ヒロシの日記

たくさんの人たちの幸福を願いつつ、常に自然な生き方を望む私の日記です。

スーホの白い馬

2008-12-28 22:01:35 | 日記
スーホの白い馬
モンゴル民話  
大塚勇三 再話  
赤羽末吉 画


スーホが、なでてやると、白い馬はからだをすりよせました。
「そんなに、かなしまないでください。
それより、わたしのほねや、かわや、すじやけを使って、がっきを作ってください。
そうすれば、わたしはいつまでも、あなたのそばにいられます。
あなたを、なぐさめてあげられます」


モンゴルの貧しい羊飼いの少年スーホが草原で拾った白い仔馬は美しく立派に育ちました。

スーホはその白い馬と共にとの様の競馬に参加して優勝しましたが、とのさまはスーホの貧しい身なりを見て優勝者への約束を翻し、スーホの馬を自分のものにしようとしました。
スーホは抗議しましたが、とのさまの家来に打ちのめされ、馬は横取りされてしまいました。

家に戻ったスーホの傷は次第に癒えましたが、白い馬を失った悲しみはいつまでも消えません。

白い馬を手に入れたとの様は客を大勢呼んでそのことを自慢しようとしましたが、白い馬はそのお披露目の席で暴れて飛び出してしまいました。
しかし白い馬はとの様のところから逃げ出そうとした時に、後ろから何本も矢を射かけられて深い傷を負い、それでも逃げてやっと再会することができたスーホの腕の中で息絶えます。

スーホは悲しさと悔しさで幾夜も眠れませんでした。
でも、やっとある晩眠り込んだ時に白い馬の夢を見るのです。
冒頭の引用は、その時に話しかけてきた白い馬の言葉です。


モンゴルの楽器である馬頭琴の起源にまつわるこの物語は、スーホと白い馬の心のつながりを描くものですが、モンゴルの大平原の中では人間と家畜との関係を超えることはありません。
また、愛するものを奪われ殺されたとしても権力に抗う術もなく、スーホは全てを受け入れるしかないのです。

ある意味でこの物語は「なぐさめ」の物語でもあります。
この物語のように楽器や音楽がなぐさめであるなら、人はその身に受ける辛いものを乗り越える術を備え持って生れてきたのでしょう。

また、原典がモンゴルの民話であれば、異文化に触れることもこの絵本の醍醐味です。
家畜とはいえ、愛するものの身体から骨や革や腱を切り出すことは今の日本では考えられません。
哀惜の情の表し方もまた様々だということです。

最後になりましたが、この物語は赤羽末吉さんの絵と巡り合うことで輝きを増しています。


良い絵本には、良い画家との出会いが必ずあります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ちびゴリラのちびちび

2008-12-28 21:36:59 | 日記
ちびゴリラのちびちび
作・絵: ルース・ボーンスタイン
訳: 岩田 みみ
出版社: ほるぷ出版


みんなは いまでも ちびちびが だいすきです。


森のちびゴリラのちびちびは、森の誰からも好かれていました。
おかあさんも、おとうさんも、おじいさんも、ほかのゴリラも、ピンクの蝶も、みどりのおうむも、あかいサルも、でっかいヘビも、ノッポのキリンも、子供のゾウも、おとなのゾウも、ライオンのおじさんも、かばのお母さんも・・・。

ある日何かが起こって、ちびちびはどんどん大きくなって、こんなに大きくなりました!

ちびちびが愛され好かれている穏やかなシーンが途切れて、あのちいさかったちびちびが大きくなった時が息をのむ瞬間です。
あの可愛いちびちびは、もうそこにいません。

しかし、物語は
「みんなは いまでも ちびちびが だいすきです。」と締めくくります。

この絵本を、大人はどう受け止めるでしょうか?
大きくなったちびちびに、子供はどう反応するでしょうか?


見開きの扉の左に作者の前書きがありました。

「せかいじゅうのゴリラに 
そしてゴリラのすきなみなさんに」


そこには、作者の「ゴリラを好きになってください」とのメッセージが込められています。
一方でこれはゴリラのちびちびのお話ではありますが、変わらぬ愛を訴えかけるものでもあります。
込められた無言のメッセージが、変わりゆく価値観の中で揺れ動く私たちの心を打ちます。

読み終えた時に、またいつもとは違う世界が広がっているように私は思えるからです。
またいつものように、変わらぬ愛を注ぎたくなる気持ちにさせてくれるものだからです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

絵本を読んでレビューを書くことをしています

2008-12-28 20:29:50 | 日記
しろいうさぎとくろいうさぎ

作・絵: ガース・ウィリアムズ 
訳: 松岡 享子

「しろいうさぎとくろいうさぎ、二ひきのちいさなうさぎが、ひろいもりのなかに、住んでいました。」


いつも楽しく遊んでいる白いウサギと離れたくない黒いウサギは、いつも白いウサギの前で悲しそうな顔をしていました。
黒いウサギはいつまでも白いウサギと一緒にいられるように祈っていたのでした。


物語はこの普段一緒にいる仲良しの二匹(?)が心を通わせて結婚するまでのことです。
二匹が結婚して楽しく暮らすようになると黒いウサギは悲しそうな顔をしなくなりました。

結婚が「成就」と考えれば、「100万回生きたねこ」の主人公が白い猫と一緒に暮らしたことも同じでしょう。
主人公の猫は二度と生まれ変わらなくなったからです。

この二つの物語は、心に秘めたものの「成就」がキーワードだと私は思っています。

しかし、この極めてシンプルな筋書きを白黒を基調として描いたこの絵本は、絵だけが訴えることのできる力を見せつけてくれます。
黒いウサギの悲しそうな表情と、白いウサギの黒いウサギの気持ちを受け入れた時の表情、そして受け入れてもらった時の黒いウサギのリアルな表情は、読者層の中心となる幼児にはどのように映ったのでしょうか?

読み聞かせるお母さんの心の中に、在りし日のときめきが過るのではないかと私は思いました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする