語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【震災】被災者の心、被災者を力づけるもの ~中井久夫「災害がほんとうに襲った時」~

2011年03月21日 | 震災・原発事故
●電話
 「NTTの回線の多くが生きていたのは称賛に値いする。やがて、私には全国から電話が殺到してきた。国際電話もあった。電話は多くの生き残った人に『自分は孤独ではないWe are not alone』という感じを与える効果があったと私は思う。公衆電話優先や回数の間引き(10回に1回通じる程度)は、それだけの骨を折る気のない、動機の弱い通話を淘汰する巧みな方法であったと思う。遅くかけてきた人は『回線がなかなか通じなくて』と断った」

●整理された部屋
 「私は、整理された部屋が一つでもあることは心理的に重要であることを知った。次に私がしたことは、電話番であった。第三の仕事は、ルートマップの作成であった」

●自発的行動
 「有効なことをなしえたものは、すべて、自分でその時点で最良と思う行動を自己の責任において行ったものであった。指示を待った者は何ごともなしえなかった。統制、調整、一元化を要求した者は現場の足をしばしば引っ張った」
 「初期の修羅場を切り抜けおおせる大仕事は、当直医などたまたま病院にいあわせた者、徒歩で到着できた者の荷にかかってきた。有効なことをなしえたものは、すべて、自分でその時点で最良と思う行動を自己の責任において行ったものであった。初期ばかりではない。このキャンペーンにおいて時々刻々、最優先事項は変わった。一つの問題を解決すれば、次の問題がみえてきた。『状況がすべてである』というドゴールの言葉どおりであった。彼らは旧陸軍の言葉でいう『独断専行』を行った。おそらく、『何ができるかを考えてそれをなせ』は災害時の一般原則である。このことによってその先が見えてくる。たとえ錯誤であっても取り返しのつく錯誤ならばよい。後から咎められる恐れを抱かせるのは、士気の萎縮を招く効果しかない。現実と相渉ることはすべて錯誤の連続である。治療がまさにそうではないか。指示を待った者は何ごともなしえなかった。統制、調整、一元化を要求した者は現場の足をしばしば引っ張った。『何が必要か』と電話あるいはファックスで尋ねてくる偉い方々には答えようがなかった。今必要とされているものは、その人が到達するまでに解決されているかもしれない。そもそも問題が見えてくれば半分解決されたようなものである」

●ボランティア
 「ボランティアがいてくれるからこそ、われわれは余力を残さず、使いきることができる。孤立していれば、漂流ボートの食料や孤立した小部隊の弾薬と同じく、自分のスタミナをどのように配分し「食い延ばし」たらいいかわからない。3人しかいなければ3人でできることが頭に浮ぶし、7人なら7人でできることがというふうに」
 「内実のあることをなしえた人たちは本来の意味でのボランティアのみであった。『志願兵』というその元来の意味では私も含めて神戸の精神科医たちは所属を問わず志願兵すなわちボランティアであった。彼らは『志願兵』らしくふだんにはない即興能力(インプロヴィゼーション)を発揮する者が多かった」

●罪悪感
 「いくつかの要因が重なって、震源地から4キロほどの私の家にほとんど何も起こらなかったのであった。/この被害のなさは後に『申し訳ない』という罪悪感を私の中に生むことになる」
 「東部の高級住宅地をカバーしている総合病院・西宮渡辺病院精神科のS医師によれば、周囲が倒壊し、死者を出している中で一軒だけ無事であった家の人が『済まない』という気持ちから抑うつ反応になっているという、理解しうる例がある。この病院に入院していたために助かって、一家が死亡している例の反応はさらに深いものがあるという」

●PTSD
 「多くの精神科医はPTSDについて語っている。しかし、われわれの関係者の私への報告によれば、避難所のようにむきだしに生存が問題である時にはこれは顕在化しない。おそらく仮設住宅に移住した後に起こるのであろう」

●支援者の精神的負担
 「弱音を吐けない立場の人間は後で障害が出るという。私も気をつけなければなるまい」
 「私は行き帰りの他は街も見ず、避難所も見ていない。酸鼻な光景を見ることは、指揮に当たる者の判断を情緒的にする。私がそうならない自信はなかった。動かされやすい私を自覚していた」
 「私はIさんの診療所に顔を出したが、先生は『ちょっとひとりになりにゆく』と外出されたところであった。彼は必死で自分の精神健康を守ろうとしていた。そのうちにわれわれ自身のスタッフの精神健康へのケースワークが必要になって、このせっかくの試みは中断した」

