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京都から亀岡方面へ走る洛西の京都縦貫道沓掛インター
の入口から少し北へ入った旧山陰街道(現在府道142号)
沿いに『桓武天皇御母・高野新笠陵』があります。
平安京創設者・桓武天皇はあまりにも有名ですが、
そのご母堂様・高野新笠(たかののにいがさ)の名を
知る人は京都の方でも少ないのではないかと思います。
そのことを象徴するかのように、小高い丘の円墳陵
の入口には小さく目立たない石碑が‘ぽっん’と
立っているだけ。
石碑には『桓武天皇御母・高野新笠陵』と確かに
書かれているものの、未整備な御陵は
「これがあの桓武天皇の生母の墓?」と俄かには
信じられないほどの質素さでひっそりしています。
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石碑立つ入口からは、すぐに登りになり細い山道そのままの参道。
急なつづら坂の参道は、中腹まで登ると石畳の階段と手すりが
整備され、少しは登りやすくなります。
この急な坂が続く参道を数分歩くと、視界が
急に広がり御陵が見えてきます。
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御陵は小さく鳥居が建つだけの質素なつくりですが、
地元の方が清掃されているのでしょうか?
ゴミ一つなく、きれいです。
年間約5000万人もの観光客を有する‘京都’の
基礎を創った桓武天皇の生母・高野新笠の御陵は
観光名所でもなくそれらの雑誌にも記載されることは
なく、その名前すら知る人は少ない。
賑やかな京都を、洛西の地にある小高い丘から
眺めながら、静かにおやすみされているのですね。
歴史書籍の山川出版社「日本史広辞典」によると、
高野新笠の父は百済の武寧王の後裔と伝えられる和乙継で、
母は土師真妹といわれています。
高野新笠は光仁天皇の側室(?)夫人で、桓武天皇と
平安京遷都の動気ともなったいわれる早良親王の母。
789年崩御。
父和史乙継は百済系渡来人の子孫で大和郷(奈良県天理市辺り)
が本貫地ですが、土師宿禰真妹が出た土師氏が
大枝(おおえ)朝臣と称し、山城国乙訓郡大枝郷(京都市西京区大枝)
を本拠地としていたので、高野新笠は晩年大枝の地で隠居して
いたので墓が西京区大枝の地にあるようです。
ちなみに、2002年の日韓ワールドカップの時、
今上天皇が‘ゆかり’発言をされ、物議をかもした
その人こそ、この高野新笠なのです。
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私が訪れた時は、周辺住宅のゴミ収集日だったらしく、
『桓武天皇御母・高野新笠陵』の石碑の横が
ゴミ置き場となっていました。
今後の扱い次第では、日韓友好の象徴に
なれる可能性もある高野新笠の御陵ですが
地元住民とともに、静かにやすまれることを
望まれているのかな?と感じいった次第です。
の入口から少し北へ入った旧山陰街道(現在府道142号)
沿いに『桓武天皇御母・高野新笠陵』があります。
平安京創設者・桓武天皇はあまりにも有名ですが、
そのご母堂様・高野新笠(たかののにいがさ)の名を
知る人は京都の方でも少ないのではないかと思います。
そのことを象徴するかのように、小高い丘の円墳陵
の入口には小さく目立たない石碑が‘ぽっん’と
立っているだけ。
石碑には『桓武天皇御母・高野新笠陵』と確かに
書かれているものの、未整備な御陵は
「これがあの桓武天皇の生母の墓?」と俄かには
信じられないほどの質素さでひっそりしています。
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石碑立つ入口からは、すぐに登りになり細い山道そのままの参道。
急なつづら坂の参道は、中腹まで登ると石畳の階段と手すりが
整備され、少しは登りやすくなります。
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この急な坂が続く参道を数分歩くと、視界が
急に広がり御陵が見えてきます。
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御陵は小さく鳥居が建つだけの質素なつくりですが、
地元の方が清掃されているのでしょうか?
ゴミ一つなく、きれいです。
年間約5000万人もの観光客を有する‘京都’の
基礎を創った桓武天皇の生母・高野新笠の御陵は
観光名所でもなくそれらの雑誌にも記載されることは
なく、その名前すら知る人は少ない。
賑やかな京都を、洛西の地にある小高い丘から
眺めながら、静かにおやすみされているのですね。
歴史書籍の山川出版社「日本史広辞典」によると、
高野新笠の父は百済の武寧王の後裔と伝えられる和乙継で、
母は土師真妹といわれています。
高野新笠は光仁天皇の側室(?)夫人で、桓武天皇と
平安京遷都の動気ともなったいわれる早良親王の母。
789年崩御。
父和史乙継は百済系渡来人の子孫で大和郷(奈良県天理市辺り)
が本貫地ですが、土師宿禰真妹が出た土師氏が
大枝(おおえ)朝臣と称し、山城国乙訓郡大枝郷(京都市西京区大枝)
を本拠地としていたので、高野新笠は晩年大枝の地で隠居して
いたので墓が西京区大枝の地にあるようです。
ちなみに、2002年の日韓ワールドカップの時、
今上天皇が‘ゆかり’発言をされ、物議をかもした
その人こそ、この高野新笠なのです。
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私が訪れた時は、周辺住宅のゴミ収集日だったらしく、
『桓武天皇御母・高野新笠陵』の石碑の横が
ゴミ置き場となっていました。
今後の扱い次第では、日韓友好の象徴に
なれる可能性もある高野新笠の御陵ですが
地元住民とともに、静かにやすまれることを
望まれているのかな?と感じいった次第です。
長岡京や平安京への遷都って、以外に、いろいろややこしかった奈良から自分が力を振るいやすい「お母ちゃんの実家」の近所に逃げ出した、なんてことかも知れませんね。
そう思うと、歴史も身近に感じられます (^^)
百済の武寧王の後裔とは…
最近、韓国の歴史ドラマ「朱蒙」をずっと観ていましたので
韓国の歴史に興味を持っていました。
建国神話では、高句麗を建国した、扶余の王子の朱蒙の義理の息子が
百済を建国したと言われていますね。
その方の、後裔が日本にいらした、それも皇室とゆかりがあるなんて…
なにかロマンを感じました。
最上川への調査研究の旅、お疲れさまでした。
とても有意義な旅になったようですね。
報告楽しみにしております。
古墳の調査も楽しいかもしれないです。
皇室と百済の関係は天智天皇の頃からかなり
親密になっているみたいですね。
ゆかりというよりOOかも知れないですよ~
高野新笠は百済の武寧王の後裔ということになって
いますが、本当のところは定かではないとの話も聞きます。当時身分の低い家柄の出身だったので、
桓武があとで、つくったとも云われている様です。
真実はわかりませんが、歴史はロマンですね~
> 朱蒙... への返信 土師氏より大枝氏 -改名 大江氏-全国各地に 分家あり当家も末裔かな?