保津川下りの船頭さん

うわさの船頭「はっちん」が保津川下りの最新情報や、京都・亀岡の観光案内など、とっておきの情報をお届けします。

JR甲府駅前の「武田信玄像」

2009-02-28 19:19:00 | 心の旅
保津川下りの営業宣伝のため訪れた山梨県甲府市。

その玄関口であるJR甲府駅の改札口を出ると・・・
ありました「武田信玄像」

甲冑姿で、ご自慢の八の字ひげを生やした大入道、片手に
は軍配を持って鎮座してます。
像の高さは台座もあわせると5m位の高さがあり、
圧倒的な存在感を出しています。

さすが、稀代の英雄・甲斐の武田信玄公です。

今もしっかり、甲府の日常ににらみを利かせているのですね。


でも、最近の調査では実物の信玄はもっと細面で貴公子然とした
‘男前’だったといわれているそうです。
私はそんな信玄より、やはり大柄な入道然とした信玄のほうが
イメージが沸いていいですが…みなさんはどうでしょうか?

しかし、長時間電車に揺られこの甲府に来てみて感じるのですが、
信玄公はこの地・甲斐から、信濃一円をはじめ、駿河や
上野、遠江、三河までその領地を広め、晩年は美濃や飛騨
、越中をも勢力下に収めたとは、本当にすごいことですね。

今、NHK大河ドラマ「天地人」でも描かれてますが、
5回の対戦があった上杉謙信との川中島の戦いも、
戦国の名勝負として語り伝えられ、戦国のロマンを
掻き立てる戦国の英雄ですね。

信玄公は領国の拠点としての城下町”甲府”を整備、
寄親・寄子制による家臣団の編成、信玄堤の築造など
の治水事業、黒川金山(塩山市)などの金山の開発と
甲州金の鋳造、甲州枡の制定、棒道の建設など道路
伝馬制度の整備などといった民政上でも多くの
実績を残している名君の誉れ高い人物として
今も地元の人々に愛されているのですね。

今度、この甲府に来るときは仕事ではなく、
観光としてゆっくり訪れ、武田神社など
信玄公ゆかり地を回っててみたいと思った次第です。

関東地方へ出張です。

2009-02-26 23:54:42 | 船頭
寒い冬ももうすぐ終わり、来週からは3月です。
1日からはトロッコ列車も走り、10日には
いよいよ保津川下りの春の開幕です。

そんな‘保津峡の春’のおとずれを紹介する営業活動ため、
今日は関東地方に出張です。

早朝6時半に京都を出発、新幹線で初日の訪問先である
「千葉県」を目指しました。

途中、乗り継ぎ場所の東京山手線で朝のラッシュアワーに遭遇!

肩からさげる重たいバックをもみくちゃにされながら、
大都会の洗礼をもろに受けるはめに。

途中、一カ所に下車し、大手旅行会社にご挨拶した後、
やっとの思いで千葉市に着いた時には11時前。

これから7件、主要業者の支店を回り、昼過ぎには
柏市に行かねばなりません。

これはかなりハードな行程です。

千葉市の業者さんには、毎年たくさんの修学旅行をご案内頂います。
しっかりご挨拶せねばなりません。
担当者の方にもお会いして、お客様のニーズと今年の感触を
聞いた後に、こちらも魅力ある川下りの提供プラン
をお話しなければなりません。

