保津川下りの船頭さん

うわさの船頭「はっちん」が保津川下りの最新情報や、京都・亀岡の観光案内など、とっておきの情報をお届けします。

GWは京都随一の自然エリアで乗り物体験

2018-04-29 09:39:55 | 京都情報
いよいよGWに突入です!

新緑ぶしいこの季節。観光やレジャーは、やっぱり自然とのふれあいが一番!
ということで、
今年のGWは、いろんな乗り物で案内する「京都の雄大な自然体験」はいかがでしょうか?

嵯峨嵐山からトロッコ列車で保津川沿いを上り亀岡へ㏌ 。
           
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トロッコを降りたら、ホロ馬車でのどかな田園を抜けて保津川下りの乗船場へ。
           
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そして新緑の保津峡を見上げながら舟下り。


まさに嵯峨→亀岡→嵐山のアクティビティ溢れるゴールデントライアングルコースです!

古都京都で雄大な自然を、乗り物で体験できるエリア嵯峨・保津峡。

風流でアドベンチャーな京都の旅をどうぞ!

GWの賢い京都散策の仕方、教えます!

2018-04-28 08:14:53 | 保津川下り案内
GWの京都は人も車もいっぱい!

観光地は人で溢れかえり、道路は車が大渋滞。
大切なGWのかけがえのない時間。車の渋滞ほど時間の無駄を感じることはないですね。

そこで!ロスなく休日を有意義に使える行程の提案です。

私たち保津川下りをお使い下さい。

私たち保津川下り乗船場には100台を超える無料駐車場を持っています。

ここに車を停めて京都市内へGO! 

例えば、朝9時までに亀岡の保津川下り乗船場までお越し下さり、
待たずに始発船にご乗船すると、11時までには嵯峨嵐山へ着くので、
そこから嵯峨野散策をするもよし。
また、JRや嵐電、阪急に乗って、京都の各観光地を回るものよし。

駐車場は終日無料で停めて頂いて構いませんので、お戻り時間は自由です。
この時期、駐車場が終日無料というのはオイシイ。

時間無制限なの、夜の京都も体験できます。

お戻りはJR山陰本線・嵯峨野線で。京都駅から亀岡駅までは約30分。
東山地域との中継駅となる二条駅なら25分ほど。
太秦や嵯峨嵐山からですと10~13分です。

JR亀岡駅から駐車場までは北口を出て、徒歩6~8分という駅近なのです。

高速道路のアクセスも整備されており、名神と第二名神または京滋バイパス~京都縦貫道路
のご利用で大阪中心部はもちろん神戸や名古屋、滋賀や奈良など
近郊の地域は1時間~2時間内で来れる範囲なのです。

混雑する京都のGWも保津川下りを利用すれば渋滞知らずで京都散策でき、
しかも節約にもなる。

いいことずくめです!

一度、お試し下さいね。

1200年、保津川水運のすべてを京都大学で研究。

2018-04-27 17:28:57 | 京都大学
1200年以上続く保津川水運。

筏流しから現代の保津川下りまで、京の都の造営にはじまり観光事業に至るまで、

その歴史と操船技術、船頭の生活や風俗の研究を京都大学で計画しています。

全時代的に渡って蓄積された川と流通の文化は、日本でも類を見ないでしょう。

着地地の嵯峨嵐山から支流の集落清滝も入れて、いずれ一冊にまとめる予定。

また、現在、保津川下りを運営する「保津川遊船企業組合」も
2年後の2020年には設立50周年を迎えます。

京都大学東南研の研究に組み込んで社史も編集できれば喜ばしい。

やるなら後世に残せる一冊にしたい。

日本最強の大魔王・崇徳院の怨霊ものがたり。

2018-04-26 12:23:46 | 京都情報
京都にはいくつもの「怨霊伝説」があります。

平安の昔より、京の都に動乱や災害が起こる時、
必ず都人の脳裏に浮かぶのが「怨霊」の祟りです。

その中でも、日本最強の大魔王にして、日本の精神世界史を語る上で
欠かすことが出来ない大怨霊と呼ばれるのが崇徳院です。

天皇に即位していた崇徳院ですが、父鳥羽天皇に疎まれ、
さらに弟の後白河天皇に苛め抜かれて、讃岐へ島流しにされてしまいます。

まさに筆舌に尽くし難い生涯に絶望した崇徳院は
「我、日本の大魔王となり、皇を取って民となし民を皇となさん!」
と書き残し、舌を噛み切って果てます。

すると、都に異変が起こりはじめたのです!

後白河天皇の近親者が相次いで死に、さらに平安京が焼失、
比叡山の僧兵の決起など不吉な出来事が多発しました。

南北朝時代には室町幕府を開いた翌年の1339年に、
四条河原の勧進田楽での桟敷倒壊で多数の死亡者が出て、
その翌日の大雨で川が洪水を起こし、
死体が流れていくという地獄の様な光景が!

