1939年6月のある日、天候が悪く、筑波海軍航空隊教官の林冨士夫は実技指導を見合わせ、学生に舎内待機と自習を命じた。冨士夫自身は、専用個室で戦局悪化に思いをめぐらしていた。
ドアをノックする音が聞こえた。司令からの呼び出しであった。
飛行服を軍服に着替える間もあらばこそ、急ぎ1階の士官室に向かった。
士官室に集合したのは、航空司令の高次貫一大佐、飛行長の横山保少佐の隊のトップ2人をはじめ、飛行隊長の大尉、そして、その下に位置する戦闘機操縦教官だった。合計7人だったか8人だったか、冨士夫の記憶は定かではない。
全員が着席したところで司令が起立し、落ち着いた口調で話しはじめた。
戦局はまことに重大な局面に立ち至っている。第一、敵戦力が日に日に増強されているのに反し、わが方は兵力損耗に対してこれを補う余裕が既にない。第二、現在は南方からの油の輸送がままならない。今までどおりの戦闘や訓練を続けると仮定すれば、約2ヵ月で備蓄は枯渇する。第三、航空機製造に必要な資源、ジェラルミンの原料ボーキサイトの輸送も油同様に難儀となり、このままでは航空機が生産できなくなる。
司令はさらに話を続けた。敵に損害を与えなければ、敵はますます増強していく一方だ。搭乗員の養成、錬成にも燃料は必要であり、戦わずして燃料を消耗してしまう。燃料確保のために訓練を控えれば、練度は目に見えて落ちる。既に展開している味方の部隊は見殺しにするのか、という問題もある。
陰鬱な雰囲気が座を覆った。司令は本題に入った。
「兵力といい、燃料・航空機といい、八方塞がりとはまさにこのことである。このようににっちもさっちも行かぬ状況に対して、一つの提案があった。決戦用の新兵器である」
提案は、海軍の上層部からきた。新兵器とは・・・・「それは、一度出撃すれば生還が絶対不可能であるが、成功すれば正規空母はもとより、どのような大戦艦でも一隻撃沈確実というものである」
撃沈確実とは、敵機動部隊の包囲網を軽く突破する速力で到達できる、ということだ。戦艦を撃沈できるとは、1トンに近い爆弾の威力を持つことになるだろう。・・・・一瞬の間に、冨士夫はこれだけのことを考えた。生還は絶対不可能、という言葉には驚かなかった。海軍兵学校に入学して以来、死は覚悟していた。
決戦兵器なるものの一端を大佐は告げた。いっそこれに賭けてみよう、という意見も出が、「しかし、この決戦用の新兵器は、前代未聞の非人道的な兵器である。けして上からの命令で実施できるような性質(たち)のものではない。帝国海軍はもとより、古今東西の歴史を探しても、このような前例はどこにもない。過去に決死的作戦、決死隊があったにせよ、これらはうまくいけば生還できるものであったが、今回の決戦兵器は生還の公算は絶無である。この点が従来とまったく類を異にするものである。上命により実施することができないゆえんでもある」
では、なぜ自分たちが今、呼ばれているのか? 冨士夫はそう感じつつ、司令の次の言葉に耳を傾けた。
海軍上層部は、起死回生の妙案だから、非人道的ゆえをもって一概に捨て去ることはできなかった。堂々めぐりで結論は出なかった。苦慮を重ねた結果、まず搭乗員に意見を聞いてみよう、となった。「すなわち、完全なる自由意志でこの決戦兵器を志願する者があり、しかもそれが一個部隊を編成するに足るものであれば、この兵器の研究開発を進める。志願者がいないか、または仮にあったとしても、それが一個部隊の編成に満たないような場合は廃案にしようということになったのである。諸君の意見を聞くために参集を願った次第である」
飛行長が補足説明を行った。一度に全国的に募集するのは大変だから、試しに一部の搭乗員から希望を聞き、それでもって全国的な数字を推計しようということだ。全国で一個部隊編成するには、諸君のうちで2人以上志願者があった場合に可能だ。
飛行長は、念を押した。「これを志願したから勇気があるとか、志願しなかったから卑怯であるとか、そのような区別、差別はまったくございません。(中略)私たちは皆一様に、戦闘機が好きでたまらず、念願かなってパイロットになったわけであります。今さら他の飛行機に乗り換えられるか、という意見もあるでしょう。それはそれで良いと思います。要は完全なる自由意志でいずれを希望されるかということであります」
司令がふたたび立ち上がった。「3日間の余裕を与えるので、考え得るすべてのことを十二分に考慮し、その上で決断して欲しい」
これを受けて、飛行長がまた起立し、説明した。決心がついたら、結果を飛行隊長室にて投票されたし。これより3日間は隊長室を空けておく・・・・。
解散となり、教官たちが士官室を出ようとしたとき、「待て」の言葉があった。飛行隊長だった。その周囲に教官が集まった。飛行隊長は言った。
