ヒロ爺のあれやこれや!

憩いと安らぎを・・・

懐かしい餅つき

2008-12-21 23:59:00 | 日頃のできごと
  


公民館の前を通ると、餅つきをしています。

たくさんの人がいて、凄い量のもち米があります。
二石近いというから、30kgの米袋で10袋分ということになります。
町の一軒一軒にお餅を配るそうなので、これくらいの量は必要でしょう。

  

そういえば、18日と20日夜の会合で公民館へ行くと、ポリケースが玄関に入りきらないほど置いてありましたが、洗ったもち米が入っていたようです。
米を蒸すのは、臨時のかまどを4ヶ所こしらえて、薪で炊いています。
薪も半端な量じゃありません。

  

これだけの量を杵でつくのは大変だ!
・・・と思ったら、奥のテントに電動の餅つき機がちゃんとありました。
全員に配るお餅は、この械に任せるようです。
自動的に1個分づつ切った餅が出てきます。

  

小中学校時代の友達も作業をしています。
久しぶりに会うと、風貌が随分と変わっています。

おっさんからじいちゃんへの変わり目といったところでしょうか。
自分では気がつかないけど、あっしも一緒なんだろうと思うと、複雑な心境になりました。

あっしの住まいは隣町になるので、配られません。
お袋に聞くと、5個の紅白のお餅を持ってきてくれたそうです。
旧の町のなで、人付き合いが煩わしいし、シキタリといった難しいところもありますが、結束感はあるようです。



こんなことを書いていたら、幼い頃のことが蘇ってきました。

もう、長い間、餅つきはしてませんね~。
昔は、年に3回ほど餅をついていました。
もち米も作っていましたね。

お餅つきは、子供にとっても一大イベントでした。
ついたお餅を丸めたりするのが子供の役割でした。
つきたてのお餅に、きな粉やアンコをまぶして食べるのが楽しみでした。

薄く切ったかき餅を火鉢で焼いて食べるのが好きでした。
今でも、素焼きの煎餅が一番好きです。
この時代は、時間がゆっくり回っていたような気がします。

作った餅は、親戚や親しい方に配りました。
それを持って行くのは、子供の役割でした。
お重にお餅を入れて、風呂敷に包んで持っていきます。
お餅を移して、空いたお重の上にポチ袋が入っていました。
それが自分たちのお小遣いになるので、配って回るのが待ち遠しかったです。

へっついさん(「かまど」のこと)が無くなってからは、こんなこともなりました。
時代の移り変わりといえばそうかもしれませんが、良い風習がなくなってゆくのは寂しいものです。

餅つきだけでも、町の行事として残っていってほしいですね。