語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【震災】原発>「残留放射線」の恐怖

2011年05月05日 | 震災・原発事故
 09年5月、原子力安全委員会で新しい『耐震指針』を決める部会が開かれた。『指針』の文面に、想定外の危険が「残余のリスク」とされていた。予測された地震の規模に応じて倒れない原発を建設するが、予測を超えた規模の地震が起きたときには原発が壊れたり、付近住民が被曝しても仕方がない・・・・。
 専門委員だった武田邦彦・中部大学教授は抗議したが、黙殺された。
 福島第一原発事故は、『耐震指針』に沿って、「計画通りに起こった」のだ。設計、施工、運転ともに問題はなかったが、「その決め方、システムが悪かった」。  

 この事故がもたらした最大の災禍は、「残留放射線」で汚染された国土に、これからも住み続けなくてはならないことだ。
 かつて広島と長崎に原爆が落とされた後、救援のため市街地に入った11万人の人々は、残留放射線によって病気になった、と報じられた。白血病、複数のガン・・・・直接被曝した人の症状と同じだった。
 今回の原発事故で漏れ出た放射性物質も、そこに住む人、そこを訪れる人を蝕む。時間当たり2マイクロシーベルトが観測された会津若松や白河など、原発から100km圏内は、「残留放射線」の危険に注意が必要だ。

 むろん、時間が経つにつれ、放射線量は減っていく。
 核分裂生成物の半減期は、長短さまざまだが、おおまかに30年と捉えてよいだろう。半減期までに放射線が減っていく早さの目安は、3段階ある。(1)最初の4日で1,000分の1。(2)次の4ヵ月でさらに10分の1。(3)その後は余り減らない。
 (1)は、ほとんど考えなくてよい。問題は(2)の期間だ。
 被曝量は、それまでに取りこまれた放射性物質の積算量で考える。いくら時間が経過し、汚染度が低くなっても、毎日被曝するならば総被曝量は大変なものだ。

 <例>福島市の場合
 事故当初の汚染度は時間当たり20マイクロシーベルトだった。4ヵ月以内に2マイクロシーベルトまで徐々に減少する。それでも、平常時の値(時間当たり0.1マイクロシーベルト以下)より大変高い。
 しかも、これは体外被曝だけの数値で、空気(呼吸)、水、食物から取りこむ分は含まれていない。これらそれぞれを同じ2マイクロシーベルトと仮定して加えると、被曝量の合計は3倍の6マイクロシーベルトとなる。
 この数値を前提に試算すると、福島市で生まれたばかりの赤ちゃんが30歳になるまでに受ける総被曝量は、実に920ミリシーベルトに達する。
 これは胸部レントゲン写真を30年で2万回、1年間だと700回撮る場合と同じ数値だ。

 この程度の数値なら大丈夫、と無視するか否かは各自の判断だ。
 ただ、国際放射線防護委員会(ICRP)が1年間に浴びてよいとする放射線量は、1ミリシートベルトだ。<例>の赤ちゃんは、今後30年間を基準値の30倍もの放射線量を浴びて過ごすことになる。甲状腺ガンにかかるリスクが増える。
 ちなみに、年間100ミリシートベルトを浴びた人の100人に0.5人はガンになる、とされている。

 放射性物質が飛んできた地域では、それから完全に身を守る方法はない。建物にこもっても、換気しないわけにはいかない。畑、川、牛などに降り注ぎ、野菜、水道水、牛乳などに含まれていく。
 じわじわ広がるのが、放射性物質のやっかいなところだ。
 人体に取りこまれた放射性物質は、一部は屎尿となって排泄され、下水に流れ、処理場を経て海へと注ぐ。流れながらも無くなることはない。徐々に広がって、日本のみならず世界を汚染する。これが「残留放射線」だ。

 以上、記事「『残留放射線』の恐怖について」(「週刊現代」2011年5月7・14日号)に拠る。
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【震災】菅首相が(当面)続投すべき理由、辞めるべき時期

