保津川下りの船頭さん

うわさの船頭「はっちん」が保津川下りの最新情報や、京都・亀岡の観光案内など、とっておきの情報をお届けします。

シリーズ京都を歩く。太古のロマン、保津川峡。

2005-05-31 17:48:24 | シリーズ・京都を歩く
保津川下りの最大の醍醐味といえば、有史以来から
形つくられた保津峡の深い渓谷美でしょう。

急で切り立った山肌に、濃い灰色をしたチャートの
層で造形された岩壁、山々を縫い激しく蛇行する
保津の流れは、地球創造の歴史を今に残しています。

現代地学的見解によると、今から約200~500万年前、
近畿地方の広い範囲を沈降させる地殻変動が起り、
たくさんの盆地が形成されたそうです。

その一つが保津川下りの出発点がある亀岡盆地で、
周囲を山々に囲まれていたことから、上流から流れて
来た水を貯めた一大湖となっていたのです。

当時は今の京都盆地も山城湖という湖だったらしく、
水は亀岡の湖から、今の保津川とR9号線の老ノ坂の
2ルートから山城湖に流れ込んでいた事が分かっています。

その当時の保津川の川幅は狭く、
水面の高さは現在流れている位置より
約80メートルも高い所を流れいました。

高く切り立った保津川渓谷の岩盤80メートル上から
太古のプランクトンの化石が多数発見されることが、
この事実を証明しているのです。

また、古くから伝わる「神話」の世界にも保津川渓谷の
興味深いじ記述が紹介されています。

太古の昔、この地方を治めていた出雲の神「オオクニヌシ」は
旧亀岡湖が一望できる山の頂に上がり、神々をお集めになり
「この山々を切り開いて、湖水を山背(京都)へ流し
新しい国・丹波を造ろう」と相談されたとあります。

オオクニヌシといえば、日本建国の元となった「国譲り」
を行った神様として有名ですが、丹波地方では、
今の亀岡周辺が出雲と大和両勢力の接点になった
と見られているのです。

そのオオクニヌシの国造りの一つ、保津峡の
谷間開削を手伝った神さま達を祀る神社は
今でも亀岡に残っております。

この様に、最先端科学の地質学と太古から伝わる神話の
共通点が重なり合うのも保津川渓谷のロマンを感じる
要素だと思います。

地球の生命力と古代の神話のロマンを満喫できる
京都最大の渓谷地・保津峡。
皆さんも是非、体感してみてはいかがでしょうか?

保津川下りのアイドル(?)ヌートリア発見!

2005-05-30 23:40:12 | 船頭
大自然の中を流れる保津川を下っていると
色んな生き物との出会いがあります。

その中でもお客さんに最も人気がある生き物、
それはなんといってもヌートリアです。

全長50~70cmほどの小さな体で、ビーバーの
ような愛くるしい出っ歯顔で、一生懸命泳ぐ
姿はお客さんの視線を独り占めです。

保津川のヌートリアは船にも慣れっこ。
真横を流れていても決して逃げる事はせず、
身近でゆっくり観察できるのも
お客さんに受けている理由でしょうか。

見た目にはこんな可愛いヌートリア。
お客さんの目を楽しませる、まさに保津川のアイドル。

しかし、これらヌートリアを取り巻く現実は
とても厳しいものなのです。

可愛い姿で人に愛されていると思いきや、逆で、
害獣として全国でも駆除対象に挙げられている
不人気な動物なのです。

ご存知の方も多いと思いますが、ヌートリアは
もともと日本で生息していた動物ではなく、
出身地である南米のブラジルやアルゼンチンの河川に
生息していたものを、人間の手によって日本に
連れてこられた動物なのです。

その毛皮が防水防寒性に優れていた為、1930年頃から軍用服の
毛皮獣として輸入され飼育されるようになったのです。
ところが、第二次世界大戦後は毛皮の需要が減少し、
やがて飼育家からも見捨てられていきます。

見捨てられたヌートリアは、河川に放されるなどして
野生化し、自然増殖を始めて現在に至っているのです。

その繁殖力の強さと天敵がいないことから、爆発的に
増え始め、水田の畦などを壊したり、生態系を乱す恐れがある
と判断され、害獣として毎年各地で駆除が始まったのです。

