保津川下りの船頭さん

うわさの船頭「はっちん」が保津川下りの最新情報や、京都・亀岡の観光案内など、とっておきの情報をお届けします。

お盆になると思い出す、わたしの記憶の中の‘ほん怖’

2010-08-27 11:42:48 | スピリチュアル
今年も京都では「五山の送り火」が無事に終わり、お精霊さまは無事に黄泉の国に帰っていかれたことと思います。

私のお盆の思い出といえば、家から間近に見える大北山の「左大文字」の火と、あの出来事のこと・・・

もう、30年以上も前のことです。

お盆の時期に比叡山のえらいお坊さんが我が家へお越しになられたことがありました。
お隣の家と親交があったそのお坊さんは、その年、なぜか帰り道に我が家を訪ねられたのです。

我が家に入るなり、隣接して建っていた工場と裏庭、そして隣接地を指差して
「この辺りの土地は腐っている!」と仰られ、急に立ち上がりその方角を向いて
「お経」を読み始められたのです。
驚く家族に構うことなく、お経は15分ほど続きました。

お経を読み終えたお坊さんに、家族の者が「土地が腐っている」とは、どういうことだと、聞くと

「この地には無数の人の『苦しみの情念』が埋まって渦巻いている。」
「この地では人は育たない」と話されたのです。

「苦しみの情念?」「人が育たない?」・・・確かに思い当たる節もあるにはことはありました。
私の住んできた家の隣接地には、その話を想像できる歴史があったからです。
でも、それが祟りのせいだといわれてもにわかに信じ難いがその時はありました。

帰り際にそのお坊さんは「今にここで信じられない恐ろしいことが起こる」
「あなた方も出きることなら、この地から離れた方がいい」となんとも怖い
予言めいたことを話されて帰られたのです。

それから10年ほどの月日が流れ、私たちの記憶からお坊さんの話が
完全に消えかかっていた頃、それは起こりました。

起こった内容についてはプライバシーの問題もあり、書くことはできませんが、
本当に信じられない恐ろしいことが、この地でたくさん起こり、私たち家族が引っ越してから

この「腐っている」といわれた土地の姿は一変してしまうのでした。


世の中には、本当に信じられないことが起こることがありますが、
私のいた‘あの土地’で起こった出来事も、まさにそれに類するものでした。

今でもお盆になると、幼かった記憶の中にあのお坊さんのことを思い出します。

そしてその記憶は、当時いつもお盆の時期になると感じていた
「姿の見えない無数の人の視線」を思い出させるのです。

あの頃、自分の背中に感じていた無数の視線。あれは「一体、何だったのだろう?」
それは、今も私の記憶に残る「謎」のひとつなのです。



親子で学校の水やり、夏の思い出。

2010-08-26 11:34:58 | PTA活動関連
息子通う亀岡市立東輝中学校では、夏休みの間、校内に植えてある
花壇の水やりを保護者が順番に行うのが恒例となっております。

夏休みの様な、長期の休暇以外は、毎日、生徒たちが手分けして水をやり
大切に育てている花壇。休みの間だけはPTA役員で守りをしようというわけです。

特に今年はこの猛暑!

お花たちにも、朝夕の水分補給は生きる為に欠かすことができません。

私もこの5日間、毎朝7時前から水やりに通いました。

校舎の玄関先を彩る花壇たち。左右両側、随所に設置されています。

30mは伸びる長いホースを一杯に伸ばし、一つ一つ丁寧に水をやっていきます。

花たちも心なしか、気持ちよさそうで、喜んでいる感じがします。

5日間の水やりには、同校に通う中3の息子と来年同校に入学予定の娘も
手伝ってくれました。

初日は、朝6時に起きることを、辛そうにしていた二人でしたが、
5日目には自分から起きて、着替えもすばやくしてスタンバイしていた二人。

水やりでも、手際よく段取りをして、ジョロとホースの二部隊に分かれて
効率的な水やりをやってくれて大変助かりました。

私はホースが絡まないように調整するだけでした。

娘などは、校長先生と教頭先生に「えらいね~来年は待っているよ」と褒めてもらって大喜び!


早起きして人に喜ばれることをする、大切さを花の水やりで
二人も十分学んだことでしょう。

なんでもない、夏の朝のひとコマですが、二人にとっては
おそらく、ずぅ~と忘れることのない「夏の思い出」に
なったに違いありません。

京都新聞・口丹随想に「人権」について書いた思いとは・・・

2010-08-25 01:42:35 | マスコミ出演
今日24日付けの京都新聞・丹波版「口丹随想」に私はっちんの記事が掲載された。
今回の投稿で3度目となる口丹随想だが、記事のテーマとして書いたのは「人権問題」

今年PTAの会長を務めて以来、各団体の人権啓発活動や研修会に参加する機会を頂いたことで、
自分なりに考えたことや感じたことを書かせてもらった。
人権と一口にいってもさまざまな問題があるわけだが、勉強させて貰ううちに、
この問題を考えるにあたり、抑えておかなければならない最も大事な視点があることに気づいた。

それは、差別感や人権侵害などが生まれる問題の根が、他のどこかにあるのではなく、
自分自身の心に潜む「人には優劣がある」という思考が要因となっていることを
忘れていけないことだ。

そして、この思考が実は何の根拠もない幻想であるということを
認識するところから「人権・差別」の撲滅は始まるということだ。

まず、この認識の上に立って「人権」や「差別」を考え、語らなければならない。

「人間には優劣がある」という思考が今、あなたの心に存在するなら、いくら
こんな研修会や啓発活動をしても意味がないということを先ず、抑えておかねばならない。

確かに、どんな人の心にも、他人との比較において、優劣感や階級意識、序列を作り上げる心理が働くことは認めよう。
しかし、これを自己の自尊心として自分自身の中で認めているいるうちはいいが、この心が他者を蔑み、
自分より下位の存在と見なし、弱者として排除する理由にしたり、淘汰していく心理に発展することが
本当は差別への入り口になっていること。

とはいえ、そうは言っても「人間には間違いなく優劣はあるじゃないか?」という考え方に
立つ人も非常に多くおられることだろう。

だが、それは人としての優劣さと能力をごっちゃにした考えにほかならない。

なるほど、人の個人の能力に関しては優劣はある。
走ることの速さや手先の器用さ、物覚えのよさ、体力、感受性、音楽の才能など。
私たちが持っている多くの能力のひとつひとつにおいては確かに優劣がある。
しかし、このことは、人ひとりひとりの存在としての優劣ではない。
ある人はこの点では優れていても、他の点においては不得手である。
また、この人は、違う能力に優れているだけのことで、人という存在自体には、
すべてにおいて優れた人とか、劣って人など存在しない。これが事実だ。

例えば偏差値が高い人が全てに優れた人か?偏差値は高いが、大工の経験がない人に
釘を打たせたら、釘一つ満足に打てない場合もある。一体どっちが優れているのか?
人間には優劣がない。人間はみな平等なる存在であるということ。

また、障害者差別なども、生命の進化の歴史をたどって考えれば、おかしな心理だ。
生命の進化学会によると、魚が虫になり、虫が鳥になり、鳥が畜類になり、
畜類が猿になり、人間にまで進化したといわれる。
この進化の過程で、魚が優等な魚ばっかりなら、この世は魚ばっかりになっていたそうだ。
魚におかしな種類のものが生まれ、虫になった。これが変異の進化である。
すなわち、虫は魚に奇形児、虫の奇形児は鳥、猿の奇形児は人間ということになる。
自分たち人間が奇形の産物であるにも関わらず、障害をある人を差別するのは
生物学的にも、これほど滑稽なことはない。

現在の生命科学の研究でも、地球上の生物の起源は「ダーウィン」の唱えた「個」から
始まったのではなく、「種」として発生したものであるという説が有力視されている。
つまり生命は個別に誕生したのではなく、種としてたくさん生まれたという説だ。
この視点に立てば、個と種は、二にして一なるもの。
個人が全人類50億であり、全人類が私でもあるというつながりで成り立つ。

我々は発想の転換、価値観の転換が何より必要で、この実践なしに
「差別なき、誰もが幸せに生きる」という理想は確立されない。
ましてや、この平等の精神を信じられない者がいくら「人権保護」「差別をなくそう」「いじめをなくそう」と
言葉だけの掛け声を連呼しても現実の問題になんら肉薄していかないだろう。

この世の中はいろんな人がいて成り立っている。自分だけが、あるいは自分だけの家族が
孤立して存在しているのではない。我が家だけよければいのではないはずだ。

そしてなにより、生きるということはどういうことか?

