」
「いいお隣さんを持ったな」
「本当だ。これでパケハ(白人)のティーンエイジャーがここにいて、ドンドンってベースの効いた今時の音楽なんかかけたら最悪だろ?」
「そりゃ最悪だ」
僕達は顔を見合わせて笑った。


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文字化け

2015-04-09 | 日記
僕は資金ではブログで色々とやっているが、以前はホームページで文などを書いていた。
クラブフィールドに関するホームページなのだが、これを長い間ほったらかしにしていたら、いつのまにか文字化けして全く読めない。
何かしら対処があるのだろうがずーっと更新もしていなかったし、その間にPCも変わってしまったりと今では更新の仕方さえ忘れてしまった。
ホームページを始めたのは13年ぐらい前か。
その当時はがんばって自分で作ったし、友達のサダオが手伝ってくれたりといろいろやったのだが、最近ではその気持ちも萎えてしまった。
それでもその当時に書き溜めた文をお蔵入りにしてしまうにはもったいないので、ブログに少しずつアップしていこうと思う。
昔の自分の文を読み返すと、若かったなあと感じるところもあるし、基本的に今と全く変わっていないなあと思う所もある。
今回アップするのはマオリの話。
これは9年前に書いた話だ。
当時は37歳、日本に久しぶりに行き感銘を受けた時だった。
マオリの文化に触れ、自分自身がより確立していった時ともいえよう。
時の経緯などリアルタイムの今とはズレがあるが、まあ昔の思い出としてそのまま載せる。
お楽しみあれ。
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