保津川下りの船頭さん

うわさの船頭「はっちん」が保津川下りの最新情報や、京都・亀岡の観光案内など、とっておきの情報をお届けします。

保津川にコウノトリが舞い降りたよ!

2004-11-30 18:01:34 | 船頭
今日、保津川の河原に大変めずらしい「お客様」がやってきました。
それは 『幸せを呼ぶ鳥・コウノトリ』です! 
このコウノトリさん、二週間ほど前から亀岡にやって来ていました。
ニュースでも取り上げられたのでご存知の方もおられると
思いますが、保津川下りが通る河原に姿を見せたのは今日がはじめて!

生涯二度とあるかわからない絶好のチャンスに、はっちんは棹を差す手を
やめてデジカメのシャッターをON!

さすがに用心深いコウノトリさん、船が近づくとすぐに飛び立ってしまいますが、
何とかシャッターに収めることができました。 

コウノトリとは、現在世界で約3000羽しか生息していない
世界の絶滅危惧種であり、日本の特別天然記念物です。

『幸せを呼ぶ鳥』・『赤ちゃんを運んでくる鳥』として有名なコウノトリ。
しかし残念なことに、現在日本の野生種としては生息していません。 
乱獲や環境の悪化により、日本では絶滅してしまったそうです。

コウノトリは河原で気持ちよさそうに羽根を手入れをしながら
となりのアオサギと仲良く並んでいました。
亀岡が気に入ったのかもう二週間近くもこの周辺に留まっています。

優雅に飛び立つコウノトリを見ていると、日本の野生種がもう存在できなく
なっているなんて嘘のようで悲しいです。

このコウノトリさん、私達の船の周りを何回も旋回しながら
その都度、前方飛行を繰り返しました。

その姿はあたかも私達を幸せへと導く道先案内をしているようでした。

今年の秋は台風23号により甚大な被害を受けた私達の保津川下り。
進まぬ復旧作業に、絶好の紅葉シーズンを大きく出遅れ、
一時は絶望視する雰囲気の中で再開しました。
しかしふたを開けてみると、今日までに約2000隻の船を流す事ができたのです。
今月12日再開でこの数字は、まさに奇跡的な業績です。

考えてみれば、このコウノトリさんが亀岡の保津川畔にやって来て
留まるのと同時に業績がうなぎ上りにあがっていきました。

このコウノトリさんは私達保津川の船頭にとって
本当に「幸せを運んできてくれた」のだとはっいんは思います。

今度はコウノトリがいつまでも「幸せ暮らせる」自然を
人間が取り戻してあげる番ではないでしょうか?
  


晩秋の川作は・・・

2004-11-29 23:21:09 | 船頭
今日は運の悪いことに川作隊の任命に預かり、
霧の立ち込める晩秋の保津川に浸かって来ました。

川作隊とは?・・前からこのページをご覧になっている
方はすでにご存知だと思いますが、知らない人の
為に説明させてもらうと、台風などの大水で河川が氾濫した
後の荒れた川底整備のことです。

この作業は季節に関係なく川底が変化する度に
行なうもので、安全な航路の確保に欠かせない、
船頭の重要な作業の一つです。

この川作が最も厳しいものになってくるのが、
晩秋から冬にかけてです。

その晩秋の川作にはっちんは当たってしまったのです。

川作隊を乗せた船は一番船より早い朝7時半には出航します。
昨晩の今の時期、辺りは昨夜の放射冷却で出来た深い霧が立ち込めています。
ジャンパーを着て船に乗っていても寒くて身震いがするのに、
これから数分後のはダイバースーツに着替えて、霧が湯気のように上がっている
川に飛び込み作業にかからねばならないのです。

着替えは船の中か、岸につけて河原で着替えます。
服を一枚づつ脱いでいく後とに、身体が冷えて行くのが分かります。
最後は下着一枚。ここまで来ると全身の神経をわざと停止させます。
霧から降り注ぐミスト状の水滴と山に吸い上げられる様な寒風を
感じ無い様に、息止めて着替えるのです。

しかしこの時期の川作では、こんなのはほんの序の口です。
これからが本番、川の中に飛び込み作業開始!