自分という人間は自分ひとりの『力』で生きているという傲慢な考え方ではなく、
自然や他の生き物、まわりの人たちに「生かされている」という現実を見極め、
認識することからはじめなくてはならない。
この生きていること=生かされているという認識の上に立ってこそはじめて、
人の尊厳ある生き方を守ることができると思うのだ。

生産性の優劣や文明の高低など、人がいま、ここに生かれているという絶対の尊厳に
比べれば、すべて誤差の範囲にしか過ぎない。

人は皆、その一つしかない絶対の人生を、必然の道として、尊厳ある人生を堂々と生きているのだ。

「人権」や「差別」「平等」を確立していくには、このことを我々ひとりひとりが、
自ら胸に問いかけ、ひたすら実践していくことしかないと思っているのだ。


昨日は「おいしい~」市PTA本部会議。

2010-08-23 19:24:09 | PTA活動関連
まだまだ残暑厳しい日は続いております。

この暑さ、噂では「9月中旬まで」続くとのこと。

一昨日は、私がPTA会長を務める中学校の生徒さんが
熱中症で病院に運ばれる事態が発生し、お騒がせいたしましたが、
幸いなことに皆さん軽症ということで、大事に至らず安堵している次第です。
お互いに、体にはくれぐれも注意していきたいものです。

さて、昨夜は亀岡市PTA連絡協議会の本部会議を行いました。
こんな暑くでハードな毎日、仕事にPTA活動に頑張ってくださっている
本部役員の皆さまです。今回は通常の会議ではなく、納涼会も兼ねて
食事をしながらの会議を提案させていただきました。

場所は馬堀駅前にある亀岡牛ステーキが専門の「牛楽」さん。

今年度の本部役員も、3月末の引き継ぎから今日まで、力を合わせて
数々の行事や公務を進めてきましたが、一応、年度の折り返し点であり、また
あと一週間で夏休みも終わり2学期が始まることから、慰労と親睦を兼ねた
本部会議です。

今年度の市PTA最大のイベント「研究大会」についての実施計画案のまとめや
9月に実施される「京都府家庭教育研修会in亀岡」の説明などを約一時間ほど
協議したのですが、おいしそうな料理を目の前にした会議は進行が早い!

「ちゃっちゃあと決めて、早くお料理をいただきましょう!」とばかりに、
スムーズな審議進行となりました。でも、審議内容には手抜きはなし。

多くの会員さんに興味を持って貰える研究テーマと講師の先生をご用意させて
いただけると思っています。


さてさて、会議のあとは「亀岡牛」です!

今日は、特製のホルモンを使用した「もつ鍋」

こんな暑い時にもつ鍋?というなかれ。

暑い時は冷たいものを取り過ぎて、胃が弱っているもの。

こんな時こそ、暑い~ものが体に一番いいのです!

役員の皆さん、和気あいあいに歓談しながらおいしい料理とお酒に舌鼓。

気が付けば時計は午前0時前・・・

話も尽きませんが、皆さん明日もお仕事です。

なぜか?「年度終わりには役員皆で、沖縄旅行へ行こう!」という結論に達して、
今月の本部会議はここでお開きと致しました。

自分でいうのもなんですが、今年度の市PTA本部は本当にチームワークいいと思います。

この調子であと、半期、各種行事が目白押しとなって参りますが、
亀岡市の子どもと親のよりより教育環境をつくる為
役員一同、知恵をしぼり、力を合わせて、汗を流していきたいと思う次第です。