環境庁の統計では、最も捕獲数が多いのは岡山県で、
年間約800匹が捕獲され駆除されているそうです。

またイギリスでは1970年代から80年代にかけ、
約10年がかりで約100万頭を駆除し絶滅して
しまったという悲しい歴史もあります。

人間の都合で故郷から連れて来られ、必要なくなったと
捨てられ、自力で自然環境に適応すれば、害獣として
抹殺される。

ヌートリアの運命とはなんと悲劇的なのでしょう。
そして人は誰の許可を得て自然界の支配者となったのでしょう。

顔を水面に出し懸命に泳ぐヌートリアの愛くるしい横顔は、
保津川を訪れるお客さんの心をいつも和ませてくれます。
しかし、それらヌートリアの背負わされた悲しい運命に
心を馳せると、なんともやり切れなさを感じるはっちんなのです。


保津川下り・名物「岩つつじ」が咲き始めました!

2005-05-29 07:50:23 | 船頭
保津川下りの魅力は激流を水しぶきを上げて
下るスリルと四季折々に川岸を彩る花々です。

5月末から6月にかけて、保津川渓谷の
岩場を可憐な朱色で彩る花、それは
保津川名物といわれる「岩つつじ」です。

明治の俳人・正岡子規も

「下り船、岩に松あり躑躅あり」

とその美しさを読んだ保津川の岩つつじは、
船が横切るすぐ側の岩場の割れ目から
自生し、鮮やかな朱色の花が、
色濃くなった新緑にとけこんで
詩情すら浮かびます。

この保津川名物・岩つつじはいわゆる「サツキ」
と呼ばれる、山に自生している各種つつじとは異なり、
少し遅れて6月頃から咲き始めます。
また、その枝も花も山のつつじに比べ、
細く小さいものとなっています。

保津川の岩壁に自生しているこの岩つつじは、
昔、川の洪水でつつじの種が流され、その種が
岩の割れ目に入り込み根付いたといわれる
大変珍しいつつじで、天然記念物にも指定されています。

保津川の水面に近い岩場に生育する植物は
つつじに限らず、 毎年何度も大きな洪水に
その身をさらされます。
その度、激流が用土を流し、葉や根っこを
引きちぎらんばかりにしごきます。
その厳しい自然環境に耐える為、従来の品種より
背丈を低くし、葉は流線形、花は小ぶりにして
激しい流れに耐えうる性質に変化し
生き延びてきたのです。

川の水面に近い岸、他の樹木が生きていく事の
出来ない厳しい環境下の岩場に、強く根を張り
生育している「岩つつじ」

その岩つつじに、今にも手が届かんばかりの
すぐ横を保津川の船が通っていきます。

厳しい時はじっと耐え、穏やかな時には
その恵みを存分に戴く。
そして時来れば、華やかに咲き誇る。

何か、人の人生のも通ずるところがあると
感じるは私一人ではない様に思います。

自然の中で共生して、力強く生きていくと
いう姿を岩つつじは教えてくれている
ように感じるはっちんなのです。

皆様も是非この時期、岩壁を美しく彩り
力強さをも感じさせる岩つつじを
見に保津川下りにお越し頂けば
嬉しく思います。

*写真は岩場に咲き始めた岩つつじです。
 厳しい環境に耐えて生き伸びたので
 かたまり特異な群落を形成しているのも
 保津川の岩つつじの特徴です。

全国各地で地震雲が目撃!FM波にも反応が!

2005-05-28 08:11:50 | 船頭
昨日の朝、新聞朝刊に掲載された雑誌発売の
広告欄を見てドキッ!しました。

昨日発売の「FRIDAY」広告に
「5月末『南関東大地震』が発生する!」
という驚きの見出しが書かれていたのです。

先日、不気味な地震雲を見たばかりのはっちんには
その見出しはあまりにもタイムリーで、衝撃的でした。

早速、川を下った帰り、嵯峨嵐山駅のキヨスクで
「FRIDAY」を購入、中のページを開いて
またまた衝撃を受けました。

記事の横に一面、貼ってあった地震雲の写真、
それは先日、はっちんが見たものとそっくりの
ものだったからです。

その写真は5月23日に千葉県上空で撮られたもので、
はっちんが見た雲より少しあとに出現したようですが
西から東に伸びる筋状の雲の姿はまさにそっくり!

