保津川下りの船頭さん

うわさの船頭「はっちん」が保津川下りの最新情報や、京都・亀岡の観光案内など、とっておきの情報をお届けします。

はっちん、仕事再開!

2005-03-31 23:17:49 | 船頭
3月もいよいよ今日で終わり、京都はすっかり
春らしいポカポカ天気に恵まれました。

足の負傷以来、休業していたはっちんでしたが、
こうもいい天気の日が続くと、やはり船の状況が
気になって、家でじっとはしていられません。

朝起きると、足は自然に仕事場である保津川の乗船場の方を
向いて進みだし、その勢いで仕事も再開してしまったのでした。

昨日まではヒザ屈伸でも痛みが走っていた左のふくらはぎも、
今日は、踏ん張っても違和感のないくらいまで回復。

お医者さんには、1週間は痛みが取れず、全治には2~3週間との
見立てをされていましたが、この回復力!

改めて、我が肉体に備わった治癒力の凄さに驚くと
ともに満足させられます。

そうはいっても慢心してはなりません。

船上での足場の踏ん張り、一挙動にも
細心の注意を払っての運航です。

幸い、今日の保津川の水位量は多めで、
一番、足に負担がかかる作業である
棹差しの仕事が軽減されるので助かりました。

ポカポカの太陽、渓谷に吹く涼やかな風、
砕けて舞い上がる水しぶき!
やはり保津川の仕事は最高です!

日頃、仕事が出来るという事は、当たり前の事だと
思いがちですが、実はとても幸せな環境にいる
のだという事を改めて実感させられた一日でした。

*写真は今日の嵐山の風景。艶やかな姿の
 舞妓さんたちが、旦那衆達と屋形船に
 乗り込まれるところを目撃!
 ホント、春ですね!
 
 




一寸法師は保津川を下っていた!

2005-03-30 23:39:36 | 船頭
日本昔ばなしの「一寸法師」をご存知の方は多いと思います。

その一寸法師が、おわんの船に乗って川を下って行く
シーンもあまりにも有名ですね。

でも、一寸法師が何処の出身で、何処の川を下って都に
出て行ったかは。あまり知られていないのではないでしょうか?

そうです!一寸法師は今の亀岡市がある丹波の国の出身者で
下った川こそ、我らの仕事場‘保津川’だったのです!

恥ずかしながら私はっちんもつい最近に知ったのですが、
嵐山や嵯峨の方から教えて頂き、遠い昔話はとても身近に感じました。

物語は平安時代、京の都、六波羅に住まいしていた法師の両親は
戦火を逃れ、丹波の山里に隠れ住んでいたのです。
その若い夫婦に生まれた、小さな小さな子供「一寸法師」でした。

元服を迎えた一寸法師は、都で一旗上げようと、
小さな体に大きな勇気と夢、志を持ち、都へ出る決心をします。

出発の朝、家の前に流れる保津川におわんを浮かべ
乗り込んだ法師は、針の剣を腰に差し、箸を櫂にして、
保津川の荒瀬をやり過ごし、都に辿り着いたという話です。


ここで当時の丹波とは、広範囲に及ぶので、そこが亀岡なのか?または
もっと奥の地域なのか?は定かではないそうですが、
丹波全域に、皇室とゆかりの深い地が多く点在しているので
それらの歴史ある村の何処かであると思われます。

丹波は、平安京の造営に使われる丹波産の木材やさまざまな物資を
大堰川(保津川)を筏で運びという物流の要所となっていたこと
もあり、都とは深いつながりがあったのです

また、都に出る決心をした法師に、母親が川を下る為に、
おわんと箸を与えたのは、食べることに困らないようにという
親心だったそうです。

それからは皆さんご存知の様に、持ち前の勇気と気転を活かし
嵐山に住む高貴な方に仕え、鬼に襲われたお姫様を守るという武勇
を効を上げるなどして、志を叶なえるというサクセスストーリー。

