保津川下りの船頭さん

うわさの船頭「はっちん」が保津川下りの最新情報や、京都・亀岡の観光案内など、とっておきの情報をお届けします。

お客様に教えられた「生きている」ことについて。

2011-07-31 23:13:49 | 船頭の目・・・雑感・雑記
お昼間に保津川下りをされたお客さんと偶然、夜の会食の場で再会しました。

その方は「保津川下りは初めての体験でしたが、本当に素晴らしかったです!」
と私が船頭であることがわかると、真っ先に挨拶に来てくださったのです。

「ありがとうございます。どこに魅力を感じていただきましたか?」
と私があらためて質問するとその方は

「自然や舟の下る迫力ももちろんよかったですが、私はなにより
船頭さんの仕事ぶりがなにより素晴らしかった!」と仰ってくださったのです。

「船頭がよかった」これは我々船頭にとっては「この仕事をしていてよかった!」
と本当に思える最高の言葉です。

うれしくなった私は「私たちの仕事をどんな風に感じていただけましたか?」
さらに聞くと

「肉体的にも大変なのに、私たちお客を退屈させてはいけない、
といろんな楽しい会話をされ、心を和ませてくださったり
笑わせてくださる‘おもてなしの心’をリアルに感じたし、
なにより、そんな中、急流や難所に差し掛かった時にはお顔が一変し、
厳しい職人の顔になられる、これぞ『本物のプロ』なんだと思いました」と。

なんと、これほどまでに我々の仕事ぶりを観察をして下っている方が
おられるなんて、まさに「船頭冥利」につきるというものですが、
その方はだんだん目に涙を溜めながら、こう話を続けられました。

「実は私、先日発生した東日本大震災の被災者です」と身分を明らかにされたのです。
そして続けて

「今回京都に来て、素晴らしい保津川下りまで体験できて・・・生きていてよかった・・・」と。

聞けば自宅被災者だったらしく、震災発生の瞬間から電気、ガス、水道
などのインフラはもちろん水や食べるものまで事欠く事態に陥ったと
いうのです。そして、食や灯油・石油を求めて、自転車で何軒もの
お店を回ったという体験も話して下さったのです。

「じっと何もせず、誰かが助けてくれるのを自宅で待っていたら、
間違いなく私たちは死んでいたでしょう・・・」と極限的とも
いえる当時のことを涙ながらに話してくださいました。

「本当に生きててよかった!」と再び、‘今、ここ’に
生きていることの喜びを声に出し、うなずかれました。

死は誰にでも、いつかは不公平なく訪れるものです。

しかし、死をリアルに意識することは、そうあることでありません。

天災という、何の前ぶれもなく突然やってきて、死を極めて
現実的に意識させるような出来事と遭遇した人に感じられる
「死生観」があるのです。

死を現実のものとして意識することは、生を強く意識する
ことでもあります。
「強く意識した『生きる』ということは、多くの支えがあって
初めて可能となる。自分が『生きている』という事実は、
その他の支えがあるからこそ。
だから、私は生きる意義をしっかり感じて、遭遇すること
経験することの、全てのことに喜べるし、感謝できる」
「そのことをしっかり、体感できたのが今回の保津川下りでした」
と話を締めくくられました。

話を聞き終えた時、私はうなずくことが精一杯で
なんも言葉を発することができませんでした。

「本当にありがとう」と握手を求められる手を
強く握り返しながら
「こちらころ、ありがとうございました」と深く
頭を下げました。

その方とお別れしたあと、この船頭という仕事への
心構えを新たにし、そして真の「やりがい」というものを、
心から強く実感しました。

観光に携わること、なんて素晴らしいことでしょう!