実はその数日前、愛宕山に金色の鳶の姿をした崇徳院が現れ、
強い念を持った怨霊たちを集めて「怨霊サミット」を開き、
天下動乱の計画を練ったといわれています。

700年ぶりに国の実権を朝廷に取り戻した明治天皇は
即位後すぐに、崇徳院への詫び状を書き、
讃岐へ勅使を遣わして崇徳院の怨霊を京へお迎えし、
お住みとして「白峯神宮」を創建しました。

また昭和天皇は崇徳院800年忌に香川県の崇徳陵で式年祭を執り行っておられます。

崇徳院が皇室にとって、どれだけ恐ろしい存在なのかが伺えます。

そして、今も京都の闇に、ひっそりと潜んでいるのです・・・

<もうひとつの保津川水運・清滝川の筏流し>

2018-04-25 14:44:52 | 保津川下りものがたり
<もうひとつの保津川水運・清滝川の筏>
京の都をつくった保津川(桂川)の筏流しは有名ですが、
支流・清滝川にも筏流しがあったことをご存じでしょうか?

拾遺都名所図会にも紹介されている清滝川筏。
その図には大木の一本丸太に乗る筏士が紹介されていますが、
本流にも劣らない12連筏が流れていたことを知る人は少ないのです。

清滝出身の我が家では、曽祖父のノートに
「交通不便なりし往時は、伐採せし材木は筏に組んで流せしものなり。
遠く小野郷迄もで出掛けて筏流しをした。
清滝の筏士はその技術の点で他村の筏士を圧倒していたいわれた。」と書いてあります。

また、私が取材した清滝川最後の筏士・渡邉幸雄氏からも、
清滝川筏の歴史と操縦術を伺いました。

桟敷ヶ岳から小野郷→中川→高雄→清滝→保津川→嵐山へと
愛宕山系の水を寄せて流れた「もうひとつの筏流し」

いつか紹介できる時が来ることを願っています。

了以伝 ばけもののような船・角倉朱印船

2018-04-22 17:59:10 | 角倉プロジェクト・世界遺産事業
ばけもののような船じゃ!」アジア諸国へ出港する角倉船をみた人々は叫んだ。

文禄元年(1592)天下を統一した秀吉は室町時代から続けていた勘合貿易を再開させ、
各地の商人に参画を呼びかけた。
この秀吉の要請に名乗りをあげたひとりが京都の豪商・角倉了以だった。

当時はスペインやポルトガル、オランダなど西欧諸国が世界に進出した大航海時代。
角倉家ほかに同郷の茶屋家や伏見家、堺の伊勢家らも朱印状を手に入れ、
安南(ベトナム)やルソン(フィリピン)、タイなど東南アジア貿易へ打って出た。

その中でも角倉船の豪華は当代随一で、オランダ船の倍、
中国船の4倍半という桁外れの巨大船。

全長36m、幅16mであり、乗船人員も約400人、交易品の積み荷に至っては800t以上も
詰め込める当時ではおそらく世界最大級の唐型貿易船だ。

マストを3本も備え、後部の高殿には日本人の船長とポルトガル人の航海士が乗り込み、
黒人の姿も見える。

この船は単なる交易船というだけでなく、豪華客船として旅行者を乗せており、
その利益も莫大だった。
了以は異国人でも「信」を持って接するべきという精神を貫いた。

その威風堂々たる姿は、日本人だけでなく、角倉船に乗り込む為に長崎に集まった
ポルトガル人やオランダ人、中国、朝鮮など外国人商人たちの度肝を抜いた。

「この船なら難破や海賊船の襲撃の心配も少ない。
今回の渡航に成功すれば、利益は計り知れない。

「京都には凄い商人がいたものだ。」と口々に語り、
船主である了以という存在を強く印象づけた。

歌舞伎の「天竺徳兵衛」の場面でも、徳兵衛が角倉船に乗船する様子が描かれており、
角倉船の豪華さを伝えている。

主な輸出品は銀で、日本から年間に輸出される銀の総量は
世界の年間生産数の30~40%に上っていたという。
銀は交易に際しての主要通貨だったので、日本の商人はきわめて
有利な立場になったという。

ただ、角倉船の特異性はその規模や豪華さだけでなく、
その貿易システムを支える`精神’にあった。
これについては次回に譲ろう。

角倉船の模様は現在、京都の清水寺に「角倉船・渡海船額絵馬」として奉納され、
国の重要文化財に指定されている。


ベトナム旅行社一行様へ。日越をつなぐ了以のものがたり。

2018-04-22 14:12:18 | インバウンド
ベトナムの旅行社ご一行様、角倉了以像の前で記念写真!