川に飛び込むと神経の停止など通用しません。
全身の神経が飛び起きてしまいます。

川の水は寒さなどという言葉すら生易しいほどの
もので全身に痛さすら感じてきます。
そこへ渓谷から吹き上げる霧と寒風が水面から出ている顔を襲います。
数分で骨のズイまで冷えていくのが確かに分かります。
その姿はまるで高野山の修業僧のようです。
とはいえ、私達船頭はただ川に浸かって修業していればいいと
いうものではなく、その状況下で川底の整備という
荒仕事をしなくてならないです。

作業に出ている皆は「寒い~寒い~」と口々に一人語を
繰り返しながら、淡々と作業をこなすしていくのです。

この作業は大体夕方4時過ぎまで続けられます。

家に帰る頃には精も根も尽き果ててしまいました。

また今日は夜から空手の稽古日です。
一息入れる間もなく道場に一直線!

正直今はこのブログを書く事すらきついです。
しかし、毎日私のブログを見て頂いている
約400件の方の為、頑張りました。押忍!

*写真にはまたまた登場の川作コンビ
 俣野君と高木君が腰まで川に浸かり
 頑張っているところです。




11月最後の日曜日。

2004-11-28 22:06:55 | 船頭
今日28日は11月最後の日曜日。
保津川下りにとっても、毎年紅葉のシーズンを
締めくくる最後の休日です。

今日も朝から多勢のお客さんがお越しになり、
川下りの乗船場は大賑わいでした。
おかげ様で122隻の船を流す事ができ、
私はっちんも紅葉の嵐山を3回見せて頂きました。
本当にありがたいことと感謝の気持ちで一杯です。

私達船頭にとって11月は特別な月です。
毎年、この月に一年間の収入の4分の1を稼ぐからです。

しかし今年の11月は台風23号の影響を受け、
12日まで船が出せない日々が続きました。
一年で最高の人出となるこの時期の船止め、
しかも航路を塞ぐ巨岩の撤去にメドが立たない
状態に焦りと苦悩の毎日でした。

巨岩爆破により何とか12日には再開にこぎ付けましたが、
「挽回は不可能」という絶望的予想からスタートでした。

ところが川を再開してみると、連日満員御礼の札止め状態!
営業サイドもチケット販売の調整に苦慮し、うれしい悲鳴を
上げるほどにまでなっていたのです。

確かに例年に比較すると、及ばないのですが
本当に多くの方の熱いご支持のおかげにより、
人の波が途絶えることなく賑やかな毎日を
過ごさせて頂いたこと感謝しております。

また、せっかく保津川下り乗船を希望されたのに
売り切れ等の事情によりご乗船頂けなかった方々には
この場をお借りしてお詫び申し上げます。

11月も残すところあと2日となりましたが、
嵐山、保津川渓谷の紅葉もまだまだこれからが見頃です。
12月になっても今年の紅葉はまだ残りそうです。
あともうすこし!はっちんは頑張ります!押忍!

*写真は今日の朝にお乗り頂いた、
 東京からお越しの女の子グループです。
 降りられる際「とても楽しくてよかった~」と
 喜んで頂いたご様子で、私はっちんも船頭冥利に尽き、
 嬉しいです。
 
 





シリーズ・保津川を下ろう!その7・保津小橋パート2

2004-11-27 19:06:29 | シリーズ・保津川を下ろう!
上内膳堤を越えて行くと、川が一気に広くなります。
すると前方に低い橋が見えてきます。
この橋の名前を「保津小橋」といいます。
上流に掛かる大きな橋が「保津大橋」と呼ばれるのに対して
こちらは小橋。しかし対岸の保津の村の人たちにとっては
どちらも重要な生活橋には変わりはありませんでした。

