保津川下りの船頭さん

うわさの船頭「はっちん」が保津川下りの最新情報や、京都・亀岡の観光案内など、とっておきの情報をお届けします。

今年もお世話になりました。よいお年をお迎え下さい。

2011-12-31 23:28:34 | 船頭
はっちんのブログをご覧の皆様へ。

今年も我が「保津川下りの船頭さん」ブログをご愛読いただきありがとうございました。

今年は内外ともに多事多難の「試練の年」といえる厳しい一年でしたが、
なんとか無事に23年度を終えることができることを‘神様’に感謝するとともに、
いつも温かい心でお付き合い下さっている、多くの方々のご声援、ご支援の賜物
と厚く感謝申し上げます。

このブログを始めて7年が終わろうとしております。

これまで「ブログ」によって、多くの人達と素敵な出会いの機会を、
いただき、自分の人生が開けていくような貴重な経験と‘財産’を
貰うことができたと確信しております。

長く続けている内に、mixiやtwitter、Facebookといった新しいツールが
生まれ、保津川下りについてもそれらのツールで紹介される機会が
増えて、もはや個人レベルでブログを続けることの意味を見いだせない
時期もありましたが、暗中模索した中で「書く」ということに関して、
自分の原点がこのブログにあると気がつきました。

そして自分が400年以上続く「保津川の船頭としてこの時代に存在していた」という記録
と「自分史」としてこれからも書き続けていくことに決めました。

時代はめまぐるしく、猛烈なスピードで進んでいます。

そんな時代の荒波を臨機応変にそして、変えてはならないこと、伝統を
しっかり継承していき、そのことを記録にとどめて行きたいと思います。

来年も皆様の変わらぬご指導とご鞭撻を賜りながら、
より一層の努力研鑚に努め、素晴らしい川下りを提供して参りたいと思います。

またなにより、支えて下さるお客様に‘感謝の心’を忘れずに
‘ロマン’ある人生を熱く生きていこうと思います。

来年も変わらずお付き合いのほど宜しく御願い申し上げます。

年末年始も寒い日が続くとの事ですが、
皆様、くれぐれもお体をご自愛くださり、
よい、お年をお迎え下さい。

  保津川下り 船頭  はっちんこと豊田知八

本日28日、保津川下りの平成23年度の営業を終了させていただきます。

2011-12-28 23:40:36 | 保津川下り案内
保津川下りは本日28日をもって平成23年度の営業を終了いたしました。

今年一年、お越し下さったお客様ならびご協力頂いた関連団体、事業者
の皆様には大変お世話になりありがとうございました。

この場にて御礼申し上げます。

今年度は震災の影響による自粛ムードが広がり、国内に重苦しい
雰囲気が流れる中での船出となりました。
その後、静岡での舟観光での事故の影響で救命胴衣完全着用の徹底や
9月の台風による洪水被害など、川下り観光には、これまで経験した
ことのない厳しい一年となりました。

そんな状況の中、保津川下りには大勢のお客様がお越し下さり
支えて下さいました。また、地元の方々や保津川ファンの皆さんの
心強い応援のおかげもあり、何とか無事に一年を乗り切ることができました。

保津川下りにご尽力いただいた全ての方に、船頭ならびに組合関係者一同
心より感謝申し上げる次第でございます。

来年もより一層の技術研鑚とサービス向上に努め、多くの皆様に楽しく感動的な
ひとときを提供できる様、努力精進して参る所存であります。

今年度と変わらないお引き立を賜りますよう宜しく御願い申し上げます。


☆来年度の営業は1月5日(木曜日)午前10時より
24年度の‘初出航’を致します。
 
新春の保津川へ、皆様のお越しを心よりお待ち申し上げます。


保津川下り  船頭 はっちんこと豊田知八。




今夜は京都駅ビル・voice of peaceのクリスマスコンサートです。

2011-12-25 08:34:58 | ゴスペル&ミュージック
本日25日(日)にJR京都駅ビルの大階段・室町小路広場で
ゴスペルグループ‘voice of peace’の
クリスマスーコンサート2011が開かれます。

開演はPM5時00分~6時00まで。


多忙な師走の日々に追われているこんな時期だからこそ、心穏やかにゴスペルを鑑賞したもの。

今年は、震災に洪水という天災が猛威を振るった厳しい年でした。
不幸な境遇に悲しむ人、つらく苦しい中で戦っている人・・・
世界中の人々のもとに‘神の愛’がとどきますように、祈りと願いを込めて。
そして、今の幸せをかみ締め、感謝の心で、ともに歌いたいと思います。

多くの人の心がひとつになる祈りの夜に、愛のメッセージが
夜空を渡り、世界に広がりますように。

25日のクリスマスの聖夜、京都駅ビルに集合しましょう!