16世紀後半、京の豪商・角倉了以は安南(ベトナム)への朱印船貿易に着手します。

長さ36m、幅16m、乗船数400人の桁外れの豪華巨大船が角倉船でした。

当時ではオランダン船の倍、中国船の4倍の大きさでした。
歌舞伎の「天竺徳兵衛」でも徳兵衛が乗り込む模様が描かれています。

「貿易とは、お互いの国同士がともに富ますということが最も大事な事である」
という精神の上に、世界の海へ出た角倉船。
それは欧州諸国が大航海時代においてアジアへ進出した形とは明らかに違う
今のグローバルスタンダードにも沿う先進的な思想を持った貿易でした。

さて、ベトナムからお越しの皆様へ、了以さんとベトナムのぼご縁の話をさせて頂くと、
皆さまとても感心を持たれ、了以像の前で記念写真を撮ろうということで盛り上がりました。

400年の時を超え、つながる日本とベトナムの物語。

今年は時あたかも日越国交樹立45周年の記念の年。

これから日越の新時代に、了以さんの物語がよみがえり「橋渡し」をされる様な手応えを感じました。

ご紹介下さった石黒様にも心より感謝申し上げます。

伊勢に七たび 熊野に三たび 愛宕さんには月まいり。奥嵯峨・保津峡ツアー

2018-04-18 07:37:44 | シリーズ・京都を歩く
「お伊勢に七たび 熊野に三たび、愛宕さんには月まいり」と江戸時代の民衆にうたわれた京都・愛宕山。

その麓は「あたご道」といい、愛宕詣りへ向かう人で賑わう街道でした。

あたご道沿いには行き交う旅人をもてなす宿や茶店が軒を連ねていたと伝わります。

その400年の風情を残す地域が奥嵯峨・鳥居本と清滝です。

鳥居本には「鮎茶店・平野屋」さんと「鮎の宿・つたや」さん、トンネルを抜けた清滝には「清遊の宿・ますや」さんが
今も当時と変わらぬ佇まいで、観光客のおもてなしをされています。

先日、保津川下り運休の代替えツアーとして、お客さまをご案内した奥嵯峨ツアー。

思いのほか皆さま、大満足で「こんな嵯峨野は知らなかった!」と絶賛でした。

愛宕山山系が刻んだ保津峡とその山麓を流れる保津川。そして、愛宕信仰が生んだ奥嵯峨の風情と営み。
ここには雄大な自然と人間の関わりが今も息づき、しっかりと表現されています。

平野屋の女将さんも「愛宕さんと保津川の鮎つなぐ‘奥嵯峨の歴史と生活’は大切にしていきたい」
との思いから、かやぶきの家を守っておられます。

我が先祖の地でもある奥嵯峨。地縁や血縁関係の家も多い。

愛宕山を軸にして、山麓の奥嵯峨や高雄、水尾に越畑、そして丹波亀岡。

かなり面白いストーリー性のあるエリアになると直感します。

これら地域に関わりのある者として、今後、観光化に取り組んでいきたい感じる奥嵯峨ツアーでした。

宗教懇話会で講演。人が後世に残すものとは?

2018-04-16 12:30:25 | 船頭の目・・・雑感・雑記
新聞記者はなぜ、船頭になったのか?

400年続く伝統の操船技術を継承する為に費やした厳しい修行の日々。

これまでほとんど語る事がなかった我が人生を振り返り、残りの命をいかに使うべきか?

自らを鼓舞するために語りました。

人は必ず死ぬ。人生は一度きり。死はいつやって来るかわからない。
だとしたら、かけがえのない命、一体何に使うのか?

そして人が本当に後世に残すものは何なのか?

貴重な時間をいただいた「かめおか宗教懇話会」と、
かけがえのない1時間半という時間を、
私の講演に下さった会場の皆様に心より感謝申し上げます。

持続可能な世界の構築へ。SDGsを学ぶ。

2018-04-13 15:07:12 | 京都大学
書店巡りでgetした「ビジネスパーソンのためのSDGsの教科書」(日経BP社発刊)

以前、環境省の勉強会で発表者を任された時、所属するNPO法人プロジェクト保津川の原田禎夫代表理事(大阪商業大学准教授)に
「SDGs(持続可能な開発目標)について教えて貰ったのがきっかけで、興味を持ちました。

2015年9月の国連サミットで採択されたもので、国連加盟193か国が2016年~2030年の15年間で達成するために掲げた目標です。

「持続可能な」という意味とは、例えば、現代社会の生活基盤に大きな影響力を持つ石油資源は、
先進国に加え、経済発展著しい途上国に必要な大量消費により、石油が枯渇すると持続できないため、
持続可能な社会ではないということ。
また海洋汚染が広がる社会は水産物資源(漁業など)が持続できないため、持続可能な社会ではないといえます。

こうした社会構造を続けていく先には、地球環境を汚染・略奪が絶えず、永続的に繁栄することはできないと
いうことを、やっと世界の英知が気づき始めたのです。

この世界的規模の大きな動きの中で、我々のような「企業人としてSDGsにどのように対応し、経営に位置付けるのか?」
視点で執筆されていることが、この本を購入した動機でした。

観光という仕事に従事する者としては、多文化理解や人権・平等・平和などのグローバル教育の推進の他に、
自然や文化の保護・保全、また食や雇用の最適なバランスの確保など各目標項目にどの様に協力できるのか?を考えたい。

そしてゴールとなる「持続可能な発展」が成し遂げられることで、旅行者という交流人口がどの様に増えるのか?

もちろんリスクも見積もながら、その上で新たなビジネス機会の創出を生むことができれば、
それは一企業のみならず、地域、国の枠を越え、世界にとっても価値あることだと考えます。


その思想と枠組みの基礎を学ぶため、今夜は読書に勤しむことにします。