時間は押してくるが「行けるところまでいこう!」と腹を決めます。

結局、午後4時前に柏市に着き、なんとか主要な業者さん
回りを終了、今日の宿泊地である山梨県の甲府市を
向かい、特急電車に乗り込みました。

甲府に着いたのは午後8時を回っていました。

いや~まさに目の回る忙しさでした。

明日は朝から甲府市で営業活動です。

亀岡に着くのは何時になることやら~

でも、気合いを入れて、後1日頑張ります。


写真は千葉県庁へ直通で行けるモノレールです。

列車の屋根上部にレールかるので、ゴンドラのようなモノレールでした。

「おくりびと」のオスカー受賞、おめでとうございます。

2009-02-23 14:29:15 | 映画・芸能界
今日、ビックニュースがアメリカから届けられました。

第81回アカデミー賞の外国語映画賞にノミネートされていた
滝田洋二郎監督作、本木雅弘主演の「おくりびと」が
見事に受賞したというニュースです。

2004年に「たそがれ清兵衛」(山田洋次監督)が
ノミネートされていたのは記憶に新しいところですが、
「受賞」というのは正式に外国語映画賞が設けられて
以来、初めての快挙だそうです!
(前身の名誉賞は「羅生門」「宮本武蔵」「地獄門」
が受賞)

ロサンゼルスで開かれた授賞式には、滝田洋二郎監督を
はじめ出演者たちが、感無量の表情で壇上に上がり、
受賞後のスピーチ」をする映像も送られてました。

私と同世代の本木さんもいい役者になられましたね。
J系をはるかに超えもうすっかり‘本物’ですね。

作品は、音楽家を失業してから、死者の遺体を棺おけに
収める「納棺師」という職についた主人公が、様々な
人生の最後と向き合うことで‘死’という普遍的なテーマに
ついて描く作品。

葬儀の儀式という日本独特の風習と生きる意味と死を考える
という深いテーマを、ユーモアを交えて描いたところが、
アカデミー賞の評価基準にマッチし、今回の受賞に
つながったと評論家は語っています。

また、今回のアカデミー賞では、短編アニメーション
で加藤久仁生監督の「つみきのいえ」も受賞し、
2冠を達成するなど日本映画の実力が評価された
アカデミー賞になったと思います。

なにはともあれ、世界最大の映画祭で日本映画が栄冠を
手にしたことは、不況下のスポンサー離れで厳しい
日本映画界にとって今後の活性化という面では
大きな意味を持ちこれから‘世界マーケット’を
意識した作品制作を視野に入れた体勢つくりが
構築されることを大いに期待したいものです。

キャリア日本一のシェフの店・洋食屋コロナ

2009-02-21 23:25:47 | シリーズ・京都を食う!
四条木屋町を下がった細い路地の裏通りに
創業から60年を越す老舗洋食屋・コロナ
があります。

京都の食通の間でこの店を知らないとモグリと
呼ばれる洋食屋の草分け的存在なのです。

昭和20年から時が止まったような懐かしい店構え、
使い古した年季を感じさせる木製のオープンキッチンの中
で腕を振るうのは94歳現役のおじいちゃんマスター。

おそらく現役シェフとしては日本一ではないでしょうか。

そしてこの店の看板メニューが‘玉子サンド’

卵4個を食パン2枚で挟むサンドイッチは超ボリューム満点!
卵焼きの厚さが挟む食パン2枚の倍はあるのです。

卵焼きは京都独特の甘みのある味付け、
いい意味で飾り気がなく素朴そのもの味。
マスター特製というマスタードと懐かしい
ウスターソースも主張しすぎず、
口当たりのいいアクセントになっています。

ふわふわした食感におじいちゃんマスターの
まごころが感じられ、心が温かくなるサンドです。

もう一つの名物メニューがポークカツレツ。
衣にも砂糖の甘みがあり、昔の日本人が好きだった
味だったのかな?と勝手に想像したりする味付け。
でもさくさく感がバッチリで、肉も柔らかくてジューシー。
特製ソースも昔懐かしい味。

その他、オムライスやカレーライスなどの
洋食屋の王道メニューが揃っています。

おそらくこの店の味は世界一の食通になった
今の日本人には好き嫌いがはっきり分かれる料理だと
思います。また、店内もサイズが全て小さく、清潔度も
はっきりいって一昔前の基準でしょう。
でも、引退することなく厨房に立つおじいちゃんマスター
のゆっくりながらも年季の感じる調理作業を眺めていると
なんとも神々しく見え
「ここは今のグルメの評価基準を超越した存在なのだ」
と強く感じます。