今、生きていること、生かされていること、そして
人様に喜んで貰える仕事に就いていることに
深い‘感謝’の念を抱かずにはおれないのでした。

明日は愛宕山で火の用心、「千日詣り」です。

2011-07-30 23:50:37 | 京都情報
明日31日から8月1日にかけて京都の西の霊峰・愛宕山(924m)
では「愛宕千日参り」が行われます。

愛宕山は古代山岳信仰の霊山で、頂上にあたる朝日峯には、
今も「愛宕神社」が鎮座しています。
愛宕神社って地元にございませんか?
そうです、全国各地にある愛宕社の総本社として、
各地に約900か所もの分社を持つ神社最大手の
フランチャイズといといえる存在です。

京都では観光誌をはじめ誰もいいませんが、私はこの「お山」を
京都最大のパワースポットだと確信しております。
そのことについて京都大学で研究関心として取り組んでいるので
追々お話することにして・・・

千日詣りはこの愛宕神社総本社で行われるもので、主祭神で火神である
迦遇槌命(かぐつちのみこと)が火伏せの神として尊崇されていることから
火事など「火の難」にあわないことを祈願して毎年この日に行われています。
そして、夜から朝へ日を継いで参拝すれば「千日(三年)分の御利益がある」
といわれ、老若男女が夜を徹して参拝され、一晩で約1万人を超える
参拝者が頂上の神社を目指し登山するのです。
今年は日曜日なので、例年にも増して多くの参拝者が予想されています。


参拝者は愛宕山麓の集落・清滝(京都市右京区)から登山されるのが
最も多く、毎年昼ごろから徐々に人が増え始め、夕方6時頃には
幅2mほどの狭い清滝の参詣街道は人の行列で埋め尽くされます。

昨年は31日の午後9時からおこなわれる修験道の柴燈護摩神事
「夕御饗祭(ゆうみけさい)」と午前2時からおこなわれる
「朝御饗祭(あさみけさい」を見学するため、
同僚の河原林京都大学研究員と一緒に約10年ぶりの
千日詣りを体験してきました。

今では自分の足で900mの頂上を目指すしか方法のない愛山。
舟の仕事を終えてからの登山はさすがに応えました・・・

とにかく、清滝集落にある登山口・二の鳥居から山頂までの約4キロの参道。
つづれ折れの急な山坂道を延々と歩きます。途中、石積みの階段なども
あり、約2時間半の登山です。汗は滝のように流れるは、足は笑うはと、
健脚を自認する私でしたが、中腹あたりで、休憩を入れないと
とても山頂まで持たないと感じました。愛宕山恐るべし!
それでも参詣登山をされている人たちのはみなさんイキイキとした
表情をされていて、登山を楽しんでられるようで、少し驚いたのを
覚えています。

愛宕山千日詣りには、参詣登山者同士が交わす言葉があります。

参拝者はお互い見ず知らずの人同士でも、すれ違いざまには
「おのぼりやす~」「おくだりやす~」と登る人、下る人が
温かみある「京ことば」で声を掛け合い、お互いの労をねぎらうのです。
これは江戸時代から続く愛宕参りの伝統だそうです。
なんでもない一言ですが、疲れている体がすっと癒される言葉です。

そんな参詣者の声に励まされながら、やっと山頂へ到着。

神社境内は献灯の提灯により、900mを越える夜の山頂とは思えない
明るさで、社務所では参詣者が必ず愛宕詣りの証拠として必ず持ち帰った
「火の要慎」のお札やお守り、樒(火を消す作用がある樹木の枝)
を買い求める参拝者で、初詣のような賑やかさです。

午前2時からおこなわれる「朝御饗祭(あさみけさい)」を見学する参拝者は
神社の境内の空いている場所で睡眠や休憩しながら待つのです。

千日詣りにはもう一つ
「三才までにお参りしたら、一生涯、火の難を逃れる」
という言い伝えがあり、本当に三才に満たない幼い子どもさん
の姿が多く見られました。なんと、お父さんが子どもを
背負って登ってこられるのです!
山頂まで登りきられたお父さんは境内で完全にグロッキー・・・
子を思う親の愛情の深さでを目の前で見せられた気分でした。

僅か晩から明朝にかけての「愛宕千日詣り」ですが、
暑さキビい夏の夜に、これだけ大勢の人々の姿が、山の至る
所で見ることができる。これは京都、関西の人々の
愛宕信仰の潜在的な根強さを表していると感じました。

愛宕山の山裾を縫うように流れている保津川。
舟から眺める明日の愛宕山は、山の神へ帰依する人たちの
熱い鼓動で、躍動感いっぱいに迫ってくることでしょう。



千日詣りを完遂した河原林研究員と私(下の写真)かなりお疲れかな・・・

夏休みの思い出つくりは保津川下りで!

