保津川下りの船頭さん

うわさの船頭「はっちん」が保津川下りの最新情報や、京都・亀岡の観光案内など、とっておきの情報をお届けします。

乃木坂46のメンバーが保津川下りを体験!

2018-05-25 17:29:29 | 映画・芸能界
人気アイドルの乃木坂46のメンバーさんが、保津川下りにお越しなった時の写真です。

撮影の段どり等で彼女たちとお話をしましたが、言葉つかいも丁寧で礼儀正しく、
受け答えもしっかりしている若者たちで、とても好感をもちました。

さすがはソニーエンターテインメント!教育されていますね。

思わず保津川下り船頭帆布カバンなどグッズをおみやげとしてプレゼントしました。

この保津川下りの模様は彼女たちの新曲「シンクロニシティ」のCDに入っています。

YouTubeにもUPされているかも?ご覧いただければ幸いです。

桂川(保津川)にあった、もうひとつの川船

2018-05-24 10:41:51 | 角倉プロジェクト・世界遺産事業
貴重な資料を発見しました!

保津川の支流・清滝川を流す船下りの写真です。

数人のお客様を乗せ、直角に近い狭い岩間を、
棹さし二人の体制で、押し流しすり抜けています。

これはかなり高度な操船技術ですね。

私が京都大学の研究で、清滝川の川船の存在を調査するまでは
その存在すら否定されていた清滝川下り。

この写真は大正末期~昭和初期の観光冊子に掲載されていたもので
「愛宕嵐峡下り」という名で紹介されています。

愛宕信仰の参詣者で賑わった嵯峨清滝の旅館・料亭の下を着船場として出航していた清滝川下り。

保津川同様、大堰川の水運史にしっかりと組み込んで桂川(大堰川)流域の川船
として水運文化を掘り起こしていきたいです。

愛宕山麓集落群を川、山、人のネットワーク化で構想構築していければ素晴らしい!

明治の少年雑誌に「角倉了以伝」を発見!

2018-05-20 12:02:30 | 角倉プロジェクト・世界遺産事業
明治30年に発行された少年雑誌「少年世界」に角倉了以伝が掲載されています。

「治水長者」と題した物語は、了以の生い立ちから安南国(今のベトナム)貿易や
大堰川、富士川、天竜川、高瀬川の開削と通船のことまで、
時系列にエピソードなどを加えて、かなり詳しく書かれています。

「保津川下りとして、興ある舟遊びを賃し、酒肴など載せ、
急流を追って嵯峨に下ることにおいて、誠に壮絶、快絶の遊びなり~
この舟遊び格別の値ありと云えば、四季折々忘れられぬ所と云はまし、
這も亦了以が富年の恵みうかし。」との記述も!了以の功績が、
今も多く人の生活を支え、訪れる人には癒しを与えているかも。

と紹介されています。

しかし、こんな難しい文章を明治時代の子供達が読んでいたことには驚かされます。

明らかに明治期~昭和初期にかけての国民の日本語力の高さを痛感する少年雑誌です。

荒波の海に繰り出し、外国を相手に貿易をする冒険心と激流の川の開削に挑む開拓心、
そして、、何より卓越したビジネスセンスの高さを、子供心に響くように
描かれている本です。

財代は移り変わっても「偉人に憧れる心を養うことは未来をつくることだ」
強く感じる了以伝でした。

船頭の里・保津町に残る京都相撲の足跡。

2018-05-19 11:44:07 | シリーズ・京都を歩く
昔、京都相撲というものがあり、力士集団も存在したことを知る人は、
京都人でも少ないのではないでしょうか?

江戸時代が始まると京都や江戸、大坂で都市の開発が進み、
その資金調達のために相撲興行が盛んに開かれました。

それに伴い各地に力士を職業とする者が生まれ、江戸、京都、大坂の相撲興行を
渡り歩いていたそうです。

「船頭の村・保津」にも江戸時代の力士・嵐山仁兵衛が住んでいた跡が残っています。

江戸時代のアイドル的存在であった力士たちでしたが、維新後、天皇が江戸に遷られ、
相撲の中心は東京へ一極集中します。

それにつられ、有望力士が東京、大阪へ流出したので、
スター不在となった京都相撲は単独興行が難しくなります。

さらに興行側に侠客が入り込み出し、やがて姿を消していきました。
ちなみに明治の伝説の任侠「いろは幸太郎」なども
京都相撲で名を届かせた後に、任侠の世界に入っています。

京都相撲華やかなりし頃の力士が住んだ家の跡には、
しこ名を刻んだ石碑がひっそり立ち、保津川の流れを見守っています

保津峡de大お茶会!THE KYOTOなイベント!

