2010年12月27日、村木厚子内閣府政策統括官は国家賠償請求訴訟を起こした。国と大阪地検前特捜部長・大坪弘道被告を相手取って、約3,670万円の支払いを求めている。
この行為に違和感を覚える、と佐藤優はいう。以下、佐藤の議論の要旨。
*
精神的苦痛を被ったということで私怨を晴らす意味も込められているのだろう。しかし、村木が攻勢に出たことで、本人も弁護人も理解できていないだろうが、位相が変わった。しばらく時間を経たところで世論は村木叩きに転じると思う。
管理職は部下に対する監督責任を負っている。部下が不祥事を起こせば、当然上司の責任が問われる。偽造証明書を発行した上村勉係長(当時)は村木課長(当時)の部下だった。その監督責任を村木はどう考えているのか。その監督責任よりも、国家賠償という形で、国民が払った税金からお金を取ることのほうに理があると考えたわけだが、その心情はどのようなものか。
魚住昭『冤罪法廷』(講談社、2010)によれば、上村被告は「自分は能力がないくせにコミュニケーションを省いてしまう癖があるんです。相談するのが好きじゃないんです」と自己規定している。24歳で旧厚生省に入り、自分が無知であるというハンディを内心抱えていたが、なんとか勤めてきた。それが、障害保健部企画課社会参加推進室の係長を拝命し、「本当に自分でやれるのかどうか不安が大きくなった」 。上村は、入省してからシベリア抑留者の遺骨収集を担当した。この仕事は性に合っていた、と上村は述べている。それが、社会参加推進室に異動して、予算案を出し、国会答弁を考え、それを室長に見せる。そんな仕事の繰り返しの中でプレッシャーが重なった。心療内科に週1回通院するようになった。
そんな状態になっても放置していた職場環境にも問題がある。
また、上村と一対一で話した記憶がない、と村木は証言しているが、課長-係長という関係で部下と話をしない上司というのは、普通に考えて、いかがなものか。
対照的なのが、村木と企画課長補佐との関係だ。課長補佐の証言によれば、日に数回は情報のやりとりをしていた。直属の部下とはいえ、省内でこんなにやりとりするのは、一般的な官僚の仕事の仕方から考えると多すぎる。
上村と課長補佐への対応の違いをみて言えることは、メンタル面で問題を抱えてしまうような職員は視界に入らず、特定の職員とのみ意思の疎通を図る管理職、課全体への目配りが足りない管理職だ。こういうタイプの官僚が時々いることは確かだ。
そういう職場環境に置かれた上村は、孤立し、心に問題を抱えて、証明書偽造に手を染めていったのだ。
取材したところ、村木は「祭り上げられた存在で、実験を握っている人ではないなと感じましたね」と魚住はいう。
ただ、自己分析はよくできている、と佐藤は評価する。村木による上村への指示というストーリーで検事が取り調べる際、村木は分析する。<ひとつは、私はニセ団体だと思わず部下に流した。私と部下の思想が全く異なっていて、部下は全員『もう議員案件はやらなきゃいけないもんだ』と思う文化を持っていて・・・・>
厚生労働省の文化は、この発言に近いものだろう。それを傍証するのは、当時村木の上司だった塩田幸雄の証言だ。国会議員からお礼をもらったことはある、酒や商品券を業界の人からもらった、云々。「よくないことだと思いました」と違法性認識を持ってはいる。そのとおりで、これは賄賂だ。塩田だけが特異な文化の持ち主とは言えまい。
村木の自己分析の二点目。<私が気付いていないところで、私が非常に部下の恨みを買っていて>、それが原因で自分を罪に陥れようとしていると。部下から怨まれていなかったと思っているらしいが、そう言いきれるか。そうでなければ、メンタル面で問題を抱えている人であっても、証明書偽造の指示をしなかった人を陥れる証言をするだろうか。
三点目。<私が二重人格で、悪い人格が出たときに、そういう指示を出して、よい人格の自分の戻ったときはそのことについて記憶がない>・・・・自分に都合のいいものだけが記憶に残り、悪いものは残らない。職務においてもえり好みして面倒くさいことには触らない。程度の差はあれ、こういう人は職場にいる。
国家賠償請求訴訟によって、これまで目に見えなかった厚生労働官僚の利害関心が目に見えるようになった。
郵便不正事件(凛の会事件)の裁判進行中には、検察官僚が厚生労働官僚に攻勢をかけていた。特捜神話が崩壊し、検察官僚が弱ったところに攻勢労働官僚が逆襲してきた、という構図だ。
戦前、国家公務員や軍人は自発的に国家機関に属したという理由で、人権は認められなかった。国家と一体化した存在だ、という解釈だ。特別権力関係だ。戦後は、人権のごく一部が合理的な範囲においてのみ規制される「特別の公法関係」に変わった。国家権力の恣意的な動きを防ぐのが目的だ。戦後内務省は解体されたとはいえ、官僚組織はその基本的骨格が温存され、国家の利益を体現する存在であることに変わりはない。
起訴された村木が(事件に直接関与していない以上)徹底抗戦するのは当然だ。ところが、国家賠償請求訴訟が意味することは何か。村木は現職官僚だ。むろん、村木個人として国家に賠償を求める権利はある。「でも、ここで重要なのは、権利は放棄できるということなんですよ」
冤罪が証明された厚生労働官僚が、なお国を相手取って賠償金を請求する。そう決心した時、村木の目に映っていたものを想像してみる。この人が長い間身を置いていた組織の文化にある「社会通念とは異なるもの」が、浮かび上がってくる。