2011-07-30 00:45:54 | 船頭
いよいよ夏休みも前半戦に突入です。


保津川下りにお越し下さるお客様にも、親子連れの姿を
よく目にするようになってきました。


一艘の舟に乗船されるお客様の約3分の1から半分までが
子どもさんというケースもあります。

渓谷には子どもたちの元気な声がこだまします!

私のトークも、自然や歴史のポイントはしっかりと押さえながら、
語り口調や声のトーンを子ども向きにアレンジしてお話します。


子どもとはいえ、けして侮ってはいけません。子どもさんほど、
話に関心や興味がなくなるとすぐに飽きて、退屈さをあらわにされます。
そこは大人の方同様の真剣勝負です。


NHKラジオの「夏休み子ども質問室」の先生が話される
会話術を研究し、子どもたちと接しています。

また、私の舟では、流れが緩やかな所では舟の舳先まで誘い、
川の流れを体感できるサービスも実施。
高学年にもなると、急流でも舳先に残る度胸の座った子も。
「体が一瞬、浮いたみたいに感じた!」と満面の笑顔で振り返ってくれます。


家族や友人と過ごす今年の夏休み。

一生忘れることのない思い出を、保津川で
たくさんつくって帰って貰いたいです。

保津峡を襲う激しい雷雨に立ち向かう、船頭の‘心と伝統の技’

2011-07-28 19:31:21 | 船頭
保津川下りの夏の風物詩といえば・・・薄紫のむくげ、それとも清楚ななでしこ?

いえいえ、突然の稲光と轟音、突風、そして豪雨!そうです、雷・夕立です。

今日は午後、その風物詩が保津峡の上空に出現しました!

上空を覆う灰色の雲。夕方のような薄暗さ。渓谷は徐々に怪しげな表情に移っていく
渓谷。その谷川に浮かぶ小舟が保津川下りの舟なのです。

稲妻が光り、渓谷を揺り動かす如くの轟音!、すると突然、
水面が波立つほどの、もの凄い風が、唸り声をあげながら舟へ向かってきます!

高瀬舟である保津川下りの舟は船底が平らなため、風が一番の強敵です。
日よけのために設置した三角形の屋形テントは強風に捲り上げられて
アーチ状に膨れ上がり、テントごと舟を吹飛ばさんばかりの状況。

風の煽られ舟は簡単に風下に追いやられます。

この条件で操船する船頭は、今の風向きと強さを瞬時に読み、
岩がせり出す狭い川筋を寸分の狂いもなく、流し通けなければなりません。

操船の要となる舵の操縦は、先々と風を見切り、舟の舳先を
思い切って風の風向く方向へと切っていきます。
これは強風に吹かれ流される距離と角度を計算に入れて
わざと風の力を利用して通行するコースまで導くためです。


保津川下りの船頭にとって、最高に高度な操船技術が求められる場面です。

身体力を高め、五感をフルオープンして、想像力、論理力などの頭脳を働かせる
まさに人間能力の全てを結集させて、豪雨と強風が吹き荒れる川をのり切るのです。

しかも、乗船されているお客さんには悟られないように、顔はポーカフェイスで。

「どんなに大荒れの自然状況となっても、ひとたび川に漕ぎ出せば、
舟を安全に嵐山まで辿り着かせる」
私はこの保津川船頭の心意気を、400年間脈々と受け継がれてきた
‘川根性’‘舟根性’と呼んでいます!

穏やかだった自然は、突如、不機嫌となり、牙剥き出しの猛威で
保津川の小舟に襲い掛かってくる、これが、ありのままの‘自然’。

こんな自然に対応する時に頼りになるのが、
自身の体に身に付けた操船技術と臆することなく立ち向かう精神です!