●校長の精神的負担
 「突然、避難民をあずかる羽目になった校長先生と教員たちの精神衛生はわれわれの盲点であった。校長先生たちは災害においてこのような役割を担おうとは夢にも思っておられなかったはずである」
 「突然、避難民をあずかる羽目になった校長先生と教員たちの精神衛生はわれわれの盲点であった。校長先生たちはある意味ではもっとも孤立無援である。避難民には突き上げられ、市にはいっさいの人員援助を断られ、そして授業再開への圧力がある。災害精神医学というものを曲りなりにも知っていた精神科医とちがって、校長先生たちは災害においてこのような役割を担おうとは夢にも思っておられなかったはずである。そして、精神科医に対して偏見がある方も少なくなかった。精神科医にも校長先生や学校に対して偏見があるであろう。精神科医たちが一堂に会した時、いかにいじめられっ子出身者が多かったかに驚いたことがある。いじめられっ子は先生に絶望した体験を持っているものだ。私は今、精神科関係の挨拶回りがいちばんの仕事として要請されている。やはり人間は燃え尽きないために、どこかで正当に認知acknowledgeされ評価appreciateされる必要があるのだ。しかし、校長先生には精神科教授など迷惑な存在の親玉にしかみられまい。私はマスコミ関係者ごとに、先生がたの話の聞き役になっていただきたいと頼んでいる。大学のC3I室で校長先生への不満が噴出したことがあった。私には、ある女性医師がなぜひとりうつむいているかがすぐにわかった。父君が校長先生なのである。作家の加賀氏に真先にしていただいたのが校長先生の訪問である。初日に5人の校長先生に会われた。避難所をもまわられた氏の万歩計は2月7日の一日で3万1000歩をこえた」

●花
 「看護管理室に居合わせたナースたちは加賀さんに会いたいと5、6人が用を作って現れた。一人が色紙をさし出した。私は、これは『ミーハー』的行為ではないと思った。皆、加賀さんの花のことを知っていた(『花』が大事だという発想は皇后陛下と福井県の一精神科医とがそれぞれ独立にいだかれたものという。『花がいちばん喜ばれる』ということを私は土居先生からの電話で知った)」
 「現在、もっとも喜ばれた一つに、福井県の精神科医がかついできた大量の水仙の花がある」

●電話機・コピー機・ファックス・ワープロ
 「NTTの回線の多くが生きていたのは称賛に値いする。やがて、私には全国から電話が殺到してきた。国際電話もあった。電話は多くの生き残った人に『自分は孤独ではないWe are not alone』という感じを与える効果があったと私は思う」
 「後のことになるが、今回の震災において、活躍したのは電話とともにコピー機とファックスとワードプロセッサーとであった。ファックスは電話よりもはるかによく通じた。ワープロは『ひとが読める』情報紙面を叩き出し、コピー機がそれを何十倍何百倍と複製して流布させた。これらなしにはわれわれの活動ははるかに非能率であったろう」

●コミュニティ
 「米国と(おそらく関東大震災とも)違うのは災害に続く略奪・暴動・放火・レイプがなかったことである。『要するにコミュニティが崩壊しなかったことだね』と師の土居健郎氏はいわれた(私は師によく電話で報告し、師から支持や見解をいただいた。それは家族を別にすれば私を孤独感から大いに救った)」

●被災1ヵ月後1995年2月24日からみて・・・・
 「『共同体感情』はほぼ終わった。ただし、反動的な無関心、アパシーではなく、ほぼ軟着陸しつつあるといってよいであろう」
 「一般に周囲の夫婦仲は明らかによくなっている。10ヵ月後には人口の一時的増加が見られるのではないかというワルイ冗談がある。いっぽう、突然同居を強いられた親子、親戚、姻戚の間で葛藤が再燃するということはあるが、これはいっときのものであってほしい」

   *

 以上、「東北関東大震災下で働く医療関係者の皆様へ――阪神大震災のとき精神科医は何を考え、どのように行動したか」(文:中井久夫、データ提供:みすず書房)に拠る。サイトは次のとおり。

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【震災】災害被災地における心のケア ~援助のために~

2011年03月21日 | 震災・原発事故
(1)トラウマ(心的外傷)とは何か
 トラウマとは、衝撃的な出来事による心への特殊な作用を意味する。以下、援助に必要な性質にしぼって記す。
 ①発生
 トラウマは、通常は当然のように存在する安全感が、突然、破壊されることによる恐怖(典型的には生命の危機に由来する)によって生じる。

