保津川下りの船頭さん

うわさの船頭「はっちん」が保津川下りの最新情報や、京都・亀岡の観光案内など、とっておきの情報をお届けします。

保津峡のりもの物語 京都~千年の記憶~

2018-10-30 10:07:43 | 保津峡・桂川のりもの物語
2億5千万年前、旧赤道の深海底で浮遊微生物(プランクトン)の化石が積み重なった層が隆起して生まれた保津峡。

延暦3年(784)長岡京造営時から筏による木材輸送が始まり、平安京遷都造営事業により水運事業が活発になる。

412年前、慶長11年(1606)に角倉了以翁により舟運が開かれ、農産物や薪炭などの丹波産物が京の都へ供給される。

明治32年(1899)に京都鉄道(現嵯峨野観光鉄道)が開通し、京都⇔丹波⇔丹後間の人・もの・情報などの流通や交流が盛んとなる。

そして現在、世界中から人々が年間約150万人も訪れる峡谷となっている。

「船が下り、鉄道が走る!」1000年の‘とき’を刻む京都の峡谷・保津峡。

全時代に渡り、その時々の最先端の知識と技術、さらに膨大な資金を投入して切り拓いた場所だ。
そのには、地域。故郷の発展を願う‘信念と夢’希望を賭けて大自然に挑んだ人類の歴史物語が息づいている。

全精力を傾けても、切り拓かねばならなかった峡谷、それが保津峡だった。

その先人たちの英知と精神の記録をたよりに、壮大な歴史スペクタクルとして描いていきたい。

経験したことのない自然災害に知る逆境観

2018-10-29 08:41:55 | 船頭の目・・・雑感・雑記
今年の夏は、これまで川で生きてきて経験したことない自然災害に見舞われました。

7月の記録的な西日本豪雨にはじまり、超猛暑日が続き、台風のラッシュへ!

20号、21号、24号が近畿に上陸し、その合間にも記録的短時間豪雨が降るなど、
年間降雨量を超える雨が夏期だけ降りました。

川で生業をする我々船頭にとって、台風や豪雨は河川に洪水を生み出し、長期に渡り引かない水量で
仕事ができない日が続く事を意味しています。

今年は7月に約1ヶ月、更に8月から10月までの約2ヶ月、計3か月も仕事ができない日が続きました。
こうなると、会社自体に収入が入らず、出来高払いの船頭にも給料を払えないのです。
数億もの収益が見込めず、苦しい運営の中、一日も早く営業再開を目指して復旧作業の毎日。
やっと目途が立ったと希望が出てきた矢先、次の台風がやってきてすべての希望を押し流していきました。
復旧作業をしては潰され、また作り直したら潰されるの繰り返しです。
もう、修行をしている様な精神状態です。心身ともに疲弊していく日々が2ヶ月も続きました。

この逆境に見舞われ、追い詰められる日々、ドン底の心理状態で洪水の川を眺めながら思考を巡らせ瞑想していました。

ドン底にある人間には、普段では浮かばない思考が生まれるものです。ドン底にいる人間は強いのです。
ある日、はっと気づきました。
ドン底の心理状態の中で自分の心は死んでいた。死んだ心で浮かぶことは、
「なぜ、こんな目にあうのだろう?あんなに好調に走っていたのに・・・」
「こんなことになり、これから、どうなってしまうのか・・・」とため息をつきながら、
思い悩んでばかりいる自分に気付いたのです。
つまり、過去にとらわれ悔しがり、未来の不安に苛まれる心。この心が原因で心身ともに疲弊していったのです。
「これではダメだ!この逆境をどのように解釈するか?その心持ち次第で、今後の展開は変わってくる。」
「それには過去は過ぎ去ったこと、未来は未定のこと、現実にあるのは‘今’このときしかない!」
「あるのは永遠に続く今だけだ!今を生きろ!今を精一杯生きろ!」と心が叫び出したのです!
心の奥底から叫び声は、未熟な自分に何かを掴ませようとされる‘天の声’だ!

この瞬間、自分はこの逆境に意味を持たせたのです。

そう、心を定めた瞬間、まわりの景気が一変しはじめます。
そしてさらに、思考を深める実践の日々が始まりました。
それは人間としての成長への日々の始りだったのです。

逆境から学んだこと。次回はその思考と行動の旅路を書き綴っていきたいです。



京都鉄道博物館で講演をしてきました!

2018-10-28 08:01:09 | 保津川下りものがたり
昨日は京都市の梅小路にある京都鉄道博物館で「保津峡のりもの物語」と題して講演会を行いました。

2億5千年前、浮遊微生物の化石が海底で積み重なった層が隆起して生まれた保津峡。
延暦3年(784)長岡京道営時から筏による木材輸送が始まり、平安京遷都道営事業により水運事業が活発になります。
412年前、慶長11年(1606)に角倉了以により舟運が開かれ、農産物や薪炭などの丹波産物が京の都へ供給されました。

明治32年(1899)に京都鉄道株式会社(現嵯峨野観光鉄道)開通し、京都~丹波~丹後間のひと・もの・情報の
流通や交流が盛んになりました。

そして現在、世界中から年間約150万人も人々が訪れる峡谷となっています。

「船が下り、鉄道が走る!」

京の峡谷・保津峡には全時代に渡り、人々の最先端の知恵と膨大な資金が投入されています。

そこまでしても、この峡谷の流通経路を整備しなくてはならない歴史こそ、
保津峡という自然の要害が繋ぐ京の都と丹波地域の関係性をあらわしています。

京の都と丹波という地の相互における重要性を知る事できます。

世界史に類をみない「千年の都・京都」を造り、支えた保津峡。
そしてその流通を担った「のりもの」たちに賭けた人々の夢と希望、そして強固な精神で
自然に挑んだ歴史物語に焦点を当て、お話をいたしました。

今後もその視点を大事にして、保津峡の日本史的価値を問ていきたいと思います。