お盆に七夕? 堀川の「京の七夕」へ行ってきました。

2010-08-21 21:33:56 | 京都情報
本当に暑かった今年のお盆。

保津川下りは今年も盛況で、心身ともにハードなお盆となりましたが、
何はともあれ、無事に終えられたことを安堵するとともに、この暑い最中、
保津川までお越し下さった皆さまに感謝申しあげます。

さてさて、そんなハードなお盆シーズンを過ごしていた私ですが、
京都ではこのシーズンにあわせて、新旧入り混じった様々なイベントが
開催されていました。

新たな京の夏の風物詩として今年から開催されてのが「京の七夕」です。
期間は8月6日から15日までの10日間。

8月のお盆に七夕?と思われる方も多いことと思いますが、実は旧暦では
この時期が「七夕」にあたるそうです。

さあ、それを活かさない手はない!と祭イベントを作り上げてしまうところが
京都伝統のパーワの凄さと奥深さです。
祇園祭から五山の送り火までの間、静かになる京都を盛り上げる為、
行政はもちろん、産業、宗教、学術界から地域住民までの
「オール京都」体制で始まった「真夏の光りイベント」、それが京の七夕なのです。

会場となるのは二条城前を流れる「堀川」とご存知「鴨川」の2会場。

私は先頃「清流」が復活した「堀川会場」へ行って参りました。


開始時刻30分前である18時30分前に堀川に着いた頃には、もうライトアップを待つ
人たちで川辺の遊歩道はごった返していました。


あたりが薄暗くなってきた19時ジャストにライトアップが開始されると
多くの観光客から大きな歓声が上がりました。
川の両岸に飾られた「願い七夕」の笹飾りが灯りに照らされて黄金色に輝き、
子どもたちが書いた願いの短冊も眩しく光り輝きます。


歩行者は堀川を上流へ向かう北行き一方通行で進みます。
笹飾りを抜けると「竹と光のアート」が展示されていました。
テーマを決め全国から募集した作品集は、作家及び市内芸術系の学生により製作されました。


日が落ち、あたりがすっかり暗くなると堀川の清流にLEDを内蔵した「いのり星」という
球体が無数、放流されて川に光りの流れが演出されます。


西陣織の産業地である上京区を流れる堀川では、過って「友禅流し」も盛んであったことから、
同イベントでは「七色の光り」による「友禅流し」が出現し、時間差で様々の色に変化し
鮮やかで彩り豊かな演出で、訪れた人の目を楽しませていました。


そして京の七夕・堀川会場のメイン、「光りの天の川」です。

堀川の流れを竹による巨大なアーチで囲い、LEDにより光り輝く「天の川」が出現しました!
川の水面には青く光る「いのり玉」が流れ、私たちを「光り」の幻想空間へと誘います。
見上げるアーチのモニュメントに浮かび上がる「天の川」は彦星と織姫が一年一度、出会うことが
できるロマンチックな伝説を際立たせ、想像力をかき立てるに十分な演習がされていました。

日本最古の人工河川である堀川は平安京造営時は資材運搬に重要な役割を果たし、中世には保津川を流れてきた
材木を洛中の材木市まで運ぶ運河として多彩な機能を有していた川だったが、近年、都市化の波を受け、
水源を絶たれて「枯れ川」になっており、また主要道路整備の為、暗渠化するなど、京都では「忘れられた川」
となっていました。

その堀川に再び清流を甦らせ、この様なビックイベントの会場として観光活用し、
都市部ど真ん中を流れる川を親水性の高い水辺空間としてにぎわいまで取り戻し
演出してしまうとは、まさに「京都、恐るべし!」です。

自然環境に恵まれながらも、その水辺空間を活かしきれていない保津川も、
川とのふれあいに対する住民の情熱や活かす発想などなど、見習うべき要素が、
この堀川にはたくさんあるのではないか?
そんなことを強く感じながら、蒸し暑い京都の夜を堪能してきた次第であります。