2011年05月05日 | 震災・原発事故
 大震災に直面して、日本政治は機能不全を露呈している。(a)菅政権の問題、(b)野党を含めた政党政治の問題・・・・の二層がある。

(1)菅首相は震災対策の基礎を固めるまで辞めてはならない。
 (a)地方選挙の敗北は理由にならない。国政選挙で選ばれた指導者は、国政選挙で辞めさせるのが筋だ。
 (b)民主党内での倒閣運動には、まったく大義名分がない。この国難のさなかに党内の権力闘争にうつつを抜かすような政党は、政権担当の資格がない。民主主義政治に加わる資格もない。民主党が結束して必要な政策を決定、実行することに死に物狂いにならないなら、国民は民主党を決定的に見放す。
 (c)自民党は、仮に政権を担っていても民主党以上の対応はできなかった。復興策の財源や原発の将来をめぐる谷垣禎一総裁の発言の軽さを見れば、民主、自民の対立はどんぐりの背比べだ。
 (d)皮肉なことに、ねじれ国会において野党は法案の正否を左右する権力を握っている。野党が反対して法案が成立しないという印象を国民が持つならば、政党政治そのものを拒絶する感覚が広がるであろう。当面の震災対策には野党も協力しなければならない。

(2)菅政権がなすべきこと
 今までの震災対応の不十分さを率直に検証、反省し、政策内容と政策決定の仕組みについて基本的な枠組みを整備しなければならない。
 (a)震災対策に係る菅政権の混乱は、「政治主導」の空転と表裏一体だった。
 (b)特に原発について、問題を作り出した経済産業省と東京電力に、情報や技術知識の提供を頼らざるをえないために、政治主導はジレンマに陥った。官邸が独自にブレーンを置いても、独自に情報を集め、対策を練るのは難しい。対策会議を置いても、役割や権限は不明確で、会議は踊った。
 (c)地震の復興について、被災地域の再建・被災者の生活・生産の再建のためどのように財政資金を投入するか、明確な指針を示す。

(3)指導者がなすべき意思決定の課題
 (a)政治家は、全体を見渡して決定をくだす責務を負う。個別的問題に具体的な答を出す必要はない。震災のショックという多面的問題を、解決可能な要素に分割し、答を書ける問を専門のチームに割り当てるのが指導者の役割だ。菅首相の迷走も、この点についての誤解に起因していた。
 (b)復興構想会議に、具体的な役割を与えなければならない。特に①1~2年の課題(被災者・地域に対する直接的支援策や市街地再建)と②中期的な文明論(原発依存の低減・自然エネルギー開発・生活様式見直し・TPP)を切り離すことが必要だ。
 (c)地震対策も原発事故対策も、従来の法制度では対応できない規模の問題だ。新たな法律上の課題が目白押しだ。こうした分野ごとに政治家を集めたチーム(超党派)を立ち上げ、議論がすぐさま立法に結びつく仕組みを整備するべきだ。
   ①地震対策・・・・インフラと地域基盤の再建、農林水産業や中小企業の生産設備の再建、教育・医療サービスの供給。
   ②原発事故対策・・・・鎮静化のための技術的対応、補償のための仕組みの整備、避難者への生活支援。

(4)菅首相の最大の使命
 すべての救援・復興政策の土台となる基本理念を明確に示すことだ。
 (a)被災地の復興のために公的資金の投入を惜しまない。
 (b)財源は、時期はさて措き、国民連帯によって確保することを基本原則として打ち出す。
 「野党の協力を引き出すためには、震災対策の基本が固まったら身を引く覚悟を示すことも必要である」

 以上、山口二郎(北海道大学大学院教授)「対策固まるまで続投を 復興政策の理念示せ」(「週刊東洋経済」2011年4月30日-5月7日号)に拠る。
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