保津川下りの船頭さん

うわさの船頭「はっちん」が保津川下りの最新情報や、京都・亀岡の観光案内など、とっておきの情報をお届けします。

台風、またまた列島上陸!

2004-09-30 10:18:42 | 船頭
この掲示板でも最近、やっと台風ネタを書かなくていいような
日が続いてきたのですが、やっぱり来ました台風が!

今年8つ目の上陸となった台風21号は、記録的な豪雨を伴い
各地で大きな被害の爪あとをもたらしました。

三重県では、昨日からの降雨量が1000mを超えるという
記録的な集中豪雨に見舞われ多大な被害が出てる模様だし、
先の台風被害がまだ癒えていない九州や四国の地域にとっては、
追い討ちをかけられる形になってましたね。

被害に遭われた地域の皆様には、心よりお見舞い申し上げます。
今年の台風はもうこれが最後であることを祈りたいです。


保津川でも夜中3時頃に水位が3mを超え、警戒水位となりました。
昨日は早めに運行を中止し、河川に係留してある舟を上げる体制に入っていたので、
雨が激しくなった夜の作業にもかかわらず段取りよく舟上げを進める事ができました。

この分だとあと2~3日は川止めが続くと思われますが、
何事もなく台風が通過してくれて、まずは安堵しております。

また、川が開き次第、この掲示板でお知らせしますので、保津川下りを予定されている方は
情報をお確かめの上、お越しくださればうれしいです。お待ち申し上げております。


(*)めいさん、ミィーさん、いつもコメントありがとうございます。
   昨日のような台風の模様を見ておりますと、救命訓練の必要性を
   より一層、強く感じました。災害はいつ自らに身や周囲に
   起こってくるかも知れないですから、対応しうる知識と技術、
   備えだけはお互いしておきたいですね。

   はっちんには久しぶりの休みなので、秋に使う棹作りをやろうかな~。

  (*)写真は以前この掲示板で紹介した‘川に沈む橋・保津小橋’です。
     昨夜はこの橋、完全に水没していました。
     もちろん今も通行止めです。

救急救命講習を受講してきました!

2004-09-28 22:47:24 | 船頭
今日、はっちん達保津川下りの船頭は、夕方の6時から亀岡消防署にて
救急救命講習を受講してきました。

この講習は、運行中の不測の事態や川での人命救助に必要な
専門的知識と技術の習得を目指し、毎年受講しているものです。

講習は先ず、ビデオを見て何故、救急救命手当てが必要なのか?を
事例をもとに再現し、医学者の解説により進められました。

医学用語で‘just four minute'という言葉があり
人は心肺が停止して4分が経過すると死亡率が一気にあがると言われています。
しかし、救急車が現場に到着する時間は、全国平均で約6分。とても間に合いません。
救急車到着までに、発見者や周囲の人に救命手当てを施せる人がいると
多くの命を救う事が出来るというのです。

救急手当ての必要性を理解できたら、いよいよ実技に入ります。

実技は救急訓練用の人形を相手に行います。
人形を相手に「もしもし、大丈夫ですか?」「誰か!救急車を呼んでください!」
と先ずは声を出し、その後人工呼吸や心臓マッサージへと進めていきます。
少しの気恥ずかしさはあるものの、結構みんな、真剣です。
予想に反して意外とみんな嫌いじゃないのかも?

最後は消防の人達にもお褒めの言葉を頂いちゃいました。

アクシデント時で、命を救う行動には4つの行動が必要だそうです。
それは、早い通報で119番を呼ぶー>救急車が来る前に素早い応急手当ー>
救急救命士等による高度な応急処置ー>早い医療機関での処置。
これを‘救命の連鎖’と呼び、この連鎖が一つでも欠けたら命を救うことは
出来ず、救命には連鎖のスムーズな連携プレーが重要となるのだと教えて頂きました。


保津川のような渓谷地や川の上では、救急車の到着の遅れや病院への搬送の困難さは
容易に予想できることでしょう。
このような条件下での救急救命技術の重要性は強調してし過ぎることはないと思います。
このような不測の事態はあってはならない事ではありますが、
何事も‘備えあれば憂いなし’知っていて無駄はないと思います。

今回学んだことを忘れず正確にマスターしておきたいと思うはっちんなのでした。

シリーズ保津川を下ろう!その4・保津大橋

2004-09-26 22:16:21 | シリーズ・保津川を下ろう!
保津川下りの船が乗船所を出発すると、目前に大きな橋が見えてきます。

この橋、名前を‘保津大橋’といい、平成13年11月に新らたに架け替えされた橋なのです。
あまりにも立派な橋なので「これは高速道路ですか?」と質問される
お客さんもおられるほどの、保津川、自慢の橋なのです。

