09年5月、原子力安全委員会で新しい『耐震指針』を決める部会が開かれた。『指針』の文面に、想定外の危険が「残余のリスク」とされていた。予測された地震の規模に応じて倒れない原発を建設するが、予測を超えた規模の地震が起きたときには原発が壊れたり、付近住民が被曝しても仕方がない・・・・。
専門委員だった武田邦彦・中部大学教授は抗議したが、黙殺された。
福島第一原発事故は、『耐震指針』に沿って、「計画通りに起こった」のだ。設計、施工、運転ともに問題はなかったが、「その決め方、システムが悪かった」。
この事故がもたらした最大の災禍は、「残留放射線」で汚染された国土に、これからも住み続けなくてはならないことだ。
かつて広島と長崎に原爆が落とされた後、救援のため市街地に入った11万人の人々は、残留放射線によって病気になった、と報じられた。白血病、複数のガン・・・・直接被曝した人の症状と同じだった。
今回の原発事故で漏れ出た放射性物質も、そこに住む人、そこを訪れる人を蝕む。時間当たり2マイクロシーベルトが観測された会津若松や白河など、原発から100km圏内は、「残留放射線」の危険に注意が必要だ。
むろん、時間が経つにつれ、放射線量は減っていく。
核分裂生成物の半減期は、長短さまざまだが、おおまかに30年と捉えてよいだろう。半減期までに放射線が減っていく早さの目安は、3段階ある。(1)最初の4日で1,000分の1。(2)次の4ヵ月でさらに10分の1。(3)その後は余り減らない。
(1)は、ほとんど考えなくてよい。問題は(2)の期間だ。
被曝量は、それまでに取りこまれた放射性物質の積算量で考える。いくら時間が経過し、汚染度が低くなっても、毎日被曝するならば総被曝量は大変なものだ。
<例>福島市の場合
事故当初の汚染度は時間当たり20マイクロシーベルトだった。4ヵ月以内に2マイクロシーベルトまで徐々に減少する。それでも、平常時の値(時間当たり0.1マイクロシーベルト以下)より大変高い。
しかも、これは体外被曝だけの数値で、空気(呼吸)、水、食物から取りこむ分は含まれていない。これらそれぞれを同じ2マイクロシーベルトと仮定して加えると、被曝量の合計は3倍の6マイクロシーベルトとなる。
この数値を前提に試算すると、福島市で生まれたばかりの赤ちゃんが30歳になるまでに受ける総被曝量は、実に920ミリシーベルトに達する。
これは胸部レントゲン写真を30年で2万回、1年間だと700回撮る場合と同じ数値だ。
この程度の数値なら大丈夫、と無視するか否かは各自の判断だ。
ただ、国際放射線防護委員会(ICRP)が1年間に浴びてよいとする放射線量は、1ミリシートベルトだ。<例>の赤ちゃんは、今後30年間を基準値の30倍もの放射線量を浴びて過ごすことになる。甲状腺ガンにかかるリスクが増える。
ちなみに、年間100ミリシートベルトを浴びた人の100人に0.5人はガンになる、とされている。
放射性物質が飛んできた地域では、それから完全に身を守る方法はない。建物にこもっても、換気しないわけにはいかない。畑、川、牛などに降り注ぎ、野菜、水道水、牛乳などに含まれていく。
じわじわ広がるのが、放射性物質のやっかいなところだ。
人体に取りこまれた放射性物質は、一部は屎尿となって排泄され、下水に流れ、処理場を経て海へと注ぐ。流れながらも無くなることはない。徐々に広がって、日本のみならず世界を汚染する。これが「残留放射線」だ。
以上、記事「『残留放射線』の恐怖について」(「週刊現代」2011年5月7・14日号)に拠る。
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専門委員だった武田邦彦・中部大学教授は抗議したが、黙殺された。
福島第一原発事故は、『耐震指針』に沿って、「計画通りに起こった」のだ。設計、施工、運転ともに問題はなかったが、「その決め方、システムが悪かった」。
この事故がもたらした最大の災禍は、「残留放射線」で汚染された国土に、これからも住み続けなくてはならないことだ。
かつて広島と長崎に原爆が落とされた後、救援のため市街地に入った11万人の人々は、残留放射線によって病気になった、と報じられた。白血病、複数のガン・・・・直接被曝した人の症状と同じだった。
今回の原発事故で漏れ出た放射性物質も、そこに住む人、そこを訪れる人を蝕む。時間当たり2マイクロシーベルトが観測された会津若松や白河など、原発から100km圏内は、「残留放射線」の危険に注意が必要だ。
むろん、時間が経つにつれ、放射線量は減っていく。
核分裂生成物の半減期は、長短さまざまだが、おおまかに30年と捉えてよいだろう。半減期までに放射線が減っていく早さの目安は、3段階ある。(1)最初の4日で1,000分の1。(2)次の4ヵ月でさらに10分の1。(3)その後は余り減らない。
(1)は、ほとんど考えなくてよい。問題は(2)の期間だ。
被曝量は、それまでに取りこまれた放射性物質の積算量で考える。いくら時間が経過し、汚染度が低くなっても、毎日被曝するならば総被曝量は大変なものだ。
<例>福島市の場合
事故当初の汚染度は時間当たり20マイクロシーベルトだった。4ヵ月以内に2マイクロシーベルトまで徐々に減少する。それでも、平常時の値(時間当たり0.1マイクロシーベルト以下)より大変高い。
しかも、これは体外被曝だけの数値で、空気(呼吸)、水、食物から取りこむ分は含まれていない。これらそれぞれを同じ2マイクロシーベルトと仮定して加えると、被曝量の合計は3倍の6マイクロシーベルトとなる。
この数値を前提に試算すると、福島市で生まれたばかりの赤ちゃんが30歳になるまでに受ける総被曝量は、実に920ミリシーベルトに達する。
これは胸部レントゲン写真を30年で2万回、1年間だと700回撮る場合と同じ数値だ。
この程度の数値なら大丈夫、と無視するか否かは各自の判断だ。
ただ、国際放射線防護委員会(ICRP)が1年間に浴びてよいとする放射線量は、1ミリシートベルトだ。<例>の赤ちゃんは、今後30年間を基準値の30倍もの放射線量を浴びて過ごすことになる。甲状腺ガンにかかるリスクが増える。
ちなみに、年間100ミリシートベルトを浴びた人の100人に0.5人はガンになる、とされている。
放射性物質が飛んできた地域では、それから完全に身を守る方法はない。建物にこもっても、換気しないわけにはいかない。畑、川、牛などに降り注ぎ、野菜、水道水、牛乳などに含まれていく。
じわじわ広がるのが、放射性物質のやっかいなところだ。
人体に取りこまれた放射性物質は、一部は屎尿となって排泄され、下水に流れ、処理場を経て海へと注ぐ。流れながらも無くなることはない。徐々に広がって、日本のみならず世界を汚染する。これが「残留放射線」だ。
以上、記事「『残留放射線』の恐怖について」(「週刊現代」2011年5月7・14日号)に拠る。
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