保津川下りの船頭さん

うわさの船頭「はっちん」が保津川下りの最新情報や、京都・亀岡の観光案内など、とっておきの情報をお届けします。

こんな会社あったのか?~川本直水氏とは~

2018-02-28 15:48:11 | 保津川下りものがたり
戦後日本の復興を観光業に見出し、観光・保津川下りの基盤を築いた川本直水氏とはどの様な人物だったのか?

高知県出身で弱冠25歳の時、小さなタクシー会社から身を起こし、
京都のタクシー業界をまとめ京聯自動車設立後、観光バス会社を立ち上げ、
一大企業グループ・大都産業(株)を率いた実業家だ。

その中には東京のはとバスもあった。この大型貸切バス営業は「観光バス」として日本に定着することになる。

また比叡山や東山にドライブウェイを整備し「ドライブ」の有料レジャー化を生んだ。

一方、清水寺にバス駐車場、京都市の駐車場設置に取り組み、モータリゼーションの到来にも備えた。

日本最初の長距離バスとして発足した日本急行バス等も川本氏の構想によるものと云われている。

その事業手腕は日本国内に知れることとなり、政財界や文化・芸能界にまで幅広い人脈を持っていた。
時代に先駆け「観光立国」を提唱し続け、独創的な感覚と斬新な発想で
観光・輸送事業の先覚者的役割を果たした川本直水氏は、
日本の観光・レジャー発展史にその足跡を残している。

同郷の坂本龍馬に心酔していた川本氏は、私財を投じて京都円山公園に坂本龍馬と中岡慎太郎の銅像を建立している。

シリーズ「こんな会社があったのか?」~保津川観光ホテル~

2018-02-27 10:14:10 | 保津川下りものがたり
JR亀岡駅北口から望むと、コンクリート造りの古びた建物が目に留まる。

この建物は昭和33年(1958)に保津川下りの乗船施設として建設された「旧保津川観光ホテル」だ。

戦後日本の復興をいちはやく察知し、大型観光時代がやってくると確信していた
当時の保津川下り社長・川本直水氏(京聯自動車社長)は、
350年の伝統ある舟下りとして知られる保津川下りが、
必ず観光舟下りとして「日本を代表する観光施設」になると読み、
その戦略として本社機能を備えた「保津川下り乗船場兼ホテル」を建設した。

同ホテルの開業式には、政財界や芸能界からも多数来賓が招かれ盛大に行われた。

1Fは保津川下りの乗船券売り場と待合室を整備し、乗船客は階段状の護岸を利用して
スムーズに保津川へ降りることができ、岸に付けてある舟に乗り込んだ。

2~3Fには、エントランスやホテルスペース、レストラン、浴場などが設置され、4Fには宴会場まであった。

昭和30年代では最も先進的な複合型レージャ施設といえるだろう。

戦後、観光大衆化の流れのなか、保津川下りも一般に開放され「誰でも楽しめる舟下り」のイメージを確立していく。


この保津川観光ホテルは京聯から阪急電鉄に譲渡されたが、昭和45年に阪急が撤退したことで
その後は亀岡商工会館として使用されていたが、今は閉館され固く扉を閉ざしている。過去の栄光を語ることなく・・・

シリーズ「こんな会社があったのか?」~船頭という実践者が創った企業・保津川下りものがたり~「船、陸を走る!」

2018-02-26 13:33:28 | 保津川下りものがたり
<船、陸を走る!>
保津川流域にあった舟下り会社を合併し「保津川下り」を設立した川本直水氏は、
江戸時代から350年間、続けてきた嵐山からの「曳上げ舟」作業を非効率だとし、
木炭トラック車による回送を思いつく。

一代で起業した川本氏ならでは斬新な発想と行動力により、
昭和23年から保津川下りの高瀬舟を載せたトラックが、
嵐山から亀岡間を行き来することになる。

それまでは嵐山でお客様や荷物を降ろすと、舟の舳先を上流へ向け、
船頭が細い綱で舟をくくり、亀岡目指して川を上って帰っていた。
距離にして16㎞、上流の亀岡までは約50mの高低差がある。
しかも保津峡の中は急流部が多くて、舟を曳き上げる作業を強靭な体力を必要とした。
足もとの草鞋も破れててくるため、2足以上の準備をして作業にあたった。
いずれにしても曳上げる4人の船頭にとっては「行は極楽、帰りは地獄」の
ようなキツイ仕事だった。

川でしか見たことのない舟が、トラックに載せられ、国道を走るという奇妙で不思議な光景は、
京都の人々の話題となり「船、陸を走る!」と大々的に伝えられた。

このトラック輸送により、舟の回送時間が大幅に短縮化され、回転率があがり、
その後、増加していく団体ツアーを主流としたマス・ツーリズム時代への対応を可能にした。

陸に舟を走らせたことで、保津川下りは大勢の観光客を送客することできるようになり、
「観光舟下り」として安定した事業基盤を築いていくのである。

シリーズ「こんな会社があったのか?」~船頭という実践者が創った企業・保津川下りものがたり~

2018-02-25 08:35:14 | 保津川下りものがたり
第二次大戦後、戦地から多くの船頭が帰ってきたところで、
タクシー会社京聯の創設者・川本直水氏は、それまで保津村、山本村など流域の村々で
別々に運営していた通船事業を合併し法人化に成功した。
ここに「保津川下り」という統一した名称が誕生する。

タクシー運転手から一代で起業化し、観光バス会社タクシー会社を設立した
立志伝の人・川本氏は、政界、財界、芸能界に持つ幅広い人脈を活かして
「観光保津川下り」を日本国内に発信した。

時代は高度経済成長の追い風もあり、観光業に大型団体バスツアー(マス・ツーリズム)形態が生まれ、
京都観光の中での、保津川下りの知名度を不動のものにしました。

しかし、保津川下りの他に様々な事業展開を拡大していた川本氏だったが、資金不足に陥り、
保津川下りは、昭和39年、阪急電鉄株式会社に売却され、船、船頭ごと大資本の配下に組み込まれることとなる。

*写真は旧乗船場に併設されていた保津川観光ホテル(旧亀岡商工会館)の宿泊客が、浴衣姿で乗り込む模様が撮影されている。

亀岡市観光写真コンテストの審査会

2018-02-08 13:20:05 | 保津川下り案内
今日は亀岡市観光写真コンテストの審査会でした。


今年もふるさとの‘いい’写真が出揃いました。


その数なんと!177点!!


その中から、特選3点を含め20点の入選作品を選ぶのは大変です。

のどかな田園風景に、幻想的な霧風景、雄大な保津峡など、
どの作品も当然、撮影技法は「うまい!」し、
それ以上に、ふるさと亀岡に対する愛情がヒシヒシと感じられるものばかり。

断腸の思いで選ばせていただきました。


選出された写真はポスターやHPなどで使用され、亀岡の魅力を伝えるPRに活用されます!


また、近く亀岡市役所1Fロビーでも展示される予定です。ぜひ、ご覧ください。