「どちらも立派な御奉公というお話ではあったが、このような場合、率先して志願するのは、やはりわれわれのような兵学校出身の士官、兵を指揮する者でなければならないと俺は思う。われわれが志願せずに、予備学生や予科練の出身者だけが志願したとしたら、帝国海軍を引っ張ってきた江田島の伝統や誇りはどうなるかを考えてもらいたい。これだけは忘れないで欲しい」
「決戦兵器を選択せよ、という強制的な言葉であった」と小林照幸は注記する。
事実、冨士夫は高揚した気持ちが萎えた。「確かに、予備学生や予科練の出身者が志願しながら、指揮者たる士官が志願しないというのは『弱虫め』という批判を受けても仕方ない。とはいえ、現時点では、決戦兵器を志願するかしないかは三日間、自らを熟慮して決断せよ、という話ではなかったか」
それでは話が違うじゃないか、ならば飛行隊長が率先して志願すればよいことじゃないか。
「腹ただしい気持ちが収まらない中、個室に戻る階段に上がるとき、頭上から、/「今さら、戦闘機もやめられんしなあ」/という声が耳に入ってきた。/はからずも、それぞれの意見を耳に入れてしまったことで、冨士夫の気持ちは揺れ出した。後に『人生最長の3日間』と名付けた時間が今、始まろうとしていた」
*
以上、「第2章 人間爆弾訓練」に拠る。
ここでいう決戦兵器は、「桜花」である。冨士夫は結局「志願」するのだが、戦争を生き延びて、2009年には特別養護老人ホームに入所した。
大岡昇平は『レイテ戦記』第10章「神風」でこう書く。
太平洋戦争末期には、「出撃はほとんど死を意味した。三度は帰還しても、四度目には撃墜されるのである。しかし生還の確率零という事態を自ら選ぶことを強いられる時、人は別の一線を越える。質的に違った世界に入るのである」
「口では必勝の信念を唱えながら、この段階では、日本の勝利を信じている職業軍人は一人もいなかった。ただ一勝を博してから、和平交渉に入るという、戦略の仮面をかぶった面子の意識に動かされていただけであった。しかも悠久の大義の美名の下に、若者に無益な死を強いたところに、神風特攻の最も醜悪な部分があると思われる」
【参考】小林照幸『父は、特攻を命じた兵士だった。 -人間爆弾「桜花」とともに-』(岩波書店、2010)
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ドアをノックする音が聞こえた。司令からの呼び出しであった。
飛行服を軍服に着替える間もあらばこそ、急ぎ1階の士官室に向かった。
士官室に集合したのは、航空司令の高次貫一大佐、飛行長の横山保少佐の隊のトップ2人をはじめ、飛行隊長の大尉、そして、その下に位置する戦闘機操縦教官だった。合計7人だったか8人だったか、冨士夫の記憶は定かではない。
全員が着席したところで司令が起立し、落ち着いた口調で話しはじめた。
戦局はまことに重大な局面に立ち至っている。第一、敵戦力が日に日に増強されているのに反し、わが方は兵力損耗に対してこれを補う余裕が既にない。第二、現在は南方からの油の輸送がままならない。今までどおりの戦闘や訓練を続けると仮定すれば、約2ヵ月で備蓄は枯渇する。第三、航空機製造に必要な資源、ジェラルミンの原料ボーキサイトの輸送も油同様に難儀となり、このままでは航空機が生産できなくなる。
司令はさらに話を続けた。敵に損害を与えなければ、敵はますます増強していく一方だ。搭乗員の養成、錬成にも燃料は必要であり、戦わずして燃料を消耗してしまう。燃料確保のために訓練を控えれば、練度は目に見えて落ちる。既に展開している味方の部隊は見殺しにするのか、という問題もある。
陰鬱な雰囲気が座を覆った。司令は本題に入った。
「兵力といい、燃料・航空機といい、八方塞がりとはまさにこのことである。このようににっちもさっちも行かぬ状況に対して、一つの提案があった。決戦用の新兵器である」
提案は、海軍の上層部からきた。新兵器とは・・・・「それは、一度出撃すれば生還が絶対不可能であるが、成功すれば正規空母はもとより、どのような大戦艦でも一隻撃沈確実というものである」
撃沈確実とは、敵機動部隊の包囲網を軽く突破する速力で到達できる、ということだ。戦艦を撃沈できるとは、1トンに近い爆弾の威力を持つことになるだろう。・・・・一瞬の間に、冨士夫はこれだけのことを考えた。生還は絶対不可能、という言葉には驚かなかった。海軍兵学校に入学して以来、死は覚悟していた。
