9編の短編小説をおさめる。全編、近未来小説とも寓話ともいえる。どの短編にも共通して色濃く漂うのは喪失感だ。
寓意がことに目立つのは「午前四時八分」。ひとつの町全体が、標題の時刻以降、眠りについたのだ。例外的な少数が覚醒し、そして眠ることがない。歳をとらない。覚醒者は、旅人を無事に町の外へ連れ出すべく案内する。次の町にも、寓意に満ちた異変が起きている。
表題作「海に沈んだ町」は、このたびの震災を予知したかのような作品だ。少なくとも評者の読後感は、震災前とそれ以降ではまったく異なった。「失って初めてわかることもある」と主人公はつぶやく。ありふれた感慨だが、まるごと失われたものが故郷となると切実だ。
「橋」では、市役所から委託を受けた(小説では不明の機関の)女性が、一介の市民にカフカ的迷路をもたらす。昨日かくてありけり、明日もかくてありなむ、の日常性のもろさを剔抉する。これも、震災前とそれ以降では異なる読後感を与える作品だ。
書き下ろしの「ニュータウン」は、喪失感が希望に転じている。国家にささやかな抵抗を試みる庶民のエネルギーと狡猾さ、連帯が描かれて、読者にかすかな笑みをもたらす。幾分重苦しい作品群の最後にかかる作品を配するとは、心憎い。
白石ちえこの、随所に挿入された写真は、それ自体、鑑賞に耐える作品だ。小説と併せ眺めるとき、言葉なき写真の背後に無数の言葉が河となって流れているような錯覚を与える。
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本書は、アスパラクラブのブックモニターとして3月8日に受理、一読。震災後に再読し、震災前とは別の感銘を受けた。
【参考】三崎亜記『海に沈んだ町』(朝日新聞出版、2011)
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