保津川下りの船頭さん

うわさの船頭「はっちん」が保津川下りの最新情報や、京都・亀岡の観光案内など、とっておきの情報をお届けします。

本年度の保津川下りは終了いたしました。

2004-12-29 00:27:31 | 船頭
本日28日をもって本年度の保津川下りは
営業を終了いたしました。

今年、保津川にお越し頂いたお客様ならびに
関係業者の皆様には本当にお世話になりました。
この場を借りてお礼申し上げます。

今年は熱帯地域の様な温暖的な気候が続き、
計10回も上陸した台風は日本に甚大な被害を
及ぼすという異常な年でした。

保津川でも台風による被害は大きく、幾度となく河川が氾濫
する被害に見舞われるという本当に厳しい年となりました。

台風通過による河川洪水よる運航中止日は、
全部合わせると約2ヶ月にも達し、特に秋の観光シーズン
を襲った、巨岩崩落による22日間の運休いう過去例を見ない
最悪の事態を経験するに至りました。

私自身も、洪水の中にとり残された船の流失を防ぐ為、
足元も見えない暗がりの中、氾濫している川の中に飛び込むという
命の危機を確かに感じながらの作業も経験し、生涯忘れられない
年になったことは間違いありません。

自然は私達人間に豊な恵みを与えてくれる半面、一端、牙をむくと
人の力では防ぎようがない、恐ろしい脅威となって襲い掛かることを
肌身に染みて感じさせられた一年だったような気がしています。

いくら近代文明が進歩しても自然は決して人間に支配され、管理される
様な存在ではなく、自然の巨大なエネルギーに比べたら、人間の知恵や
力など、ごくごく微力に過ぎないことを知りました。

しかし、私達船頭は自然とともにこれからも生きていきます。
そこに雄大な保津川渓谷と悠久の流れを有する保津川がある限り・・・

来年は保津川下りにとっても、また皆様にとっても
よい年になることをお祈りいたします。

来年も保津川下りをよろしくお願いします。



イヌとサルの二本立て???驚きです!

2004-12-28 10:37:32 | 映画・芸能界
今日の新聞テレビ欄を見てビックリ!
おイヌさまとサル殿の二本立ての時代劇が放送されるじゃないですか?

去年、サルと呼ばれた・・・が放映された時、
忍耐をもって観続けた記憶があるのですが・・・
再放送とは余程、評判がよかったのですね。

僅か二時間ちょっとで、秀吉の人生を振り返るという
設定には無理があり、内容も中途半端に終わったようで残念でした。
「こんなに力がある人がこんな役なんて?」という
配役にも首をかしげることが多かったように思います。

また、今年も同じ主演者で徳川綱吉を放送されるようですが、
去年と同じ様な安易なつくりにならないことを祈りたいです。

時代劇は現代劇と異なり、脚本の深さとそれを演じる役者さんの
演技力がものをいう世界で、醍醐味のはず!

時代劇は今や、ハリウッドからも撮らせて欲しい!という
オファーが来るほど、世界が注目し、日本から発信できる
エンターテメントに間違いありません。
受け皿の日本芸能界がもっと力入れてもいい分野
ではないでしょうか?
今、マーケットは世界にあるのですから!

キャラクターに頼るのではなく、中身で勝負できる
スケール大きい深い作品の創作を期待しております。

鴨川には二つの呼び名が?

2004-12-27 23:07:11 | シリーズ・京都を歩く
京都の川と聞かれて一番に思い浮かぶ川とはどの川でしょうか?

保津川下りの船頭をしているはっちんとしては「保津川!」と
いって欲しいところですが、残念ですが違うみたいですね。

京都の川といえばやはり「鴨川」が一番人気なのです。

京都の中心地を流れ、三条、四条周辺は京の夏の風物詩・「納涼床」や
カップルが均等間隔で座ることで有名な憩いのスポットとして
多くの人たちに親しまれているのはあまりにも有名です。

また、平安京遷都以来、1200年もの間、京都の歴史を見続けてきた川でもあり、
山紫水明の地・京都の象徴であるとともに、氾濫・洪水で度々都人を
苦しめ、時の大権力者・白川法王をして
「鴨川の水と賽の目、叡山の僧兵は意のままにならないもの」と
三不如意あげるほどの暴れ川でもあったのです。

そんな「鴨川」。上流と下流では同じ「かもがわ」でも
漢字が違う川名になっているのをご存知でしょうか?

大原から流れてくる高野川との合流点・出町柳を境に、
上流を「賀茂川」、下流を「鴨川」と二つの呼び方に分けているのです。
ではどちらが正しい呼び方なのでしょうか?

保津川も大堰川、桂川など呼び名を変えて下流に流れて行きますが、
「かもがわ」は呼び名は同じで、漢字が違うだけなのが不思議でした。

謎は解明しなければ気が済まないはっちん。少し調べてみました。
河川管理者である京都府土木事務所に聞くと「鴨川」が正式な名前で
これは明治政府により制定されたそうです。

しかし、今でも地図には二つの呼び名で書かれています。
地元の人に聞くと「昔ここに住み着いた賀茂氏という豪族が名付けた」と
いうことが分かってきました。

平安遷都以前の昔、大和の国から賀茂氏という豪族がこの川の流域に移住し、
勢力を誇っていました。その賀茂氏が農耕神を祀る県主神社として建てたのが
上賀茂神社と下鴨神社といわれます。

賀茂氏は河川に沿うこれら神社の名前及び土地名を取り、振り分け、
上流にある上賀茂神社付近を流れる川を「賀茂川」
下鴨神社がある高野川合流点から下流を「鴨川」と
呼ぶようになったのが二つの呼び名で分けられる理由らしいのです。

三条大橋や四条大橋から眺める「鴨川」は、北山まで一直線に見渡すことが
でき、碁盤の目に整備された京都のダイナミックスさと美しさを実感できます。

また、上流の「賀茂川」は、なだらかな川堰の段差が清らかな流れを
より一層際立たせ、背景の美しい北山の山波と相まって、
京都の雅を象徴する清らかな風景が広がっています。

上流も下流も1000年の古都・京都を象徴する美しい川、
それが「かもがわ」なのです。

有史以来の雄大な自然を残す我が「保津川」とは
正反対の美しさをもつ「かもがわ」。

ともに京都を訪れる人を魅了する「川」。
この川河の流れが永遠にある限り、この京都は
これからも多くの人達に愛されていくことでしょう。

*写真は四条大橋から北山を望む「鴨川」です。
 夏には左岸のお茶屋さんが「納涼床」が出されます。











はっちん、大和へ行く!

2004-12-26 23:54:42 | 心の旅
ホントに忙しい週末でした。
イブの夜に滋賀県・浜大津アーカスで
ゴスペルライブを聞きいてきたはっちん。

あくる日には、義祖父様の30周年忌に出席するため
妻の実家がある奈良県香芝市まで行ってきました。

古く格式ある家柄であることから式典も
昔ながらの祭儀式で進められ、慣れないはっちんは
70人をこえる参列者の中、超緊張状態でした。

式典中、参列者の皆さんはもちろんきっちり正座です。
日頃から道場で正座には慣れていると思っていたのですが、
こんなに長時間座っているとさすがに少しやばい状態に!

多くの親戚方々が来られている中、参拝するため立ち上がる時に、
ひっくり返る様な無様な真似だけは絶対に避けなくてはなりません。

モゾモゾと組んだ足をずらしずらししながら、痺れをほぐしていきますが、
まずい事に、段々足の感覚が鈍くなってきているのが分かってきます。

これ以上しているとマズイ!と思っていた寸前の所で
悪いことに順番を呼ばれました。

何とかひっくり返るとい最悪の事態は免れましたが、
本当に冷や汗ものの1日でした。

式典終了後は、100畳敷はあろうかという
大広間に席を移してのお食事会です。
遠い親戚から近くの身内まで、初めてお会いする方も
多く、全ての座を回りお酌をするはっちん。

さすがは京都よりも歴史の古い‘大和の国’!
奥深い式典を経験させていただきました。



イブの夜にゴスペルを!

2004-12-25 02:43:09 | ゴスペル&ミュージック
イブの夜に、浜大津アーカスで開かれた
クリスマス・ゴスペルコンサートに行ってきました。

はっちんが大ファンである「ボイス・オブ・ピース(VOP)」の
コンサート。お気に入りのクリスマスソングを聞きながら
イブの夜を過ごすのもムードがありホント!いいものです。

ソロボーカルを歌われている方達の、美しくも力強い歌声と
クワイアの息の合ったコーラスには心が吸い込まれていく様な
居心地のよい気分になり聞き惚れてしまいました。

ゴスペルの魅力はその歌声にあるのはいうまでもないですが、
歌われている歌詞がまた素晴らしいのです。
人類愛に満ちた生きる喜び、悲しみさえも癒されるほどの
愛を与えられる喜びの気持ちが詞の中に満ち満ちます。

日頃はややもすると忘れがちな、人として持たなくては
ならない心、人類に今必要なものを感じさせてもらえます。

Misiaの詞にあるように「彼が生まれたこの日を奇跡と呼べるなら」
この日を大事なものを思い出させてくれる日にしたいですね。

子供達はまだ幼くよく分からなかっかもしれませんが、
大きくなった時、必ず思い出してくれると信じたいです。

今年のイブの夜は、はっちん達家族にとって忘れられない
思い出がまた一つ増えた日であったと感じています。

*VOPのクリスマスコンサートは明日25日も浜大津アーカスで公演します。
 午後7時半からメインステージとなりますので、お近くの方や
 時間の許す方は是非、聞きに行かれてはいかがですか?
 素敵なクリスマスナイトになることでしょう。








今日はクリスマス・イブ1

2004-12-24 14:34:21 | ゴスペル&ミュージック
今年もクリスマスがやってきましたね。
クリスマスには船頭のはっちんも、がらにもなく
心ウキウキしてくるから不思議です。

なんといっても、イブとクリスマスの日に船に乗り込む時は
頭にサンタ帽をかぶって操縦するオチャメな船頭はっちんなのです。

なぜにこんな気持ちになるのか?は子供の頃の
楽しかった思い出が甦ってくるからかもしれません。

はっちんの子供の頃、クリスマスは無条件で願いが叶う
夢のようなイベントだった記憶があります。

昭和40年代生まれのはっちんの子供の頃は、
今の様に物が溢れているよい時代ではなく、
ケーキーなどという高級な食べ物を食べられる日は限られていました。
このクリスマスと誕生日くらいのものですか?
年に二回しかない貴重な日、それがクリスマスでした。

夕飯も日常とは違い、学研かなにかの訪問販売で買った、
クリスマスソング集を聞き、高級な食材を使った料理が
並びます。
なにもキリスト教徒でもないのに
「イエスとかいう人、本当にいい奴やな~」と
不謹慎にも感じたものです。

そしてイブの「夜」が明けると、以前から
欲しかったおもちゃなんかが、何故か枕もとに
さり気なく置いてあるじゃ~ないですか!

子供心に、満たされた気分になれる日、
それがクリスマスでした。

成人した今にして思えば、楽しい思い出を
演出してくれた両親に、ただただ感謝するのみですが、
そんなに物には恵まれていた時代ではないからこそ
余計に「物をもらう事の喜び、感謝」を、
身近に感じることができたのではないでしょうか?

今は特別なイベントなどなくても
望むものがすぐに手に入る時代、毎日がクリスマスの様で、
こんな気持ちを味わう機会も減ってきていること
になんとも寂しい思いをするのは私だけ出ないでしょう。

そんな時代に私も生きています。
子供の心を揺り動かすような、クリスマス体験をさせてやる
ことが、本当に難しく感じています。

どこかのCMにある様に「物より思い出」をテーマに
物で満たされるのではなく、心を満たせるような
演出を考えるのが親の務めのような気がします。

今日のイブは、滋賀県の浜大津アーカスで
VOPのゴスペルコンサートを聞きに行くつもりです。
ゴスペルソングを聞きながら、少し厳かな気持ちになり、
豊な心を感じるクリスマスナイトの思い出を子供達とつくるつもりです。

