あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

2011-09-20 | 
家にはニワトリが4羽いる。
去年から飼い始めたのはヒネとミカン。
そして今年になりペケとプクという2羽を買ってきて計4羽だ。
ペケとプクが小さい頃にはヒネとミカンにいじめられていたが、今では成長してヒネとミカンから餌を奪うこともしばしばある。
まあ、それなりにヤツらは仲良くやっているようだ。
毎朝、鳥達は卵を3個産む。
鶏4羽に対し卵3個。
ミカンが最初、産んでいたが夏ごろから卵を産まなくなってしまった。
いっそのこと食っちまおうか、とも思うのだがなかなか踏ん切りがつかない。
放し飼いで庭の野菜を食いながら健康的に育った鶏だ。
食べたら絶対に美味いと思う。
だがミカンの名づけ親の深雪が「ダメ」と言い張るので、食えないまま4羽で飼っている。
朝、ボクが卵を取るのだが、その時にいつも鳥達に話しかける。
「今日も卵を産んでくれてありがとう。オマエ達の卵はいつも美味しいよ。その調子で産んでください」
新鮮な卵というのは美味しくて味が濃い。卵かけご飯にしても、とんでもなく美味い。
白身がしっかりしすぎてなかなか混ざらないという贅沢な悩みもかかえるようになった。
日本人ならば新鮮な卵で、卵かけご飯を食べたいと思うことだろう。
なのでボクはかなり気前よく人に卵をあげる。
深雪の行く日本語補習校のクラスメイトのお母さんと話したりして、子供が卵かけご飯が好きだなんて聞くと、その日の朝取れた卵を持って行きあげてしまう。見返りは子供の喜びだけだ。
子供が安全で美味しい物を食べて喜ぶ姿は世界の宝だ。
自分がそれをその場で見なくても、それを想うだけでボクは幸せになれる。
自分の子供が可愛いのは当たり前。自分の子供さえ良ければいい、というのはエゴだ。
愛の波動を人の子にも向ける。人間として一歩大きな愛を持ち続けていきたい。
なぜなら子供は人類の財産だからだ。
子供が健康的な物を食べる、ということは何よりも大切なことで、食の安全は大人が全力で守らなければならないことの一つだ。
それが脅かされることがある。
戦争だ。




ボクが深雪ぐらいの年、卵かけご飯の時に父と母がこういう話をした。
「戦争の時は食べるものがなくてねえ。風邪をひいたり病気になるとおばあちゃんが卵を一つくれたの。だから風邪をひくと卵が食べられるってうれしかったのよ」
父も頷いて言った。
「卵かけご飯を食べ終わった後に茶碗に卵が残るだろ。それが勿体なくてお湯を入れて卵をきれいに取って飲んだりしたなあ」
その時は何の気なしに聞いていたのだが、今となってその言葉が心に響く。
父と母は戦中派で、ちょうど今の深雪ぐらいの年に終戦を迎えた。
育ち盛り食べ盛りだったことだろう。
そんな時に食べるものがないなんて・・・。
おじいちゃんやおばあちゃんはどんな辛い思いをしたことだろう。
自分が人の親になって初めて分かることもある。
今の世で卵なんてそんなに高いものではない。卵なんていつでも食べられる。
だがそんな当たり前の事も、戦争というものの中では当たり前でなくなってしまう。
戦争で一番被害を受けるのは、常に社会的弱者、女と子供だ。
子供は親に聞くだろう。「何故食べるものがないの?」
親はそれに答えられない。「我慢しなさい」と言うしかないだろう。
悲しいことだ。
ボク自身は戦争を知らない。餓えることを知らないで育ってきた。
そして娘もそれを知らない。
今の環境でぼく達が餓えに苦しむ必要はない。
だが先人の辛さ、苦しみを他人事ではなく自分の事としてとらえる。
そしてそれを次の世代に伝える。
これが自分達のやるべきことであろう。
自然に、一個の卵に感謝をする気持ちが生まれる。
感謝の気持ち、ありがとう、というものは強制されるものではない。
心の奥から自然に湧き上がる感情だ。
こうやって毎日美味しい卵が食べられることに感謝。
それを産んでくれるニワトリに感謝。
そしてそのニワトリを育ててくれる庭の菜っ葉、ミミズなどに感謝。
野菜や微生物を育ててくれる、大地、水、太陽に感謝。
病気の時しか卵を食べられなかった親達に感謝。
喜んで美味しい卵を食べてくれる子供達に感謝。
そしてその感謝の輪の中に自分もいる。



今日の朝飯はスクランブルエッグとトースト。
スクランブルエッグは深雪に作らせる。最近はこれぐらいはできるようになった。
ちなみにボクは小学校2年の時には厚焼き玉子をマスターした。失敗して炒り卵になってしまったのも数多くあるが。
二人で卵を食べながら、ボクはこの話を娘にした。
「深雪も大きくなって自分の子供が出来たら、この話をしてあげてくれ。それまでは毎日の卵を美味しくいただきましょう。全てのものにありがとうって言いながらな」
「うん。だって一つの卵を食べちゃうってことは、一つの小さな鳥を食べちゃうことだもんね」
小さな鳥とはひよこのことらしい。
日本語のボキャブラリーはまだまだ足りない。
それに有精卵と無精卵の違いもまだ分かっていないようだ。
うちの卵からひよこは生れないのだが、まあ命をいただくという点は同じだし、拡大解釈で良しとしよう。
それよりも感性でこういうことを感じることが大切なのだ。
自分が人の親としてできることで、やらなくてはならないことは、こういうことだ。
深雪はボクの皿からスクランブルエッグを奪って食べ、元気に学校へ行った。
これでいいのだ。


コメント (3)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 9月18日 ブロークンリバー | トップ | 共振 »
最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (山小屋)
2011-09-20 13:28:51
うん。それでいいのだ。
返信する
Unknown (はるこ)
2011-09-20 18:42:02
こういう親父がいる限り、そして共鳴するその友がいる限り、世界はまだまだ大丈夫。
返信する
なおち (Unknown)
2011-09-21 08:52:58
ほんまに、何にでも感謝の気持ちって大切やよね。その気持ちが自然に湧き上がる人が多ければ多いほど、世の中はもっと平和やろうね~。
ウチの親もよく言ってたよ。卵は贅沢品で1年に1回か2回、玉子焼きを作ってもあらったのが、ほんまに嬉しかったって。玉子焼きを作る事って少なくなったけど、作るたびに思い出すよ。

放し飼いの卵、この辺りでは、1ダース4ドルから5ドルの相場で、あちこちの家で売られてるよ。やっぱり卵を割った時全然違う。プリンプリンしてるし、黄身が濃いよね。そして美味しい!
生まれ立てなら尚更美味しいよね。
卵かけご飯、大好きやけど、妊娠中は生卵を食べないように言われてるねん。出産後のお楽しみなのよ♪
返信する

コメントを投稿

」カテゴリの最新記事