堀川は陰陽師・安部清明が十二神将の化身・式神を隠していた「一条戻り橋」
が架かっている川として有名でもあります。




‘汝、我と共に生き、我、汝と共に死す’ 先輩船頭S氏に捧ぐ。

2010-08-20 15:58:17 | 船頭
今日、先輩船頭のS氏が、あの世へ旅立った。

50を前にした道半ばでの旅立ちであった。
私の二年先輩であり、保津川下りがはじめて世襲制をやめ、一般公募による入社組だった氏。

すべてにおいて豪放で親分肌だった氏。
その面倒見のよさで、多くの後輩船頭に慕われ愛される存在であった。
時には我がままや皮肉っぽさから、ハラハラさせられるところもあったが、
それは氏の茶目っ気と優しさに消され、いつも周りの人を陽気にさせる明るさを持つ人だった。

私も入社当時は仕事の厳しさや遊びに付き合う大変さを存分に教えて貰った。
海、川を問わず釣りを好んだ氏とは、生涯最初で最後の船を出しての鯛とイカ釣りにも連れて行って貰った。
船酔いが酷くなり、何とか吊り上げた鯛を、釣り針から外すこともできない私に
「何しとんねん!情けない奴やな~」と笑いながら捌いてくれたことも楽しい思い出だ。

ところが、何としたことか、突然の病に侵され、約4ヶ月という闘病生活を余儀なくされた氏。、
船頭で鍛えた肉体と不屈の闘志と、親類や友人、同僚たちの限りない深い愛情に包まれ、
堂々と生を貫きと通す姿に、これまでと同様、再び保津川へ凱旋するものだと信じて疑わなかった。

しかし、与えられた寿命とでもいおうか、安らかに旅立っていかれた。

まだまだ道半ばで旅立ち。誠に悲しく残念なことではあるが、氏の凄まじい闘病と戦う堂々とした
姿は、見る者にどれだけ生きることへの勇気と情熱を与えたことか。
また、見守る者への愛情といたわりをかけていたことか。
氏の50年の人生は間違いなく価値のあるものだったと確信をもって氏の御霊に、
心からのお礼を申しあげる次第だ。

子どもの頃から身近な人の死を体験してきた私は、親から
「死ぬということは、古い着物を脱ぎ捨てて新しい着物に着替えるようなもの」
と教えられてきた。
この古き肉体は、創造の神からのかりものであり、魂は無限に生き続けるものと。
死ぬことは、かりものの肉体をお返しすることで、故に死は永遠の別れではない。
死は終局を意味しないのだ。氏の肉体は果てても、氏の魂はどこへも行かず、
新しいかりものの肉体を借りて再びこの世に生まれくると信じる。

私たちが、今、ここに存在する為には約10億年の昔から、魚から虫、鳥に畜類、猿から人へ
と滔々と流れてきた「いのちの大河」といえる生命の進化の歴史がある。
このいのちの大河を支えてきたものは、まぎれもなく多くの生命の死である。
多くの生命の死ぬことにより、生まれかわり、出変わりして、今、ここに私がいる。

いのちの死が、新たないのちの生を支えている。

死こそ生そのもの。死は決して孤独な別れではない。
氏は若くして私たちの前から姿を消しましたが、決して孤独ではない。
氏は一人ぼっちで死んでいったのではない。
氏を知る私たちひとり一人は氏と共に死んで、氏と共に生まれ変わる。
私たちもまた、ひとりぼっちではない。
私が知っている氏はどこかへ行ってしまったのではなく、永遠に、常に私と共にあるのだ。

私たちは生や死を超えて、常に氏と共にのみ存在しており、氏は、氏の生や死にかかわらず、
常に私たちと共にのみ存在している。
これが、実在すること、すなわち生きること死ぬことの絶対の事実なのだ。

この「いのちの大河」を氏の見事な竿さばきなら、なんなく流し切り、
また再び邂逅できる日を楽しみに待つことにしよう。

生前の氏のこと、こんな事を書いたら「なに、訳のわからんこと言っとんねん!」とまた、馬鹿にされそうだが、

‘汝我と共に生き、我、汝と共に死す’

我が生涯の師から教授していただいた、この‘言葉’を捧げ、
優しかった氏の御霊に、私たちの真実の愛情と感謝を謹んで申しあげる次第である。



今日はお盆中日、がんばるぞ~

2010-08-14 08:44:10 | 船頭
さてさて、お盆です。


皆さん、里帰りや旅行にと予定を立ててお出かけという方も多い事でしょう。


保津川下りも今日はお盆の中日。

毎年、この夏一番の混雑が予想される日です。


私たち船頭も今日は保津川を三回は下らなくてはならない日。


朝早くにもかかわらず、もう乗船場には全国いや世界から多くのお客様が来られています。


安全で楽しい川下りを提供でするべく、力の限り頑張ってきます。

今日、保津川下りが出航します!