この子らがいつか成人してこの日を楽しい思い出として
いつまでも忘れない一夜にしたいと思っています。








師走の保津川

2004-12-23 22:52:19 | 船頭
今日は冷たい風が頬をさす、冬らしい寒い1日になりました。

今日までの暖かい気候のおかげか?好調な流船数を続けていた
今年の冬季船でしたが、さすがにお客さんも落ちてきました。

先週の土、日には約20隻も流れていた船も、今日の祭日は7隻!
保津川にもいよいよ年の瀬がやって来ただな~という実感します。

来年まで残すところあと一週間、世間は何かと慌ただしくなってきますが、
この時期の保津川は正反対。
一~ニ週間前までは、全国から来られたお客さんで賑やかだった乗船場も、
訪れる人が一気に減り、のんびりした雰囲気が漂っています。
仕事を待つ私達船頭にとっても、時間がゆっくり流れているように感じます。
嵐山の渡月橋を猛ダッシュで走り抜き、乗船場に帰ったのが懐かしく感じられます。

この時期に乗られるお客さんも、時間的に余裕のある方が多い様に感じます。
時間帯によれば、広い船内に貸切状態で乗れることが、この時期の特権で、
のんびり、ゆっくりと京都旅行を楽しんでられる雰囲気が身近に伝わり、
こちらのお客さんへの応対も親密感が自然と生まれ、
ゆっくりいろんな話が出来るから不思議です。

周囲のスピードが一気にゆっくり流れて行くこの時期。
去り行く年を感じながら少しセンチなどなったりしますが、
はっちんはこんなスローな日の流れ、結構嫌いじゃないです。

保津川下りは年末29日まで営業します。
新年は4日から営業いたします。






フィクサーと呼ばれた人

2004-12-22 11:07:11 | 船頭の目・・・雑感・雑記
先日週刊紙を読んでいたら、とても懐かしい名前と出会いました。

その人はもう故人となられている方ですが、生前はあらゆる業界に
顔が利くモンスターと呼ばれるほどの大物の方でした。

まだ駆け出しの新聞記者であった頃、いろんな事業、事件の
取材を進めていくと、必ずその人の名前に行き着きました。
当時の私にとってその人は、とてもミステリアスで
最も興味を引かれた人物でした。

それから数年後にお会いすることがあり、話を聞かせて頂く機会を得ました。

初めてお会いしたその方の印象は、とてもエネルギッシュで
上から覆い被せられる様な激しい圧力が全身から溢れている人で
これまでお会いした誰よりも重たく息苦しさを感じたのを覚えてます。

当時は私も仕事柄、各界で活躍されている方々にお会いする機会も多く、
力強い押し出しやオーラを感じることが多々ありましたが、なんとも
窮屈な心境になったのは初めてだった記憶があります。

後には、当時私達の進めていた企画の後立てをして頂いた縁で、
何度もお会いし、親しく声も掛けてもらってましたが、
若かった私のとっては最後まで緊張し気の抜けなかった方で、
まさに巨人でした。

また、多くの有名芸能人との交友も深く、夢とロマンに
生きる人達のスポンサーもされていた様です。

週刊誌の記事では、晩年の心境が綴られてありましたが、
多くの世話になった人達の手を返した様な裏切り行為もあり、
最後はとても無念な気持ちでおられたことだとお察しします。

しかし、あの人ほど、京都を愛し、京都のために
誰もできなかった仕事をしてきた方はいないと思います。

私も業界を去ってからはお会いする事もなかったですが、
世間のイメージとは異なった思い出がある方でした。

長年かけて地道に作りあげた強固な絆が、バブルという強大な泡の中に
飲み込まれ、浮き足立った泡は大きく膨らみ弾け跳び、跡形もなく消え去った。
あの方の人生にそんな印象を抱かずにはおけません。

