語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【読書余滴】視覚の展開 ~『ヨーロッパ視覚文化史』~

2011年03月09日 | 心理
 かつてストックホルムまでいっしょに旅した人が糖尿病になった。糖尿病から網膜症、白内障、血管新生緑内障が発症し、失明にいたることもある。日本では糖尿病網膜症のために視覚障害になる人が、視覚障害者のうち5分の1、年間間3,000人もいるそうだ。
 ヒトが外部世界の情報をとりこむ際にもっとも活躍するのは視覚だろう、と思う。その視覚が失われては大変だ。
 しかし、16世紀のヨーロッパでは、視覚はあまり重視されていなかった。アリストテレス以来、人間の感覚には視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の五感がある、とされていた(今日では平衡覚なども感覚に加えられている)。そのうち視覚は、聴覚と触覚の後塵を拝し3番目の位置を占めていたにすぎず、重要性において聴覚と触覚とは大きくかけ離れていた・・・・とジャン・ピエロ・ブルネッタは、アナール派の歴史家フェブヴレおよびマンドローを援用しつつ伝える。

 ブルネッタは、視覚の歴史をレオナルド・ダ・ヴィンチから始めている。視覚の歴史において、レオナルドは地理的な探険と発見におけるコロンブスと同様の役割を演じた、と。「認知能力が視覚に由来するとは考えない哲学、科学、宗教の概念から完全に孤立していたが、レオナルドの思想はガリレオの『星界の報告』(1610)から1世紀以上も専攻していた。そしてデカルトの<<光屈折学>>に関する研究とともに、それは17世紀のバロック様式の文化や工学理論にその視覚の能力が利用されることに貢献するのである」
 眼や暗箱(カメラ・オブスクーラ)に係るレオナルドの思索が重要であるから、だけではない。「それらの発見の中に、世界の認識と知識に対する新たな展望(ヴィジョン)が投影され、15世紀末期のヨーロッパに広がる対立的な社会の衝動が合流していることも重要だと思われる」 
 世界の驚異が見つかるのは、地理的な未知の世界ではなく、各人の視線の届く範囲内だ・・・・ということにレオナルドは注目した。それは、日常のさまざまな体験と関わる。いつでも自分たちの眼に映し出すことのできる世界だ。
 レオナルドは、眼のもつ能力を明らかにし、他のすべての感覚より優れている、と考えた。その考えは、ほぼ2世紀の間、視覚理論を導くことになる。そして、「それはすべての芸術家の歩むべき道を示し、やがては現実世界を捉え、極めて精確に見るための光学の箱(カメラ)に利用されることになるのである」。
 カメラは、近代世界の観察者の眼に二重の光景、すなわち(1)現実世界にいっそう近い関係をもたらす光景と、(2)視覚の枠外にある時間と空間に接近する光景とを見せることになる。そして、<<観察する>>という儀式と結びついた個人的、集団的な時間をも生み出した。
 科学革命前夜、解剖学という微視的研究、天文学という巨視的研究は光学機器の系統的利用によって実現できた。光学機器は、アリストテレスやプトレマイオスの思想体系にもとづく世界認識を根底からひっくり返しながら、想像しかねる領域まで人間の観察力を広げることになった。その成果は、航海術や農業技術、地図作成法だけでなく、医学や外科学にもすぐ応用された。

 ところで、ルネッサンス期には、光が外界から眼に入りこんでくるのか、光線が瞳の中から観察する対象物に向けて発せられるのか、どちらなのかはまだ明らかになっていなかった。「眼光炯炯」や「眼光紙背」といった熟語が今も生きているところからすると、中国人も日本人も、西洋人よりもっと遅くまでどちらなのかわかっていなかったかもしれない。
 暗箱は、レオナルドよりずっと以前から知られていたが、暗箱を用いて光線が外界から眼に入りこむという理論を組み立てたのはレオナルドだ。1485年から1490年にかけて書かれた<<アトランティコ手稿>>(D稿のA面)の第8稿に記されている、とブルネッタはいう。

   *

 以上、「第3章 眼と光、驚異的な世界の創造と征服」に拠る。
 『ヨーロッパ視覚文化史』は図版豊富で、眺めて楽しい。そして、歴史をたどることで、視覚という感覚の奥深さを教える。

【参考】ジャン・ピエロ・ブルネッタ(川本英明・訳)『ヨーロッパ視覚文化史』(東洋書林、2010)

糖尿病網膜症のために視覚障害になる人が、視覚障害者のうち5分の1、年間間3,000人もいる。
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