半世紀
2018-07-21 | 日記
1世紀は百年、その半分で半世紀は50年。
僕も誕生日を迎え50歳になり、半世紀を生きてしまった。
10年一昔なんて言うが、5つぐらい昔を過ごしたことになる。。
50になったからと言って何か一大決心があるかというと、そんなことは微塵もない。
今までと同じように酸素を吸って二酸化炭素を吐き出し、水分炭水化物たんぱく質繊維質を取り入れ、何らかのものを排出して生きていくだろう。
テカポでの仕事の途中に娘からメッセージが届いた。
犬のココがニワトリを食べた。
こういったことは必ずと言っていいほど僕の不在の時に起こる。
そしてかわいそうなことに、いつも娘が第一発見者である。
1週間ぶりに帰ってみると庭には羽が散らばり、狂宴の跡が見て取れた。
ニワトリの死体を捜したが見つからず、綺麗に食べてしまったようだ。
どうせ食べるならその辺の羽根も残さずきれいさっぱり食って片付けて欲しいところだが羽根は美味しくないのだろう。
食われたニワトリは今年新しく買ってきたやつで、羽を切ってあったのだがフェンスの上に飛び乗り、そしてココが待つこちら側に降りてきた。
卵を産み始めたばかりで、ざっと数えてこれから500個以上の卵を産むだろうに、ココの餌食となってしまった。
フェンスの内側に居れば襲われずにすんだのだが、好奇心からか一線を飛び越えてしまった。
もうそれはそれで仕方がない、無知とはそういうことだ。
フェンスの内側にいても、何年かして卵を産まなくなれば僕に締められる運命だ。
それが早いからかわいそうとは思わない。
死、とはどの生き物にもやってくるものである。
僕も50になり、人生の折り返し地点をとうに過ぎ、確実に死に近づいている。
それがいつになるのか分からないが、まだもう少し先だろうという漠然たる思いはある。
死ぬことを本能的に人は怖れるが、僕にはその怖れがない。
死ねば誰でもホトケ様になれるのだ。
それこそ痛みも苦しみもない愛の世界だということを盲目的に信じているので、その日が来るのが待ち遠しいぐらいだ。
だが今はまだその時ではない。
まだ順番ではないのだ。
うちの父は80を超えて一人で暮らしているが次は父の番であろう。
この前、久しぶりに電話で話したが、ちょっとだけ話をしたら「今、揚げ物をやっているから切るぞ」と一方的に切られてしまった。
久しぶりの遠くからの息子の電話より、目の前の揚げ物の方が大事な父である。
その姿に安心したし、そんな父が好きだし、自分も年をとったらそうなりたいと思う。
父に言う言葉は毎回同じで「ポックリ死んでくれ」なのだが、なかなかくたばらない。
当人も「早く迎えが来ないかなあ」などと言ってるが、まだお迎えは来ないらしい。
よって僕の番もまだまだ先のようなのだ。
数年後にはその時が来るであろうだろうから、その時には泣きながらブログのネタにしようと思っている。
よく、若くして死んで可愛そうなどと言うが、僕はそうは思わない。
これは死生観に基づくものなので、僕の意見でものを言う。
幕末の志士達はみな若くして死んでいったがかわいそうだろうか。
死とはやるべきことをやり終えた時にやってくるものだと思う。
生まれてすぐに死んでしまう命にも何らかの意味はある。
死ぬことによりかわいそうなのは、死ぬ本人ではなく周りだ。
そういう意味で、生きていくということは死ぬこと以上に辛いことなのだ。
そして人間に生まれてきた以上、自殺はどんな理由があろうと許されない。
輪廻転生を繰り返し人は成長する。
自殺をすれば、そうやって積み上げたものを崩してやりなおさなければいけない。
昔の友達で自殺をしたやつの話を聞いたが、かわいそうだと思った。
それは死んでしまったことがかわいそうなのではなく、また一からやりなおさなければいけないことへの『かわいそう』なのである。
自殺をするほど追い詰められた経緯も人それぞれだろうが、それでも人は生きていかなければいけない。
自殺を別として、人は自分の死がいつ来るのか知らない。
だから人生は面白いとも言える。
この前のテカポでの仕事の話。
お客さんはボード初心者で、何日めかで何とか曲がれるようになった。