成功を果たした法師は助けたお姫様と結ばれ、
両親も丹波から呼び寄せ、幸せに暮らしたそうです。

嵐山・嵯峨の人達曰く、
京都の一寸法師の物話は、どんな人でも目標を持ち
強い心で生きることの大切さを諭し、親子の愛情の
深さと大事さを込めて、語られたそうです。

改めて思うと、平安京以前から、数え切れない程の多くの人達が
色んな思いを胸に、この保津川を下っていったことでしょう。

そんな色んな思いを呑み込みながら、保津川の瀬は
今も姿を変えることなく、今日も流れています。

はっちんも毎日、色んなことを思い感じながら下って
いますが、それもこの悠久の流れの1コマでしかないのでしょう。


一寸法師の物語は立身出世、恋愛成就、親孝行のシンボルとして
今でも嵐山の人達の心の中に生きています。

MRI検査に行ってきました。

2005-03-29 18:12:59 | 船頭
今日、はっちんは痛めた左足ふくらはぎの検査を
する為、仕事を休み、総合病院にMRIを撮ってきました。

ここ数年、左足のふくらはぎの同じ所を痛める事が
多かったこともあり、どうなっているのか?その
メカニズムをしっかり把握しておく必要を感じたからです。

MRIとは、Magnetic Resonance Imagingの略で,
日本語では磁気共鳴画像診断法と呼ばれ、
強い磁界にさらされた原子核が特定の周波数の電波に
共鳴して,自ら電波を発生するという核磁気共鳴という
現象を利用した画像診断法だそうです。

利点としては、レントゲン写真では見ることのできない、
軟骨や靱帯、半月板、腱、筋などを描出することができ
単純レントゲン写真では特定することが
困難な疾患に対する診断に非常に役立つ優れものとの事。

しかし以前、腰痛の時に二度、MRIを体験していますが、
狭く長い筒状のMRIの機械に体を入れるのは、
何度やってもいい気持ちのものではないですね。

撮影時のあの大きな音も耳に残りますし、
長時間同じ姿勢で寝ているのもなんとも退屈であります。

でも、船頭は身体が資本、これも大事な設備投資と
思い、正確な診断を頂く為に頑張ってきました。


はっちんの左足ふくらはぎ損傷の歴史は、今から
4年ほど前、船の上で棹を差したことから始まりました。

船が岩壁の横、すれすれ通っていく時、
岩のくぼみに棹を当てがい、舳先から
一気に押し降りて踏ん張りを利かし跳ね上げた
時に左足に激痛が走ったのでした。

それ以来のお付き合いとなった左足ふくらはぎ。

恐らく、これからも長い付き合いになるとは
思いますが、充分注意をして、しっかりした
身体のメンテナンスを心がけていきたいと
思っております。

しまった!足が・・・

2005-03-28 23:23:11 | 船頭
昨日は空手の大会で熱く燃えたはっちんでしたが、
朝、起き上がろうした時、左足のふくらはぎに激痛が
走り、踏ん張ることができませんでした。

今まで激しいスポーツをしてきた経験から
これが肉離れであることは容易に判断できました。

何処でどうして痛めたのかは、身に覚えがあり
すぐ原因が理解できました。

そう、昨日、サトシのスパーリングパートナーを務めた
時、左足にそれらしい違和感を覚えていたのです。

試合の実戦を想定して行うスパーリングは
お互い力は抜いているものの、素早い技の
受け返しが主になり、瞬発力が求められます。
その時、ふくらはぎの筋を引っ張るような
動きをしたのでしょう。

パッチ!と音がしたように感じました。

その時は歩くと少し痛いな~と感じる程で、
あまり気にしてなかったのですが・・・

今日は、足のヒザ間接を伸ばす度に激痛が
走り、歩くにも事欠く有り様でした。

医者の見立ては「左ふくらはぎ筋膜の裂傷」との事。
全治に2~3週間は掛かるらしいです。
しかも2~3日は絶対安静を要するそうです。

船頭という仕事は身体が資本です。
よって怪我は大敵!最も気を付かなくては
ならないのですが、またまたやって仕舞ったようです。

船頭になって10年。武道を愛するはっちんは
怪我との戦いでした。
骨折に打撲、肉離れと毎年の様に色んな怪我に
を体験しています。

最近、周りからも「いつまでも若くないのやから!」と
いつも言われる様になってきました。

武道ははっちんにとっては生きる中でのロマンの一つ。
なかなか、やめられませんが、家族を持つ
社会人としての責任も決して軽いものではないでしょう。

「ロマンに生きる」のも、結構難しいと思うはっちんなのです。





極真京都府大会、弟サトシがベスト4に!