その写真を見た瞬間、あの未曾有の大災害となった
阪神・淡路大震災の記憶が蘇ってきて、形容し難い
不安感が胸に広がるのを感じました。

10年前のあの日、はっちんはその前日まで、
最大の被害があった神戸・長田区にあった
親類の家に滞在していました。

あの地震は、はっちんが帰ったその朝にやってきたのです。

前日、楽しく飲んだ居酒屋さん、疲れを癒した
昔の情緒あふれる銭湯、活気があった商店街、
その全てが一瞬にして消えて無くなったのです。

廃墟となったその地を見たときの悲しい衝撃は
今もこの胸を締め付け、忘れることができません。

今週の「FRIDAY」の記事では地震雲のほかに、
「FM波」で地震予知の観測を研究している串田氏と
いう方の調査結果も発表されていました。

串田氏は八ヶ岳南麓天文台でFM波を使用し、
流星の観測をされている方らしいのですが、
流星もない状況下でFM波の記録針が激しく
ゆれ動く現象が続き、その2日後に北海道
奥尻島が起ったことから、地震との関連性を
研究されていたそうです。

その後、幾つかの地震予知を検地した後、
あの阪神・淡路の地震の前兆も読めたそうです。

その彼が「今、FM波に大きな揺れが記録されている」
と警告を打ち鳴らしているというのです。
そら恐ろしく感じるのは、はっちんだけではないと思います。

また「「FRIDAY」では「編集部には今、
地震雲の目撃情報が全国各地から相次いで寄せられている」
らしい。
「東京大地震の危険度はますます高まっている!」と
お得意の少し煽り記事にはなっていますが、
地震活動期にはいっている日本列島です。
どこで大きな地震が起っても不思議では
ないでしょう。

自然の大きな思惑の前には、人の出来る事は
‘ただ、備える’という事しかないのだと思います。

お互い万全の備えだけは怠らないないようにしたいですね。

*5月19日、亀岡市に現れた地震雲です。

保津川下り・船頭恒例の‘花じまい’

2005-05-27 07:28:04 | 船頭
保津川下りの船頭達、恒例の飲み会‘花じまい’が
昨日、亀岡の湯の花温泉にて開催されました。

この花じまいは、別名‘しまいか’とも呼ばれ
船頭達の間に古くから伝わる伝統行事。
春の観光シーズンが終わるのを受けて、
この時期に毎年行われる船頭達の慰労会なのです。

昔は殆どの船頭が農業との兼業で仕事を
していた為、春が終る5月末からは船を
降り、百姓に戻り田植えを始めることから
一つの区切りとして行われていたものが
今に伝わった行事なのです。

保津川渓谷に美しく咲く桜や藤などの花々が
散り、春の終わりを告げるという意味から
‘花じまい’と呼ばれる様になったとか。
また‘しまいか’とは、川の仕事、つまり船頭の
仕事を終る(おしまい)にするというところから
付けられた呼び名ともいわれています。

昨日ははっちんが所属する保津川遊船・第三支部
の花じまいで、30名を越す組合員が参加しました。

宴会を行う所は毎年、その年の支部長並びに役員に
より決められ、親睦が図られます。

今年は亀岡の湯の花温泉・料理旅館松の井で
開かれ、温泉&京風の会席に舌鼓を打ちました。

また、ここでは一杯飲みながら先輩船頭が
若い船頭に川の事、船頭の心意気などを
教える場でもあるのです。

若い船頭はまだまだ技術に未熟なところが
多くあるため、この機会に先輩からしっかり
したレクチャーを受けるのです。

若いモンもお酒の席なので、日頃、仕事で悩んでいる事
や迷っている事を率直に話せる雰囲気があり、
一人前の船頭になる為にも、意義のある飲み会
なのです。

はっちんも新人の頃は、先輩の前で正座をして
講義を受けたことが思い出されます。

今では先輩の部類にはいる身になってきましたが、
初心に返り謙虚に船頭道を見直せる花じまいは、
自分にとっても大事な行事なのです。

浜田省吾の新曲「I am a father 」のプロモが配信中です!

2005-05-26 01:30:47 | 浜田省吾さん
4年の歳月を経て今年、再び走りだした浜田省吾。

はっちんのブログも最近は走り出した浜省に
ジャックされ状態になっています。

その浜省こと浜田省吾さん本人も登場する
新曲「I am a father」の
プロモと特別版メイキング映像を、Yahoo! BB会員に
先行独占配信をしています。
http://hamadashogo.yahoo.co.jp/
先行独占配信期間:5月25日~5月31日まで。

この期間はどこよりも早くYahoo! BB会員限定で先行公開!
今回配信中の特別版には、ドラマ仕立ての映像に加え、
撮影現場に本人が登場した貴重なメイキング映像も収録しています。
このサイトでしか観ることの出来ない特別版メイキング映像
です。全国の浜田省吾ファンの皆様、是非、この機会を
お見逃しなく!