この保津小橋については以前書いた事があるのでご覧になられた方も
おられるでしょうが、このシリーズが上流から順番に下ることになっているので
再度の登場で重複する事をご了承ください。

車が一台しか通れない小さな橋ですが、鉄筋コンクリートで出来ています。
そしてこの橋、保津川が洪水になると川の中に沈んでしまう橋なのです。
その為に欄干が造られてないのです。

保津の人はこの小橋のことを‘高(たか)橋’と呼んでいます。
水没するほど、川の堤防よりも低い位置に架っているのに
高橋?と呼ぶのは何故なのでしょう。

その理由は、昔、架かっていた流れ橋に云われがあるのです。

昔、農家の人々にとって、保津川のような大きな川を渡り
対岸の農地へ行くということは、大変な苦労がありました。
しかし、当時の日本では、今のように、一農村のために
行政が橋を架けるなどということは、財政上考えられない時代でした。

その為、地元の人々は、丸太で橋を組み、その上に板を2枚敷くという
簡単な橋を架けて対岸の農地へ行っていたそうです。

丸太橋は橋幅も狭く、二人が橋の上で出会えば、お互いが横になり
向かい合って渡らねばならなく、背中に荷物を背負っている人と
すれ違う場合などは、橋の外にはみ出して渡っていたそうです。

この橋を渡る時の恐怖から「とても橋が高く感じる橋」‘高橋’と呼ばれました。

また、地元では「高橋を渡れない者は保津の嫁にはなれない」とか、
橋を渡る心得として「絶対下を向かず前だけを向いて渡れ」などのアドバイスを
年長者がするなど、保津村人の象徴と考えられていた向きもあるようです。

そんな丸太橋も昭和25年には今の鉄筋コンクリート型の橋の生まれ代わり、
洪水の度に流れて不便を感じる事もなく安全に渡れる橋が架けられたのです。

ではなぜ?今の保津小橋、高さが堤防より低いんでしょう。
これは長年、水害に悩ませられた経験から来ています。

保津川は有史以来の暴れ川で、谷間近郊流域の保津も幾たびかの大水害の見舞われました。
豪雨が降れば、堤防を超えることなど簡単の事で、小規模の橋などは高くする方が流されやすいのです。

洪水になれば周辺から、木かぶや巨大な倒木、大型ゴミが
勢いよく流れてきて、橋に当たり破壊されます。

水害を多く経験している保津の人たちは、増水の高さによって
どのような物が流れてくるかを知っていました。
その時、橋を川深く沈めておけば、これらの流物が橋に当たらず、
水位が下がればもとの姿のまま浮かび上がってくると考えたのです。
欄干がないのも流れの抵抗を受けなくするためのものです。
この読みは見事にあたり、半世紀すぎた今でもその姿は変わることがありません。

まさに水害と共に生きてきた人間の知恵からできた橋、それが保津小橋なのです。

この沈下橋スタイルが残っているのは、京都では木津川とここだけです。
日本でも数ヶ所しかないのではないでしょうか?

保津川下りをされることがあれば、一番最初に潜る橋、保津小橋は
こんな橋なんだな~と思い出して下って頂くと、また一つ楽しみが増えるのではないでしょうか?

時代は変わり、車が渡る時代になった今でも
小橋は変わることなく、昔の流れ橋の匂いを残してくれている橋なのです。

今年は台風が10回も近畿を通過していく異常な年でした。
保津小橋も増水した川の中に3回も沈んでしまいました。

しかし橋の姿は磐石として動じてませんでした。






シリーズ・保津川を下ろう!その6・上内膳堤

2004-11-26 21:35:14 | シリーズ・保津川を下ろう!
船が保津川の乗船場を出発すると、しばらくは右岸の堤防沿い
を進んでいきます。その堤防の最後に石積の護岸が姿を表します。
これが川の浸食防止の為、江戸時代に造られた「上内膳堤」です。

「上内膳??」と思われる方も多いことでしょう。
この堤の名前である「上内膳」とは当時の亀岡(江戸時代は亀山藩といった)
の領主であった岡部内膳守長盛の名前に因んで名付けられたものです。

名領主として庶民に親しまれた長盛は、度重なる保津川の氾濫被害を
防ぐ為、石積みにより湾をつくり侵食を防ぐ堤防を建設しました。
これが「上内膳堤」です。

この堤防の付近は支流である「雑水川」や「年谷川」が
集中して流れ込む地形になっているので、洪水時には
必ず保津川が氾濫し周辺の田畑に被害が出ていました。

この事態に心を痛めた長盛は、藩の重要事業として
侵食防止の堤防工事を計画、被害の酷い二箇所に
建設しました。
上内膳に対して下流にも下内膳という
同じ型の堤防を造っています。

この事業は亀岡の庶民の心を掴み、「岡部長盛公、亀山を知り給い時、
田地のわずらいをいとい給ひ、川中に二つの堤を築出させ水勢を避け
その仁愛の深き事いちじるし」という文献が残っています。

岡部内膳守長盛は慶長14年(1609)に下総国山崎から入封して
亀山藩を成立させました。長盛は徳川家康のもと、数々の戦に参加して
多くの手柄をたてた勇猛な将で、家康の信頼も厚く、京の都の隣国
亀山の領主に任命されたのです。築城途中だあった五層の天守閣・亀山城を
完成させているなど、多くの事業をのこしています。

長盛はその後13年間領主を務め、丹波国福知山に
移封して行きました。

この「上内膳堤」は通称「雷湾」と呼ばれ、学校に
プールの無かった時代、子供達の水泳場でもありました。

また、「乳母ヶ淵の人魂伝説」という怖い伝説が
伝えられるミステリースポットでもあるのです。


原田龍二さんからコメントがきたよ!

2004-11-25 18:52:53 | 原田龍二さん
千葉西高2年A組のちかさん、原田龍二さんから
コメントが着ましたよ!
あなたのメッセージに答えてくださったのです。
本当にファンを大事にされる素晴らしい方でしょう。

俳優としても、現代劇、時代劇の両方を演じれる
日本でも数少ない本格派の若手役者さんです。

はっちんの尊敬する大俳優・高倉健さんとも
映画「ほたる」で共演されるなど、様々な役柄を
完璧に演じられておられます。

無類の映画好きを自認するはっちんも、
俳優・原田龍二のファンの一人です。

今年は水戸黄門の助さんのほか、日本陽明学の祖、中江藤樹(1608-48年)
の生涯を描く映画「近江聖人中江藤樹」主役・藤樹役に決まり、
撮影も順調に進んでおられるらしいです。
公開が楽しみですね。

皆さん是非ご覧下さい。
そしてこれからも原田さんの活躍に注目して
応援していきましょ。





嵐山・旧近衛公跡のもみじ。

2004-11-24 23:03:41 | 船頭
嵐山の‘もみじ’は今がまさに見頃!
川沿いの‘もみじ’も葉が赤く染まりだしていました。

その中でも最も鮮やかな赤色に染まっている‘もみじ’、
それは旧近衛公・別荘跡のもみじで異論はないでしょう。
ここの‘もみじ’の赤色は色の深さ、明るさともに
他のそれとは一味違う色合いを出しています。

はっちんはその専門家ではないので詳しいことは
分かりませんが‘もみじ’にはどうやら三色ほど
あるように見うけます。

この旧近衛公のもみじのように濃い赤色のものと
薄いオレンジ色系のもの、黄色のものの3種です。

今年は降雨量も多く、秋にもかかわらず暖かい日が
続いているので全般に薄い赤色やオレンジの紅葉が
主流を締めているように感じます。

その分、ここのもみじの鮮やかさがひときわ引き立ち
人目を存分に満足させるものになっているようです。
船がここのもみじの下を通ると必ずお客さんから
大きな歓声が沸き起こることからも、その美しさが
他を寄せ付けない色であることを表しています。

雄大な渓谷を抜けてきた川下りも
いよいよ終盤に近づく嵐山で
最後の締めとして旧近衛公跡の鮮やかなもみじを
ご覧になってみてはいかがですか?

