保津川下りの船頭さん

うわさの船頭「はっちん」が保津川下りの最新情報や、京都・亀岡の観光案内など、とっておきの情報をお届けします。

現世の恐怖!

2006-06-30 00:00:01 | 船頭
前回のブログで恐怖の心霊体験を書き込んだところ、多くのコメントや
メールを頂き、ためになるアドバイスを頂いた。
ご心配いただき本当に心から感謝する次第だ。

恐怖・・・気に掛かる言葉だ。

そして恐怖はなにも心霊の世界だけでない!

心霊現象よりも怖いのは人間社会のアンダーグランドだ!

人間社会、現世で人が作り出す出来事だ!

現世で起こる出来事には、心霊などの及ばない恐ろしい現実感がある。

それはバブル時代の狂気を目撃してきた一記者の経験からもいえる。

強い者が勝ち、弱い者は無残な仕打ちにあう姿を目の当たりした。
拝金主義の大きな力の恐怖を前に、言論の無力さをいやほど味わった!

それが当時の日本社会の姿であった。

今の現世はその当時と少しは変わったのか?教訓を得たか?

表面上はそのように見えても、現実の構造はそれほど大差がない。

現世の恐怖は消えてはいない。今もまだまだ続き存在している。

そして、いつあなたの身に降りかかるかもしれない。

すぐ、そこにある、恐怖なのだ!

確かにみた!謎の黒い影・・・

2006-06-27 23:52:17 | 船頭
この話をブログに書こうか?正直考えた。
こんな非科学的なことを書けば、自分の値打ちを下げるのでは?とも考えた。
しかし、その存在を私は今でも忘れる事ができず、この目に焼きついて離れないのだ。
あれは一体何者だったのか・・・皆さんの意見を聞いてみたくなった。

それは突然、現れた!

夜中の1時頃だったと思う。京都市内の某条通りを車で通過していた時のことだ。

反対側車線(二車線)沿いに建つマンションが車を運転する私の視界に入ってきた。
そのマンションには車止めとして長いチェーンが掛けられいるのにも気が付いた。

そして、ちょうど視界45度前方に差し掛かった時だ!

車止めのチェーンに足を掛け、車道に飛び出してくる黒い影が・・・

その影は人というにはあまりにも大きく、2m以上あるヒグマのようでもあった。
でも、最初は人ほどの影の様に感じたが、飛び出す瞬間、大きく伸び、
車道を覆い尽くすような勢いで広がるのを確かに感じたのだ。

サイドから飛び出す得体の知れない影を轢いてはいけない!と
私は思わず、車のブレーキを強く踏んでしまった。

夜中ということもあり、後続の車両が来なかったのが幸いだった。

が、しかし、急停車した車の窓から横のマンションを見てみると、
その黒い影の残像すら辺りにはなかったのだ。

あれは一体なんだったのか?目の錯覚???

否、運転中とはいえ、そのマンションが視界に入ったときのことも
よく覚えているし、チェーンだってはっきり見えていたし、その周辺に
何者かの気配は皆無だったと記憶している。

それが、ちょうどナナメ45度くらいに接近した時、突然姿を現したのだ。

その瞬間は本当に驚いた。あれは幻ではない!
確かにこの目に物体して映ったのだ!

今、静かに目を閉じて記憶を辿ってみるてもはっきりと思い出せる。
あれは人ではない、まして動物でもない。

何か霊体のような霊気を感じたのだ。

大きな黒い影・・・というのが気に掛かるところではあるが、
今のところ、まだ私の生活に何も影響も現れてはいない。

しかし、気のせいかも知れないが、何か不吉な予感を感じる今日このごろではある。

トロッコ列車に出没する謎の鬼・酒呑童子。

2006-06-25 22:57:38 | 心の旅
保津川下りと同じ保津川の峡谷を走るトロッコ列車。
今や年間約90万人もの観光客が訪れ、京都洛西の観光を代表する超人気の観光鉄道だ。

そのトロッコ列車に出没するという謎の鬼「酒呑童子」が今、凄い人気だという。

昨年、香港で発売された「Japan」という日本を紹介する
書籍にも「富士山」と並び紹介されるなど、今や日本を代表する
スターになりつつある存在らしい。

古い言い伝えでは、亀岡と京都の境「老ノ坂峠」の首塚大明神に眠る酒呑童子。

その酒呑童子が長年の眠りから覚め、今、トロッコ列車に復活したというのか?

