●NGO「ピースウィングス・ジャパン(PWJ)」と公益社団法人「Civic Force」
PWJが世界の紛争地帯、被災地で支援活動を行っているのは有名だが、「Civic Force」はどんな活動をしているのか?【渋澤】
企業社会の協力を円滑に、幅広く推進していく。具体的には、企業と事前に覚書を交わし、運営費を拠出してもらったり、いざという時に社員をボランティアで派遣してもらったり、商品やサービスの提供を依頼したりする。中越地震の時に、大手流通業者イオンと協力して被災者を受け入れた。企業とNPOや自治体が組めば、いろいろなことができる。企業はドナーにとどまらず、「実施者」にもなりえる。公益法人は、そのための調整役だ。【大西】
●義援金と支援金の違い
被災地支援のために同じ金額を寄付するにしても、義援金にするか支援金にすRからで使い途は違ってくる。義援金は被災者に配分され、支援金は被災地で活動するNGOやNPOの資金となる。ところが、大多数の人たちはその違いを意識していない。【渋澤】
今回初めて少し理解が進んだのではないか。例えば義捐金はすぐに被災者の手元に届くわけではない。【大西】
日赤のチームが被災地の医療に取り組んでも、そこに義援金が投下されることはない。【渋澤】
被災者が一律に35万円を貰っても、解決できない問題が山積みしている。食事付きホテル住まいなら1ヵ月やそこらでえ消えてしまう。1年くらい住めるところを提供するNPOの活動があれば、そちらのほうが有効かも。他方、財産を一切合切失った人にとっては、当座の現金はありがたい。【大西】
要はバランスが大事だ、ということだ。【渋澤】
今の義捐金は、支給のスピードが遅すぎる。どのくらいの額が集まりそうなのかは、途中経過を見ればわかる。政府や金融機関が一時的に立て替えてもいいじゃないか。毎週3~5万円ずつでもよいから、早くリリースしたほうが被災者にとっては役立つ。こうしたことを踏まえて、現地で支援をプロジェクト化している団体に寄付するか、義援金にするか、寄付者が判断するとよい。【大西】
募金・義援金を出し、受け取るのは一方通行の関係だ。寄付であれば、寄付した側とされた側のキャッチボールがある。こういうプロジェクトのために使った、と投げ返し、納得したらもう一度支援できるかも。投げたボールを相手が落とせば、二度と寄付する気にはなれない。日本に欧米のような「寄付文化」が育ちにくかったのは、寄付された側からのレスポンスが疎かだったところに大きな原因がある。【渋澤】
寄付する側は答を求めるべきでない、寄付された側は答えなくてもよい、というのが、日本のカルチャーかも。【大西】
典型が「伊達直人」だ。キャッチボールは必要ない、という姿勢が明確だった。善意の行為であることは確かだが、あのやり方からは「文化」は育たない。案の定、数ヶ月のブームとなり、雲散霧消した。【渋澤】
善行は隠れてよるのが尊い、とは、すぐれて日本的だ。【大西】
善意の投げっぱなしにとどまれば、いつまでたっても地蔵性のある寄付のロールモデルはできない。【渋澤】
●なぜ寄付文化が必要か
こうした状況が続くのは、「寄付制度」の確立が遅れているせいだ。阪神・淡路大震災を契機に「器」の整備はそれなりに進んだが、寄付税制などは論議が抜け落ち、15年たってしまった。15年間でNPOの数はすごく増えたが、内実はどうか。ちゃんとしたNPOを見極めて、そこに活動にふさわしい資金を供給する仕組みが必要だ。NPOは事業体だ。きちんとした規則があり、指揮権が明確でなければならない。欧米では当たり前のこうした原則が、日本ではともすれば曖昧で、自発的サークル活動のような組織が少なくない。寄付制度を充実させると同時に、プロジェクト監査まできちんとやって、ダメなところにはダメと言える仕組みを構築すべきだ。【大西】
「制度」をしっかりさせることは、「文化」の涵養にもつながるはず。寄付文化を根づかせようとしたら、政府のあり方まで遡って考える必要がある。政府は市民社会の「代理」というのが民主主義の原理だ。米国社会が典型で、国民は社会は我々がつくった、という強いオーナーシップを持っている。税金を通じた間接的な資源配分と同時に、寄付という間接的な分配の仕方もある、と考える。翻ってわが日本は、政府=統治者の感覚だ。これだと、税金収入はもともと政府のものだ、という意識になりやすい。寄付のような直接分配は、あくまで「おまけ」という存在に陥ってしまう。欧米に比べて日本に寄付文化がなじまない理由を所得や宗教観の違いに求める見方が一般的だが、それだけでは日米で一人当たりの寄付額に何十倍もの隔たりがあることの説明にはならない。【渋澤】
日本人は、昔からすべてをお上に託していたわけではない。瀬戸内の港町には、民間の寄付で開かれたところが多い。例えば鞆の浦は、幕府も福山藩も関与せず、大店、中店、小店がそれぞれの格に合わせて寄付し、みんなのために港町をつくった。地方のインフラ整備まで政府にお任せのシステムが固定化したのは、田中角栄の日本列島改造論あたりからではないか。【大西】
明治の、北海道は十勝の民間開拓もそうだ。24人の民間人が、現在の金額にすれば億円単位の投資をし、26年かけて現在の十勝の基礎を築いた。日本人にも社会に対するオーナーシップが残っていた頃、民間ベースの長期投資や寄付文化はたしかに存在していた。寄付文化を取りもどす過程は、日本人が政府や社会との関わり方を再考する道筋と言える。【渋澤】
●東日本大震災への取り組み
今最大の問題は、依然として15~20万人の被災者が一次避難所で暮らしを余儀なくされていることだ。仮設住宅建設は急務だが、土地が足りない。東北にあった仮設住宅の最大手が被災したため、そもそも住宅の絶対数が不足している。事態打開のため、コンテナハウス・トレーラーハウスのような「1.5次避難所」を供給できないか、と自分は考えた。実物を取り寄せ、自治体などへ紹介し始めている。【大西】
初期の活動で余った金を振り向けるわけだ。【渋澤】
少し先のターゲットに考えているのは、零細漁民対策。路頭に迷った彼らをカバーするところはどこにもない。放っておけば、軒並みに廃業だ。低利融資と助成金を組み合わせたソーシャルファンド的な仕組みを構築できないか、話を始めている。「使い切り」でもいい。こうした事業のために資金の4割ぐらいは残し、長期にわたって地域のニーズに応えたい。【大西】
被災地の雇用づくりは、最高のリターンになる。民間ならではの、すばらしい構想だ。【渋澤】
以上、渋澤健(コモンズ投信会長)/大西健丞(認定NPOピ-スウィンズ・ジャパン代表理事)「寄付金は果たして有効に使われているか」(「中央公論」2011年6月号)に拠る。
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PWJが世界の紛争地帯、被災地で支援活動を行っているのは有名だが、「Civic Force」はどんな活動をしているのか?【渋澤】
企業社会の協力を円滑に、幅広く推進していく。具体的には、企業と事前に覚書を交わし、運営費を拠出してもらったり、いざという時に社員をボランティアで派遣してもらったり、商品やサービスの提供を依頼したりする。中越地震の時に、大手流通業者イオンと協力して被災者を受け入れた。企業とNPOや自治体が組めば、いろいろなことができる。企業はドナーにとどまらず、「実施者」にもなりえる。公益法人は、そのための調整役だ。【大西】
●義援金と支援金の違い
被災地支援のために同じ金額を寄付するにしても、義援金にするか支援金にすRからで使い途は違ってくる。義援金は被災者に配分され、支援金は被災地で活動するNGOやNPOの資金となる。ところが、大多数の人たちはその違いを意識していない。【渋澤】
今回初めて少し理解が進んだのではないか。例えば義捐金はすぐに被災者の手元に届くわけではない。【大西】
日赤のチームが被災地の医療に取り組んでも、そこに義援金が投下されることはない。【渋澤】
被災者が一律に35万円を貰っても、解決できない問題が山積みしている。食事付きホテル住まいなら1ヵ月やそこらでえ消えてしまう。1年くらい住めるところを提供するNPOの活動があれば、そちらのほうが有効かも。他方、財産を一切合切失った人にとっては、当座の現金はありがたい。【大西】
要はバランスが大事だ、ということだ。【渋澤】
今の義捐金は、支給のスピードが遅すぎる。どのくらいの額が集まりそうなのかは、途中経過を見ればわかる。政府や金融機関が一時的に立て替えてもいいじゃないか。毎週3~5万円ずつでもよいから、早くリリースしたほうが被災者にとっては役立つ。こうしたことを踏まえて、現地で支援をプロジェクト化している団体に寄付するか、義援金にするか、寄付者が判断するとよい。【大西】
募金・義援金を出し、受け取るのは一方通行の関係だ。寄付であれば、寄付した側とされた側のキャッチボールがある。こういうプロジェクトのために使った、と投げ返し、納得したらもう一度支援できるかも。投げたボールを相手が落とせば、二度と寄付する気にはなれない。日本に欧米のような「寄付文化」が育ちにくかったのは、寄付された側からのレスポンスが疎かだったところに大きな原因がある。【渋澤】
