保津川下りの船頭さん

うわさの船頭「はっちん」が保津川下りの最新情報や、京都・亀岡の観光案内など、とっておきの情報をお届けします。

神戸・芦屋ラーメン街道で「日の丸軒ラーメン」を食す。

2012-06-24 22:02:43 | おいしいもの、面白いもの発見!
今日は朝から独立総合研究所の勉強会に参加するため、久しぶりに神戸市内へお出かけで。

約5時間にも及ぶ勉強会終了後は空腹と疲れを癒そうと、
帰り道に神戸・芦屋ラーメン街道に立ち寄りました。

国道2号線界隈にいろんな味のラーメン屋が多数点在し、凌ぎを削っている噂の芦屋ラーメン街道。
ラーメン先進都市の京都にあって「ラーメン食道」を歩んできた私としては
いつかは訪れてみたいと思っていた地。

その中でも老舗的存在であり、評判の「日の丸軒らぁめん」をいただいて参りました。

銘柄と産地にこだわったという健康な豚と新鮮な野菜類を長時間煮込んだ
スープは白く濁った塩とんこつ系で、九州風の細麺に絡まり口当たりも良。
しつこくない程度のとろみスープはなかなか絶妙の仕上がり。

焼き豚もバラ肉をとろけるまで煮込み、旨みを引出しています。

具の中に煮込んだキャベツが入っているのが神戸系でしょうか?
京都では出会ったことがないトッピングに少し驚きながら、美味しくいただきました。

このラーメンは若き頃、中国へ渡って大陸の料理を学んで帰った初代店主が
1940年頃に神戸で開いた食堂に出された中華そばにルーツがあるらしい。
そのそばの美味しさは神戸に来る諸外国の人々にも絶賛され、連日行列ができたそうな。

駐車場がお店ウラにそびえる高層パーキングなのにも度肝をぬかれましたが、
初代からの伝説の味を今に伝える神戸らしい大陸系ラーメン。

京都とはまた一味ちがう、ストーリを感じるラーメンでした。

あの頃、路地裏の子ども達へ。

2012-06-22 10:46:08 | 心の旅

「路地裏」・・・この言葉を聞くと私はいつも自分の育った街の風景を思い浮かべる。

私の育った所。

それは長い長い歴史のある街で、戦火を逃れたこともあり、家と家の間には
車も入れないような狭い「ろーじ」と呼ばれる細道がいくつもあった。

まるで迷路のようなこの道は私たち子供の格好の遊び場だった。
かくれんぼに鬼ごっこ、時にはボール遊びや秘密基地なんかも作ったりした。
車が入れないので、安心して遊べる細長の小さな公園は、子ども達にとって
いろんな「遊びの発想」が生まれる楽園だった。

ろーじには、いくつか行き止まりもあった。
鬼ごっこしていて、行き止まりに追い詰められるとその塀を乗り越え、
よそ様のお宅の脇をすり抜けて逃げたりもするむちゃぶりも。


そんな楽園だった路地裏に遊んだ子ども達もいつしか大人になり、気づく。

楽園だったその場所は、表通り・メインストリートから離れた
車も横付けできない不便な所であったことを・・・

塀を越えれなくなった子供にとって、路地裏は抜けられない「行き止まり」となった。

仲間たちと路地裏から見上げて星を数えた空は、それぞれがこの場所から抜け出すための
希望という名の遠い空へと変わっていった。

そして子ども達は、その遠い空へ手を伸ばして、この場所から旅立っていった。

夢という名の、どこまでも果てしなく続く細く長い道を求めて・・・

届かない思いにいつも胸を痛めながら・・・


「路地裏」という言葉を聞けば、今でも自分の育ったあの街の風景を思い出す。

無邪気に笑う子ども達の声が聞こえてくる。


あの頃、路地裏の子どもだった私も、夢を追い、細く長い道を歩き続けている。

いつかは行き止まりがあることを知りながら・・・

愛する人の手を握る・・・最高の終焉の仕方とは・・・・

2012-06-21 12:19:38 | 心の旅
今朝の病院の待合室。

午後から大雨の予報が出されている影響か、皆さん、足元が悪くならない内の
診察を希望されてのことでしょう、いつも木曜日よりご高齢の患者さんが
多く見受けられ、大変混雑していました。

昔から病院は高齢者の情報交換の場。

今の暮らしのこと、お子さんやお孫さんのこと、自分の体調のことなど
様々な話題で盛り上がり、お話しされています。
皆さん、一様に明るく、時折笑い声も聞かれて和やかの雰囲気です。

私はそんな風景が嫌いではありません。
むしろ「この場こそが診察室であり、お話しをすることが最高の治療なんだな~」と感じるほどです。

経験豊富でネタの尽きないお年寄りの皆様のお話し声をBGMに、少し寝不足気味の私は
静かに睡眠の世界へ誘われていきました。


しばらくすると私は待合室ではなく、病棟のある部屋にいました。

そこには一人の年配の女性がベットに横たわり、少し息苦しそうな細い呼吸をしながら目を閉じてられました。

看病に当たっているのでしょう、お子さんらしい兄妹二人がそのベットの横に立ち、心配そうに
病状を見守ってられました。

それまで瞳を閉じられていたその女性は突然、目を覚まされ、
側らに立つ子供たちに、しっかりとした声でこう言われました。


「お父さんを呼んで!」


お父さんとは、長年連れ添った、旦那さまのことでした。

旦那さまも連日、病院に通い看病をされていましたが、もう夜も遅いので一度、帰宅されたところでした。

お子さんたちは「もう、遅いから駄目だよ。また明日の朝、来るから・・・」と言うのですが
どうしても旦那さまを呼べと聞かないのです。
仕方なく、お子さんたちは電話で旦那さまを呼び出すことにしました。

