彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

彦根城周辺史跡スポット:「長寿院大洞弁財天」

2006年08月05日 | 史跡
彦根藩主の中で井伊直政・直孝に継ぐ名君と謳われ、幕閣においても大老職を2度務めた人物が4代藩主・井伊直興です。
直興は彦根藩中興の祖と呼ばれ、国宝彦根城築城400年祭のプレイベントでは直興の特集も組まれています。

1688年、日光東照宮の修築奉行を任せられた直興は、領内・甲良町出身で幕府お抱え大工棟梁・甲良宗賀(こうら・むねのり)と宗員(むねかず)と共に3年間に及ぶ東照宮の大改修を成功させています。
ちなみに日光東照宮建造の時は、甲良町出身の藤堂高虎が奉行となり同地出身の甲良宗広が大棟梁となりました(この関係で甲良町と日光市は姉妹都市の盟約を結んでいます)。

この時に培ったノウハウを元にして、1695年に彦根城の東北に建てられたのが長寿院でした。東北という方向は平安時代から災いの入り込む鬼門として恐れられていた場所で、彦根城から見ると、佐和山城址を含むその辺りに鬼門避けの寺院を建立する事は大きな目標の一つだったといっても過言ではないくらいだったのです。
建築には日光東照宮と同じ権現造になっていて、「彦根日光」とも呼ばれています、この事から、甲良大工が建築に携わったと考えられていて、多くのガイドブックにもそう紹介されていますが、実は彦根藩のお抱え大工によって建立された建物なんですよ。
また、当時は松原内湖の湖畔にあった事から水の神様である弁財天が祀られていて、日本三弁天の1つに挙げられ“大洞弁財天”という俗称の方が有名になっています。

ちなみに、直興の「領民全てが弁天様のご加護があるように」という願いから。建築に掛る費用の一部は領内に住む領民全てから1文ずつ集めました。この時の人数が25万9526名。その名簿が整理され今にも伝わっていて、当時の彦根藩を知る上での重要な資料となっているんですよ。
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