語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【震災】原発>東電は、被爆者がガンに罹っても補償しない ~100人の証言~

2011年05月01日 | 震災・原発事故
●「後に影響が出ても誰も責任はとらない」/鈴木篤(65)、弁護士(江戸川法律事務所)
 福島第一原発の事故現場では、当初、放射線量を測る線量計が足りなかった、という。
 ならば、被曝量を測らずに作業していたのか。
 通常の被曝線量の上限は、累積100ミリシーベルトだが、今回特例として250ミリシーベルトまで上限が引き上げられた。これから何年か経過したとき、作業員に何らかの症状が現れるのではないか。

 私(鈴木)は、77年から82年まで福島第一原発などで働いていた男性の裁判を担当した。男性は、退職後に多発性骨髄腫と診断され、一審中の07年に死亡した。
 被曝による労災は認定されたが、損害賠償を求めた訴訟では、東電側は責任を認めず、請求は棄却された。
 放射能被曝と多発性骨髄腫の因果関係が認められなかったのだ。

 因果関係以前に、多発性骨髄腫ではない、という主張を、一審、二審で東電側は繰り返した。直接診断していない医師や御用学者を引っ張り出して反論する。そこまでして責任を否定する姿勢は、腹立たしかった。
 高裁でようやく因果関係が争点になった。
 が、それを裁判所が認めるためには、「高度の蓋然性」が必要なのだ。可能性ではダメだ。
 因果関係は疫学によって証明される。原因確率が8割・・・・というのが判例だ。本来5人に1人発症するところを4人発症しないと裁判所は認めないのだ。

 男性の場合、疫学調査の結果、原因確率は6割だった。ただ、疫学調査は、純粋に科学的な立場で調査しているものもあれば、推進派の立場からしている調査もある。
 だから、報道を見ていると背筋が寒くなる。「100ミリシーベルトまでは問題がない」・・・・。私が担当した男性の被曝量は、4年3ヵ月で70ミリシーベルトだった。
 線量計を持たない周辺住民も心配だ。この男性レベルの被爆者は相当いるのではないか。
 将来、誰が責任をとるのか。
 男性は、多発性骨髄腫で労災認定されたが、法廷外補償では裁判に負けた。
 この判例は、今後何万人と出てくるであろうガン患者が賠償請求する際、東電に有利なものとなる。

 以上、記事「100人の証言」(「AERA」臨時増刊No.22 2011年5月15日号)に拠る。
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【震災】原発>100人の証言(抄) ~地元の責任・支援者の立場・風評被害防止策~

2011年05月01日 | 震災・原発事故
●「まず地元町長よ、謝れ」/内装業男性(60)、福島県いわき市→東京都足立区避難所
 いわき市や南相馬市など大きな人口を抱える周辺自治体が、原発開設に係る意思決定に関与できなかったことが大きな問題だ。地元の小さな町が、活性化や雇用のために原発は安全だ、と主張して押し切ってしまったのだ。
 地元の町長たちの中には、「事故で裏切られた」と言っている人もいるが、「ふざけるな」。自分たちが同意しなければ、原発はできなかった。町の自己責任は大きい。
 自分たちの町がつぶれるだけならまだしも、周辺のこれだけ多くの人に被害が広がっている。この責任をどう考えているのか。まず、地元の町長から周辺自治体の住民に対して「申し訳ない」の一言があってしかるべきだ。
 県知事も同じだ。「ノー」と言っていたら、原発はできていなかった。
 福島出身の政治家たちも、選挙のときはしょっちゅう顔を出しているのに、原発事故後はほとんど顔を見せない。ふだんはテレビでしょっちゅうコメントしている政治家も、ニュース番組で見ることすらない。
 こんなに大事故が起こったのに、責任を誰もとらない。

●「『鴨川モデル』の定着を」/鯨岡栄一郎(39)、介護老人保健施設「小名浜ときわ苑」施設長、福島県いわき市
 施設には、150人の入所者がいる。30人のデイケアも実施している。地震で施設の一部が損壊した。断水もあった。食事は1日2回、おにぎりなどに限られた。
 施設は、福島第一原発から50キロ離れた場所にある。避難地域ではなかったが、安全第一を考え、いつでも他県に避難させられる態勢にした。
 原発事故が長引くにつれ、入所者やスタッフに疲労と不安が増していった。千葉県鴨川市の「かんぽの宿」が受け入れる、という。県外避難を決めた。3月21日、バス6台に分乗して、6時間かけて到着した。
 施設がまるごと他県に移る間も、入所者が介護保険を使えるようにしなければならない。いわき市から鴨川市の幹部に連絡をとってもらった。
 医療機関との連携は、宿舎近くの亀田総合病院が引き受けてくれた。
 災害時の避難、介護保険に係る解釈は、このような「鴨川モデル」が定着していくといい。
 避難先では食事や入浴が普通にできた。しかし、家族を福島に残したまま入所者とともに避難してきたスタッフが多く、ストレスがたまっていった。スタッフの子どもの入学式など家庭の事情も生じた。
 損壊した施設は応急的に復旧した。いわき市に戻ることにした。4月10日と11日の2回に分けて戻った。
 原発や地震の不安は残るが、家族と離れて避難先でケアを続けるスタッフの立場も後回しにはできない。

●「迅速な情報公開で被害を食い止めた」/伊藤俊彦(53)、農業生産法人・販売会社長、福島県須賀川市
 1990年代半ばに発足した農業生産法人「稲田アグリサービス」社長として、専業・兼業あわせて150軒の農家とともに有機栽培で、注文に応じて米、酒米、野菜を作っている。需要のあるものを作る生産方式のシステム化に成功し、需給のバランスを維持してきた。
 また、有機野菜などの班美会社「ジェイラップ」社長として、米や野菜の宅配サービス会社と提携しながら、長年、消費者に安全な食品を提供してきた。
 原発事故の3日後、玄米やキュウリについて放射能の測定機関に独自に依頼した。結果をホームページなどで積極的に公表した。
 幸い「検出せず」という結果がでた。いまのところ、量販店など一部の取引先を除き、注文のキャンセルはほとんどない。

 以上、記事「100人の証言」(「AERA」臨時増刊No.22 2011年5月15日号)に拠る。
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