保津橋は昔の旧橋の頃から、保津町民にとっては悲願の橋です。

保津川下りの船頭が代々暮らす集落・保津町は、亀岡市の南東部に位置し
保津川の東岸から山間部に挟まれています。
市内中心部や対岸の農地に行くには、どうしても保津川を渡る必要があり、
橋建築は生活に密接にかかわる重要課題だったのです。

橋を造る技術がない時代は、浅瀬を歩いて渡ったり、小舟での‘渡し舟’を使っていたそうです。
また流れが速く、舟も渡せない所には簡単な丸太橋を架けていたともいわれています。
しかし、このような橋では増水時には流れてしまい、復旧されるまで農作業はできなかったそうです。

大正3年になりやっと、両側堤防間をつなぐ約200mの木造橋が出来き
大八車が履行できる幅を確保したモノでした。
しかし、この橋も大洪水では意味を成さず、流されたといいます。

このような厳しい生活環境を過ごした保津の人々ですが、
昭和に入り、新たに流れない橋を保津川のどこかに造る動きがでてきました。
保津の人々は保津橋建築の重要性をアピールする為に
木造橋を行ったり来たりして利用度の高さを演出したといいます。

今から考えるとばかげた事と思われるでしょうが、当時としては
これからの町民の生活権を掛けた必死のアピールだったのです。

これらアピールの甲斐もあり、保津橋は保津川で一番に建築される事になりました。
増水時でも流れないコンクリート橋は昭和14年に完成しました。
長年、保津川を渡る事に苦労をした保津の人々は、新たに出来た橋を
感謝の気持ちから手を合わして渡ったそうです。

町民の悲願であった保津橋でしたが、平成に入り老朽化が進み
大型車の通行などに危険性が出ていたことから、架け替えが検討され
平成9年に工事着工し、4年の歳月を掛けて今の新保津橋が完成したのでした。

新保津橋は全長368mのPC構造・エクストラドーズド箱 橋で
デザインは保津川下りの棹をイメージした斜張橋になっており、
夜にはこの斜張が、五色に変色するイルミネーションを備える
最新鋭の橋なのです。
一つの電球が五色に変色するのは世界で始めていう亀岡市民自慢の橋でもあります。

時間がある方は、一度夜にも来てみてください。綺麗ですよ!









仲秋の名月・観月の夕べ

2004-09-25 22:44:19 | 京都情報
今年も‘仲秋の名月’が近づいていきました。
京都でもたくさんの行事が行われます。

その中でも‘嵯峨・大覚寺の観月の夕べ’はあまりにも有名です。
今年は26日(日)~28日(火)までの名月の夜、
大覚寺の庭内東側にある大沢の池に竜頭船を浮かべ、琴の調べが響く
王朝絵巻さながらの雅な雰囲気に包まれ、京抹茶などをいただくというのはいかがですか?

時間は17時~21時。
料金は夜間拝観料が大人500円、小中高生300円、船席券は1200円、茶席だけなら600円です。
雨天の場合は中止もあります。

大覚寺は平安時代に嵯峨天皇(786~842)が北嵯峨に離宮を造られ、
嵯峨院と名付け王朝文化を開く拠点となったところで、
大沢の池は中国の洞庭湖を模して造られた池‘庭湖’と呼ばれています。

はっちんもお気に入りで、毎年楽しんでいるオススメの船遊びです。
是非、団子片手に‘都人の雅’を味わってみて下さい。
また一つ、京都が好きになっていることでしょう。


また、大沢の池では、時代劇の撮影もよくやっており、テレビでもよく目にする場所です。
各時代に対応できる建物も残っていることから、
まるでオープンセットのようだ!ととても重宝しているようですよ。
偶然、撮影にばったり出くわすかも?

 
 <その他の行事>
高台寺‘観月茶会’
月明かりの下、名勝庭園を散策。呈茶、点心など
期間は10日~10月3日までの金・土・日
料金5500円(前日までに要予約)

下鴨神社‘名月管弦祭’
観月の会にあわせ豊作祈願を行います。平安貴族舞、舞楽などを
聞きながら茶席を設ける。
期日28日(火)17時半~21時
料金は無料ですがお茶代は有料です。

上賀茂神社‘賀茂観月祭’
和太鼓、舞楽、尺八の演奏。参拝者の先着300名ににごり酒を振舞う。
期日28日(火)18時~
料金は無料

北野天満宮‘芋名月’
芋名月とはお月様に里芋やずいき、月見団子をお供えして満月を鑑賞すること。
期日28日(火)16時~
料金無料、見学自由

平野神社‘名月祭’
神事の後、琴演奏、日舞、舞楽を奉納し、抹茶をいただく。
期日28日(火)18時~21時
料金無料ですが抹茶代が300円いる。

妙心寺塔頭退蔵院‘観月茶会’
お茶席とお食事、茶室や庭のライトアップ
期日27日~28日16時~
料金9000円(食事代)

宇治・萬福寺‘月見の夕べ’
日本煎茶道連盟が主催するお茶会で、10流派が合同で茶会を開く。
期日10月2日(土)15時~20時
料金お茶席3000円(前売り)

これじゃー熱帯地域だよ!