この保津川峡谷に出没する謎の生き物・酒呑童子。
その正体を探るため、私は彼が出没しトロッコに乗り込むという
「保津峡駅」を訪れてみた。


酒呑童子がトロッコ列車に乗り込むと噂される「保津峡駅」は保津峡のど真ん中、
眼下に保津川が深々と流れる山の深い所にひっそりとある無人駅。

下を見ると怖いくらいの高い吊橋を渡り、落差のある階段を登ると、
片側のみの小さなホームの駅がある。

ここに白昼、酒呑童子が出没するのだ。
あたりを見渡し探してみたが、人影らしきものは見当たらない。

「相手は謎の生き物。そう簡単に出て来てウロウロする訳ないか~」
仕方なく、しばらくはホーム横の小さな待合室で待つことにした。

待つこと10分、トロッコ列車が入っていた。到着を知らせるオルゴールが鳴る。


すると・・・現れた!私の後方、たぬきの置物の横に突如、それは姿を現した。


その正体は謎に包まれながらも、世界のガイドブックに紹介される
日本のスター酒呑童子!それが今、私の目の前にいる。確かに存在していた!

鼻は高く、堀の深い顔、大きく見開いた目、茶髪のロン毛。
不思議と鬼という恐ろしさは無く、逆に愛くるしくて人の良さそうな顔立ち
は日本昔話で読んだ「泣いた赤鬼」を思い出させる。

彼は姿を現すと素早くトロッコ列車の中に乗り込んだ。話し掛ける間も無く亀岡へ出発。

あまりに早い彼の動きに、ただ呆然と見送ってしまう私に向かって、
親指を立ててポーズをとる酒呑童子。笑っているのか?怒っているのか?

とにかく、謎の酒呑童子の正体を探りにここまで来たのだ。何も話さずには帰れない。
私は彼が亀岡から帰ってくるのを待つことにした。

そしてまた人影もない駅で待つこと約20分。トロッコが亀岡から帰ってきた。

な、なんと!あの酒呑童子がトロッコの最後列から身を乗り出し、
私に向かって手を振っているではないか!

列車が保津峡駅に停車すると酒呑童子が列車から降りてきた。
私との間はわずか2~3mといったところか。ホームに降りた酒呑童子は、
トロッコに乗っているお客さんに頼まれ写真で撮っているではないか!
しかも自身の記念写真リクエストにも応えたりしている。
謎の生き物・酒呑童子、意外にサービス精神旺盛な鬼なのかもしれない。

もしかしたらいい奴なのかも・・・と観察しているその時。
突然、列車のドアが閉まってしまった!慌てて乗り込もうとする酒呑童子。

でも、ドア開かない。「ドア開けて・・・OX@#・・・」何かを叫んでいる。
「乗りたいの?」と車掌さん。
「ウン!乗る・・・」と首を縦に振る酒呑童子。
「あっ!列車が動き出した・・・もう諦めたら!」と非情な笑みを浮かべる車掌さん。

動き出した列車を必死で追いかける酒呑童子。
トロッコに乗るお客さん達も「早く、早く~」と窓から酒呑童子を呼ぶが
加速を増す列車では追いつけず、列車はホームから遠ざかっていくばかり。