2005-03-27 23:43:56 | 空手・格闘技
今日のはっちんは天気のいい稼ぎ時の日曜日を捨て
京都は岡崎にある武道センターに
極真空手京都府空手道選手権を見に行ってきました。

何故に見入りのいい日曜日の仕事を休んでまで、
空手の観戦に来た訳とは、はっちんの弟サトシが
この京都府大会に選手として出場するからなのです。

はっちんの弟サトシは極真会館の名門京都支部に入門し
大会選手を目指し日夜鍛錬に励むナイスガイな奴なのです。

極真会館は言わずと知れたゴットハンド大山倍達先生が
創始された日本の空手団体。全世界130カ国、
1200万人の門下生を有するのは世界最大の規模です。

寸止めなしの直接打撃制を採用し、最も強きことを望む男達が集う梁山泊。

この京都府大会は全日本大会の予選大会にも位置付けられ、
過去、ミスターの息子長島一茂氏も出場した
強豪ひしめくハードな大会なのです。

はっちんもサトシのセコンドに付き、試合前のアップや
スパーリングパートナーとして付き合いました。

その甲斐あってか、この極真の猛者たちの中、
弟サトシは見事、ベスト4に入賞したのです。

サトシの持ち味は、すばやい出入りとスプリングの
きいたローキックから突きのコンビネーションです。

持ち前の激しいラッシュを見せ、勝ち上がっていった
サトシでしたが、大型選手がひしめく中、無差別という
厳しいルールにより上背のないサトシは、かなり
ダメージが蓄積しているようでした。
準決勝は思うように動けず惜しくも敗退。続く3位決定戦
ではボロボロの体でマットに上がるも防戦に終始し敗退でした。

しかし全身ダメージだらけでありながら、最後まで倒れず、前へ前へと
引かなかったファイトには、大きな拍手を贈りたい気持ちです。

はっちんも久しぶりに心が熱く燃えるのを感じました。

この弟サトシ、実ははっちんと同じく保津川の船頭なのです。
「波の谷間にいのちの花が~・・」と歌が聞こえてきた人も
いるのでは・・・そうです!はっちんとは‘兄弟船’なのです!

サトシは空手を続けられる環境を求めて、新卒で
船頭になった筋金入りの空手バカ一代なのです。

船頭としては7年目を迎え、今や若手のホープです。

空手家としても、船頭としても弟サトシの
今後の活躍を大いに期待しているはっちんなのです。

でも、あのダメージ、明日仕事できるかな~
かなり心配ではあるのですが・・・押忍!


野生の勘を働かせ!

2005-03-26 23:50:06 | 船頭
今日の保津川は久しぶりにいい天候に
恵まれ、土曜日という事もあり
お客さんの出足も好調でした。

しかしながら、谷を抜ける風の
強さは相変わらずで、気の抜くことの
出来ない一日でした。

私達船頭は、毎日変化する川の条件に
合わした操縦技術が常に求められます。

その中でも、最も操縦が難しく高度な技術を
必要とする自然環境の日が、水量の多い強風が吹く日なのです。

今日がまさにその条件にピッタリ当てはまる日だったのです。

もちろん水量が、運航ぎりぎりの最高水位時の
操縦も気が抜けない事には違いはないですが、
風が吹かなければ、川の瀬、流れを見て、
集中力を高め基本を守っいくこと
でしっかりこなしていく事ができます。

しかし、風、特に強風は非常に読み難いのです。

どちらから吹いている風か?強さはどの程度か?
煽られて、今、どの程度船に影響しているか?
などの状態を瞬時に判断し、的確な処理をする
ことが船頭には求められます。

谷の風は気まぐれです!

北風かと思えば瞬時に南風に変ったり、
切り立った渓谷にぶつかり、風が舞うのです!

保津川下りの船は浅瀬も急流も下れるようと
作られた川専用型の「高瀬舟」です。

高瀬舟の特徴は船底が真っ平ら、平面状の
構造となっているため、川の水面を抵抗無く
滑る構造となっています。
その為、船底と川底が20cm程も間隔があれば
底をすることなく下ることが出来る利点がある
反面、強風に煽られるとブレーキが利かず
流されるという欠点もあるのです。

強風が吹く日の船頭は、この風の向き強度を絶対に
見誤ってはなりません。
「この風の強さならここまで船が動かされるな」という
ことを先読みし、あらかじめこの分を見越したコース取りを
した操縦判断が必要なのです。

この「読み」というのがとても難しいのです。
風の吹いている方向や強度なんて目で見えるものではありません。

自分の身体や頬に当たる風を感じることで「読む」のです。
それは理論や理屈ではありません。
「感じる」という人間に備わった「野生の勘」ともいえるものです。

新人は船の前で棹を差しながら経験を通して学んでいきます。
これは理論じゃない分、厳しい修行で苦しみ悩む毎日でした。
しかし、この難関を越えなくては一人前の船頭にはけっして
なる事はできないし、操縦を任せることは許されません。
棹で風を読めるようになってはじめて、船の航路の決定権をもつ
「梶」を持ち操縦することを許されるのです。

はっちんも船頭になって10年、何とか風を読むという
野生の勘が備わってきたかな。と思っていますが、
自然は決して侮る事はできません。

日々、めまぐるしく変化する自然環境にこの身を
合わせながら、野生の勘を磨く鍛錬は怠っては
ならないと肝に命じているはっちんなのです。

孫正義会長も保津川を下る!