2004-09-24 17:54:03 | 船頭
今日の天気は本当におかし~いかったです。

朝から時雨のような小雨が降ってると思えば、
青空が出て真夏のような暑さになり、
急に暗い雲が出てきてスコールのような集中豪雨。

このサイクルを幾度となく繰り返す天気は、まさに亜熱帯気候!
学者によれば日本はすでに東南アジアのような
熱帯地域に入ったという最悪の状態だと警告しています。

年4ヶ月以上の平均気温が20℃を超えると亜熱帯といいますが
最近の日本では鹿児島や宮崎など九州地方だけでなく
東京など都市部でも4ヶ月以上の年があり、
明らかに日本は亜熱帯気候に変わり始めている兆候がみえます。

今年の東京の平均気温が28.5℃と熱帯のタイ・バンコク(28.1℃)
より暑かったそうです。
東京では夕方になると、ジャングルにいるはずの、
インド産のインコが大量に繁殖し、街の木々に一杯止まっています。

富士山でも異変が起こっています。
山頂の雪解け年々早まり、例年6月までスキーを楽しめたはずだが
今年は花が咲いていたらしいです。井戸の水も枯れているそうです。

これだけ見ても、日本の熱帯化はすでに始まっているという
間違いない証拠ともいるでしょう。

このままでは日本にジャングルが出来る日もけっして遠い日ではないような気がします。

日本が熱帯地域などになったら、暑くて夏の保津川下りをする体力が
続くか?水量も保てるのか?本当に心配です。

明らかに進行している日本の熱帯化。
地球自体の温暖化。
温暖化によるオゾン層の破壊。

今、人類はいまだかってない岐路に立っている気がしてなりません。
私たちが今、どの様な選択をするのかによって
私達の子供の世代の人類も決定されるような気がします。
一国の責任などではなく地球規模の責任が今問われている気がするはっちんなのです。





京都嵐山音楽祭

2004-09-23 23:30:26 | 京都情報
京都における今年最大の音楽の祭典‘京都嵐山音楽祭’が
今日23日から嵐山・中之島公園など7会場で始まりました。
開催日程は23日~26日までの四日間。

嵐山は、平安朝の時代から都人が音楽に親しみ遊んだことで、
雅やかな王朝文化の花が開いた地。
その伝統の地で、日本伝統音楽からヨーロッパオペラまでの
他種多彩な音楽を奏で、現代人も自らの心を和まし癒していこうというものだ。

会場は中之島公園ほか京福電車嵐山駅、トロッコ嵯峨駅横の19世紀ホール
赤マンマ2階ギャラリー、野々宮神社、美空ひばり館、天竜寺の七箇所。

明日24日は17時40分から中之島公園で、ハワイアンバンドが
5組出演します。興味のある方は是非行ってみてはいかがですか?

はっちんとしては、25日土曜日に出演する日本最大のゴスペルグループ
アノインテッド・マス・クワイヤーに興味があります。
綾戸智絵や岡本真夜、DA・PUMPなど有名アーチストのツアーもサポート
しているグループなので、是非そのコーラスを聞いてみたいと思っています。

土曜日は船を下ったら帰らず、そのまま嵐山に残っていようかな?

今度の土日ははっちんと同じように、昼に保津川下りをして、
夕方の嵐山で音楽鑑賞というのはいかがですか?

雅やかな週末が過ごせ、心が癒される一時になることと思いますよ!

是非、京都へお越しください。お待ちしております。


Let,s GO!川作隊!

2004-09-22 23:55:59 | 船頭
昨日、はっちんは‘川作(かわさく)隊’に入隊し保津川を潜っていきました。

川作とは以前この掲示板でも書いた事があるので、覚えてられる方も
おられるかも知れませんが、読んで字のごとく、船が通り難くなった箇所を
直し、安全な水路を作りに行くことです。

川作隊は毎回、1チーム6人で編成され、川底を擦る箇所を直しまた、
邪魔な石を退けに行く作業をする中堅・若手の船頭チームのこと。
隊には2年間、作業を担当する隊長がおり、一日ごとにメンバーを
指名するシステムで、隊は一日で解散します。

運がいいのか、悪いのかはっちんは昨日、このチームにお呼びがかかったのです。
はっちん達は船が川底の岩に当たらないようにする為の
丸太入れと砂利で浅くなった底を掘り均すことが仕事です。

