安全問題研究会(旧・人生チャレンジ20000km)~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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こんなにおかしい!ニッポンの鉄道政策
私たちは根室線をなくしてはならないと考えます
国は今こそ貨物列車迂回対策を!

少年よ、大作を抱け

2006-02-16 00:12:41 | その他(国内)
私が定期的にウォッチしている小寺信良さんのブログが、また面白い考察をしている。
他人の作品を、自分としてのオリジナリティーを加えることなく、そのままパクってしまう人たちに苦言を呈しているのだ。

>サーチエンジンの発達により、近い将来ライターなどという職業は死滅すると言われたことがある。
>だが筆者は全くそうは思わない。オリジナルを考え出せる人間が一人も居なくなったら、一体誰が誰にリンクするのだ?
>逆に、オリジナルの発想ができる人間がどんどん死滅していくことで、筆者の付加価値はどんどんあがるんじゃないか。

小寺さんのこの考察は、少なくとも経済学的には全く正しいと私は思う。
そもそも富(経済学で言うところのストック)は“モノ作り”によってのみ生み出される。毛糸のセーターの値段が原料の毛糸より高く、自動車の値段が原料の鉄鋼より高いことに疑問を持つ人はいないが、ではなぜ原料よりも製品のほうが価格が高いのかと問われたときに、その理由を的確に説明できる人はどれだけいるだろうか?

経済学はこれを労働価値説によって説明してきた。原料を製品に加工する過程で、人間の「労働」が介在する。この労働が原料に付加価値をつけるのである。そして、つけられた付加価値の分だけ製品は原料より値段が高くなる。
労働価値説はずいぶん昔からある理論であるが、現在に至るもこれを覆すだけの新理論は登場していないから、未だに有効と考えることもできる。
要するに私が何を言いたいかというと、「富は生産活動すなわち“労働”によってのみ生み出される」ということである。

小寺さんのブログにある「チョイスしている人たち」が、そのチョイスするという行為に何がしかのステータスを感じているとするならばお門違いもいいところである。なぜならば、選択という行為は経済学的に見れば消費行動の一形態であり、間違っても生産活動の一形態ではあり得ないからだ。
これに対して「創作」は知的生産活動であり、生み出された創作物は、高いか低いかは別として商品価値を持っている。流通過程で付加価値がつくこともある。

そのように考えれば、ただチョイス(という名の消費活動)だけをする人間より、創作という生産活動をする人間のほうが経済学的に見て尊いことは明らかである。というより、チョイスだけをして生きる人間は、創作=生産する人間が生み出した富を食って生きているのである。

アリとキリギリスの童話ではないが、生産活動=労働に従事しないキリギリスだけで社会が構成されるようになったら、その社会は早晩滅びてしまう。社会全体が豊かになろうと思うなら、創作活動をする人間…小寺さんが仰るところの「オリジナルの発想ができる人間」がもっともっと増えなければならないのである。

だから、他人から供給してもらった物に不満を言うくらいなら、自分が供給する側になってやろう、稚拙でもいいから大作を作って世間をアッと言わせてやろう、という気概を持った人がもっともっと出てこなければ、日本は危ないと思う。

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