都会の川・大阪の安治川を眺めながら・・・

2011-12-19 23:23:19 | 心の旅
今日は新しく大阪市長になられた橋下徹市長が就任された日ですね。

今後、改革という名の激震を予感をさせる大阪に立ちました。

ドーセンで開催された観光フォーラムに参加するためです。

京阪電車・天満橋駅から外に出ると、目の前に大きな川が広がっています。

大阪の政治・経済の中心部である土佐堀や堂島を流れている安治川です。

安治川は、現在の近代科学文明がつくりあげた‘まちの川’としての「美しさ」を
余すところなく表現している川で、穏やかな流れで高層ビルディング群の間を
滔々と流れていく、まさにリバーサイドという言葉がピッタリに似合う風景を
描く都会の川です。

同じ日本の川でも、保津川と安治川では形状も風景も全く異なり、保津川のように
渓谷の山々の中を縫うように流れる山峡の川とは対局にある川です。

しかし、全く異なる二つの川、不思議と私のように日々、渓谷の川で仕事をしている
人間にも両方ともに違和感なく、むしろ親しみが湧いてくるのを感じます。

都会の川と渓谷の川は全く異なる川風景ですが、人に与える影響には違いがないのかもしれません。

水辺は人の心を和ませ、癒し、エネルギーの充電をしてくれるパワーがあります。

大阪のようなこんな都会でも、川が流れ、水に親しめるこんなにも広い空間がある。

このコンクリートジャングルを流れる川で、私はあらためて‘水’の力、水辺の価値について
再認識した気分です。

大阪は現在「水都・OSAKA」としてかっての水運を利用した遊覧船も運航しており
観光の分野にも積極的に取り組んでおられます。市長も知事も一新した大阪。
今後の観光施策の展開にも目が離せませんね。

とはいえ、規模こそ違うものの、保津川も大阪の川も、近世の日本水運を担ってきた者同士、
景観や形状は異なっても、果たしてきた役割の大きさには優劣はなかったと思っています。

これからも、我ら日本の舟運事業が、観光立国をめざす日本観光の魅力を引き出し、
一翼を担えるよう、お互いに切磋琢磨しながら盛り上げていきたい!
川の下流に遠く見える大阪市役所を望みながら強く感じた次第であります。

保津川から見る、沈みゆく夕日に合掌

2011-12-18 22:09:09 | 船頭
保津川下り乗船場上流の旧保津橋河川敷から見た夕日の風景です。

西の空に沈みゆく夕日に遅れまいと、急いでシャッターを切りました。

亀岡駅前の田園風景を夕日の影が覆っていく姿を眺めていると
自然と手を合わさずにはいれませんでした。

冬という寒い季節だからこそ、ありがたさが沁み太陽の恵み。

「今日も一日、温かい光と熱をありがとうございました。」
と感謝の祈りを込めて合掌。。。

自然の恩恵は、私たち人間世界にいつも満ち満ちていることを
気づかせてくれる夕日の風景。

この恩恵を当たり前だと思い、特別感謝することなく、
自らの欲望ばかりに目を奪われ、右往左往している身を反省し、
見つめ直すことができる時間でした。

船頭の格好をした男が夕日に向かって合掌している姿を道行く人が見たら、
さぞかし不思議な光景に映るでのでしょうね(笑)

保津川のほとりには、こんな静かな時間が流れています。

冬舟・保津川下りでいく京都嵐山花灯路、明日が最終日です!

2011-12-17 23:54:12 | 保津川下り案内
師走ももう半ばを過ぎました。
街には煌びやかなイルミネーションがあちらこちらに輝き、クリスマスシーズンの装いです。

京都では今年最後の灯りイベント「京都嵐山花灯路」がいよいよ終盤を迎え、
嵐山・渡月橋周辺は大勢の人が繰り出し、寒さを吹き飛ばさんばかりに
最高潮の盛り上がりをみせています。

私達の保津川下りにも、夕刻より嵐山花灯路へ訪れる予定のお客さんがお越しなっています。

この時期、正午以降の嵯峨野「トロッコ列車」に乗り、終点の亀岡で下車して、
京都帰りは保津川下りの暖房船で川を下り、終着地である嵐山・渡月橋へ戻って
夕方からの嵐山花灯路を歩くというルートが定着しつつあると感じています。

