皆さま、お久しぶりです。
書き上げなくてはならない原稿が3つも重なるというハードな日々の
お蔭でブログを更新する時間が取れず、更新が滞ってしまいました。
やっと、すべて目途が立ったことで、2週間ぶりの書き込みです。
先日、少し時間ができたので嵯峨清滝という愛宕山麓の小さな集落へ
遊びに行ってきました。
この集落を象徴するのが山間の谷を流れる清滝川です。
その名前の通り、透明度の高い澄んだ清らかな水が流れる川です。
そして、この川こそ、私が泳ぐというファーストコンタクトを体験した川でもあります。
まだ、小学生にもならない頃のある夏の日、この集落で生まれ育った父に
この川岸に連れてこられ、パンツ一丁で川に放り込まれたのです。
放り込まれた瞬間の水の冷たさと川底まで見えた透明さの感覚と記憶は、
今でも鮮明に覚えています。
手足をバタバタさせながら、流されまいと必死で泳ぎました。
とはいえ、水泳などしたことがなく、泳げるわけはないのですが
体は流れに乗り、自然と浅瀬へ運ばれ、足を川底に付け、立ち上がることができました。
立ち上がるとすぐに「なんということをするのか!」と一瞬、
父の行動が信じられない気持ちになりましたが、そこはここで育った人です。
初めての泳ぐ子でも、ここが安全な場所であることを熟知していたのですね。
普段は温厚で優しい父ですが、こんな荒っぽい方法で水泳を教えるとは、
さすがは山峡の里で育ってきた者独特の野生の教育方法です。
今から思うと、この時の思考の中に、この山峡の地で300年暮らしてきた
一族のアイデンティティとそこで育ってきた男の一面を垣間見せたのだという気がします。
父曰く「我が家の子どもは代々、こうして川に馴染み、泳ぎを覚えた」
ということらしく、泳ぎ方も知らないうちに川に放り投げて、
「生存本能を刺激することで泳ぎを覚える」というやり方でした。
この時の川中の風景を私は忘れることができません。
保津川で洪水の後に行う川作業で、石を撤去したり川底を整える為に
川底へ潜ると、その時の風景が瞬間的にフラッシュバックする時がありました。
初めての水とのふれあいは、私の潜在意識の中にしっかり埋め込まれたようです。
こうして清滝川で「泳ぐこと」と出会った私は、小学生になると
独自の水泳術を継承している京都踏水会の夏期講習を毎年受け、
琵琶湖遠泳も経験し、川と湖という自然の水環境の中で水泳を学びました。
それらの経験は、川のよさを知ると同時に、川や湖などの強大で得体のしれない
自然環境の「不気味さ」と「怖さ」を、直に「触れる」という体験の中で、本能的に
感じることでことができる回路も自分の中に植え付けていったと思っています。
でも「川は怖い」という感覚だけでなく「川は楽しい」という思い出もあります。
中学の時に学校の友達6名と自転車を漕いで清滝川へやって来て、
水中メガネとお手製の銛を持って、川へ素もぐりして
川魚を捕獲し(今から考えると違反行為…)川辺で串に差して
焼いて食べた楽しい思い出もあります。
そんな子供時代を過ごした私が今は、船頭という「川で生きる」職業を
選んでいることに何とも言えない因縁と必然性のようなものを感じる次第です。
清滝川は私にとって特別な川です。
そして今、私は再びこの川と深いかかわりを持つことになります。
ここにきて、川で生きるアイデンティティが益々研ぎ澄まされていく、
そんな予感を感じる今日この頃です。
書き上げなくてはならない原稿が3つも重なるというハードな日々の
お蔭でブログを更新する時間が取れず、更新が滞ってしまいました。
やっと、すべて目途が立ったことで、2週間ぶりの書き込みです。
先日、少し時間ができたので嵯峨清滝という愛宕山麓の小さな集落へ
遊びに行ってきました。
この集落を象徴するのが山間の谷を流れる清滝川です。
その名前の通り、透明度の高い澄んだ清らかな水が流れる川です。
そして、この川こそ、私が泳ぐというファーストコンタクトを体験した川でもあります。
まだ、小学生にもならない頃のある夏の日、この集落で生まれ育った父に
この川岸に連れてこられ、パンツ一丁で川に放り込まれたのです。
放り込まれた瞬間の水の冷たさと川底まで見えた透明さの感覚と記憶は、
今でも鮮明に覚えています。
手足をバタバタさせながら、流されまいと必死で泳ぎました。
とはいえ、水泳などしたことがなく、泳げるわけはないのですが
体は流れに乗り、自然と浅瀬へ運ばれ、足を川底に付け、立ち上がることができました。
立ち上がるとすぐに「なんということをするのか!」と一瞬、
父の行動が信じられない気持ちになりましたが、そこはここで育った人です。
初めての泳ぐ子でも、ここが安全な場所であることを熟知していたのですね。
普段は温厚で優しい父ですが、こんな荒っぽい方法で水泳を教えるとは、
さすがは山峡の里で育ってきた者独特の野生の教育方法です。
今から思うと、この時の思考の中に、この山峡の地で300年暮らしてきた
一族のアイデンティティとそこで育ってきた男の一面を垣間見せたのだという気がします。
父曰く「我が家の子どもは代々、こうして川に馴染み、泳ぎを覚えた」
ということらしく、泳ぎ方も知らないうちに川に放り投げて、
「生存本能を刺激することで泳ぎを覚える」というやり方でした。
この時の川中の風景を私は忘れることができません。
保津川で洪水の後に行う川作業で、石を撤去したり川底を整える為に
川底へ潜ると、その時の風景が瞬間的にフラッシュバックする時がありました。
初めての水とのふれあいは、私の潜在意識の中にしっかり埋め込まれたようです。
こうして清滝川で「泳ぐこと」と出会った私は、小学生になると
独自の水泳術を継承している京都踏水会の夏期講習を毎年受け、
琵琶湖遠泳も経験し、川と湖という自然の水環境の中で水泳を学びました。
それらの経験は、川のよさを知ると同時に、川や湖などの強大で得体のしれない
自然環境の「不気味さ」と「怖さ」を、直に「触れる」という体験の中で、本能的に
感じることでことができる回路も自分の中に植え付けていったと思っています。
でも「川は怖い」という感覚だけでなく「川は楽しい」という思い出もあります。
中学の時に学校の友達6名と自転車を漕いで清滝川へやって来て、
水中メガネとお手製の銛を持って、川へ素もぐりして
川魚を捕獲し(今から考えると違反行為…)川辺で串に差して
焼いて食べた楽しい思い出もあります。
そんな子供時代を過ごした私が今は、船頭という「川で生きる」職業を
選んでいることに何とも言えない因縁と必然性のようなものを感じる次第です。
清滝川は私にとって特別な川です。
そして今、私は再びこの川と深いかかわりを持つことになります。
ここにきて、川で生きるアイデンティティが益々研ぎ澄まされていく、
そんな予感を感じる今日この頃です。