本丸には三十間長屋があります。


すぐにある建物です。

金沢城では多聞櫓に連なる続き櫓を「長さ+長屋」で名付けていたようで三十間長屋も今は26.5間(48.2m).の建物となっています。
江戸初期には建っていたのですが、火事で焼け、長年石垣のみだった場所を幕末になりまた建造された建物が今に残っています。
海鼠壁や、城郭の外側から見て映える建物の外装に興味をそそります。





金沢城は平城のイメージがありましたが、実際に訪問すると平山城だったことがわかりましたが、それは周囲より高い建物があると言うことであり、落雷被害もあるのです。
桃山時代に、本丸には大坂城、駿府城に次ぐ立派な天守が建っていたのですが慶長7年(1602)に雷による失火で天守は焼けました。
関ケ原の戦いの後で、徳川家康が江戸に幕府を開く前年の事ですから原因は本当に雷だったのか?雷を好機と考えて、家康に疑いを掛けさせずに藩を守るために、自作自演で火を付けた可能性も否めないかもしれません。
何にしても、天守焼失以来、金沢城は火事に何度も見舞われる城となるのです。