戦中、戦後そして高度成長という「食べること」
「食べられること」にみんなが幸せを感じられた
あの時代に、大衆庶民が愛した味を変わらず、
今に伝えているそんな洋食料理人の店、
それが「洋食屋・コロナ」の価値なのだと。

この玉子サンドがいつまで食べられるか、
わかりませんが、素朴な中に幸せが感じられた
あの時代を味わいに、訪れたいと思うのです。


☆「皆さんの店・コロナ」

京都市下京区西木屋町四条下ル
営業時間 17時30分~21時まで。
月・火休日。

玉子サンド   500円
ポークカツレツ 800円


情熱と行動力の船頭・森田孝義さん、京都新聞に登場!

2009-02-20 16:59:25 | 保津川エコ・グリーン委員会
今日20日付けの京都新聞・朝刊に保津川下りの船頭
である森田孝義さんが紹介されました。

京都新聞を取られている方はもうお読みになった
と思いますが、今、京都で活躍する話題の人に
スポットを当て紹介する人気コーナです。

森田さんは船頭歴12年の船頭さんで、私の3年後輩
にあたりますが、入社当初から「保津川の未来について」
熱い思いを持ち、夢や目標を語りあった仲で、特に3年前
の「保津川開削400周年事業」の際はともに力を合わせ、
いろんな新しい試みに挑戦した、いわば同志と呼べる人物。

今回は保津川の河川環境に積極的に取り組む船頭として
また、NPOプロジェクト保津川理事としての活躍も
紹介されています。

そして今年から私のあとを受け保津川遊船の環境部
にあたる「エコ・グリーン委員会」の二代目委員長
に任命され、内外から更なる活躍が大いに
期待されているところです。

熱意と行動力を伴う「保津川」をこよなく愛する男、
森田孝義さんのこれからに、目が離せませんね。

私の人生を大きく左右した言葉と空手。

2009-02-19 22:17:34 | 空手・格闘技
「これは事実談であり、この男は実在する…」

少年劇画「空手バカ一代」の冒頭に刻まれたこの言葉は、
私の人生を大きく左右する運命の言葉となる。

この実在する男とは・・・大山倍達(おおやまますたつ)

そう、極真空手の創始者で世界中の人々から
「ゴットハンド」と呼ばれた日本空手界の革命児だ。

それまでは熱血野球少年だった私。夢は甲子園。
ヒーローも王や長島だった。

名門野球校に特待生入学した私からバットとグローブを
捨てさせた男が大山倍達館長だった。
この男は私の憧れ・ヒーローになった。

大山倍達。
第二次大戦後、東京の池袋に大山道場を開く。
沖縄古伝の空手から脱却し、寸止め制を導入した試合形式
でまとまろうとする当時の空手界に警鐘を鳴らし、あくまで
「強さ」にこだわった直接打撃制を用いて独自の道を歩む。
だが、その方向は理解されず、邪道空手、品格なきケンカ空手
と当時の空手界からは批判され孤立することに。
しかし「本気で打ち込まずして、何故空手本来の実戦力を
証明できるのか?、強さの信用を得られるのか?」
という自らの信念を貫き、国内を武者修行、
「組手の強さでは大山に伍する者なし!」との評価を得る。
その後、人間相手では飽き足らず、猛牛と闘いこれを制し、
世界に空手を普及すべく渡米。ボクサー・レスラーなど
幾多の格闘家と対戦し全勝。「神の手」ゴットハンドと
呼ばれ最大の尊敬を得るに至った。

帰国後、「巨人の星」や「あしたのジョー」などの原作者
故梶原一騎氏により、自身の一代記を劇画「空手バカ一代」
として発表されることにより、日本中にその名を轟かせ、
青少年の間に爆発的な空手ブームを生み出した。