とうとう諦めた酒呑童子。ホーム端の鉄柵に握り締め、遠ざかるトロッコ列車が
見えなくなるまでハンカチを振っている。別れを惜しんでいるのだろう。

やはりこの酒呑童子、最初に感じたとおり、やさしく人懐こい鬼の様だ。

今度こそ話を聞こうと、近づこうとしたその時!酒呑童子はこちらを
振り向き、頷く様なしぐさをした途端、駅のホームから川へ目掛けて
飛び降りたのだ!すぐさま、飛び降りた場所まで走り、その下を
覗いて見たが彼の姿は何処にも見当たらなかった。

トロッコに出没する謎の鬼・酒呑童子。

結局、彼の正体はわからず仕舞いで、保津峡の深い山中に消えてしまった。

酒呑童子が乗り込んだトロッコのお客さんに後で話を聞く機会があった。

列車の中の彼は子供を笑わせ、若いカップルに恋愛論を語り、学生には
説教までしていたというのだ。

人間が本当に好きな鬼なのか?ますます、私の中で謎は深まるばかりなのである。

笑いと感動そして‘いのち’亀岡で村上和雄先生が講演

2006-06-24 18:39:36 | 船頭の目・・・雑感・雑記
DNA(遺伝子)解析の世界的権威にして今、ノーベル賞に
最も近い日本人科学者である村上和雄先生の講演会が自分の地元
亀岡で開催された。

以前、このブログにも書いたが、村上先生は私の生涯の師と仰ぐ
山本利雄先生(元・天理よろず相談所病院・院長)と旧知の間柄であり
いくつかのシンポジウム等で面識のある先生なのだ。

その先生が我が地元亀岡にお越しになり講演をされるとなれば、
仕事を休んででも駆けつけないわけにはいかない。

村上先生は高血圧の黒幕である酵素「レニン」の遺伝子解読に世界で
初めて成功し、遺伝子学会のみならず医療の世界にも偉大な功績を残されている。

そして今では筑波大学教授を退官後、名誉教授として「笑いや感動」が
遺伝子の働きに影響を与えているという仮説を立て、心と体の働きには
つながりがあることを科学的に証明するため、吉本興業の協力のもと
「心と遺伝子研究会」を設立し、精力的に活躍されている行動される科学者だ。

ベストセラー作家でもある先生の講演とあって会場となった
「ガレリアかめおか」の大広間は開演前にすでに超満員。
立ち見が出るほどの大盛況だ。

笑いの研究されてる先生らしく、講演はお笑いのトークを
聞いているように面白く、先生が例え話をされる度に
会場は爆笑の渦になるのはさすがだ。


現代の最先端科学は人の遺伝子暗号の全ての解読を終えている。

先生はこの素晴らしい人類の英知を讃えながらも
「では、その書き込みを解読できたとして、書き込んだのは何者か?」
これは知性の世界であるサイエンスでは、絶対に解読できない」と
科学の限界を示唆し、科学で知れる範囲のことで、この世や生命の全てが
わかったような気になることは、人間の傲慢であると言い切る。

先生の説では科学には「昼のサイエンス」と「ナイトサイエンス」があるともいう。

最先端科学を突き詰めれば、突き詰めるほど、不思議な存在である
「サムシング・グレート」の存在にぶち当たると述べ「世界一流の科学者も
昼の研究室では決して口にしないが、夜の会食などの席では皆その不思議さ
を語っている」という裏話も明かされた。

確かに冷静に考えるとそうだ。

人間の体を作る細胞は60兆個。
その細胞一つの大きさは、重さ1gの2000億の分の1、幅1㎜の50万分の1の
中に1ページ1000字として1000ページの本が約1000冊分に
相当する情報量が書き込まれている。

この情報は一寸の違いもなく整然と正確に書き込まれているからこそ、
今日の自分に、今日のあなたに成長しているのだ。
このバランスが少しでも狂うと存在することはおぼつかない。

ではこの微小な細胞にこの膨大な情報を書き込んだ主は一体何者であろうか?
しかも、現代科学の力ではこの細胞どころか、大腸菌すら無から作り出すことは
不可能なのだと先生はいう。

書いてある暗号を解読するのと、その暗号を最初に書き込むのとは
全く次元が違う問題なのであろう。

その不思議な遺伝子が、笑いや感動で目覚め働き出すという事実。
病気や性格も改善してしまう働きはどの様な何故で、どう意味があるのか?
メカニズムはどうなっているか?