プロモーション内容は、
単身赴任で一人頑張る父親を驚かそうと、
休日、幼い兄弟だけで電車を乗り継ぎ、父のもとへ。
しかし、父は仕事上でトラブルが発生し
取引先への対応処理に追われてしまいます。

辿りついた子供達は父がいない事に「がっかり!」
待ち疲れて、近所の野球場へ遊びに行くと、そこに
父の姿が・・・一気に駆け出す兄弟、その姿を見て
驚きながらも嬉しさを隠せない父。

親子で野球を楽しむ、ささやかだが幸せな風景で
ビデオは終ります。

まだ幼い可愛い盛りの子供達を置いて、
単身、家族の為に働いている父親を時任三郎さんが
熱演されておられます。


「I am a father 」  浜田省吾作曲・作詞

額を床に付く位、頭を下げ、毎日働いてる
家族の明日を案じて、子供達に未来を託して

傷ついてる暇なんかない!前だけ見て進む

スーパーマンじゃない!ヒーロでもない!

疲れたどり着いた家、窓の明りまるでダイアモンド
I am a father !

TVニュース観るたびに、子供達が巻き込まれた事件
ドアの外、すぐそこまで近づいてること感じて眠れない

嘆いてる暇なんかない!命がけで守る

チャンピオンじゃない!リーダーでもない!

妻と今日一日を無事に過ごせたことを祈ってる
I am a father !

子供が幼く尋ねる「何故、人は殺し合うの?」
抱き寄せ、命のはかなさに熱くなる胸の奥

迷っている暇なんかない!選んだ道を進む

ムービースターじゃない!ロックスターでもない!

明日は今日よりもいい日になる事を信じてる
I am a father !

かっては夢見る少年だったこの俺も
今ではfather !



この曲を聞き、幼い頃の自分が蘇り、頑張ってくれた
父との絆を思い、感謝の気持ちがこみ上げて
目頭が熱くなるはっちんなのでした。

こんな気持ちを我が子供達も持ってくれるでしょうか?
お父さんは頑張るしかないようですね。

我が住む街、京都・亀岡。

2005-05-25 02:19:47 | シリーズ・京都を歩く
以前、東京に住む友人に、はっちんのお仕事、
保津川下りのことを話していた時のこと。
「保津川下りは聞いたことあるが、亀岡市は
聞いたことないな~」と言われたことがありました。

その人は世界中を股にかけ飛び回っている
いわゆるビジネスの世界のエリート中のエリート。

その意外な発言に「案外、無知な奴やな~」と
その時は思ったりしました。

しかし、今度は東北の友人に「亀岡市って京都なの?」
「保津峡って、天の橋立とかの方?」と言われたときは
さすがに我が街の全国的知名度の無さを疑ってきました。

それから日本中にいる友人に、我が街・亀岡市と保津川下りに
ついてどれだけ知っているか、リサーチしてみたことがあります。

結果は驚くべきものでした。

保津川下りについては殆ど人が知っていたり、乗った経験が
あったものの、亀岡市については80%を越える人が
「よく知らない」というものだったのです。
これは関西圏も人も例外ではないのは驚きました。

この調査結果には正直、愕然としました。

京都市で生まれ育ったはっちんには、京都の隣接地で生活圏内の
亀岡は子供のころからよく遊びに行ったりして知っていたので
こんなにも知名度が低いことに気付いていなかったのです。

そうなのです!一部のマニアックな人を除き、
日本の大多数の人達は保津川下りは聞いたことが
あっても亀岡市という街については殆ど知識が無く、
保津川下りと亀岡市が頭の中で、まったく繋がって
いないのです。

この事実はこの街に暮らすはっちんにとって、衝撃でした。

この危機感がはっちんにこのブログを立ち上げさせる
一つの動機にもなったのでした。


京都府亀岡市はその昔‘丹波国桑田郡’といわれ
山陰道八ヶ国の東端の国にあたり、奈良時代には
政治文化の中心・丹波国府が置かれており(正確な場所はまだ特定されていない)
今の京都よりも古くから栄えていた由緒ある土地柄なのです。

