保津川下りの船頭さん

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京都最大の峡谷・保津峡。地球の生命力と古代神話のロマン。

2017-07-03 09:20:38 | 亀岡・保津川を歩く
京都最大の峡谷・保津峡。ここは地球の生命力と古代神話のロマンを感じる空間だ。
V字谷の山肌に、層状チャートで造形された岩壁は、2億数千年前の海底で大量発生した放散虫(プランクトン)遺骸が積もって出来たもの。
まさに地球創造の歴史を今に残している。
現代地学的見解によると、今から約200~500万年前、
近畿地方の広い範囲を沈降させる地殻変動が起り、複数の盆地が形成された。
亀岡盆地もその一つで、周囲を高い山々に囲まれていたことから、上流から流れて来た水を貯めた一大湖となっていた。
そして京都盆地も山城湖という湖であり、湖水は亀岡湖から今の保津峡とR9号線・老ノ坂の2つのルートから山城湖に流れ込んでいた事が分かっている。
当時の保津川の川幅は200m以上。水面の高さは現在の保津川の位置より約80メートルも高い所を流れていた。
事実、保津川渓谷の岩盤80メートル上から太古のプランクトンの化石が多数発見されている。
その後、海退により水面は低くなり、亀岡湖は老ノ坂と保津峡によって堰き止められた。
そんな地学史を今に伝える「国つくり神話」がこの地に残っている。
太古の昔、出雲の神「大国主命」は亀岡湖が一望できる黒柄岳(亀岡市・高槻市境)の山頂に上がり、
この地方を治めていた八柱の神々を集めてこう言った。
「この山々を切り開き、湖水を山背(やましろ)へ流して新しい国を造ろうではないか」と。
その時に相談を受けた神は保津峡入口に建つ請田神社(うけた)の祭神「大山咋神」が工事費を受け持った。
工事は樫船神社(かしふね)が造った樫舟に乗って、鍬山神社(くわやま)が用意した鍬で拓き、
餅籠神社(もちかご)の籠で土砂を運んだ。そして亀岡湖の堰は切れ、亀岡湖の水は保津峡から京都へ流れ込んだ。
湖水が抜けた亀岡盆地には豊かな農地が誕生し、国は栄えた。

時代は大きく下り、5世紀に秦氏が嵯峨から丹波まで保津峡を上り、16世紀に角倉了以が保津峡を開削した。

最先端科学の地質学と太古の伝承・神話が折り重なる保津峡。

そして川は今も、滔々と保津峡を流れる。ロマン空間・保津峡が‘ここ’にある。