透き通る際な空と澄んだ清らかな川の流れ。
ここは京都亀岡の保津峡の入口・山本浜。
1881年(明治14年)にこの山本浜から、英国ビクトリア女王の孫であるアルバート・ビクターと弟ジョージ(のちのジョージ五世国王)が
保津川下りをされています。(英国皇孫接待一件から)
その後も1893年(明治26年)にオーストラリア皇太子フランツ・フェルディナントが
保津川下りを楽しんでいるなど、数々の海外VIPが好んで、この山本浜から保津川下りをされています。
彼らは、帰国すると未知の極東の国・日本について語り、また紀行記にまとめて紹介していますが、
必ずその中で、保津川下りについても言及され、美しい保津峡の景色とともに船頭の操船術を絶賛されており、
その様子を克明に記載されています!
あるVIPなどは「こんな高度な下船術と屈強な肉体と精神力を備えた保津川下りの船頭たちに遭遇し、
この小さな島国の海軍は必ず強力な軍になると確信する」と乗船体験から、
近代化を進める日本に対する印象として話されてさえいます!
西欧の人々の心に、強烈な印象を与えた保津川下り。
そして、ここが山本浜が、観光・保津川下りが始まった場所です!
そんな壮大な歴史の1ページを綴った山本浜は、
私たち水運を継承する者の聖なる浜なのです。
ここは京都亀岡の保津峡の入口・山本浜。
1881年(明治14年)にこの山本浜から、英国ビクトリア女王の孫であるアルバート・ビクターと弟ジョージ(のちのジョージ五世国王)が
保津川下りをされています。(英国皇孫接待一件から)
その後も1893年(明治26年)にオーストラリア皇太子フランツ・フェルディナントが
保津川下りを楽しんでいるなど、数々の海外VIPが好んで、この山本浜から保津川下りをされています。
彼らは、帰国すると未知の極東の国・日本について語り、また紀行記にまとめて紹介していますが、
必ずその中で、保津川下りについても言及され、美しい保津峡の景色とともに船頭の操船術を絶賛されており、
その様子を克明に記載されています!
あるVIPなどは「こんな高度な下船術と屈強な肉体と精神力を備えた保津川下りの船頭たちに遭遇し、
この小さな島国の海軍は必ず強力な軍になると確信する」と乗船体験から、
近代化を進める日本に対する印象として話されてさえいます!
西欧の人々の心に、強烈な印象を与えた保津川下り。
そして、ここが山本浜が、観光・保津川下りが始まった場所です!
そんな壮大な歴史の1ページを綴った山本浜は、
私たち水運を継承する者の聖なる浜なのです。
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