*この旧近衛公・別荘は昭和初期の貴族議員
近衛文麿伯爵の別荘跡で、いまは料亭・松籟庵(しょうらいあん)
が買取り料理屋を開いており、湯豆腐などが有名です。

近衛文麿公は大日本帝国最後の総理大臣でもあり、
太平洋戦争敗戦の責任をとり自決されています。

えっ!こんな時にJR車両が故障??

2004-11-23 21:54:44 | 船頭
今日は連休の最終日。京都の紅葉も今が一番の見頃と
くれば嵐山は人、人、人の大混雑状態に!

渡月橋の上もまるで歩行者天国で、車も立ち往生に。
とにかく今日はもの凄い人出となっていました。

こんな日は上流の保津川下り乗船場も大変なことになっているのです。
朝10時には140人全ての船頭が出払い、待ちが出ることに!
乗船のチケットも11時には完売してしまいました。

こんな日は私達船頭も必死でUターンして帰ります。
乗船場には多くのお客さんがお待ち頂いているのです。
一つでも早い電車に乗り、お客さんの待って頂く時間を
短くしなくてはなりません。

船頭達は皆、船を引き上げ場に付けると渡月橋を猛~ダッシュ!
テレビ「人生の楽園」ではっちんが演じた様に、
駅まで2キロの道のりを6~7分で走り抜けます。
これは75歳の船頭さんも同じですから、凄い体力でしょ。

しかしです!ここで問題が発生したのです!
昼間の一番早く帰りたい時間帯にJRの車両が故障との連絡が!
二便も遅れるという最悪の事態となりました。
駅のホームには亀岡行きを待つ人ごみでごった返し、
もう当然返ってなければならない、先に出た船頭達も
待ちぼうけを食らっていました。
駅まで走って来た苦労は水の泡と消えたのです。

その頃、乗船場でも大変な事になっていました。
予定していた出航の段取りが大幅に狂い、苦情はもちろんのこと、
飛行機や新幹線の帰りの時間が間に合わないとの理由から
払い戻し手続きの対応に終われる始末に!

多くのお客さんに迷惑を掛けた上、組合も大損害でした。
しかしJRはというと車内アナウンスで「列車が遅れて申し訳ございません」とだけ。
なにか納得できない釈然としないものを感じました。
JRもこの連休中は殆どダイヤが遅れていたようです。

しかし保津川下りの秋は毎年凄い人出にはなりますが、
今年はすこし様子が違ったように感じます。
連休中全てチケットがsold outとなることなどなかった事です。

台風での巨岩の爆破が全国ネットでお茶の間に
流されたことがCM効果として出てきているのでしょうか?
だとしたら運休中の損失1億6千万はCM広告費ってこと?
なんとも皮肉なことになったものですわ。

でも保津川の紅葉はこれからが本当の見頃です。
このはっちんの掲示板で、リアルタイムの確かな情報を入手し、
ロスの無い川下り乗船方法にお役立てくだされば嬉しいです。




千葉西高・二年A組さんご乗船です。

2004-11-22 23:13:55 | 原田龍二さん
昨日の一番船に乗ってくれた千葉西高校・2年A組
皆さん、無事に千葉にお帰りになりましたか?
約束通りはっちんのページにご登場願いました。
はっちんの船にはすべて女子生徒が乗ってくれ、
とても賑やか楽しい船旅になりましたね。

皆さん、川下りは楽しんでもらったかな?
京都で一番の思い出になればはっちんも嬉しいです。

保津川には年間2万人以上の修学旅行生が
お越しになります。主に関東から東の高校や中学
が多い様ですが、遠くは北海道~沖縄まで日本全国
から保津川にお越しいただきありがとございます。

最近の高校生を見ていると、女の子の方が
男の子より賑やかでノリがいいですね。

男の子はどうも醒めていて受け応えのも
退屈そうに対応してくれます。
それに引き換え女の子は風景や会話の内容まで
好奇心が旺盛で会話も弾み、案内する私達も
気持ちよく仕事ができ、ありがたいかぎりです。

まあそうゆう男女差がでる年頃なのですかね?

