保津川下りの船頭さん

うわさの船頭「はっちん」が保津川下りの最新情報や、京都・亀岡の観光案内など、とっておきの情報をお届けします。

おめでとう!友人・ハカセさんが挙式!

2012-09-30 09:12:24 | 素晴らしき仲間たち~
昨日は私の大切な友人である竹内博士さんの結婚式に出席して参りました。

彼は亀岡市民新聞の記者で、現在では若くして編集長の重責を担っている、
地元になくてはならない逸材です。

彼とは、彼が大学を卒業して、駆け出し記者として地元を駆け回り出した時からのお付き合いで、
かれこれ、8年来の友人であります。そして、彼との出会いはこのブログからでした。

8年前、私が主宰する空手道場の演武会があり、その司会役をしていたのが彼でした。
大学の放送局で部長を務めた経験をもつ彼は、しゃべりの才能をかわれ司会を担当していました。

その後このブログで彼のブログへお礼のコメントを入れたことで、お付き合いが始まりました。
彼との縁を結んだのが、このブログでした。

その後、大切な友人となる京懐石の料理人・門の西田浩二さんを紹介してくださり、
一時期「かめおかトライアングル」を組んで、京都へ食事やラーメン屋等の食べ歩きもしました。
彼らと一緒に浜田省吾愛好者の集まり「浜省の会」を立ち上げ、名古屋や大阪などから
参加者が亀岡に集い、盛況な会となりました。

また、俳優の加藤完治さんや水戸黄門に出演されて当時は原田龍二さん、合田雅吏さんらと
一緒に「押忍!男組」をつくったり、これまでいろいろ楽しいことを一緒にしてきた仲です。

その頃から私も、遊船と地域の連携を模索しはじめ、企業の地域貢献に踏み出した頃であり、
彼とは、新しい地域活性の形を相談しながら進んできた同志的存在でもあります。

彼との思い出忘れらないのは私が40歳の誕生日の時。

当日、空手道場の練習中に突然、西田浩二さんと乱入してきて、40㎝正方形の特注ケーキを
持ってきてくれて、練習に参加していた道場生とみんなで食べたこと。
しかし、サプライズはそれだけで終わりではなかったのです。

その週末、空手の大会があり、夕方の帰り道に西田さんから電話があり、
「昨日、キャンセルのお客さんがあり、食材が残ってしまったので、食事に来てください」
といわれ、妻も「それはいい、ぜひ、行こう」と賛同してくれたので(妻も仕掛け人でグルでした)
家族で京懐石門に行くと・・・

急に仕切りが外され、多くの顔見知りの友人たちが一同に会しているではありませんか。

そして、ジャズバンドの生演奏が店内に響き、一斉に「お誕生日おめでとう!」と祝福をされました。

プロジェクターまで用意され、私が出演したテレビ「人生の楽園」や「VOICE」の映像が
流され編集までされていました。これは大学の放送局の後輩の皆さんのご協力で、
局内で編集作業がされたそうです。

そして、そのDVDのカバーは、浜田省吾さんのCDカバー私の顔に変えたもので、
妻までカバー撮影に参加していると趣向の凝らしたものでした。
このCDは今でも私の大切な宝ものです。

そんな、こんな、様々な思い出を一緒につくってきた彼が、昨日晴れて人生のパートナーを得られ、
さらに新たな船出をされたことを、本当に我がことのように、とても嬉しく思います。


挙式は、高瀬川が流れる三条木屋町近くにある式場にはなんと100名を越す出席者!
賛美歌が流れる中、厳かな雰囲気の中で、お二人は永遠の愛を誓われました。

披露宴は笑いあり、涙あり、パホーマンスあり、サプライズありと、趣向を凝らした多彩な演出が満載で、
彼と奥様の個性が存分に活かされた「らしい」もので、これまで経験したことのない素晴らしい宴でした。

学生時代の恩師や友人など全国津々浦々から駆けつけた出席者から、心のこもった祝福をうける姿を見ていると
「本当に彼は、多くの人に愛されているだな~」とあらためて強く感じました。

今後は、人生の伴侶を得られ更にパーワーアップされることだと思います。

これからも亀岡、京都を盛り上げるために益々、活躍されることを祈念いたします!