2005-03-25 16:58:34 | 船頭
今の日本で一番ホットな話題といえば、
なんといってもフジTVとライブドアの攻防劇でしょう。

この両者の攻防に昨日、ソフトバンク系企業が
突然の参入を表明し、事態は一気に新たな局面を
迎えたようです。
IT最大大手ソフトバンクの参入でまたまた、窮地に
たたされたライブドア・ホリエもん。
今後、どの様な対応をするか注目されるところでしょう。


でも、今日はこの経済事情を評論しようというものではありません。
一介の船頭であるはっちんにとっては、
日に何百億円のお金が動く、企業買収なんて遠い世界の話ですから。


今回、話題の中心となったソフトバンク会長・孫正義氏。
氏は一昨年保津川下りをされたことがあるのです。

氏ほどの大物には珍しく、事前に予約も入れずに
最終船の出航時間3時30分の10分前くらいに
突然、お越しになられました。

私達の商売用語でいうところの「お忍び」です。

タクシーで乗りつけになられた孫会長は、秘書と思しき
大変美しい女性とお付きの社員らしき男性、女性の4人で
お越しになったと記憶してます。

当時からマスコミ等に頻繁に登場されていたので
待合室に入ってこられた時にすぐに孫会長だと
気が付きました。
偶然、目が合ったのではっちんが軽く会釈をすると
にこやかな笑顔で会釈を返して頂きました。
とても物腰の柔らかく素朴な印象を受けた覚えがあります。

しかし、乗船される段になると、さすがは経済界の大物孫会長、
相乗りになる最終船には乗られず、
貸切船を一隻チャーターし、4人だけで下られました。

その日はとても天候もよかったので、雄大な自然を有する
保津川渓谷の船旅を、最先端IT企業の創業者はどのような感想を
お持ちになったことでしょう?



*保津川下りの貸切船は年中、申し込みを受け付けています。
 電話予約、窓口で直接の申し込みも可。
 (但し、秋の紅葉シーズンや混雑時はお断りする日もあります)
 お客様の乗員は一隻・17名まで、料金は78000円です。
 電話0771-22-5846
 申し込みは保津川遊船企業組合まで。





原田龍二さんの初舞台情報です!

2005-03-24 23:36:35 | 原田龍二さん
国民的時代劇・水戸黄門の助さんこと原田龍二さんの
初の舞台「新撰組余聞・花かんざし」の情報が
はっちんの元に入ってきました。

原田さんとの邂逅(かいこう)を経て、彼の男気に惚れて以来、
私設応援団を自認するはっちん。

原田さんも、多忙なスケジュールの中、私はっちんの
ブログにたびたびコメントをお寄せ頂いております。

原田さんは芸能界の分野で、はっちんは観光の分野で、
今の京都を熱く盛り上げようと頑張っているところです。

その原田さんが、このたび里見浩太郎さん芸能生活50周年を
記念した舞台「新撰組余聞・花かんざし」で、
舞台初デビューをなされます。

公演場所は東京日本橋にある「東京明治座」です。
公演期間は7月3日~31日の約1ヶ月間。
前売り券の発売は5月28日より電話予約受付開始です。
お申し込みは03-3660-3941まで。
舞台の詳しい情報はこちら

物語は幕末の京都・池田屋でおこった討ち入り
「池田屋事件」を背景し、里見浩太郎さん扮する
近藤勇と切られた浪士との間に生まれる男同士の
不思議な友情を元に話が展開するようです。
今までにない、勇敢であり人情味あふれる
近藤勇の人物像を描いた心温まる物語との事。

はっちんも是非、東京まで駆けつけて
鑑賞したいと思っています。

原田さん、はっちんも、かとちゃんと一緒に応援しに行きますね!

*写真は原田さん主演映画「近江聖人・中江藤樹」のDVD表紙です。
 この映画の紹介は2月21日付けのブログで紹介しました。



はっちん、千本通りに帰る!