テカポのメインリフトはTバーで、これはボード初心者には辛いものがある。
その娘も一度トライしたが途中で転んでしまい、山頂に行けなかった。
Tバーは横にスキーヤーが乗ると安定するので、一緒に乗って行って話しをした。
自分が彼女の年にはスキーなぞやったことがなかったこと、まさか自分がスキーで生きて行くことなど考えなかったことなど。
そしてひょっとすると、数年後に彼女はボードのインストラクターになっているかもしれない、などという話をした。
可能性とはそういうものだろう。
そしてその無限の可能性を持つことが若さということだ。
山頂に立った彼女は景色に感動し、笑った。
とても素敵な笑顔だった。
こういう笑顔を与えられる喜び、この景色の中に立ち感動を分かち合える喜び。
この仕事をやっていてよかったと思った。
若い時には無限にある可能性も、年を取るに連れて減って行く。
可能性は無限大、などと言っても、僕が今から宇宙飛行士になれるわけではない。
だが等身大の大きさで夢は誰もが持てる。
僕が持つ夢は、自分の孫を肩車してスキーをすることだ。
ブロークンリバーの古いメンバーがやっているのを見て、こうなりたいなと思った。
友達のお母さんは75歳になるが「自分の将来の夢は・・・」などと言っているそうだ。
そんな人も素敵だな。
50の年を迎え、体力も落ちてきているが、まだまだ行ける気はする。
時にヘマをするし、いまだに人を傷つけたりもするが、自分はこうなったら面白いだろうなというオヤジになっている。
これからも野菜を作り、ニワトリを飼って美味しい卵を取り、ビールや石鹸を作って、人と感動を分かち合う仕事をしていくだろう。
最後に最近覚えた歌を書き記し、誕生日の話を終えよう。
これは大好きな竹原ピストルをユーチューブで聞いていたら、なぜか入ってきて一発で気に入ってしまった。
Expressというバンドの『もぐらの唄』という曲で、これもご縁なのだと思う。
自分でも歌えるようになり、持ち歌の一つとしてたまに宴の席で演る。
詩が今の自分にピッタリ当てはまるようで、とても好きな曲なのだ。
もぐらの唄
やりたい事やりたいように
燃えてんだまるで太陽のように
出来ない後戻り
この先もいろいろあんだろう
それならその度にがんばろう
転けそうになっても踏ん張ろう
そうやって俺は強くなろう
何か残すためBorn&Grow
決めたら最後までやり遂げよう
泣いても笑っても
人生は一度きり
ファイト一発元気ハツラツ
やる気無くさずヤるのさガツガツ
しない脱落したい活躍
どん底に落ちても底から Rise up
思考錯誤 決めた覚悟
3日もたなきゃそれは鼻くそ
甘さと格闘とことんやるぞ
口より行動起こしてなんぼ
この先もいろいろあんだろう
それならその度にがんばろう
転けそうになっても踏ん張ろう
そうやって俺は強くなろう
何か残すため Born&Grow
決めたら最後までやり遂げよう
泣いても笑っても
人生は一度きり
出来ない後戻り
諦めたく無いこの思い
不安と言う名の重荷背負い
ながらでも立ってんだって
今ここに
辞めてたまるか金が貯まる
穴にはまるか上がるか下がるか
勝利の女神俺に笑うか
描いた夢最後に叶うか
そんな事考えてもしゃーない
この道選んだのもJa guide
何一つ後悔は無い
Never ever die やるしか無い
この先もいろいろあんだろう
それならその度にがんばろう
転けそうになっても踏ん張ろう
そうやって俺は強くなろう
何か残すため Born&Grow
決めたら最後までやり遂げよう
泣いても笑っても
人生は一度きり
それなら一生好きな事に専念
もう限界かっていやぜんぜん
不思議とやる気ます年々
見ててくれよmy friendem
みんなに向けてここで宣言
このまま終わるなんて勘弁
意地とプライドとマイクとペンで目指す高い山のてっぺん
この先もいろいろあんだろう
それならその度にがんばろう
転けそうになっても踏ん張ろう
そうやって俺は強くなろう
何か残すため Born&Grow
決めたら最後までやり遂げよう
泣いても笑っても
人生は一度きり
また一からでもいいから
馬鹿にされてもいいから