自身が創設した国際空手道連盟・極真会館は
全世界約120ヶ国に支部を持ち、道場生約1200万人
を誇る世界最大の空手組織へと成長した。

そして亡くなった今も、K-1や総合格闘技など
日本格闘技界のルーツを生み出した伝説の武人と
してその名は燦然と輝いている。


私が大山倍達館長の劇画と出会ったのは、その極真空手が
大きく伸びようとする時期だった。

野球部を退部した私はその足で大山倍達館長率いる
極真会館に入門した。

稽古前の張り詰めた空気、先輩たちの鋭い視線、どれも
劇画の中の道場そのままだった。

今の様に足や拳頭に巻くサポータなどない時代、稽古の
後は足首やすねがパンパンにはれ上がり靴がはけないし、
蹴られた太ももが痛くてバスのステップも上がれない
ほどのダメージだったが「これが大山倍達の空手だ」
と思うと、この痛みも納得できた。

あの頃から早いもので、もう20数年の歳月が流れた。

そして今も純白の空手衣に、毎日、袖を通せる人生を
歩ませてもらっている。

劇画「空手バカ一代」の文中にゲーテのこんな言葉が
引用されている。

‘人生にはその人の一生を左右する、
 さまざまな、めぐりあいがある。
 師、友人、恋人、敵・・・
 しかし、ただ一冊の書物が しばしば
 それらにもまさる 決定的な影響を
 もたらす場合がある ’

私も間違いなく めぐりあってしまった・・・
少年のあの日、人生を左右する一冊の書物に。

素晴らしき空手人生に乾杯!

空手演武の‘華’、試し割り演武。

2009-02-18 23:22:21 | 空手・格闘技
空手の演武と聞いて、真っ先に思い浮かぶのは
瓦や板などを割る「試し割り」演武ではないでしょうか?

日ごろ鍛えた技を使い、素手素足で物質を割る「試し割り」
演武の迫力と華やかさはまさに「空手演武の華」と呼ばれます。

今月の22日、練習場所を提供して頂いている
「亀岡市東部文化センター」のイベントにおいて
我が斯道会道場の高学年の生徒が、「試し割り」
演武に挑戦します。

「試し割り」とは剣道でいうところの「試し切り」
と同様の演武で、空手では自己の手足など部位を使い、
実際に物に向かって技をぶつけ割りつぶすという演武。

試し割りにはスギ板のほかにレンガ、ブロック
自然石、氷、バットなど様々な物を割る演武が
ありますが、板割りはその中でも入門編にあたる
演武です。

とはいえ、そう簡単に割れるものではありません。
失敗すれば打撲やひどい時には骨折することも・・・
技のスピードと正確さはもちろんのこと「必ず割るぞ!」
という気迫が最も大切になってきます。

私も以前、2本重ねのバットを足のすね(弁慶の泣き所)で
蹴り折るという難しい演武(当時は珍しい演武だった)を
師範に命じられた時、「『これが折れなかったら明日から
飯が食えなくなる』という気持ちで蹴れ!」と指導を
受けたのを覚えています。
「失敗したらどうしよう・・・」などという後ろ向きな
気持ちを脳裏から消し去るために「死を賭けて」という
精神で自らを鼓舞し、集中力と気迫をためて技をぶつけます。
人はその一瞬、計りしれないパワーを生み出すことを知る
貴重な経験をしました。

試し割り演武はただ「見せる」という要素以上に
自らの実力を知るバロメータとなり、精神的にも
自信が生み、空手を学ぶ意欲へとつながるものです。

今回チャレンジする生徒たちが、この演武で空手の
新たなる魅力を見出せる、そんな演武会になることを
期待しています。



保津川下りの着船場が「水戸黄門」で舟陣屋に!

2009-02-16 22:02:50 | 映画・芸能界
今日、放映された「水戸黄門」に
保津川下りの着船場が映りました。

夜の舟陣屋に一艘の小舟が着岸しました。
その小船には廻船問屋を名乗る怪しげな一味が
乗り、筆頭舟役人宛ての荷物を運んでくるシーンでした。

撮影は11月に行われ、このシーンを撮る為、当日は
保津川下りの着船場に舟陣屋の大きなセットが設営され
下り着いた観光客のど肝を抜いたを覚えています。

放映時間はわずか数分でしたが、人気時代劇との
小さなタイアップにひとり喜ぶはっちんです。

これからも京都の映像文化に協力していければ
素晴らしいですね。

バレンタイン・デーは愛を学ぶ‘記念日’?

