小春日和の昨日から一転、今日は秋雨が降るという寒い日となりました。
一晩でこうも天気が変わるとは・・・
しかし、秋の観光シーズン本番を迎えた京都にとっては、まさに水を差す冷たい雨。
保津川下りに乗られたお客さんも寒い船旅になったことと思います。
こんな日にもかかわらず保津川下りにご乗船いただいたお客さまには
‘感謝’の言葉以外見つかりません。本当にありがとうございました。
渡月橋から見る嵐山には霞が掛かり、紅葉が薄らと浮き上がる姿が秋の情緒を際立たせます。
今日の様に「雨にけぶる嵐山」の美しさに魅せられた一人の人物がいます。
その人物とは中華人民共和国の元首相・周恩来氏(1898~1976年)。
氏が雨の嵐山を眺め、詠んだ詩が「雨中嵐山(うちゅうらんざん)」です。
氏の詠んだ詩碑は嵐山の亀山公園に今も建てられています。
日本ではあまり知られていませんが、中国や台湾、香港などから来られる
観光客の間では、日本に来ると必ず訪れる有名な観光スポットなのです!
氏については、いまさら説明はいらないと思いますが、一応紹介しておくと
中華人民共和国の祖でもある毛沢東首席とともに、新政国家の基礎を築き上げた名宰相で、
1972年に当時の日本国首相・田中角栄氏と日中平和友好条約を締結したことであまりにも有名です。
周恩来氏は、1917年に官費留学生として来日、約2年間、早稲田大学や京都大学などで
聴講生をしながら受験勉強をされていましたが、受験した2校(東京高等師範と東京第一高等学校)は
いずれも不合格となり、失意のなかで帰国を余儀なくされました。
この詩は彼が「日本で学ぶ」という夢が破れ、帰国する前に訪れた嵐山で詠まれたもので、
夢破れた失意の中で見た雨の嵐山の風景に「ひとすじの光(希望)を見出した」という喜びを
詠った詩なのです。いわば、この詩は「中華人民共和国建設」を決意した重要な詩なのです。
この「一すじの光」とは、当時、聴講生として通っていた京都大学で出会った人物にあります。
その人は、当時、マルクス主義研究の第一人者として知られた河上肇教授。
教授の共産主義思想に出会い、強く影響を受けたといわれる周恩来青年は、この思想に
より、理想とする祖国を建設しようと意を強くしたのです。
失意に覆われ、押し潰されそうな厳しい現実の中、この新しい思想を知ったことで
暗い闇に包まれた心に‘一光’が射したような衝動、その心の震え、歓喜を、
雨が降る嵐山に差し込めた‘光’風景の中に見出したのでした。
この詩碑は、1978年8月に日中平和友好条約が調印されたことを記念して
ゆかりの地・嵐山に建立されたもので、日中両国の友好が未来永劫続くことを祈念しました。
今だからこそ、あらためて友好について考えるよい機会になる場所かもしれません。
周総理が失意の心で見た、雨降る嵐山の美しい風景に、ひとすじの光を見出した様に、
私も‘希望’という光を、この風景の中に見出した気分に浸りました。
「雨の日の嵐山」・・・なんとも奥深い風景であることでしょう。
*「雨中の嵐山」
雨の中を再び 嵐山を散策
川の両岸には松や桜花もまじえ
見あげると 高き山を見る
水は緑に映え 川の石は人を照らす
雨や霧に溢れているが
一すじの日の光 雲間よりさして
いよいよなまめかし
人の世のもろもろの真理は糢糊たるも
糢糊たる中に 一すじの光を見るは
いよいよもって なまめかし
一晩でこうも天気が変わるとは・・・
しかし、秋の観光シーズン本番を迎えた京都にとっては、まさに水を差す冷たい雨。
保津川下りに乗られたお客さんも寒い船旅になったことと思います。
こんな日にもかかわらず保津川下りにご乗船いただいたお客さまには
‘感謝’の言葉以外見つかりません。本当にありがとうございました。
渡月橋から見る嵐山には霞が掛かり、紅葉が薄らと浮き上がる姿が秋の情緒を際立たせます。
今日の様に「雨にけぶる嵐山」の美しさに魅せられた一人の人物がいます。
その人物とは中華人民共和国の元首相・周恩来氏(1898~1976年)。
氏が雨の嵐山を眺め、詠んだ詩が「雨中嵐山(うちゅうらんざん)」です。
氏の詠んだ詩碑は嵐山の亀山公園に今も建てられています。
日本ではあまり知られていませんが、中国や台湾、香港などから来られる
観光客の間では、日本に来ると必ず訪れる有名な観光スポットなのです!
氏については、いまさら説明はいらないと思いますが、一応紹介しておくと
中華人民共和国の祖でもある毛沢東首席とともに、新政国家の基礎を築き上げた名宰相で、
1972年に当時の日本国首相・田中角栄氏と日中平和友好条約を締結したことであまりにも有名です。
周恩来氏は、1917年に官費留学生として来日、約2年間、早稲田大学や京都大学などで
聴講生をしながら受験勉強をされていましたが、受験した2校(東京高等師範と東京第一高等学校)は
いずれも不合格となり、失意のなかで帰国を余儀なくされました。
この詩は彼が「日本で学ぶ」という夢が破れ、帰国する前に訪れた嵐山で詠まれたもので、
夢破れた失意の中で見た雨の嵐山の風景に「ひとすじの光(希望)を見出した」という喜びを
詠った詩なのです。いわば、この詩は「中華人民共和国建設」を決意した重要な詩なのです。
この「一すじの光」とは、当時、聴講生として通っていた京都大学で出会った人物にあります。
その人は、当時、マルクス主義研究の第一人者として知られた河上肇教授。
教授の共産主義思想に出会い、強く影響を受けたといわれる周恩来青年は、この思想に
より、理想とする祖国を建設しようと意を強くしたのです。
失意に覆われ、押し潰されそうな厳しい現実の中、この新しい思想を知ったことで
暗い闇に包まれた心に‘一光’が射したような衝動、その心の震え、歓喜を、
雨が降る嵐山に差し込めた‘光’風景の中に見出したのでした。
この詩碑は、1978年8月に日中平和友好条約が調印されたことを記念して
ゆかりの地・嵐山に建立されたもので、日中両国の友好が未来永劫続くことを祈念しました。
今だからこそ、あらためて友好について考えるよい機会になる場所かもしれません。
周総理が失意の心で見た、雨降る嵐山の美しい風景に、ひとすじの光を見出した様に、
私も‘希望’という光を、この風景の中に見出した気分に浸りました。
「雨の日の嵐山」・・・なんとも奥深い風景であることでしょう。
*「雨中の嵐山」
雨の中を再び 嵐山を散策
川の両岸には松や桜花もまじえ
見あげると 高き山を見る
水は緑に映え 川の石は人を照らす
雨や霧に溢れているが
一すじの日の光 雲間よりさして
いよいよなまめかし
人の世のもろもろの真理は糢糊たるも
糢糊たる中に 一すじの光を見るは
いよいよもって なまめかし
周恩来さんが高き使命と、理想を掲げた様に、
主人も、命に関わる大病を経験しました。
でも不屈の精神力で生き延びて来ました。
そして家族の為に、一家の大黒柱として
懸命に働いてくれています。
結婚して、34年
今も尊敬と感謝の毎日です。
できれば金婚式を元気で、迎えられる様に‼️
願ってやみません‼️