 ②特殊な記憶と関係
 トラウマ記憶がトラウマに伴うことが多い。トラウマ記憶は、断片的な映像、印象、物語として語ることができない。今の体験であるかのような生々しさがあり、意識に無理矢理押し入ってくる感覚(侵入)がある。時間による変化を受けない。衝撃的体験に際して生じ、記憶が「緊急事態モード」となって、こうした事態が発生する。
 複数の事件が連鎖を起こして、より深刻な作用を及ぼすことがある。震災の被害によって、過去の別の事件の記憶が甦る、など。

 ③気分の変調
 抑鬱傾向の発生が多い。その体験からして自然な感情ではあるが、遷延することで生活の建て直しが困難になり、変調がさらに進むという悪循環が生まれやすい。
 被災直後に躁気分となり、過度にがんばり続けることもよくあるが、過活動が一定期間続いた後に鬱気分に転じやすい。

 ④身体の変調
 トラウマは幅広い身体症状を伴う。自律神経の変調だ。トラウマは、心身的現象である。
 ショックの身体的反応が多様であるのみならず、二次的な作用が引き起こす変調も多い。生活の激変による生活リズムの変化が身体に影響を及ぼす、など。

 ⑤感情の複雑化
 生き残ったことに対して感じる「生存者の罪悪感」や「役立てなくて申し訳ない」「元気になれなくて申し訳ない」など、罪悪感に関わるさまざまな感情を生む。「自己効力感」が脅かされている状態だ。
 あるいは、加害者への怒りが発生する。付随的現象によって怒りが発生することが少なくない。天災の場合、行政に対する怒り、災害後の生活で発生するトラブルへの怒り、など。

 ⑥コミュニティ機能を阻害
 災害は、従来存在した信頼できる人間関係やコミュニティを破壊する。
 それに由来する孤独感に、③や⑤の作用が複合すれば、強度の孤独感をもたらす。

 ⑦揺らぐ主体性
 これらすべての統合作用によって、主体性の感覚が脅かされる。この感覚の回復が援助の最終目標となる。
 これらの現象が、衝撃的体験の後にある程度起こるのは心身の正常な反応である。多くは時間の経過とともに軽減し、平常に復する。
 しかし、一部は遷延し、診断名のつく障害となる。PTSDはその代表だ。

(2)自然災害への「心のケア」
 ①予防的側面
 一般の防止対策が有効だ。また、早い時期に救援活動が始まること、それを被災者に伝えることが、「見捨てられる」「取り残される」恐怖感を最小限にとどめる。

 ②初期対応
 治療よりも安全を確保し、安心感を与えて心身のストレスを緩和すること。心身に備わっている回復力を支え、補助するのだ。
 そのなかで特に深刻な影響を受けている個人への専門的援助を考える。被災前から医療を受けている人に医療サービスを提供することも必要だ。

 ③中期的対応
 災害ないし症状発生から1ヵ月程度を目処として、回復に向かうか、遷延化に向かうかが判断される。
 早い時期に症状に気づき、手当を受ければ、悪循環によるストレスの加算を避けることができる。

 ④長期的対応
 被災の影響は長年にわたって残る。
 長期にわたるストレスによって、後に症状が発生する場合もある。生活困難が悪化し、心身症状になって顕現することもある。それまで持ちこたえていたが、新たな被害が引き金になって症状を形成することもある。

 ⑤救助者・援助者へのケア
 援助者も災害被害に直面する。「二次被害者」となり、「二次的外傷性ストレス」を体験することもある。休息、有効な活動ができたという「自己効力感」を保てるように支援することも必要だ。
 無理をしないこと、休息をとること、横のつながりをもつこと。

(3)プライマリ・ケアと「心のケア」
 身体面の不調は訴えやすく、相談に抵抗が少ない。被災地では、一般の医療保健活動のなかで心の側面に配慮することが望ましい。
 身体的訴えの背後に災害の作用がある可能性を考える。処置の第一は、質のよい睡眠を含む休息である。激しいストレスの後に起こりうる症状などを説明し、それらは正常な反応であることを伝える。自己理解を促す。身体的訴えを通して受診すること自体が、孤立を緩和する働きをもつ、と考える。などなど。

   *

 以上、森茂起「被災地での心のケア」(「JIM」2005年8月号)による。
 なお、医学書院は「JIM」2005年8月号 特集:災害被災地におけるプライマリ・ケア」を当面の間、全文無料で公開している。
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