寄付する側は答を求めるべきでない、寄付された側は答えなくてもよい、というのが、日本のカルチャーかも。【大西】
典型が「伊達直人」だ。キャッチボールは必要ない、という姿勢が明確だった。善意の行為であることは確かだが、あのやり方からは「文化」は育たない。案の定、数ヶ月のブームとなり、雲散霧消した。【渋澤】
善行は隠れてよるのが尊い、とは、すぐれて日本的だ。【大西】
善意の投げっぱなしにとどまれば、いつまでたっても地蔵性のある寄付のロールモデルはできない。【渋澤】
●なぜ寄付文化が必要か
こうした状況が続くのは、「寄付制度」の確立が遅れているせいだ。阪神・淡路大震災を契機に「器」の整備はそれなりに進んだが、寄付税制などは論議が抜け落ち、15年たってしまった。15年間でNPOの数はすごく増えたが、内実はどうか。ちゃんとしたNPOを見極めて、そこに活動にふさわしい資金を供給する仕組みが必要だ。NPOは事業体だ。きちんとした規則があり、指揮権が明確でなければならない。欧米では当たり前のこうした原則が、日本ではともすれば曖昧で、自発的サークル活動のような組織が少なくない。寄付制度を充実させると同時に、プロジェクト監査まできちんとやって、ダメなところにはダメと言える仕組みを構築すべきだ。【大西】
「制度」をしっかりさせることは、「文化」の涵養にもつながるはず。寄付文化を根づかせようとしたら、政府のあり方まで遡って考える必要がある。政府は市民社会の「代理」というのが民主主義の原理だ。米国社会が典型で、国民は社会は我々がつくった、という強いオーナーシップを持っている。税金を通じた間接的な資源配分と同時に、寄付という間接的な分配の仕方もある、と考える。翻ってわが日本は、政府=統治者の感覚だ。これだと、税金収入はもともと政府のものだ、という意識になりやすい。寄付のような直接分配は、あくまで「おまけ」という存在に陥ってしまう。欧米に比べて日本に寄付文化がなじまない理由を所得や宗教観の違いに求める見方が一般的だが、それだけでは日米で一人当たりの寄付額に何十倍もの隔たりがあることの説明にはならない。【渋澤】
日本人は、昔からすべてをお上に託していたわけではない。瀬戸内の港町には、民間の寄付で開かれたところが多い。例えば鞆の浦は、幕府も福山藩も関与せず、大店、中店、小店がそれぞれの格に合わせて寄付し、みんなのために港町をつくった。地方のインフラ整備まで政府にお任せのシステムが固定化したのは、田中角栄の日本列島改造論あたりからではないか。【大西】
明治の、北海道は十勝の民間開拓もそうだ。24人の民間人が、現在の金額にすれば億円単位の投資をし、26年かけて現在の十勝の基礎を築いた。日本人にも社会に対するオーナーシップが残っていた頃、民間ベースの長期投資や寄付文化はたしかに存在していた。寄付文化を取りもどす過程は、日本人が政府や社会との関わり方を再考する道筋と言える。【渋澤】
●東日本大震災への取り組み
今最大の問題は、依然として15~20万人の被災者が一次避難所で暮らしを余儀なくされていることだ。仮設住宅建設は急務だが、土地が足りない。東北にあった仮設住宅の最大手が被災したため、そもそも住宅の絶対数が不足している。事態打開のため、コンテナハウス・トレーラーハウスのような「1.5次避難所」を供給できないか、と自分は考えた。実物を取り寄せ、自治体などへ紹介し始めている。【大西】
初期の活動で余った金を振り向けるわけだ。【渋澤】
少し先のターゲットに考えているのは、零細漁民対策。路頭に迷った彼らをカバーするところはどこにもない。放っておけば、軒並みに廃業だ。低利融資と助成金を組み合わせたソーシャルファンド的な仕組みを構築できないか、話を始めている。「使い切り」でもいい。こうした事業のために資金の4割ぐらいは残し、長期にわたって地域のニーズに応えたい。【大西】
被災地の雇用づくりは、最高のリターンになる。民間ならではの、すばらしい構想だ。【渋澤】
以上、渋澤健(コモンズ投信会長)/大西健丞(認定NPOピ-スウィンズ・ジャパン代表理事)「寄付金は果たして有効に使われているか」(「中央公論」2011年6月号)に拠る。
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