「保津川下りでいく嵐山花灯路」
JR嵯峨嵐山駅→トロッコ列車→トロッコ亀岡駅→バス→
→保津川下り乗船場下車→保津川下り→嵐山着船場→
嵐山・嵯峨野散策→花灯路へ。

冬の保津川下りの船は、屋根をビニールで囲い、窓にはアクリル製のスライド式窓を使用、
内部は座敷スタイルとなりストーブが設置されていますので、天候のよい日はもちろん、
冷え込みの厳しい日、雨や雪の日でもポカポカと暖かい船内でゆったりと川下りが
楽しめる工夫がなされています。

花灯路では野々宮神社や大河内山荘などの名所を周り、幻想的な光で照らされた
竹林の小径をそぞろ歩きで散策できます。

歩き疲れたら「トロッコ列車・嵐山駅」で小休憩。
温かい豚汁やホカホカの豚まんにたこ焼き唐揚げなどの夜店も出ています。
寒さで冷えた体を温めるもよし!空腹を満たすもよし!


さて、今年の嵐山花灯路も明日がいよいよフィナーレです。

まだ、花灯路に行かれていない方は是非、保津川下り冬の暖房船を
で川下り都入りし、冬の保津峡・嵐山の魅力をお楽しみください。。


散り紅葉が語りかける‘いのち’の大河。

2011-12-16 09:36:29 | 船頭の目・・・雑感・雑記
季節は師走に入り、めっきり初冬らしい寒い日が多くなってきました。
保津川下り乗船場のモミジもそろそろ散る時を迎えております。

紅葉の散る姿には、ものの哀れを感じさせます。

紅葉は終焉の近づきを感じると、自らで水分と養分を断ち、
葉緑素を壊して、緑から赤へと色づいていくといわれます。

自ら終焉の時を悟ったモミジの葉は、最後に残った‘いのち’の
炎を燃やすように真っ赤に染まっていきます。

その鮮やかな姿に、見る人は思わず驚嘆のため息を出します。

その時、モミジは見る人から最高の賛美を貰い‘いのち’のフィナーレを迎えるのです。

赤の染まり具合が極みに達した葉は、冬を呼ぶ寒い風で煽られたり、
雨露の重みに耐え切れず、力尽きるように散っていきます。
まるで‘いのち’の炎が燃え尽きて落ちていくように・・・

落ちたモミジの葉は、地面に赤く敷き詰めた絨毯のように広がり木々を囲みます。

そして落葉たちは、木の根に残り火を吸い込まれるように枯れていき、
来年また葉をつける木々の栄養となり、永遠となります。

生まれ変わり、出変わりしながら、姿を変え永遠に続く‘いのち’の大河となって・・・

自然の移ろいは私たち、人に‘いのち’とは何かを語りかけてくれている そう感じるです。


*保津川下りは12月から「冬季船」時間となっております。
始発船は朝10:00、最終船は2時30分となります。
定期便は10:00、11:30 1:00 2:30。
定期船はお客様お一人でもおられれば出航いたします。

冬季船にご乗船の方はお気を付け下さい。

先祖が生きた里・清滝と私の「ものがたり」をつづる。

2011-12-15 09:06:34 | 京都大学
京都市右京区にそびえる霊山・愛宕山の麓にひっそりと佇む山峡の山里が嵯峨‘清滝’です。

‘ほととぎす 嵯峨へは一里 京へ三里 
水の清滝 夜の明けやすき’

と歌人・与謝野晶子の「みだれ髪」にも詠われ,徳富蘆花や梶井基次郎、田宮虎彦、織田作之助
など名前をあげればきりがないほど多くの文人たちが愛した里が清滝です。

現在の集落の原型が形成され出したのは江戸初期より。
その時期、庶民の間で盛んとなった愛宕山信仰の参詣者が利用する宿場として栄えました。

そしてこの清滝こそ、私のルーツ、先祖が住んだ地であます。

我が家に残る由緒書をみると、江戸時代元禄年間に大阪の和泉州から
この清滝の地に移り住んできて、愛宕詣りの方々を対象に
「泉屋」という屋号の「茶店」を開いておりました。

茶店とは今でいう「カフェ」。

全国各地からお越しになる愛宕参詣の人々が旅の疲れを一時休めるためや
愛宕山参詣登山から下山された方々が一服する「カフェ」を経営していたのです。

愛宕名物の蒸し菓子「しんこ」の茶店としても繁盛したそうです。
「しんこ」とは米粉に熱湯をかけて練り、砂糖入れて蒸す親指くらいの
小さな団子で、両方の端を指でつまみ‘ひねり’を付けるのが特徴です。
名称の由来は、愛宕山岳信仰の‘しんこう’からつけられたとも、また
新しい粉で‘しんこ’と付けられた」との諸説があります。
今では奥嵯峨の鳥居本で茅葺き屋根の料理屋を開かれている「平野屋」さん
などが喫茶メニューで出されているので、食べられ方もおられると思います。
あれは清滝の茶店の名物だったのです。


