あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

共振

2011-09-21 | 日記
ボクはこうやってブログでメッセージを発信している。
これを読む人は、ほとんどが同意してくれると思う。
読む人を意識するのは当たり前だが、全ての人に好まれるように書いているわけではない。
ボクがあるメッセージを発信して、読む人がそれに同調するわけだ。
これが共振である。
なぜラジオから音が出るのか、テレビで映像が映るのか知っているだろうか?
それはラジオ局やテレビ局がある周波数で電波を発信する。
家庭にあるテレビやラジオも微弱な電波を発信する。
すると周波数が合ったところで同調し、ラジオからは音がテレビからは映像が映るというしくみだ。
ラジオもテレビも電源がなければ電波を発信できない。
結果、受信ができないということである。
これは人間でも同じことが起こる。
ボクがよく言う引き寄せの法則がこれである。
ポジティブな人にはポジティブな想念が寄ってくる。
ネガティブな人にはネガティブな想念が。
それなりの人にはそれなりのものが。
全て同調なのだ。
その周波数が離れれば人は居心地の悪さを感じる。
そして自分にとってより居心地の良い方へ無意識のうちに動いていく。
エゴに凝り固まった人がボクのブログを読んだところで同調はできない。
「何きれいごと言ってやがんでえ。世の中、取ったもん勝ちだ。人にあげるなんてバカバカしくてできるか」
そして弱肉強食の、取ったもん勝ちの世界へ行くことだろう。
ボクの言葉はメッセージである。
それをどう受け止めようが自由だ。
同調、共振する人は、そこから発信して別の輪を作っている。
それが人のブログや日記、書き込みを読んでいて分かる。
会ったことのない人でも、心のつながりはできる。
ハッピーバイブレーションだ。

これからの世の中、共振はますます進んでいくことだろう。
ネットのおかげで普段は会わないような人とも通信ができるようになり、共振の速度は速まる。
そうなると、どうなるか。
波長が合わない人とはどんどん距離が離れていき、やがて全く出会わなくなる。
バシャールが上手い例えを使っていた。
今はいくつもの電車が平行して走っているような状態で、お互いに相手の車内は見えるが、その場で別の電車に乗り移ることはできない。
電車に乗り移るには駅で止まった時に乗り移るのだが、これから先、駅の間隔は離れていき乗り移るのも容易ではなくなる。
これが進んでいくと平行して走っていた電車はどんどん離れていき、他の電車も見えなくなりその世界が残る。
これはすでに始まっており、ボクと一番遠い路線の電車、犯罪、殺人、強奪などが当たり前の世界とは接点が全くない。
小さな町に住んでいても、自分が会わないべく人とは出会うことがない。
同調と共振は常にあり、予定を合わせなくても会うべく人とは出会う。
偶然はこの世にないが、言葉で言う偶然の一致、共時性の出会いは次々に起こる。
最近ではこういうことにあまり驚かなくなった。

人間とは面白いもので自分自身が一番見えないものである。そして他人はよく見える。
なので周りの人間を見渡して自分の状態を知る。
幸いなことにボクの周りにいる人は北村家一軍を含め、皆生き生きと幸せに毎日を前向きに過ごしている。
こういう人たちの姿を見て、ネット上での書き込みを読んで、自分も幸せになれる。
自分が幸せになると人も幸せにできる。
幸せの波動は人から人へ伝わる。
共振によって。
受け取るには微弱な電波を自分から発信するのだ。
幸せになる理由などなんだっていい。
空がきれい。ご飯が美味しい。いい仕事ができた。人から何かもらった。ビールが旨い。星がきれい。いい仕事ができた。友達と会った。風が気持ちよい。面白い本を読んだ。海を見た。良い夢を見た。健康だ。良いクソが出た。自然がきれい。パウダーに当たった。誰かに優しくされた。子供が機嫌が良い。感動する映画を見た。善い行いをした。失くし物が出てきた。人助けをした。街の明かりがきれい。あおしろみどりくろを読んだ。
繰り返して言うが、幸せは常にそこにある。
それを感じ取ることが、微弱な電波を発信する、同調するということだ。
何かがあれば幸せになれる、何かがないから幸せになれないというのではない。
常にそこにある。
幸せとは波動で、ある周波数で振動しているものだ。
同調すれば、たとえ本人が望まなくても勝手に共振する。
そしてそのチューニングを合わせるのは自分なのだ。
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