旦那さまが駆けつけるとその女性は「ふたりだけにして」と言い、子ども達に席を外す様に
お願いされました。


夫婦水入らずとなった病室で、彼女は旦那さまの手を優しく握りしめました。


何時間、時が流れたでしょう。

ふたりはその間、言葉を交わすことなく、ただ、手を握りしめていただけだった、といいます。

夜が明ける頃、女性は再び、目をつぶり静かな眠りに入っていきました。

その二日後、目を再び覚ますことなく、彼女は旅立ちました。



すると、どこかで私の名前を呼ぶ声が聞こえてきます。
それは、診察室へ入る様に命じる看護師さんの声でした。

辺りは明るい電燈の光に包まれ、私の耳には年配の患者さんたちのお話しする、
賑やかで楽しそうな声が周囲から聞こえてきました。

目頭の周りが熱く感じられて、指を運ぶとなぜでしょう、一筋の涙が流れてきました。



人間はどんな人でも必ず‘死’は訪れます。
生まれた限り、死は宿命付られているもの。
であるなら、人間はどの様な死に方が一番いいのでしょう。
どんな終焉の時を迎えることが幸せなのでしょう。


私は最も愛した人と手を握り合いながら、最後の時を迎えられることほど、
幸せなことはない。と思います。

いつまでも心の中で離すことがない、最愛の人の手を。


生まれ変わった時、その手の感触を忘れないように。

そして、ふたり、また再び出会い、二度と離れない様に指と指をしっかりからませて・・・






*文中に出で来る病室の話は以前、ある人から聞かせて頂いた実話に基づいています。








台風接近!荒れ狂う自然の猛威から気づくこと。

2012-06-19 14:10:31 | 船頭の目・・・雑感・雑記
強い勢力を保ちながら日本列島に近づく台風4号は、今日の12時には足摺岬の南約210kmにあり、
北北東の方向へ毎時55kmで進んでいます。中心気圧は965hPa、中心付近の最大風速は35m/s。
すでに京都では午前中から激しい雨が降り、保津川の水位も徐々に上昇しております。
この調子で近畿に接近または上陸を果たすと、今後、河川増水も十分に予想されることから
流域並びに支流河川附近の方々は水位の変化に十分な注意をして頂きたく思います。

また、東シナ海上を北上する台風5号も日本列島をめざして進行中なので、ダブル台風に挟まれた
梅雨前線が著しく刺激される可能性もあり、今後の降り方がとても心配になってきました。

しかし、近年、自然の猛威は本当に凄まじいものがあります。
降れば豪雨で土砂崩れと洪水を招き、照れば40度の炎天下、寒くなると豪雪で機能マヒ、
吹けば竜巻がとぐろを巻く。そして、大地震で大地を激しく揺らし、海からは津波が。
そういう運命を背負った国といってしまえばそれまですが、近年における自然の暴れ具合は
本当に戦慄すら覚える激しいものとなっています。

そして、いつの時代も人間はこの自然の猛威の前にまるで無力です。

いくら近代科学文明が発達したところで、ひとたび自然が凄まじい勢いで牙をむけば
人はなすなすべのなく、逃げ惑うしかない。これは今も昔も変わることがない。

「いや、人はその英知で自然を一部制御することができたではないか」と主張される方もいると
思いますが、所詮、最低限の防御をしているに過ぎず、いわゆる想定外などと表現される
自然のパワーの前には微力な抵抗でしかなく、結局は安全といわれる、これまた自然が
つくり出した場所に逃げるしかない。
たしかに、自然という本質を生み出さない、間借り人である人間が、微力でも避難する人の
安全を確保できる科学技術を持ったことの偉大さは評価するとしても、やはり、自然の
大いなる力の前には、人間の英知を結集しても完全な制御はかなわず、役に立たないことを痛感させられます。

この自然は人間がつくり出したものではありません。人間も自然の一部ですが、人間自身も
人間がつくり出したものではありません。山も、川も、海も、空も、大地も人間が創造したもの
ではなく、また花や虫、動物などの、この世界に生きるすべての‘いのち’も
けして人間がつくり出したものではありません。
人間は、自然の恵みにより‘生かされている’存在であり、恵みがなくなれば、ひと時も
生きていくことができない存在であることも、また間違いのない事実なのです。

「太陽の光」や「水」そして「空気」という自然の中に当たり前に存在する世界の中で
人間をはじめ命あるもの全ては生きていくことができます。
この‘火’`水’‘風’の恵みこそ‘いのち’の根源であることに気づく。

この広大な自然なるものの働き、この事実を意識するだけでも、自然は人間の力を超えた
大いなる存在であることに容易に気づくはずです。

しかし悲しいかな、人間は恵みだけを享受していては、これが当たり前だと勘違いし
その恩恵をついつい忘れがちになるものです。
さらに、自らの英知のみを過信し、自然を我がものとして自由に利用できる考えてしまいます。
そして人は遂に「原子」の力さえ、自由自在に操れると科学技術を盲信し、人類を何度も
破局に向かわせるほどの力がある兵器すら手に入れてしまったのです。

人間が自らの科学技術に慢心し、自然を制御しようとすればするほど、自然は
さらにその技術を上回るほどの猛威を見せ、人に迫ってくるかのようです。

台風をはじめ時折、見せるこの自然の猛威は、私たち人間に謙虚になることを促し、
新たな価値観のもと、共生して生きていくことの必要性を教えてくれているのでは・・・

私はいつもそう感じるのです。