いくつになっても
進む俺はこの道を
僕も誕生日を迎え50歳になり、半世紀を生きてしまった。
10年一昔なんて言うが、5つぐらい昔を過ごしたことになる。。
50になったからと言って何か一大決心があるかというと、そんなことは微塵もない。
今までと同じように酸素を吸って二酸化炭素を吐き出し、水分炭水化物たんぱく質繊維質を取り入れ、何らかのものを排出して生きていくだろう。
テカポでの仕事の途中に娘からメッセージが届いた。
犬のココがニワトリを食べた。
こういったことは必ずと言っていいほど僕の不在の時に起こる。
そしてかわいそうなことに、いつも娘が第一発見者である。
1週間ぶりに帰ってみると庭には羽が散らばり、狂宴の跡が見て取れた。
ニワトリの死体を捜したが見つからず、綺麗に食べてしまったようだ。
どうせ食べるならその辺の羽根も残さずきれいさっぱり食って片付けて欲しいところだが羽根は美味しくないのだろう。
食われたニワトリは今年新しく買ってきたやつで、羽を切ってあったのだがフェンスの上に飛び乗り、そしてココが待つこちら側に降りてきた。
卵を産み始めたばかりで、ざっと数えてこれから500個以上の卵を産むだろうに、ココの餌食となってしまった。
フェンスの内側に居れば襲われずにすんだのだが、好奇心からか一線を飛び越えてしまった。
もうそれはそれで仕方がない、無知とはそういうことだ。
フェンスの内側にいても、何年かして卵を産まなくなれば僕に締められる運命だ。
それが早いからかわいそうとは思わない。
死、とはどの生き物にもやってくるものである。
僕も50になり、人生の折り返し地点をとうに過ぎ、確実に死に近づいている。
それがいつになるのか分からないが、まだもう少し先だろうという漠然たる思いはある。
死ぬことを本能的に人は怖れるが、僕にはその怖れがない。
死ねば誰でもホトケ様になれるのだ。
それこそ痛みも苦しみもない愛の世界だということを盲目的に信じているので、その日が来るのが待ち遠しいぐらいだ。
だが今はまだその時ではない。
まだ順番ではないのだ。
うちの父は80を超えて一人で暮らしているが次は父の番であろう。
この前、久しぶりに電話で話したが、ちょっとだけ話をしたら「今、揚げ物をやっているから切るぞ」と一方的に切られてしまった。
久しぶりの遠くからの息子の電話より、目の前の揚げ物の方が大事な父である。
その姿に安心したし、そんな父が好きだし、自分も年をとったらそうなりたいと思う。
父に言う言葉は毎回同じで「ポックリ死んでくれ」なのだが、なかなかくたばらない。
当人も「早く迎えが来ないかなあ」などと言ってるが、まだお迎えは来ないらしい。
よって僕の番もまだまだ先のようなのだ。
数年後にはその時が来るであろうだろうから、その時には泣きながらブログのネタにしようと思っている。
よく、若くして死んで可愛そうなどと言うが、僕はそうは思わない。
これは死生観に基づくものなので、僕の意見でものを言う。
幕末の志士達はみな若くして死んでいったがかわいそうだろうか。
死とはやるべきことをやり終えた時にやってくるものだと思う。
生まれてすぐに死んでしまう命にも何らかの意味はある。
死ぬことによりかわいそうなのは、死ぬ本人ではなく周りだ。
そういう意味で、生きていくということは死ぬこと以上に辛いことなのだ。
そして人間に生まれてきた以上、自殺はどんな理由があろうと許されない。
輪廻転生を繰り返し人は成長する。
自殺をすれば、そうやって積み上げたものを崩してやりなおさなければいけない。
昔の友達で自殺をしたやつの話を聞いたが、かわいそうだと思った。
それは死んでしまったことがかわいそうなのではなく、また一からやりなおさなければいけないことへの『かわいそう』なのである。
自殺をするほど追い詰められた経緯も人それぞれだろうが、それでも人は生きていかなければいけない。
自殺を別として、人は自分の死がいつ来るのか知らない。
だから人生は面白いとも言える。
この前のテカポでの仕事の話。
お客さんはボード初心者で、何日めかで何とか曲がれるようになった。
テカポのメインリフトはTバーで、これはボード初心者には辛いものがある。