2010-08-13 08:45:43 | 船頭
台風通過により、昨日運休していた保津川下りは今日、運行を再開致します。


今日は雨による河川水量の増加により、この時期には珍しいド迫力の川下りが楽しめますよ!

暑い毎日です。
澄んだ空気、美しい渓谷の景色を堪能しながら、豪快な水しぶきを体いっぱいに浴びて、涼んでみてはいかがでしょうか!

台風が接近、保津川下りのお盆が危ない!

2010-08-11 22:04:28 | 船頭
明日からお盆休みに入る方も多いと思います。

さあ、この休みを利用してどこかへ遊びに行こうかと考えておられる方、
またレジャーの予定を立てられている方も多いこと思います。

が、こんな時期に「台風」が本州に接近するという!
神さまもなんて無慈悲なことをされるのでしょうか・・・

天気予報によると明日の早朝から激しい雨が降る事が予想されることから
我々、保津川下りでも、この台風による河川増水などに対し、
高レベルの警戒体制を強めているところです。

我々が最も心配しているの台風通過後の河川水量です。

台風は2~3時間で通り過ぎていきますが、雨による河川増水は2~3日後も
影響をおよぼすことが多く、川下りの営業に支障をきたすのです。

しかも、2~3日後といえばお盆シーズンのど真ん中、この夏一番の書入れ時であります。
河川増水による運休中止などになれば、我々にとってのダメージも計り知れません。

なにもこんな時期に台風が来なくていいのに・・・というのが本音といったところです。

あとは、天気予報を気にしながら「天に祈る」しかなさそうです。

「自然とともに生きる」とは、けして恰好いいものではなく、
厳しさをともなうことも忘れてはいけないのです。

気象庁から「大雨洪水」または「強風波浪」警報が発令されれば
「保津川下り」は運休となります。くれぐれも天気情報にご注意ください。

突然の「大雨洪水警報」発令!保津川下りも緊急運休に。

2010-08-10 23:50:32 | 船頭
お盆シーズンが近づくにつれ、保津川下りにも家族連れやカップルのお客様が
増え始め、いよいよ夏本番、来客数にもエンジンがかかり始めた!と思った矢先・・・
なんと地元亀岡に「大雨洪水警報」が発令され、舟の運航は緊急中止へ。

午後3時前、途切れることなく訪れるお客様にお断りを入れ、運休の報告。

遠くから保津川下りに乗ることを楽しみに来られたお客様も少なくなく、
自然現象が原因のこととはいえ、誠に申しわけない気持ちでいっぱいです。

結局、警報は出されたものの、心配された大雨や突風もなく、しばらく雨が
しとしとと降るのみだったことは、とりあえずよかったと思っていますが・・・

明日以降、台風4号が日本本州へ近づき、雨、風などにより、舟の運航に
影響がでるのではないかと心配しております。

12日の午後3時頃が近畿地方に一番接近するらしいのですが、
台風がもたらす豪雨による河川の増水が一番の心配事項です。
なんといっても、我々にとってはこれからが夏一番の繁忙期。
今後の台風の進路に対し、非常に憂慮しているところです。

昨年もこの時期、大雨に祟られ、お盆シーズンの前半を運休せざる終えない
事態に見舞われたこともあり、2年連続のお盆運休はご勘弁いただきたく思います。


今年は梅雨時期から例年にない降雨量に達しています。

こう毎年、局地的な集中豪雨や長雨が続くと、もはや異常気象とは呼べず、
この気候がこれからの日本のスタイルになるのでしょうか。

自然とともに生きる我々にとって、けして楽観視できない時代になってきたと感じる今日この頃です。