決戦兵器なるものの一端を大佐は告げた。いっそこれに賭けてみよう、という意見も出が、「しかし、この決戦用の新兵器は、前代未聞の非人道的な兵器である。けして上からの命令で実施できるような性質(たち)のものではない。帝国海軍はもとより、古今東西の歴史を探しても、このような前例はどこにもない。過去に決死的作戦、決死隊があったにせよ、これらはうまくいけば生還できるものであったが、今回の決戦兵器は生還の公算は絶無である。この点が従来とまったく類を異にするものである。上命により実施することができないゆえんでもある」
では、なぜ自分たちが今、呼ばれているのか? 冨士夫はそう感じつつ、司令の次の言葉に耳を傾けた。
海軍上層部は、起死回生の妙案だから、非人道的ゆえをもって一概に捨て去ることはできなかった。堂々めぐりで結論は出なかった。苦慮を重ねた結果、まず搭乗員に意見を聞いてみよう、となった。「すなわち、完全なる自由意志でこの決戦兵器を志願する者があり、しかもそれが一個部隊を編成するに足るものであれば、この兵器の研究開発を進める。志願者がいないか、または仮にあったとしても、それが一個部隊の編成に満たないような場合は廃案にしようということになったのである。諸君の意見を聞くために参集を願った次第である」
飛行長が補足説明を行った。一度に全国的に募集するのは大変だから、試しに一部の搭乗員から希望を聞き、それでもって全国的な数字を推計しようということだ。全国で一個部隊編成するには、諸君のうちで2人以上志願者があった場合に可能だ。
飛行長は、念を押した。「これを志願したから勇気があるとか、志願しなかったから卑怯であるとか、そのような区別、差別はまったくございません。(中略)私たちは皆一様に、戦闘機が好きでたまらず、念願かなってパイロットになったわけであります。今さら他の飛行機に乗り換えられるか、という意見もあるでしょう。それはそれで良いと思います。要は完全なる自由意志でいずれを希望されるかということであります」
司令がふたたび立ち上がった。「3日間の余裕を与えるので、考え得るすべてのことを十二分に考慮し、その上で決断して欲しい」
これを受けて、飛行長がまた起立し、説明した。決心がついたら、結果を飛行隊長室にて投票されたし。これより3日間は隊長室を空けておく・・・・。
解散となり、教官たちが士官室を出ようとしたとき、「待て」の言葉があった。飛行隊長だった。その周囲に教官が集まった。飛行隊長は言った。
「どちらも立派な御奉公というお話ではあったが、このような場合、率先して志願するのは、やはりわれわれのような兵学校出身の士官、兵を指揮する者でなければならないと俺は思う。われわれが志願せずに、予備学生や予科練の出身者だけが志願したとしたら、帝国海軍を引っ張ってきた江田島の伝統や誇りはどうなるかを考えてもらいたい。これだけは忘れないで欲しい」
「決戦兵器を選択せよ、という強制的な言葉であった」と小林照幸は注記する。
事実、冨士夫は高揚した気持ちが萎えた。「確かに、予備学生や予科練の出身者が志願しながら、指揮者たる士官が志願しないというのは『弱虫め』という批判を受けても仕方ない。とはいえ、現時点では、決戦兵器を志願するかしないかは三日間、自らを熟慮して決断せよ、という話ではなかったか」
それでは話が違うじゃないか、ならば飛行隊長が率先して志願すればよいことじゃないか。
「腹ただしい気持ちが収まらない中、個室に戻る階段に上がるとき、頭上から、/「今さら、戦闘機もやめられんしなあ」/という声が耳に入ってきた。/はからずも、それぞれの意見を耳に入れてしまったことで、冨士夫の気持ちは揺れ出した。後に『人生最長の3日間』と名付けた時間が今、始まろうとしていた」
*
以上、「第2章 人間爆弾訓練」に拠る。
ここでいう決戦兵器は、「桜花」である。冨士夫は結局「志願」するのだが、戦争を生き延びて、2009年には特別養護老人ホームに入所した。
大岡昇平は『レイテ戦記』第10章「神風」でこう書く。
太平洋戦争末期には、「出撃はほとんど死を意味した。三度は帰還しても、四度目には撃墜されるのである。しかし生還の確率零という事態を自ら選ぶことを強いられる時、人は別の一線を越える。質的に違った世界に入るのである」
「口では必勝の信念を唱えながら、この段階では、日本の勝利を信じている職業軍人は一人もいなかった。ただ一勝を博してから、和平交渉に入るという、戦略の仮面をかぶった面子の意識に動かされていただけであった。しかも悠久の大義の美名の下に、若者に無益な死を強いたところに、神風特攻の最も醜悪な部分があると思われる」
【参考】小林照幸『父は、特攻を命じた兵士だった。 -人間爆弾「桜花」とともに-』(岩波書店、2010)
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