まさにロマンのあるお話であった。

このような興味深い話を1時間30分にわたってお話下さったのであるが、
全て載せられないのが残念だ。

私もついつい思考の闇に落ち入りがちな性格であるので、
先生の話にもあった様に「‘今、生きている’という科学的奇跡」を
実感する豊かな感性を磨き、これからの人生を歩んでいかねばと思う。

村上先生の話を聴かせて頂いていると、我が師に教えていただいた
「全過去、全現在、全未来は、いまここにのみ実在する」
「今を生きるとは非連続に連続する絶対実在の論理即事実である」という
言葉が心に甦り、深い感慨がこみ上げる講演会でもあった。

村上和雄先生(筑波大学名誉教授)
京都大学農学部、米国オレゴン大学医学部、米国バンダービルド大学医学部
を経て筑波大学応用生物化学系教授、99年退官。
著書に「生命の暗号」「人生の暗号」「笑う遺伝子」「生命のバカ力」
「バイオテクノロジー」「成功の暗号」など多数。

保津川下りの「船を守る」という仕事。

2006-06-23 11:51:15 | 船頭
いよいよ本格的な梅雨の季節入り、昨日も終日激しい雨が
降った京都亀岡の保津川。

激しい雨が降り河川が増水するこの季節、最も気になるのが
川に係留してある船の管理状態だ。

我々遊船組合では所属する4の支部が持ち回りで船を管理する
体制「船守り(ふなもり)」という制度を執っている。

船守りとは読んで字の如く、川下りの船を守るという意味なのであるが、
河川増水などの事態から、乗船場の向こう岸の湾に係留されている船を
維持管理するシステムで、組合4つの支部が10日づつ交代で担当、
管理責任を負うという船頭の重要な仕事の一つなのだ。

主な仕事は、
1、着船場から回送された船を元の係留地に整理する作業の「船越やし(船並べ)」
2、前日前夜の雨で船内部に溜まった雨水を掻い出す作業の「水垢(あか)がい」
3、大雨・台風など緊急時の河川増水に船を係留地から回避させる作業「船上げ」
の3つだ。

どの作業も気を抜けない作業だ。

自分の所属する第3支部は今月の20日からこの船守りに当っている。

今朝、早速船内部に溜まった雨水を描き出す作業「水垢がい」に出動。

昨日終日、相当の雨が降ったのであろう、船の中には
底板まで浮ぶほど、雨水が溜まっていた。

この雨水を外へ掻い出す為の方法は極めて単純。
原始的にバケツで掬う手作業が主だ。


最近は数台電器ポンプ器を使用はしているが、水の上に浮ぶ
50以上の船に一々セットしていくには電気の配線等で
あまりにも時間が掛かり過ぎ、かえって手間が掛かる。

はやり、400年の歴史のある我々保津川下りには、
原始的な手作業、人力が良く似合うと感じさせられる。

約30名の支部員で、50艘近くの船に溜まった雨水を掻い出すのに30分ほどだ。
このくらいの時間で処理してしまわないと、朝一番の船の準備に間に合わない。

今日はまだ「水垢がい」だけで済んだが、今週末から来週にかけて
天気予報は殆どが雨マーク。

100mm~200mmくらいの雨が降れば、今度は最悪の事態「船上げ」
があるかもしれない。

この「船守り」に当っている期間は、夜中眠れない日々が続くのである。


*「船守り」についての詳しい記事は下記をご覧下さい。
2004年8月31日付「船上げに出動
2004年10月20日付「保津川大氾濫!決死の舟上げ!

