三方を山に囲まれるまち・京都。
数々の名山が連なる京都の山の中でも、歴史と知名度で他を圧倒するのが比叡山です。
名実ともに風雅漂う京都を象徴する山といえるでしょう。
京の東に緩やかに連なる峰・東山三十六峰の頂点に君臨し、
他の山を従える堂々とした気品に満ちています。
山頂には、日本仏教の布教拡大に多大な影響を与えた延暦寺が建立されているのは
あまりにも有名で、大勢の参拝者や観光客で賑わっています。
若葉がまぶしい季節、京の都つくりに大きな影響を持ち続けた比叡山に登り、
延暦寺参拝の旅を紹介したいと思います。少し長編になる予定ですが、
お付き合いのほどよろしくお願いいたします。
第一回目となる今回は比叡山の登山口のひとつ山麓の里・八瀬。
現在、比叡山へは京都方面と滋賀県方面の二つのルートがあり、山裾からケーブルカーや車で登ることができます。
今回は京都方面・洛北の里・八瀬からケーブル&ロープウェー登ることにしました。
比叡山山麓の集落・八瀬は福井県小浜と京都を結ぶR367古道若狭街道(鯖街道でも有名)沿いに点在し、
眼下に清流・高野川が流れる静かな里です。
古来、里人達は天皇さんの乗り物である鳳輦(ほうれん)を担ぐ
、駕興丁(かごちょう)という役目を与えられていた皇室ゆかりの地です。
八瀬という地名の由来は里を流れる高野川がこの辺りで流れの早い瀬を
多くつくる所であるためという説が有力ですが、弘文天皇(672年)の壬申の乱の際に、
大海人皇子が背中に矢を受け、この地に窯(かま)風呂を作り、傷を癒したことから
「矢瀬」にかけて「癒背」と呼び、転じて「八瀬」と呼ばれるようになったという伝承もあります。
里人達は「八瀬童子」と呼ばれ、比叡山諸寺の雑役を生業としていたが、
1336年の足利尊氏の西上の際に、比叡山に難を逃れて逃げる後醍醐天皇を、
弓矢をとって守ったことで、皇室の深い繋がりが生まれ、以来、平生寝るときも、
常に枕下にわらじと提灯を置き、都に急変があれば、
すぐに禁裏に馳せ参じる準備をしていたと伝えられています。
結髪もせず、長い髪を垂らした風貌で、草履をはいた
子供のような姿であったため童子と呼ばれました。
平成元年の昭和天皇の葬送の際、その棺を運ぶ皇宮警察官が
八瀬童子の古式装束を纏い従事していたのをご覧になられた方も多いと思います。
かま風呂とは、伝承をとって中世、お公家さんがこの地に風呂を作ったといわれ、
むしろの上でじわじわ体を温める日本古式型のサウナで、新陳代謝を促進し、
肌感もよく美容と健康に効果があるといわれています。
釜風呂の詳しい情報は、現在も八瀬かま風呂を現存され
営業されている「ふるさと」さんのHPを参照下さい。
http://www.kamaburo.co.jp/
比叡山へは、R367から西塔橋という大正12年施工のアーチ型の橋を渡り、
ケーブル八瀬比叡山口駅からケーブルカーで向かいました。
次回へつづく。