この時ほど、先人の師匠や先輩から厳しく操船技術を学び、身に
付けられたことを、心強くそして誇らしく思えるときはありません。

嵐山にたどり着く頃には、激しい嵐は嘘のように去り、曇り空の隙間から日光が射し、
青空が顔を覗かせます。

あの大荒れの渓谷での出来事は一時の夢ではないか?とさえ思えます。

400年の歴史と経験が生み出した保津川下りの舟の操船技術の正確さ
乗り込む船頭の心意気こそ、生きた伝統であり、いささか大げさにいえば
後世に残していかねばならない「生身の文化財」ではないかと思う次第です。

私は保津川下りの「語り部」になる!はっちんの「噺家修行」

2011-07-27 23:45:08 | 船頭
保津川下りの魅力、三大要素については前回お話ましたが、その中で
一番、伝わりにくいのが「歴史のお話」だと感じています。
400年という川下りの歴史がありながら、また遡ること平安時代の
筏流しまで、京の屋台骨を支えてきた水運の歴史がありながら、
そのことがお客さんにうまく伝わっているかは疑問なのです。

美しい自然風景と豪快な舟下り、それを操る船頭の匠の技は、
お客さんの目の前で展開されますから、語るまでもなく
伝わるものですが、歴史のことは船頭が操船しながら話すので、
どうしても中途半端な説明に終わりがちです。

乗船当初は聞かれておられるようですが、イメージ付けが難しく、
しばらくすると退屈そうな顔をされるお客さんも少なくありません。

急流などのリアルな体感には勝てず、話も途絶えていきます。

船頭も話を切り変え、各自持ちネタのジョークでその場を和ませ、
気分を盛り上げていく方向に流れていきます。
笑い声もこだまして楽しい川下りではあるのですが、私にはどうも
一抹のさみしさを感じずにはいられません。
雑誌などでは「船頭さんのユニークなトークで・・・」などと
書いて紹介されるので、ついついその気になっていますが、
それだけでは保津川船頭の「会話」はダメだと思っています。

私にこのことに気付かせてくれたのは、上方落語の名人・露の新治師匠でした。
PTAの研修会で講義をされていたのですが、人権問題というデリケート
な内容のお話を、テンポのある楽しいネタを織り交ぜて話されると、
難しい顔して座っていた方々の顔もほころび、次第に会場は笑いの渦へ。
暑い夏の体育館での講演会という過酷な条件の中なのに、
誰ひとり帰る人もなく、お話に引き込まれ聞き入っていました。

この講演現場の情況を見たとき、気づいたのです。

話を伝えるには「技術」が必要だということを!
ただ知識を羅列するのではなく、目の前の人に聞いて貰える工夫が
いることを。
保津川の歴史話が退屈なのは「船頭のトークレベルの低さ」であり、
伝えるための「技術磨き」をしてこなかったからなのです。

そうとわかれば、早速「伝える為の技術・会話術」の訓練開始です。

目指すは保津川下りの「語り部」です!

保津川の様々な言い伝えや出来事のお話を「物語風」に
ストーリーをつけて話せるようにしたいのです。

保津川には面白い話が目白押しです。

保津川に舟を通そうした人々の思いや葛藤、開削での出来事、
舟の引き上げ作業の壮絶な苦労や荷物船から観光船へシフトした
時代背景、大手企業から船頭衆が独立を勝ち取る闘いの記憶や
木船がFRP船へ改良移行した時の騒動、
また船頭の操船技術を根底で支えた‘川根性’などなど、

本当に数えきれない程のエピソードがあり、お話したい内容がいっぱいです。

歴史は卓上で聞いても面白くありませんね。
やはり、その現場で聞くのが一番、臨場感があり
リアリティが湧くものです。フィールドワークと同じです。

だからこそ、必要となるのが伝える能力。

昨年一年間、PTAでも講習会、研修などを開き、その道一流の
講師の先生方から「伝える力の育成」についての勉強しましたが、
それが今、とても役に立っています。

1200年以上続く時の流の中で繰り広げられたエピソードや
人間模様をストーリ仕立てで、楽しく語っていければ
素晴らしいと思います。

話しの流れとタイミング、そして間やトーンなど、
磨くところはいっぱいあります。

そこが「船頭会話術」の腕の見せどころです。
この会話術が、400年変わらない船頭の操船術と
美しく迫力ある保津川の自然と一体化すると、まさに鬼に金棒。

保津川一の噺家「語り部」を目指します。
いや、日本舟運一の「語り部」が目標!
もちろん、多国語も勉強しなきゃ。やることがいっぱいだ!
そして、みなさん、保津川でお会いしましょう。
お待ち申しております。