丹波路を激走!全日本ラリー選手権が開催

2006-06-21 01:28:19 | 京都情報
6月の23日(金)~25日(日)の3日間、京都府南丹市日吉町で全日本
ラリー選手権「シンフォニーラリー in ひよし 2006 」が開催される。

このラリーレースは全日本ラリー選手権(JAF日本自動車連盟)
の第5戦として開催されるもので、日本のトップアスリート
が集結し毎年熱い戦いを繰り広げている。

今年も保津川の上流にある日吉ダム横の「府民の森ひよし」を
スタートラインとし、日吉町内からかやぶきの里で有名な美山町内の
起伏激しい山間部の公道をチューニングされたスペシャルカーが
駆け抜る。

出発点の「府民の森ひよし」ではサービスパークも開設され、
そのすぐ横を通る府道の約500メートルの区間が
ギャラリーステージとなる予定。

ラリー選手権とは、各メーカーの市販車を使用し、公道を駆け抜け、
そのタイムをチームで争うモータースポーツで、世界のWRCは
F1を上回る人気を誇る世界最高峰のモータースポーツなのだ。

このWRCで活躍する日本の自動車メーカはスバルと三菱が有名。

なかでもスバルのインプレッサは昨年9月に北海道で開かれた
世界ラリー選手権(WRC)第11戦・「ラリー・ジャパン」で
スーパドライバーペター・ソルベルグを有して見事優勝を果たし
日本で開催された初めてのWRC初代王者に輝きました。

ちなみに、王者ペター・ソルベルクがハンドルを握る「スバルワールドラリーチーム」
に「ST」のメカニックとして参加していたのが、我が義弟にして
「押忍!男組」のメンバー「ブンちゃん」である。

彼は世界各地のラリー会場を股にかけ活躍するメカニックであるが、
今回のラリーには参加してないとの連絡があり。

でもお膝元で開催される全日本ラリー選手権なので、
是非ともスバルの各チームには頑張ってもらいたいと思う。

*2006年 JAF全日本ラリー選手権 第5戦 
 「シンフォニーラリーinひよし2006」

2006年 6月24日(土曜日) 7:00開場

会場:府民の森ひよし
(〒629-0334京都府南丹市日吉町字天若小字上ノ所25)

チケット:前売券の販売は終了しました。
      当日券 2,000円(中学生以上)

主催:モータースポーツクラブ シンフォニーオブ京都HP


今年も本番!保津川ハートクリーン作戦

2006-06-20 14:02:09 | 保津川エコ・グリーン委員会
美しい保津川の景観を守るための活動「保津川ハートクリーン作戦」
がいよいよ本格的に始動を開始する。

この梅雨の時期、河川の増水で、上流から流れ着いたゴミの大軍が
川幅が狭くなる保津川峡谷内に打ち上げられ、河川景観並びに水質
悪化に繋がっている。

この状態を放置できない我々保津川の船頭は昨年から、志のある者たちが
集まり「ハートクリーン作戦」を展開、地道なクリーン活動を行っている。



今年も14日に実施された「イワツツジの根付」活動にあわせて
第1弾のクリーンを実施、午前と午後の部の2チーム編成を組み、
延べ60人が参加し終日続けられた。

テトラポットの表裏にビッシリ詰っているペットボトルや空き缶、
川岸沿いに自生している草や竹に引っかかっているビニールの
買い物袋や色とりどりの農業肥料袋、ひどい物なら、ペットの
餌袋いっぱいに詰っている糞尿や悪臭漂う生ゴミ袋まで
本当に多種に富んでいるのには感心させられる。

呆れるの通り越して、悲しくなる。




そのゴミの殆どが川沿いにあるため、作業は川の中に入り
行う所が多い。時には首まで川に浸かって拾うことも。

ゴミが舞い込む淵というのは、川の流れから外れた澱みが多く
川水の代謝が鈍く、ゴミの悪臭は相当なものだ。
その場に身を晒すのは思い入れが強い者でも相当の覚悟が必要だ。
また、この時期、テトラポットの中には「マムシ」などの危険生物が
生息している可能性も高く、作業には最善の注意を必要とするが
その領域に踏み込まなくてはゴミを拾うことは出来ないのもまた事実。

でも「我々が拾わねば誰が拾ってくれるというのか?」
「誰がこの川の景観を守ってくれるというのか?」
我々も必死なのだ!