2018-05-16 10:41:55 | インバウンド
昨日はディープな京都ツアーで有名な「まいまい京都さん」と
「 NPO法人プロジェクト保津川」のコラボイベント
「保津峡de大茶会」の開催日でした。

400年の伝統の舟に乗り保津川の美化活動をしながら、皇室の方も食されるという京懐石と
京都を代表する和菓子の八ッ橋で、保津峡の中でお茶会。
まさに「THE KYOTO!」なイベントです。

当日は生憎の雨模様の中、イベントの2本柱であった「川のお掃除」は中止になりましたが、
もう1本の柱である「お茶会」は、弊社がラフティング事業でお借りしている
保津峡の茶店「丸源」さんの川床に、急きょ場所を移して開催していただきました。


雨足が激しくなる中、京懐石雅さんの鮎寿司と聖護院八ツ橋さんの特製nikinikiの茶菓子を
ご用意いただき、峡谷のど真ん中での「お茶席」にご参加いただきました。

カッパの船頭さんと保津川の流れをモチーフに作って下さっている聖護院八ツ橋さんの特製nikiniki。

今回は船頭傘を新たに被っての登場。本当にかわいいです!


最後は豪雨となった保津峡でしたが、ご参加いただきました皆様ならびに
まいまい京都さんと聖護院八ツ橋さん、京懐石雅さん、
そしてプロジェクト保津川のスタッフの皆さまと
保津川遊船エコグリーン委員会のメンバーに感謝申し上げます。

明日13日KBS京都テレビに保津川下りが紹介されます。

2018-05-12 07:40:23 | 保津川下り案内
やっと、歴史と文化に焦点をあて保津川下りを紹介していただける番組に巡り会えました。

明日13日午後9時からのKBS京都テレビ「京都浪漫 悠久の物語」です。

保津川下りと嵯峨野トロッコ列車が紹介されます。
1200年、流通の要衝だった保津峡で、時代の変化を乗り越えた2つの物語。

産業構造が大きく変わる時、伝統の生業を守るために挑戦した人々の物語です。

ただの観光地ではなく、産業遺産が今も現存する保津峡の精神。

ここは日本の遺産にふさわしい在地の知恵が息づいています。
ぜひ、ご覧ください。

KBS京都テレビ 午後9時~「京都浪漫 悠久の物語」
第4回新緑の嵐山・保津峡~トロッコ列車と保津川下り

古代よりの暴れ川「桂川」と先人の知恵と信念

2018-05-02 12:49:43 | シリーズ・京都を歩く
さて、明日からGW後半の4連休なのですが・・・

なんと、今日の午後以降から雨が降る模様。

予報通りだと、河川増水による運休になる事態もありです。

古代より暴れ川で名高い「桂川」一度暴れ出すと、後始末が大変です。

この川が氾濫を起こすたびに私は、古代にこの川を制する為に挑んだ秦氏の苦悩に思いを馳せます。

4世紀末から5世紀初期にかけて桂川流域の嵯峨の地に移住した秦氏は、
膨大な費用と最先端の土木技術を有し、京都で初めての大規模河川工事を手掛けました。

その工法については詳しい記録資料は乏しいのですが、その目的は明確です。

秦氏の祖先である秦の昭王の故事にならい、河川に堰を作り、
分離型の水路を掘って嵯峨の地に広大な農地を開拓したのでした。

人の英知と信念が、京都で初めての大規模な川の利水に成功し、文明を築きいたのです。

その堰は嵐山渡月橋上流にある「一の井堰」として機能を現存しています。

川を制した嵐山の風景はその後、日本を代表する景勝地の風景を保ち、
世界中から訪れる観光客の目を楽しませているのです。

さて、私たちも川と戦ってきた先人の思いを我が心として引継ぎ、ひたすら川との関わりを続けていきます。