2005-03-23 16:30:25 | シリーズ・京都を歩く
昨日は雨の影響もあり、仕事にあぶれたはっちん。

昼から久しぶりに京都へ遊びに行ってきました。

雨降りにも関わらず京都へ出たのは、親戚の所に用が あったのもありますが、
それ以上に、このブログによくコメントを 頂く涼さんが書かれていた
「京都の旅『らくたび』」のコラム を読んだからです。

その日の『らくたび』のコラムは「朱雀大路」の話でした。

朱雀大路とは、平安京の時代、メインストリートだった通りで、
今の千本通りです。
今ではそれほど大きな通りではないので、
京都以外の人には 分かりにくいと思いますが、
JR二条駅の前だけ大きく広がっている 道といえば
お分かりになる方もおられるのでは?

平安の昔、今の千本丸太町交差点付近は平安京の政治の中心
であった大内裏があり、その中に大極殿が建っていたそうです。

この千本通りは、私はっちんにとっては、思い出深い通りの一つです。

はっちんが生まれ育った所は、京都の北、衣笠という所です。
周辺には金閣寺、等持院、龍安寺、北野天満宮、平野神社、わら天神など
京都でも有名な観光地が点在する、京都観光・北地域のメッカみたい所です。

当時、衣笠に住む者が遊・食・買うといえば、北の繁華街・千本通りなのです。
はっちんも中学生の頃よく遊びに行きました。

はっちんの千本通りの行動範囲は、千本今出川から千本丸太町まで。

千本中立売から昔の遊郭があった五番町辺りまでが、
中学校の学区内 ということもあり、友人の家もたくさんありました。

中学生にとって千本通りは魅力的なストリートでしたね。

大きな総合スポーツ用品店や大型スーパー、最新のゲーム機を
入れたゲームセンターにしゃれた喫茶店、玉の看板が掛かる ビリヤード店など、
遊びに目覚めた中学生には見る物、触れるもの どれもみな刺激的で魅力がありました。

一旦、遊びに行くと、夜になって帰れなくて
最期には親や先生にきつ~く叱られたっけな~
今、思い出だすと、赤面至りですが、なぜか心ウキウキしてくる
楽しい思い出がこの千本通りにはいっぱいありますね。

昨日久しぶりに歩いてみると、その当時あった店は
ほとんど残って無く、溜まり場だった仲の良かった友の家は
マンションに変わり、誰とも出会う事も無かったです。

子供の頃、光り輝いて見えた千本通りのネオンも、
今では ひっそりおとなしく光っている様に感じました。

もうあの頃から随分、長い月日が経っていることを
改めてリアルに感じたはっちんでした。

今、千本通り(今出川~丸太町)では、
「朱雀大路・日本映画の発祥の地」と 銘打って、
商店街に活気を取り戻す 活動を積極的に行ってられる様です。

以前の様に、多くの人の往来があり、
東の河原町と並ぶ 繁華街として復活する日を
切に祈らずにはいられない はっちんでした。


*写真は千本丸太町交差点・北西に建つ、大極殿跡の石碑です。     
 大極殿跡は今では何も残ってなく、交差点横のある     
 小さな公園敷地内にひっそりと建っています。

うん~今日は雨、仕事はお休みかな?

2005-03-22 11:36:15 | 船頭
昨日までの3連休は本当にいい天気に恵まれましたが、
今日は一転、雨の降るうっと~しい天気になりました。

保津川下りのような野外の仕事は
やはり天候の良し悪しに大きく左右されます。

雨の日の保津川渓谷や嵐山は、薄く霧がたちこめ
幻想的でそれはそれで趣きがあります。
また、保津川の船には、雨使用の屋根が組み立てられる
様にはなっていますが、雨での川下りの
来客数はイマイチといったところです。

雨が降る日の来客数は、天気のいい日に比べて
大体半分・2分の1くらいでしょうか。
来客数が大きく延びる週末が雨降りなら
3分の1~4分の1という激減になる事もあります。

そうなると当然、順番制の船頭の仕事も回転が
鈍り、その日の仕事にありつけない事になるのです。

今日も、この時間にこうしてブログに向かっている
のですから、今日はお休みになる可能性が大なのです。

保津川下りの船頭は、自らが出資して企業組合を
経営していますから、決まった休みはありません。
自分が休むと決めた日が休日になる訳ですから、
なんとも自由な仕事環境なのですが、
その分、仕事に従事しない日の稼ぎは無いという事でもあります。

以前はっちんがTVのインタビューに答えた通り
「今日の飯代は今日稼ぐ」というのが保津川の掟です。

自分ではこの分かりやすくシンプルな仕事環境が
気に入っていますが、予定の立たない休日の過ごし方には
結構、頭を悩ませています。

今日は何をしようかな~?
それを考えながら、今ブログを書いている
はっちんなのです。