バブルというあの狂気の時代の恐ろしさを改めて感じずにはおれません。


天候に泣かされた年でした。

2004-12-21 17:41:20 | 船頭
今年の保津川下りの事業内容を総括する「12月経営協議会」が本日、
遊船事務所にて開かれました。

昨年に引き続き今年も、保津川遊船企業組合の本部協議委員の
末席を汚している私はっちんも出席し、今年発生した諸問題に
ついて会議に参加してまいりました。

今年は例年にない集中豪雨や台風上陸が相次ぎ、風及び水害による
運航中止日がなんと!48日もあり日中途中から中止になった日を
合わすと合計61日にも達し、約2ヶ月間運航を中止していたことに
相当する計算になります。

この数字は、嵯峨野観光鉄道(トロッコ列車)が開通した平成3年以降
では、平成7年の大干ばつによる‘40日川止め’を
大きく上回る最悪の記録となりました。

当然、流船数、売上高ともに前年度対比で大きく下回るという、
厳しい事業結果となりました。

幸いなことに、予約数や運航再開時からの成績は、
順調に推移していることから‘保津川下り’の人気そのものには
減少がみられなかった事がせめてもの救いでしょうか。

しかし、多くの識者が警鐘を促しているように、今後の
自然環境が益々異常をきたしてくる様な事になってくるなら、
この一年だけの不運な出来事として片付けられない
難しい問題にならないか?不安は残ります。

今年のように熱帯気候系の天気がもし来年も続く事があれば、
同じ結果になることも充分考えられることです。

自然とともに生きる私達船頭にとって、環境問題は
即身近な問題に発展します。
今後も高い意識をもって考えていかねばならないと考えています。


シリーズ・保津川を下ろう!その8「下浜」

2004-12-20 23:54:15 | シリーズ・保津川を下ろう!
沈下橋である保津小橋を潜ってしばらく行くと、
川が大きく右に折れていく箇所が見えてきます。
ここの左岸側にあたる湾曲した岸を「下浜」と呼びます。
今では何のへんてつも無い河原となっていますが、
ここが昔の船着場だった場所なのです。

「下浜」とは丹波材を筏にして流していた当時から、
中継地として利用されていた浜で、上流の宇津根浜
からみて下流部にあったことからそう呼ばれたそうです。
ここでは上流用の平川造りの筏を、急流の荒川造りに組み変える
ことを主に行っていたそうで、筏問屋の詰所も存在していた所でした。

慶長11年に当時の嵯峨の豪商・角倉了以が今の保津川下りの
前進にあたる荷物舟を開通してからは、舟に荷持を積み込む
浜として使用され、大堰川水運発展の拠点として栄えた浜でもあります。

当時の船は今の乗船場ではなく、この下浜から出発していたのです。
今では保津川下りの乗船場が約700~800m上流に出来ていることから
この下浜を「古浜」という通称で呼ぶこともあります。

荷持船が下っていた当時の「下浜」には、亀山藩(今の亀岡)所轄の
倉庫や事務所が建ち並び、この地域の農産物や薪、炭などの物資を保管し
随時、舟に積んで保津川渓谷を下り、京や大阪まで大量運搬していたのでした。

ちなみにこの水運を開削した角倉了以は、その功績により徳川幕府から
許可を得て「下浜」に角倉事務所を置いて通運料を取り、嵯峨には運上所を
置いて倉敷料も徴収するという今でいう有料道路の制度を導入し、
有料河川として莫大な利益をあげたのでした。

保津の船頭達はほとんどがこの浜の上部に住処を持っていたことから、
坂を降りて浜に出勤する小さな道が今でも残っています。
その途中には船頭達が行き帰りに、運航の安全を祈願したであろう
「水神さま」の祠(ほこら)がひっそりと建ててあり、当時を偲ばせてくれます。

今でもこの浜の周辺には、材木屋さんや倉庫の後を残す民家がいくつか
点在しており、船下りの最中からも見ることが出来ます。

*写真は「下浜」の上から見た川の風景です。
 左の舗装されている道に、昔は荷持をもった
 牛や馬が行き交いしていたのでしょう。