写真にみえる茅葺きの建物が、清滝に住んでいた当時の我が家です。
建てられたのは江戸時代中期といわれ、家の資材となる材木は、
清滝川上流の高雄の山から切り出した木を筏に組んで流してきた丸太を
使用して建てられました。
構造は今の南丹市美山にある茅葺き民家と同じ「丹波合掌造り」で、
家の柱は綺麗に製材されカンナがけ施されていたそうです。

間口となる表玄関を中央部に広く取り、左右には室内同様の床机を置き、
お客さんに一服してもらえるようなスペースとして使用していました。

また、我が家は綿の産地・泉州出身ということで「ますや」や「鍵屋」
といった旅館に宿泊される方の寝具のレンタル業も兼業していたとのことです。
なかなか、商才があったんですね~ちょっと感心です。

この家は、昭和41年に我が家が京都市北区衣笠に引っ越してから「清滝民芸館」
という室町時代からの江戸時代の古い農具や民具を展示する民俗博物館として
約20年近く開業されていましたが、閉鎖後、残念ながら取り潰されました。


当時、茶店とは女性の仕事でした。
店頭に立ち、通行する人の呼び込みから、食事や菓子、お茶の
調理から接待まで、家族の女性陣が賄いました。

男はというと、殆どが山仕事です。
自分の持山や管理山へ入り、木を切り出し、山中にキンマ道を整備して
川へ落とした木を筏を組んで嵐山の木材屋まで流すといった山作業を
すべて一括で担っていました。
もちろん、日々の薪、シバの調達や炭焼きも男性の仕事。
そして季節によっては山菜採りや松茸刈り、猪猟も男の仕事で
農耕地のない山峡の集落の民の貴重な食料源でもあったのです。

私の祖父も第二次大戦前から戦後までの混乱期、清滝集落を流れる
清滝川(保津川の支流)で、材木を嵐山まで流す筏士をして、
茶店が開店休業状態となった家族の生活を支えた時期もありました。

先祖が、清滝川から保津川を筏で流し、同じ保津川という
‘川で生きていた’こと、また茶店という当時では最先端の観光業に
携わり‘おもてなし’の心で仕事をしていたことが、
同じ川での観光業をしている自分となんとも「深い因縁」を感じずにはいられません。

江戸時代から愛宕信仰の参詣者で賑わった清滝の隆盛は、昭和4年の
嵐山と清滝を結ぶ愛宕山鉄道とカーブルカーの開通で全盛期を迎えます。
愛宕山山頂にはホテルと遊園地が開業され、スキー場まで整備されました。
休日には大変な人出で、愛宕鉄道はケーブルカーとともにピストン運転で
対応するほどの賑わいをみせていたのです。
また、愛宕山スキー場がオープンする冬には、遠方からもスキーヤーが訪れ、
ケーブルカーの駅前には長蛇の列ができていたといわれています。

しかし、第二次大戦の戦火が激しくなった昭和19年、愛宕鉄道はケーブルも
含め全線廃止となり、線路レールなどは軍備資材として転用するため撤去され、
鉄道のトンネル(今の清滝トンネル)は軍事工場として使用する為、封鎖されました。

以後、鉄道は復旧されることなく、訪れる人の減少から茶店や旅館は
次々に姿を消し、それまでの隆盛が幻の様な鄙びた静かな里として
今に至っております。

唯一、毎年7月31日に行われる「愛宕千日詣り(まいり)」には
一昼夜かけて山頂の愛宕神社に参拝される登山客が1万人以上も
来られれ、往時の賑わいを蘇らせてくれます。

私も家族も、清滝の衰退にあわせるように京都市内へ移り住むことになった訳
ですが、今こういうかたちで清滝という故郷を見つめ直す機会を貰えたことに
感慨深いものを感じます。

この集落が、私という「出た者」をどのような形で迎え入れてくれるか?

清滝と私の‘ものがたり’をこれからも綴っていこうと思います。




これが漱石の尻に刺激を与えた保津川下りの舟だ!