約1260年前には国家平安と豊作を祈願して、
奈良東大寺を総国分寺とする全国国分寺整備が
進められ、亀岡のこの地にも丹波国分寺と国分尼寺が
置かれるほど栄えていたのです。

今の京都に平安京の都が造営される時も亀岡は、
都へ食料を供給する広大で肥沃な農地をもっており、
また、造営に必要な大量の木材を運ぶ水路として
保津川が流れていることから、物資流通の要衝として
平安遷都に大きく関わってきた土地柄だったのです。

更に京の都に近いことから、政治的にも重要な拠点と
位置付けられ、足利尊氏や明智光秀が天下を目指して
兵を挙げた戦略的な意味をもつ土地柄でもあったのです。

文化的にも、江戸時代に庶民の間で広がった
「心学」の父・石田梅岩や
杉田玄白が外来書を訳した「解体新書」を著す20年も前に
日本最初の解剖書「臓志」を著した山脇東洋、
西洋の技法を取り入れた絵画で有名な円山応挙に
昭和の怪物といわれた宗教家出口王仁三郎など
を輩出するなど、当時から文化レベルの高い土地柄なのです。
  

このように文化の香り高く、京都に負けないほどの
歴史的深みを擁し、豊かな自然を背景に
多くの人間ドラマが繰り広げられた土地、
それが我が住む街・亀岡なのです。

これからもこのブログでディープな亀岡を
掘り下げて見たいと思っていますので
ご期待ください。

人生は浜田省吾の歌とともに・・・

2005-05-24 02:46:32 | 浜田省吾さん
今日、私はっちんのもとに、浜田省吾のコンサートツアー
大阪公演の応募はがきが届きました。

4年ぶりとなるファン待望のコンサートです。
先行予約となるWeb受付に申し込んでも
応募が殺到しどうやら抽選となるらしいです。
もちろんすぐに申し込みはしましたが、後は
運を天に任すのみです。

かの文豪・ゲーテも言っています。
「人生には、その人の一生を左右するさまざまの、
めぐり合いがある。師、友人、恋人、敵・・・
しかし、ただ一冊の書物がしばしば、それらにもまさる
決定的な影響をもたらす場合がある」と。

僭越ながら私はそこに‘歌’も入れていいのではないかと考えます。

私の人生にとって浜田省吾の歌との出会いが、
まさにそれに等しいと思うからなのです。

これまでも、人生の節目節目で苦悩する私に
浜田省吾の歌がいつもそばで語りかけ、
そして支えとなった多く思い出があります。

思春期の頃、切ない恋心に「片想い」が染み込んで以来、
「路地裏の少年」の心を胸に大学受験、「君に会うまでは」と
「風を感じて」で恋する喜びと自由の意味を知った。
しかし時はバブル直前の好景気日本。
「丘の上の愛」と「MONEY」で甘い夢は覚め現実の厳しさや
悲しさを存分に思い知らされる。

「AMERICA」を聞き、なくした夢を求めて渡米。
異国の地で紛れもなく「J.BOY」である自分を認識し、
「詩人の鐘」を打ち続けようとジャーナリズムの世界を
ただ、ひたすら走り続け、そして倒れ敗れた日々。

空虚な心に「MY OLD 50'S GUITAR」の歌詞が
悲しく響いた。

でもそんな時「君が人生の時」と「星の指輪」が人生に
一番大切なものは何かを教えてくれて、今度は二人で
人生を走り出すことができたのです。

こうして考えると‘歌’というものが、その人の
人生に与える影響力は決して小さいものではないと思います。

確かに、人生を生き抜く為の「強い意志」や「明確な思想」
「強固な信仰心」などの高尚な精神に比べれば`歌’など
ささやかで大した物とは考えられていないかも知れませんが、
挫折を味わいながも、強く生きていこうとする人々の心を慰め
立ち上がって歩き出す時の支えになっているのだと
私は思っているのです。


私の人生の応援歌「陽はまた昇る」を記して終りたいと思います。

海鳴りの聞こえる丘で、青空を見上げて思う
この旅の途上で愛した人の懐かしい面影を

今日まで何度も厄介な事に見舞われてきたけれど、
今もこうして暮らしてる、これからも生きてゆけるさ
夕日が空を染めていく、明日の朝も日はまた昇る
俺がここにいる限り、俺がそこに居ようと居まいと