2009-02-14 21:16:54 | 船頭の目・・・雑感・雑記
さてさて、今年もやって参りました。

女子のLOVE‘記念日’バレンタインデー~

我が家の女子、小学4年になる娘にも、今日は
とても大切な‘スペシャル・デー’のようです。

毎年、義理チョコなし、本命チョコ一本勝負で
意中の‘男子’に熱い愛情を込めた甘いチョコを
プレゼントしているみたいです。

でも、今年は少し様子が変で朝から妙に‘そわそわ’
落ち着きがないのです。

「毎年、同じ子にあげているようだが、あらためて
渡す時はやはり緊張するものなのかな?」

など、遠巻きに眺めていると・・・

「今日って土曜日なんやな~」
とボソッと独り言・・・。

そうなのです!今年のバレンタインデーは土曜日、
学校が休みの日なのです・・・

チョコを渡したい子と顔を合わす機会がないのです!

学校では許されてはいないのでしょうが、子供達は
結構、学校や登下校時に渡している様です。

チョコを渡すのはバレンタイン・デーの2月14日
今日でなくては意味がありません。
昨日や明日では‘ダメ’なのだそうです。

さてさて、我が家の女子である娘はどうしたのでしょう?
無事、今日中に甘い本命チョコを渡せたのでしょうか?

あえてここでは書かないでおきますが、本当に
バレンタイン・デーの力はすごいなと感じます。

いつもはおてんばであわてん坊の我が娘が、
好きな人の事でいろいろと思いを巡らせ悩むことで、
少しですが‘女の子’に変わっていくのがわかります。

まだまだ小さい子供だと思っている親にとって、
異性を好きになることで、成長していく姿を
発見することは、とても新鮮な驚きと戸惑い
と併せて嬉しさのようなものも感じさせてくれます。

人は誰かを好きになり、その人に好きになって
貰いと自らを高めることで、成長していく
ものなのですね。

自分の中で忘れかけていた‘遠い記憶’
懐かしさとともに少しよみがえる感覚がします。
自分も多くの愛情に支えられてきたことと一緒に。

子供たちもこれからいろんな‘愛情’と出会うことで
多くのことを学び、人としての豊かさと深みを
身につけていくことでしょう。


今、目の前に見る、娘の満面の笑みに‘愛の力’
の強さを感じずにはいられません。

バレンタイン・デー・・・愛を学べるとても
大切な‘記念日’なのかもしれないですね~

亀岡サティの「幸せの黄色いレシートキャンペーンにご協力下さい。

2009-02-11 20:34:35 | プロジェクト・保津川
亀岡サティでは、毎月11日の「イオン・デー」に
『幸せの黄色いレシートキャンペーン』が
開催されています。

もうご覧になられた方も多いことと思いますが、
全国のイオン・サティ各店舗では毎月11日限定で、
買い物の際にもらうレシートを、地域のボランティア団体名
を紹介した「投函BOX」に入れて頂くと、
レシートの買い物合計金額の1パーセントが還元され、
該当団体の活動に役立てられるというものです。

亀岡サティーでは保津川の環境と文化を守る活動をしてる
『NPOプロジェクト保津川』も登録し「投函BOX」
を設けております。

私も今日、ミズノのスポーツシューズ4000円
と昼のランチ定食セット500円分のレシートを
投函してまいりました。


地元の方々の温かい応援に支えられてこそ、
保津川は美しくよみがえり、誇れる里川に
生まれ変われるのだと思います。

多くの人達の小さな力を結集して、素晴らしい保津川を
私たちと一緒に作っていきませんか?

亀岡の皆様、何卒、ご協力のほどよろしくお願い致します。

次回は3月11日(水)です。