農業用水を引いていても、川辺でバーベキューをして楽しんだり
ボートや釣りで遊んでいたりしても、誰一人としてこの川の
腐ったゴミを拾おうと奉仕活動した者は皆無で、ゴミは放置されていた。

川から受ける恩恵はありがたく頂いていても、川にお返しを
するという感性が人側に欠如していたのだ。

我々はこの反省もと、立ち上がった。

真夏を思わす炎天下の中、この熱い志を胸に持ち、続けられた
作業によって一日で軽トラック2台満タンのゴミが出た。


作業終了後、暫し美しくなった保津川を眺め、心地いい達成感に浸る。

腐って悪臭漂うゴミを掃除することで、自らの心も掃除された
様な清々しさを感じる、それが「ハート・クリーン」だ。

翌日の朝、保津川河川敷の河原にまた、花火と飲食の後と思われるゴミが!

我々の闘いはこれからも果てしなく続いていくのだ!

映画 ダ・ヴィンチ・コードを観て。

2006-06-19 11:36:47 | 映画・芸能界
6000万部を売上げ世界的ベストセラーとなった原作本の
映画化「ダ・ヴィンチ・コード」を観にいった。

カンヌ映画祭で失笑を買い、世界中のカソリック教徒を
敵にまわしたと話題の本作だ。

しかし、カソリック教徒ではない者にとっては、陰謀と暗号、
殺人と逃亡劇が絡み合うスリリングなサスペンス映画と感じられ
あれだけの批判にあう映画とは到底思えなかった。

まあ、カソリック教徒の多いヨーロッパでは今でも
「イエスは人か?神か?」という論争は続いているので
このデリケートな問題を映像として世界配信した勇気は大したものだが・・・

原作を読んでないと、登場人物、話している内容や出てくる名詞が
やたらに多く戸惑う人もいるとは思うが、
二転三転するスピード感あるストーリー展開は
娯楽映画としては十分に楽しめる。

ただ、謎解きの核となるダビンチの絵画「最後の晩餐」や
「聖杯伝説」などに詳しい説明がないまま、さらっと
流していて、暗号の謎解きもあまりにも簡単すぎ、
作品本来の知的な奥行きが描ききれてなかったことは残念だ。

キリスト教の教義や歴史的解説、登場する組織との関係などを
詳しく説ききれていないことで、ただのサスペンスアクション映画に
なってしまったことは、原作を読んだ者にとっては物足らないと思うのだ。

クリスチャンでない自分にはこの作品の宗教的是非を語る資格は
無いのかもしれないが「イエス様が人として、普通の人と同じ
営みの中で、同じように悩み、同じように考えた」という
考え方があったとしても「イエスの神性」は少しも揺るぐものでは
なく、いわれるほど邪悪な思想とは思えない。

あえて宗教論はここでするつもりはないので、これ以上語ることは控えるが、
およそ宗教には
「本質的な教訓と真理(純粋信仰)と本質ならざる行事と提案(教団組織制度)」
という二つの部分がみられる。この二つを混同してしまうと本質のところの
純粋信仰そのものが深い霧の中にかすんでしまうものだ。

最後に主人公が「大事なのは何を信じるかだ」と語る言葉に
作者の言いたかったこと全てが凝縮されていると感じた。

映像という世界でその精神世界を描く事の難しさを感じた映画でもあったのだ。


PCがおかしい!

2006-06-18 21:17:39 | 船頭
スタンバイ状態からPCを立ち上げたら突然、PCの表示が特大サイズに!