激しい川の流れを、静かに見つめて

闇の向こうに何があるのか?誰一人わからない
わからぬことをわずらうよりも、今日この時を生きていたい

川を渡り、谷間を縫って、頂を越えて

長い旅路のいろんな場所で、数え切れぬ人に出会う
誰もが皆、自分の人生と戦っている

荒野に一人君は立っている、往く道は幾つもある
だけど辿り着くべき場所はきっとただ一つだけ

どの道を歩いて往こうと君は君のその人生を
受け入れて楽しむほかない
最後には笑えるように・・・

明日23日(月)の「快傑えみちゃんねる」に原田龍二さんが出演します。

2005-05-23 00:07:25 | 原田龍二さん
明日の5月23日(月)関西テレビ系で午後7時から
放送される「快傑えみちゃんねる」に原田龍二さんが
出演されます。

「快傑えみちゃんねる」は、関西のおばちゃんの代表
ともいえる、しゃべりの天才上沼恵美子さんが司会、進行を
進める関西で人気の番組です。

毎回、過激トークで会場やお茶の間を沸かす上沼えみちゃんに
我らが男・原田龍二がいかなるトークを展開するのか?
今からとても楽しみです。

龍二さん自身、久しぶりのトーク番組出演らしいので、
人間・原田龍二の魅力を存分に発揮して頂きたいと
思います。

はっちんもビデオをセットして、楽しみに
待ちたいと思います。

原田さんはこのブログにもちょくちょく遊びに
来て頂いている読者仲間です。
皆さんも是非、ご覧頂き、みんなで応援しましょう!
         
                 押忍!

保津川下りに恵みの雨に・・・ならず!

2005-05-22 18:59:47 | 船頭
5月に入ってからというもの、まとまった雨が
降っていない京都・保津川。

川の水位の方も日に日に減少を続け、いよいよマイナス水位に
近づいてきました。

保津川下りの醍醐味の一つである急流も、
その勢いが弱まり、スリルを期待する方には
少し物足らなく感じつつあるようです。

更にこれからの時期は、京都府下一の農作地が広がる
保津川流域の田植えも始まります。
この広大な水田に引く為の水は、今の保津川が担わなければ
ならないので、益々、水位の減少が進むことが予想されます。

これらの条件下のもと、これ以上、川の水位が減少すると
川底を人工的に整備するハードな川作業に連日、出動しなくては
ならなくなり、組合にとっても、船頭個人にとっても
かなりの負担となってくるのです。

そんな中「明日は朝から一日中、雨」との
嬉しい観測を天気予報が発表。
その予報通り、早朝から待望の雨が降り出しました。

その後の週間予報では明日以外は雨の日がない
事もあり、時より激しい雨音をたてて、降りしきる雨に
私達船頭の期待も俄然、膨らみます。

「明日は日曜日、本来なら雨は降って欲しくない日だが、
今後の事を考えると仕方ないか~」と観光業最大の
稼ぎ時である日曜日を生け贄にする事も辞さない
心持ちで、この雨に賭けることにしました。

が!しかし、一晩降ったわりには、朝の乗船場の水位は
僅か5cm上がったのみで、期待した様な水位上昇は
していなかったのです。

どうやら雨が降らずに乾いていたのは私達船頭だけ
ではなかった様なのです。
山や田園、河原など大地そのものが乾いていたのです。

一晩、降り続いた雨も、乾ききったこれらの大地が
しっかり吸い取ってしまった事が上昇に繋がらなかった
理由と考えられます。

その後も終日、雨は降っていたものの、弱いミストの様な
中途半端な雨しか降らず、結局この雨は客足をしっかり
止めたのみで、期待したほどの水位の上昇はみられなかったのです。

水位が下がりだした時の‘恵みの雨’を期待した
私達船頭も願いはこうして脆くも崩れ去ったのでした。

天然自然というものは、私達人間の都合いいようには
作用してくれない事は分かりきっていますが、
ついつい、願わずにはいられないのも
太古からもつ人間の性でしょうか?

明日からはまたいい天気が続くそうです。
こうなれば気持ちをしっかり切り替え、
最高の川下り日和になる天気を喜んで
受け入れたいですね。

そしてこちら側が自然条件に合わせる謙虚な気持ちで
仕事に勤しむ腹を決めたはっちんなのでした。