JR亀岡駅北口から望むと、コンクリート造りの古びた建物が目に留まる。
この建物は昭和33年(1958)に保津川下りの乗船施設として建設された「旧保津川観光ホテル」だ。
戦後日本の復興をいちはやく察知し、大型観光時代がやってくると確信していた
当時の保津川下り社長・川本直水氏(京聯自動車社長)は、
350年の伝統ある舟下りとして知られる保津川下りが、
必ず観光舟下りとして「日本を代表する観光施設」になると読み、
その戦略として本社機能を備えた「保津川下り乗船場兼ホテル」を建設した。
同ホテルの開業式には、政財界や芸能界からも多数来賓が招かれ盛大に行われた。
1Fは保津川下りの乗船券売り場と待合室を整備し、乗船客は階段状の護岸を利用して
スムーズに保津川へ降りることができ、岸に付けてある舟に乗り込んだ。
2~3Fには、エントランスやホテルスペース、レストラン、浴場などが設置され、4Fには宴会場まであった。
昭和30年代では最も先進的な複合型レージャ施設といえるだろう。
戦後、観光大衆化の流れのなか、保津川下りも一般に開放され「誰でも楽しめる舟下り」のイメージを確立していく。
この保津川観光ホテルは京聯から阪急電鉄に譲渡されたが、昭和45年に阪急が撤退したことで
その後は亀岡商工会館として使用されていたが、今は閉館され固く扉を閉ざしている。過去の栄光を語ることなく・・・
この建物は昭和33年(1958)に保津川下りの乗船施設として建設された「旧保津川観光ホテル」だ。
戦後日本の復興をいちはやく察知し、大型観光時代がやってくると確信していた
当時の保津川下り社長・川本直水氏(京聯自動車社長)は、
350年の伝統ある舟下りとして知られる保津川下りが、
必ず観光舟下りとして「日本を代表する観光施設」になると読み、
その戦略として本社機能を備えた「保津川下り乗船場兼ホテル」を建設した。
同ホテルの開業式には、政財界や芸能界からも多数来賓が招かれ盛大に行われた。
1Fは保津川下りの乗船券売り場と待合室を整備し、乗船客は階段状の護岸を利用して
スムーズに保津川へ降りることができ、岸に付けてある舟に乗り込んだ。
2~3Fには、エントランスやホテルスペース、レストラン、浴場などが設置され、4Fには宴会場まであった。
昭和30年代では最も先進的な複合型レージャ施設といえるだろう。
戦後、観光大衆化の流れのなか、保津川下りも一般に開放され「誰でも楽しめる舟下り」のイメージを確立していく。
この保津川観光ホテルは京聯から阪急電鉄に譲渡されたが、昭和45年に阪急が撤退したことで
その後は亀岡商工会館として使用されていたが、今は閉館され固く扉を閉ざしている。過去の栄光を語ることなく・・・