一体、何が起ったの理解不明。

ツールバーの「表示」の文字サイズを最少に設定しても
全体の画面サイズには変化なし。

今、我がPC表示は視力の低下した年配の方でも読み取れる文字サイズ
となっています。

どのようにしたら元のサイズに戻す事が出来るのでしょうか?

ご存知の方がおられましたら、是非お教えて頂ければありがたいです。

よろしくお願いします。

イワツツジとゴミ問題からの日本人を考える

2006-06-17 00:36:07 | 保津川エコ・グリーン委員会
この時期の保津川下りの名物は峡谷を彩るイワツツジだ。

だが、近年のガーデニングや盆栽ブームにより、峡谷に咲くイワツツジを
ハイカーやバーベキューに訪れた人がむしり取り持ち帰るという事態が
起こり、年々イワツツジの自生率が激減していきているのだ。

それでなくても、最近の河川水質の悪化で峡谷に自生する植物は
その生存の危機に瀕しているいうのに、まだ追い討ちを掛けるが
如くの人間の振る舞いは許し難いものがある。

保津川では天然記念物にも指定されているイワツツジを
を守っていくために、毎年、人工の補植作業を実施している。

補植作業は、保津川下りの船に市民ボランティアの方々が
乗り込み下りながら渓谷の岩壁数箇所に手作業で根付を施すもので
毎年約1,500本の岩つつじの苗を植えていく。

植付け方法は、持ち込んだつつじの苗を 土と水コケで包み、
生育に適した場所を慎重に選びながら一つ一つ丁寧に
岩の割れ目に植え付けいく。

これでも、根付くのは約2割だ。

でも、心無い人間によって荒らされた峡谷の景観を
守るためには貴重な活動の一つだと思っている。

イワツツジの根付作業と同時に保津川下りの船頭有志による
「保津川ハートクリーン作戦」も実施し、美しい河川景観を
自らの手で守る運動も継続している。



船が流れる航路のあちらこちらに捨てられてあるゴミ袋やペットボトル、
農業用肥料の袋。人の心の乱れがそのまま川の姿になって現れる。

ツツジにしても、ゴミにしても「自分ひとりくらいいいだろう」
「めんどくさい」「自分さえよければいい」という自己中心的思考に
もとづくモラルの欠如、甘えが、大勢の人々の心に広がることで起っている。

以前、読んだ本で江戸時代末期、日本を訪れた英国人が
この国の美しさを自国のマスコミに紹介した文面を見かけた。
その文には「この日本という国にはゴミ一つ落ちてないとても清潔な国で、
役人のサムライたちも誇り高い者ばかりでチップすら取らない」
と驚嘆し、最高に褒め称えていた。

それが今は、現在はどうだろう?

近代化が進み法治国家として確立してこの国は、その法を盾に
組織のリーダーが責任を取らなくてもいいシステムを生み出した。
法的に許されれば、裁判で勝てばそれでいい、その発想は世の中に
浸透し、ちっぽけなモラルなどその前では無力で吹っ飛ぶ。

特にバブル以降、放漫経営や市場ルール違反の責任を取らない上に
公的な資金で穴埋めしている厚顔な企業経営者たち、
国家財政を破綻させた責任を取ることなく、国民から税を絞り取る政治家と官僚達。
自らの目測甘さから政策を誤り地方財政を破綻させ羞じない首長たち。

社会の手本となる人達のモラルの低下は、庶民のモラルの低下を生む。

ゴミを捨てる者、自然を破壊する者、責任を取らない国のリーダーたち。
これらの人々の全て心の底には共通した卑しい精神的構造が明らかに見て取れる。

もしかしたら、偉そうにモラルを説く自分自身ですら、
このような現代社会の風潮を心の奥に潜ましているやもしれない。

イワツツジや川のゴミの現象も、常に自らを戒める‘心の鏡’として
映していかねばと気を引き締めるのである。