私の思う保津川下りの魅力ってなんだろう?

2011-07-26 23:56:54 | 船頭
保津川下りの魅力といえば自然、技術、歴史が三大要素だと思っています。

「自然」についてはあらためて申しあげるまでもなく
雄大な保津峡の風景、岩を噛み、水しぶきを上げてうねる保津川の流れ。

春は桜など花盛りの爽快感、夏は水しぶきもうれしい清涼感、
秋は優美な錦絵の情緒感、冬は凛とした静寂感が漂います。
四季折々の移ろいの中を颯爽と流れ下る舟の旅が保津川下りの醍醐味でもあります。

そして二つ目の「技術」
405年前から変わらぬ船頭の操船技術は、長い時間を中で洗礼され編み出された
最高の操船術です。先人の技を今に残し、そして未来永劫、継承されていく姿に
伝統の重みを感じさせてくれます。

続いて歴史・・・丹波地域の農産物や薪や炭などの物資を京の都へと繰り届ける
水運産業として始まった保津川の舟運。
江戸時代初期の慶長11年(西暦1606)当時、嵯峨に居を構えていた豪商・角倉了以
の保津川水運計画によって開かれた運搬船です。

当時、離れた地域間で、大量の物資を可能にし、しかも速く安全に運べる
輸送手段の確立。現代でいえばハイウェイー・高速道路が整備されたことにも
等しい事業でした。
5年後の慶長16年、鴨川の水を引き込み、京都の洛中に人工の運河である高瀬川を
開削した了以は、保津川からは生活必需品など物資を、京都から伏見湾を高瀬川で
結び、宇治川から淀川を経由して天下の台所・大阪までの運ぶ物流の大動脈を
完成するに至ったのです。


この舟運ルートの確保により、丹波経済圏、京都経済圏、大阪経済圏の三大経済圏を
結ぶ物資流通ルートが確保されました。、今で考えると最大の国家プロジェクトの
完成というこれまた壮大なお話なおです。


この自然、技術、歴史という3大観光要素を有した保津川下りは
今では年間平均約30万人が訪れる京都の有名観光スポットに
成長したわけです。


明日は、この要素を踏まえ、いつも私が現場で感じることを書いてみたいと思います。

つづく。



今、教育者に求められる新島襄の精神。

2011-07-25 13:59:26 | 船頭の目・・・雑感・雑記
京都にある同志社大学の創設者・新島襄先生のことばに

‘人間の偉大さは、その人の学問にあるのではなく
 
 自分自身にとらわれないことにあります。

 自己を忘れ 真理という大目的のために 進んで身を捧げ

 しかも謙虚であること 

 私はそれを人間の偉大さ 真の自由だと呼ぶのです ’

読めば読むほど、心に深くせまってくる言葉です。

そして自分自身の心に問いかけてみる・・・

至らない所だらけの自分の姿が見えてきます。

この言葉が口だけでないことは、明治13(1880)年に起こった
学級統合制に端を発した学生のボイコット事件の時の先生の
とった態度に表れています。

朝礼に全校生徒と教師全員を集めた,先生は、こう話した。

「このたびの事件は、教師の罪でも、生徒諸君の罪でもありません。
 すべて私の不徳から生じたものです。しかし校則は厳としたものです。
 されば校長である私はその罪人を罰します」と述べて、
 自身が右手に持っていたステッキで,自らの左手を打ち据えたのです