2011-12-14 16:13:03 | 船頭
今週から始まった冬の保津川下り「お座敷暖房船」

奥嵯峨・嵐山で開催されている「京都嵐山花灯路」の影響と天候にも恵まれ、
冬の保津川下りも順調な滑り出しをしてものと喜んでおります。

冬舟は前回も書きましたように、船内に柔らかい絨毯を敷き詰め、これまでの
椅子腰掛け式ではなく直接、舟床に座っていただくスタイルです。

1907年(明治40)、かの文豪・夏目漱石は保津川下りへ乗船し、
その体験を職業作家として執筆した第一作『虞美人草』で紹介しています。
その当時の舟は、今の椅子腰掛け式ではなく、すべての舟が舟床へゴザを
敷いて座ってもらう形、つまり現在の冬舟と同様のスタイルだったのです。

漱石はその時の感触を
「傾(かた)むいて矢のごとく下る船は、どどどと刻(きざ)み足に、船底に据えた尻に響く。」
(虞美人草から)と描写しています。

川の形状が生む、流れの浮き沈みや荒瀬での落差の振動と衝撃が、漱石の「尻を響かせた」です。

保津川下りの乗船体験に感動した漱石は、小説の中に多くのスペースを割いて
「保津川下り」のことを書いています。
その中には保津峡の自然風景はもちろん、舟の操船方法や船頭の姿も紹介しています。

「真っ先なるは、二間の竹竿(たけざお)、続(つ)づく二人は右側に櫂(、そかい)、左に立つは同じく竿である。
 ぎいぎいと櫂(かい)が鳴る。粗削(あらけず)りに平(たいら)げたる樫(かし)の頸筋(くびすじ)を、
太い藤蔓(ふじづる)に捲(ま)いて、余る一尺に丸味を持たせたのは、両の手にむんずと握る便りである。
握る手の節(ふし)の隆(たか)きは、真黒きは、松の小枝に青筋を立てて、うんと掻(か)く力の脈を
通わせたように見える。藤蔓に頸根(くびね)を抑えられた櫂が、掻(か)くごとに撓(しわ)りでもする事か、
強(こわ)き項(うなじ)を真直(ますぐ)に立てたまま、藤蔓と擦(す)れ、舷と擦れる。
櫂は一掻ごとにぎいぎいと鳴る。」(虞美人草から)
これほど見事に保津川下りの操船風景を描写した文を私は知りません。さすが漱石ですね!

船頭についても「船頭は至極(しごく)冷淡である。」(虞美人草から)
という短い文で、見事に当時の船頭の雰囲気を描写をしています。

冬シーズンに運航している保津川下りの冬舟では、漱石が受けた衝撃と同じ感覚を
味わえることができ、古き日本の文学にも触れられる旅を味わえます。

この冬ならではのお座敷暖房船は、春~秋までのオープン船(通常船)とは
また一味違う保津川下りの魅力を発見していただけることでしょう。

是非、この冬シーズン(12月~3月10日まで)に体験してみてください。

お待ちしております。

寒いけど温かい舟旅!今日から保津川下りは「冬期船」に変わりました!

2011-12-12 17:19:14 | 保津川下り案内
今日から保津川下りの舟は、冬使用の「冬季船」に装いを変え運航しております。

凛とした寒さと静寂の保津峡の冬。

こんな寒い季節でも保津川下りは休むことなく運航しています!

山に囲まれた渓谷はの空気は本当に寒いです。
しかし、そんな寒さの中でも温かさを感じて貰える舟旅、それが冬期船です!

冬期船は舟床上に柔らかいじゅうたんを敷き詰め、直に座って貰い、屋根と側面を
透明なビニールで囲い、アクリル製のスライド式窓が設置されている屋形船スタイルです。
視界をさえぎることなく谷間に吹く冷たい風をシャッタアウトできる構造です。

船内の中央部にストーブも設置してあり、船内はほっかほっか!身も心も温まります。



「冬に川下り?」というイメージを払拭するべく、地道に「温かい保津川の冬舟」を
しっかりアピールしていきたいです!

乗船される際にクッションなどを持参されて座られると
より快適な舟下りが楽しめますよ~。

ストーブは消防法上安全装置が付いていますので、急流での衝撃により
消火することもありますが、船内の温度は適度に保たれています。

もちろん、救命具もベルト式でかさ張らず、快適さと安全対策もバッチリ!

冬の京都は静寂の趣があり、まだまだ人気です。


保津川周辺にもボタン鍋で有名な亀岡・湯ノ花温泉や渡月橋・嵐山温泉街もあり、
春や秋とは一味違った‘寒くて温かい’情緒がある‘冬の京都’に触れてみてください。


冬の京都の楽しみ方の一つに「温かい保津川下り」をオススメします。