その娘も一度トライしたが途中で転んでしまい、山頂に行けなかった。
Tバーは横にスキーヤーが乗ると安定するので、一緒に乗って行って話しをした。
自分が彼女の年にはスキーなぞやったことがなかったこと、まさか自分がスキーで生きて行くことなど考えなかったことなど。
そしてひょっとすると、数年後に彼女はボードのインストラクターになっているかもしれない、などという話をした。
可能性とはそういうものだろう。
そしてその無限の可能性を持つことが若さということだ。
山頂に立った彼女は景色に感動し、笑った。
とても素敵な笑顔だった。
こういう笑顔を与えられる喜び、この景色の中に立ち感動を分かち合える喜び。
この仕事をやっていてよかったと思った。
若い時には無限にある可能性も、年を取るに連れて減って行く。
可能性は無限大、などと言っても、僕が今から宇宙飛行士になれるわけではない。
だが等身大の大きさで夢は誰もが持てる。
僕が持つ夢は、自分の孫を肩車してスキーをすることだ。
ブロークンリバーの古いメンバーがやっているのを見て、こうなりたいなと思った。
友達のお母さんは75歳になるが「自分の将来の夢は・・・」などと言っているそうだ。
そんな人も素敵だな。
50の年を迎え、体力も落ちてきているが、まだまだ行ける気はする。
時にヘマをするし、いまだに人を傷つけたりもするが、自分はこうなったら面白いだろうなというオヤジになっている。
これからも野菜を作り、ニワトリを飼って美味しい卵を取り、ビールや石鹸を作って、人と感動を分かち合う仕事をしていくだろう。
最後に最近覚えた歌を書き記し、誕生日の話を終えよう。
これは大好きな竹原ピストルをユーチューブで聞いていたら、なぜか入ってきて一発で気に入ってしまった。
Expressというバンドの『もぐらの唄』という曲で、これもご縁なのだと思う。
自分でも歌えるようになり、持ち歌の一つとしてたまに宴の席で演る。
詩が今の自分にピッタリ当てはまるようで、とても好きな曲なのだ。
もぐらの唄
やりたい事やりたいように
燃えてんだまるで太陽のように
出来ない後戻り
この先もいろいろあんだろう
それならその度にがんばろう
転けそうになっても踏ん張ろう
そうやって俺は強くなろう
何か残すためBorn&Grow
決めたら最後までやり遂げよう
泣いても笑っても
人生は一度きり
ファイト一発元気ハツラツ
やる気無くさずヤるのさガツガツ
しない脱落したい活躍
どん底に落ちても底から Rise up
思考錯誤 決めた覚悟
3日もたなきゃそれは鼻くそ
甘さと格闘とことんやるぞ
口より行動起こしてなんぼ
この先もいろいろあんだろう
それならその度にがんばろう
転けそうになっても踏ん張ろう
そうやって俺は強くなろう
何か残すため Born&Grow
決めたら最後までやり遂げよう
泣いても笑っても
人生は一度きり
出来ない後戻り
諦めたく無いこの思い
不安と言う名の重荷背負い
ながらでも立ってんだって
今ここに
辞めてたまるか金が貯まる
穴にはまるか上がるか下がるか
勝利の女神俺に笑うか
描いた夢最後に叶うか
そんな事考えてもしゃーない
この道選んだのもJa guide
何一つ後悔は無い
Never ever die やるしか無い
この先もいろいろあんだろう
それならその度にがんばろう
転けそうになっても踏ん張ろう
そうやって俺は強くなろう
何か残すため Born&Grow
決めたら最後までやり遂げよう
泣いても笑っても
人生は一度きり
それなら一生好きな事に専念
もう限界かっていやぜんぜん
不思議とやる気ます年々
見ててくれよmy friendem
みんなに向けてここで宣言
このまま終わるなんて勘弁
意地とプライドとマイクとペンで目指す高い山のてっぺん
この先もいろいろあんだろう
それならその度にがんばろう
転けそうになっても踏ん張ろう
そうやって俺は強くなろう
何か残すため Born&Grow
決めたら最後までやり遂げよう
泣いても笑っても
人生は一度きり
また一からでもいいから
馬鹿にされてもいいから
いくつになっても
進む俺はこの道を