この丸太入れは、急流箇所に、10m以上はあろうかという丸太を
横断上にし、この丸太の上を船が乗ることにより底岩との激突を
避けることができるもの。
丸太はワイヤーで括り、高さや角度を決めるのには
相当の技術がいる作業なのです。
今回のチームには、頼れる先輩・大勝正彦支部長が入ってくれていたので
なんとか形が作れ格好がつきました。

水量は減ってきているものの、急流に身を投じてする作業はまさに、
栄養ドリンク剤のCMバリで自分がケイン・コスギになった気分です。

新人船頭なら激流に足を取られて流される事もよくあります。
もちろんはっちんも新人の時はよく流されました。
急流を流されると、無数の底岩に足やお腹を打ち、打撲することもあるのですよ。

危険と隣あわせの川作ですが、船を安全に通す為、
これも船頭の大事な仕事です。

年配船頭になるまでは、これからも幾度となく川作隊に呼ばれる事でしょう。
その度に‘頼りになる先輩’と呼ばれるよう頑張りたいと思うはっちんなのです。

でも寒くなる秋(11月ごろ)はできれば誘われたくないというのが本音ですが・・・

写真は書物岩の前で、浅くなった瀬を掘り均しているところです。
向かって左から、大勝支部長、大森秀樹君、俣野武弘君です。
みんな頑張って掘っている後ろ、書物岩の壁にへばり付いている
バカモノが新人の高木要介君です。
彼は書物岩まで流されて行ったのです。





ジョニー、車雑誌に登場!

2004-09-21 07:06:22 | 船頭
保津川下りをされた事のある皆様、こんな船頭さんに会わなかったでしょうか?
頭の髪型はリーゼント、シャツは白いTシャツ、ズボンはビンテージ物のジーンズ
靴はコンバースのデッキシューズ。
まさに60年代のロカビリーファッションに身を包んだ船頭こそ
保津川のジョニーこと山内茂くんだ!

このジョニーが今日21日発売の車雑誌・「Calマガジン」に登場します。
この「Calマガジン」は米国車&ビートル車専門の車雑誌で、
ジョニーは愛車・50年式マーキュリーと共に出演している。
なんと見開き2ページという大きな扱いなのです。

ロカビリー時代を愛してやまないジョニーは、中学生の頃読んだ本の影響から
50年式マーキュリーに魅せられ、いつかこの車に乗るのが夢だったという。
そして念願がかない、台数も少なく入手困難なこの車を2年前、名古屋で見つけすぐさま購入。
しかし、何分古いアメ車、部品一つ一つをアメリカから取り寄せなくてはならない事から、
乗れるように整備するまでにわ約2年が必要だったです。

凄いこだわりでしょ!

このマーリュリーは日本でも数台、京都では一台しかない値打ちもの、
しかも驚くことにオートマッチック車に改良されているうえ、
後部座席の窓も開くようになっているのです。

保津川の船頭は本当に個性派揃いでしょ。

車好きの皆さん!保津川の乗船場でジョニーを見かけたら声を掛けて上げてください。
「車凄いですね!」と。
必ず、輝くばかりの笑顔で答えてくれるでしょう。

シリーズ保津川を下ろう!その3 牛松山

2004-09-19 22:31:25 | シリーズ・保津川を下ろう!
保津川下りの乗船場に着くと、向かい側に美しい山が向かえてくれます。
この山、標高629.8mあり、名前を‘牛松山’といいます。
昔から「秀麗にして、その姿、富士のごとし」と歌に詠まれるほどの
美しい姿は、さながら富士山を思い出させ‘丹波富士’と呼ばれています。

昔は山祭りの際、神に奉げる生け贄として牛をお供えしたことから牛祭ヶ嶽と
呼ばれていたのが訛って今の牛松山と呼ばれるようになったと伝えられています。

この牛松山の山上には金刀比羅神社が祀られており、
私達船頭のお守り様にもなっている関係深い山なのです。
神社は寛延年間(1748~50)に勧請されたといわれ、
海のない丹波地方では国家安全の守護神として参られていたのです。

神社の接待所の天井には保津川下りの小形舟が奉納されていて
代々保津川の船頭衆が川下りの安全を祈願しております。

丹波亀岡を見下ろす形でそびえる牛松山には、保津町や船頭衆だけでなく
奉納されている石鳥居や灯篭に他の町の人々の名前が刻まれていることからも
わかる様に、広い範囲にわたり信仰があったことがうかがえます。

牛松山の裏側には樹齢何百年の経っている巨大な杉の木があるとの噂もあり
歴史と神秘が潜む山、それが‘牛松山’なのです。

保津川下りは、出発点から歴史の醍醐味を味わえる所なのです。
このことは、保津川下りがいわゆるただの観光産業で始まったのではなく
古代から現代にかけ、土地の人々の生活とを結ぶ歴史の掛け橋であることの
間違いのない証拠だとはっちんは考えているのです。

写真は乗船場から見た牛松山です。
美しい山でしょう。