咄嗟のことで、思いもしない出来事に、誰もが呆然として見ていると、
唸り声を上げて左手に何度も繰り返し振り落とされるステッキは、
真っ二つに折れてしまうのです。

それでも新島先生は、短くなったステッキで、なおも左手を打ち続けます。
ボイコット事件を起した生徒たちは、頬が引きつり青ざめてうなだれていきます。
そして嗚咽する声も・・・

見かねた生徒の一人が壇上に駆け上がり、先生が降りあげたステッキを
持つ右手を必死で抑えます。
そして
「校長、もうやめてください」。でも言葉はでない。
ただ、涙を流しながら、首を横に振り続ける。

その生徒は事件の首謀格の生徒でした。

折れたステッキを持つ手を押さえられたまま、先生は生徒たちに
「諸君、同志社がいかに校則を重んずるところかわかったでしょう?」
とステッキを投げ捨てて降壇しました。

これが有名な、新島の自責事件です。


教育にかかわる者は、今一度、新島先生のこの言葉と行為、
そして「人を育てる」という真剣な熱情に学ぶ必要があると思います。

すぐ、社会環境が悪いとか、生徒の親がわかっていないとか、
子どもの質が悪いなどと、すぐ分析という名の、他者への責任転化へ
意識が向かいがちですが、自分自身が「教育者」の責任として
どうなのか?自身を謙虚に見つめ直す必要があると思います。

私も空手道場という「人を育てる」活動をしている者の端くれとして、
誰かのことではなく、自分自身のこととして、子どもたちに
接していかねばならないと強く反省させられた次第です。

近代日本の礎を作り出した先人には、本当に学ぶところが多いと感じます。

保津川下りの船頭さんブログ・・・開設8年目を迎え。

2011-07-24 14:35:10 | 船頭の目・・・雑感・雑記
「保津川下りの船頭さん」を開設して今年の7月で8年目を迎えます。

よくここまで続いたものです。

これもひとえにこのブログを読み続けて下さっている皆々さまのおかげだと
深く感謝する次第でございます。

この8年間、綴ってきたことを改めて読み返してみると、本当にいろんなことが
あったのですね。妙に懐かしくもあり、感慨深いものを感じます。

最近は更新回数も少しづつ減りつつあります。

これは、新しいソーシャルネットワークである「facebook」の
勉強に時間を割いていたことが原因なのですが、一通り目途もついたと
感じているので、ブログ再開に精力を注ぎたいと思っています。

顔の見える人たちや世界の友人たちと、一方通行でなく直接コンタクトできる
「facebook」は次世代の情報発信ツールとして話題でもあり面白いのですが・・・

7年前にこのブログを開設した当時、ほとんどの人が「ブログってなに?」って
いわれるほど、認識も低く先駆的な取り組みで、私もひとりで「保津川下りのPR]
のため、毎日、貴重な時間を割いて頑張ってきました。この頑張りが
保津川下りの知名度UPや、宣伝効果を生み出し、近年の保津川での様々な活動の
火付け役となったことは誰も否定できないでしょう。
そしてこのブログこそが、保津川の生き字引ともいえる記録であると自負します。


しかしながら、このブログを始めた7年前とは時代も異なり、
社オフィシャルのブログも開設された今日、若手船頭たちがあの時の私のように、
自身の感性で、川下りの仕事で感じる様々な思いや出来事について書き込むこと
がはじまりました。そちらも注目してあげて下さい。


今後は「保津川下りの生き字引」ということではなく、
「保津川下りの船頭をしているはっちん」という個人が、
生きた記録として書き綴っていきたと考えております。

facebookでは保津川下りの船頭をしているはっちんこと豊田知八の
ありのままの姿を綴り、世界中の友人たちとお互い相互的に
いろんなことを共有できれば素敵なことだと思っています。

facebookをされている方、もしくはこれからされる方、
もしよければ気軽に「友達」の申請していただければ
嬉しいので、そちらでのお付きあいもよろしくお願いします。


今日から「地デジ難民」にもなったことだし、夜も静かになり
じっくり書きものに向かい、表現できればと考えています。

これからも末永いお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。



保津川遊船企業組合 船士 豊田 知八