【参考】佐藤優(語り手)/魚住昭(聞き手)「ラスプーチンかく語りき 68」(「一冊の本」、2011年2月号)
↓クリック、プリーズ。↓
この行為に違和感を覚える、と佐藤優はいう。以下、佐藤の議論の要旨。
*
精神的苦痛を被ったということで私怨を晴らす意味も込められているのだろう。しかし、村木が攻勢に出たことで、本人も弁護人も理解できていないだろうが、位相が変わった。しばらく時間を経たところで世論は村木叩きに転じると思う。
管理職は部下に対する監督責任を負っている。部下が不祥事を起こせば、当然上司の責任が問われる。偽造証明書を発行した上村勉係長(当時)は村木課長(当時)の部下だった。その監督責任を村木はどう考えているのか。その監督責任よりも、国家賠償という形で、国民が払った税金からお金を取ることのほうに理があると考えたわけだが、その心情はどのようなものか。
魚住昭『冤罪法廷』(講談社、2010)によれば、上村被告は「自分は能力がないくせにコミュニケーションを省いてしまう癖があるんです。相談するのが好きじゃないんです」と自己規定している。24歳で旧厚生省に入り、自分が無知であるというハンディを内心抱えていたが、なんとか勤めてきた。それが、障害保健部企画課社会参加推進室の係長を拝命し、「本当に自分でやれるのかどうか不安が大きくなった」 。上村は、入省してからシベリア抑留者の遺骨収集を担当した。この仕事は性に合っていた、と上村は述べている。それが、社会参加推進室に異動して、予算案を出し、国会答弁を考え、それを室長に見せる。そんな仕事の繰り返しの中でプレッシャーが重なった。心療内科に週1回通院するようになった。
そんな状態になっても放置していた職場環境にも問題がある。
また、上村と一対一で話した記憶がない、と村木は証言しているが、課長-係長という関係で部下と話をしない上司というのは、普通に考えて、いかがなものか。
対照的なのが、村木と企画課長補佐との関係だ。課長補佐の証言によれば、日に数回は情報のやりとりをしていた。直属の部下とはいえ、省内でこんなにやりとりするのは、一般的な官僚の仕事の仕方から考えると多すぎる。
上村と課長補佐への対応の違いをみて言えることは、メンタル面で問題を抱えてしまうような職員は視界に入らず、特定の職員とのみ意思の疎通を図る管理職、課全体への目配りが足りない管理職だ。こういうタイプの官僚が時々いることは確かだ。
そういう職場環境に置かれた上村は、孤立し、心に問題を抱えて、証明書偽造に手を染めていったのだ。
取材したところ、村木は「祭り上げられた存在で、実験を握っている人ではないなと感じましたね」と魚住はいう。
ただ、自己分析はよくできている、と佐藤は評価する。村木による上村への指示というストーリーで検事が取り調べる際、村木は分析する。<ひとつは、私はニセ団体だと思わず部下に流した。私と部下の思想が全く異なっていて、部下は全員『もう議員案件はやらなきゃいけないもんだ』と思う文化を持っていて・・・・>
厚生労働省の文化は、この発言に近いものだろう。それを傍証するのは、当時村木の上司だった塩田幸雄の証言だ。国会議員からお礼をもらったことはある、酒や商品券を業界の人からもらった、云々。「よくないことだと思いました」と違法性認識を持ってはいる。そのとおりで、これは賄賂だ。塩田だけが特異な文化の持ち主とは言えまい。
村木の自己分析の二点目。<私が気付いていないところで、私が非常に部下の恨みを買っていて>、それが原因で自分を罪に陥れようとしていると。部下から怨まれていなかったと思っているらしいが、そう言いきれるか。そうでなければ、メンタル面で問題を抱えている人であっても、証明書偽造の指示をしなかった人を陥れる証言をするだろうか。
三点目。<私が二重人格で、悪い人格が出たときに、そういう指示を出して、よい人格の自分の戻ったときはそのことについて記憶がない>・・・・自分に都合のいいものだけが記憶に残り、悪いものは残らない。職務においてもえり好みして面倒くさいことには触らない。程度の差はあれ、こういう人は職場にいる。
国家賠償請求訴訟によって、これまで目に見えなかった厚生労働官僚の利害関心が目に見えるようになった。
郵便不正事件(凛の会事件)の裁判進行中には、検察官僚が厚生労働官僚に攻勢をかけていた。特捜神話が崩壊し、検察官僚が弱ったところに攻勢労働官僚が逆襲してきた、という構図だ。
戦前、国家公務員や軍人は自発的に国家機関に属したという理由で、人権は認められなかった。国家と一体化した存在だ、という解釈だ。特別権力関係だ。戦後は、人権のごく一部が合理的な範囲においてのみ規制される「特別の公法関係」に変わった。国家権力の恣意的な動きを防ぐのが目的だ。戦後内務省は解体されたとはいえ、官僚組織はその基本的骨格が温存され、国家の利益を体現する存在であることに変わりはない。
起訴された村木が(事件に直接関与していない以上)徹底抗戦するのは当然だ。ところが、国家賠償請求訴訟が意味することは何か。村木は現職官僚だ。むろん、村木個人として国家に賠償を求める権利はある。「でも、ここで重要なのは、権利は放棄できるということなんですよ」
冤罪が証明された厚生労働官僚が、なお国を相手取って賠償金を請求する。そう決心した時、村木の目に映っていたものを想像してみる。この人が長い間身を置いていた組織の文化にある「社会通念とは異なるもの」が、浮かび上がってくる。
【参考】佐藤優(語り手)/魚住昭(聞き手)「ラスプーチンかく語りき 68」(「一冊の本」、2011年2月号)
↓クリック、プリーズ。↓