ハカセ、七恵さん、本当におめでとう!そして、これからもよろしく!

所有から借りものへ、意識の変革による「豊かさと安心ある」生き方を探る。

2012-09-27 11:14:58 | 船頭の目・・・雑感・雑記

竹島問題や尖閣諸島をめぐる領土問題から、今、日本は近年にない隣国との緊張関係にある。

人類は長い歴史の中で‘豊かになる’ことを追求して生きてきたといえる。
そして人類で豊かになるということは具体的に物を「所有」するということを意味する。

今回の原因となっている領土も、国家が地球の一部を「所有」することの争いだ。

人類は、幾多の争いの果てに、知恵を絞り、国境という「ルール」を生み出した。
そして、人間本位の‘所有’を明確した。
しかしながら、人類の所有へ対する執着心はことのほか強く、現代でも争いの種となってしまっている。

ルールは国際法という国際的な取り決めで調整を図ろうとはしているが、国家のパワーゲームのような腕力の前には、
非常に脆弱な性格を持ち、正当性の有無も「強者」により捻じ曲げられることを世界は幾度となく知らされた。

法で、人類の所有という欲望を抑えることが事実上、不可能であることは誰もが感じているところだろう。

そもそも、この地球上の大地や海、空などの大自然を、人間が勝手に‘所有’する、という思考は正しいのか。
地球上の生命の観点に立てば、所有を巡り、戦い、多くの人々の血を流させ、奪い合い、
勝者が自然界を「我がもの」とし、自由に利用する権利が与えられる。
まさに人間本位のエゴのみで決められることを地球は許し、自然は認可を下ろしたのか。

所有しているなどと主張してみても、その実在は虚ろい易いものであり、いくら様々なものを多く所有していても、
人類は自らの命が尽きれば、それらはすべて自然に返さなければならないものだ。
所詮は生きている間だけの「借りているもの」にすぎないではないだろうか。子々孫々といえども
この事実からは逃れることができないはず。

少し感性の鋭い者なら、この地球上の自然、自らの身体、財産などはすべて、地球からの
「かりもの」にすぎないと実感できるはずだ。
いわば我々は、自然からの「レンタル権」をめぐって、血みどろで命懸けの戦いを長い年月、続けているだ
なんと虚しいことだと気づく。

だが・・・現実はこの虚しい戦いから逃れることができない強迫観念が国家、民族の間を覆っている。
人類は、生命の誕生以来、この世界は弱肉強食の生存競争の中で、勝ち残ったものにより創造されたと考えるに至った。
ダーウィニズムは、その考え方に正当性を与える論理として世界中へ広がった。

しかし、本当にそうか!生命は生存競争の後、強者が弱者を淘汰した歴史により
創りあげられてきたものなのか?
原始地球の泥海の中に、藍藻と細菌という原核細胞が生まれが、その後、自己複製の連鎖を打ち破る有性生殖・雌雄の性が
生み出され、共に協力することで多様な生物が数多く生み出されたのが「生命」の記録ではないか。
決して二つの原核細胞が生存を競い合い、どちらかを滅ぼし、勝ち残った細胞が生物を生み出したのではない。
最も根本の生物の進化過程には強者が弱者を排除する生存競争は存在せず、ともに協力する共生の論理が展開しているではないか。

私はこんな時世だからこそ、この生命の根本的な進化の論理をあらためて見直し、
人間として自然の論理をしっかりと読み解く生き方とは何なのか?を思考したいと思う。

人間同士がもう、所有をめぐり戦うのでなく、所有の欲望へのアンチテーゼとして「借りもの」
という意識変革による思考を確立し、人類が共存していく道を探りたい。

また、生命の起源と進化の歴史を現代科学で解明できた本当の‘英知’により辿り、
本当に人間の尊厳ある「豊かなで安心できる」生き方を探求したいと強く感じている。