彼女たちを乗せて下る途中、清滝川との合流地点・落合で
「この場所が映画やテレビドラマの撮影現場としてよくでてくる
場所だ」と説明していると時代劇の話題になりました。

彼女たちの中で水戸黄門に出演している原田龍二さんと合田雅史さんの
ファンという子達がいてびっくりしました。
はっちんはお二人ともお知り合いの仲です。
素顔の彼らは俳優としてだけでなく人間としても
素晴らく魅力的で尊敬できる方々です。
さすがに彼らなら女子高生にもモテるんですね。
(はっちんとそんなに年が違わない)
すこし羨ましい気もしますが・・・

そうそう、千葉西高の2年A組の女の子から
お二人にメッセージを預かってます。

写真の前列左から二人目の子「合田さん、カッコよくて
素敵です。これからも応援していますから頑張ってください。」
前列右から二人目の子「原田さんの助さん、りりしくて毎週見てました。
ヨン様より絶対カッコいい!」

一応、二人とも返信希望ですが、どうでしょうか?

助さん、格さんこの掲示板を見ていたら
是非返信のコメント入れてあげてもらえれば嬉しいです。

明日は連休の最終日、頑張って楽しい船下りをご案内したいと思います。




秋の保津川一番船

2004-11-21 22:03:35 | 船頭
今日も予想を上回る人出になった保津川下り。
乗車チケットも昼の12時には全てsold outになってしまいました。

保津川下りを楽しみに来られたのに、乗船して頂けなかった
方には誠に申し訳ございませんでした。

この掲示板をご覧になっている方には午後9時までに
乗船場に来て頂いたら待ち時間なしに間違いなく乗れることを
お教えしておいたのでお役に立てたと思います。

はっちんの今日の出航は朝の8時15分。それからフル回転で
夕方5時まで下りっぱなしで、4往復させてもらったのです。

天気のいい秋の朝一番船は、大概は霧の中での出発になります。
保津川の流れる亀岡は盆地で、よく晴れた移動性の高気圧が覆うと
夜に放射冷却が起こり気温が急下、地表や川の温度より低くなることで
川や水田から蒸発した水蒸気が冷やされ水滴になり起こる現象です。

この霧は朝の10時頃まで引かないことが多く、朝早く出航する船は
霧の中をしばらく進むことになるのです。

霧に包まれた川は、数メートル先の視界すらぼやけ
水面には幻想的な世界が一面に広がります。
その中を数隻の船が連なって下っていくのですが、
自分の乗っている船以外は、全て幻を見ている様な
錯覚にとらわれてしまいそうです。
また、この霧は途中で上がってくるのですが、
この時の空の景色がま格別です。
上がろうとする霧の灰色とすき間から覗く青空が
ツートンカラーの空模様を演出しまさに壮美です。

この時間の船は少し肌寒いのですが、
寒さを我慢しても一見の価値はある思います。
しかもどんなに混雑が予想される日でも、
待たずに乗れる時間帯でもあり、はっちんが
一押しでオススメします。

台風の影響ので運休から再開して以来、本当に
多勢のお客さんにお越し頂き感謝しております。
さすがに体にも疲れがでてきましたが、お休みしていた分を
少しでも挽回するべく頑張りますので、応援よろしくお願いします。

*写真は今日の一番船です。
霧の中を進んでいくのが分かりますか?