(1)経産省からの天下り
電源開発を含む11の電力会社に、経産相から13人も天下っている。
資源エネルギー庁の前長官、石田徹は10数年前、電力の小売り自由化をめざして東電と戦った。その石田は、11年1月、副社長含みで東電の顧問に就いた。「監督官庁から取り締まられる側に転じて、なんの恥じらいもない」
同様に自由化の急先鋒だった迎陽一は、自由化に猛反対した関西電力の常務に就いた。
「最後は本人の生き方の問題だ」と2人の元上司は語る。
(2)松永事務次官
石田の天下りを認めたのは、松永和夫・経済産業省事務次官だ。
松永は、3月下旬、東電のメーンバンク三井住友の頭取にして全国銀行協会会長(当時)の奥正之頭取と秘かに話し合った。金融庁ではなく、経産相の事務次官がメガバンクの頭取と会うのは異例だった。会談の後、三井住友をはじめとする9行が東京電力に約2兆円を緊急融資した。松永が暗黙の保証を行った、と伝えられる。
その松永は、かつて東電を規制する職にいた。資源エネルギー庁の部長の後、02年7月から05年9月まで原子力安全・保安院の次長、院長を務めた。
在任中、阪神大震災を受けて、原発の耐震設計審査指針の改訂が行われた。改訂版(現行)の指針15ページのうち、津波への言及はわずか3行74文字。日本の原発は、すべて海岸にあるにもかかわらず、津波にはほとんど触れていない。
(3)日本の原子力行政
(a)資源エネルギー庁・・・・石油ショックのあった73年、エネルギーの長期的な需給政策を企画立案するために設立された。大きな柱が原発の推進だった。
(b)原子力安全・保安院・・・・01年の省庁再編の際、旧鉱山保安監督部が改組され、原発事故防止や事故時の対応を担当する規制部門として設置された。
(c)原子力安全委員会・・・・(b)とほぼ同時期に、原子力安全委員会の事務局もかつて旧科学技術庁から内閣府に移った。(b)と(c)とがダブルチェックで安全審査を行う、という建前だ。
(4)安全規制の空洞化
(3)の(a)、(b)、(c)の間で人事異動が行われ、実質的に一体の行政を展開してきた。経産相は、原発推進と原発規制の両面をコントロールしてきた。
(3)の(b)つまり保安院には、その来歴からして鉱山やプロパンガスの専門家が霞が関の本院に101人いる。原子力分野は、251人だ。出先機関にいる防災専門家は自衛隊出身者がいる。保安検査官は、メーカーからの転職組が占める。文科省など6省庁からの出向組も35人いる。院長は事務官だが、ほとんどの課長職は技官が占める。技官は、資源、化学など細分化されて採用され、ポストも冷遇されてきた。畑違いの技官が原子力を担当している。
米原子力規制委員会(NRC)が専門家をそろえた4千人態勢であるのに対し、いかにも貧弱だ。
(5)原子力行政再編の動き
(3)の(b)を経産相から分離し、(3)の(c)と統合し、国家行政組織法上の3条委員会とする案が政府内に浮上している。公正取引委員会などと同じく、「庁」と同格の権限を持たせるわけだ。
しかし、電力会社は強い政治力を持っている。「強い組織に担わせないと、電力にやられてしまいます」・・・・保安院と安全委を統合した上で環境省に移管する、といった抜本的改革をしなければ。
「あまりに無能な東電の陰に隠れて見過ごされがちだが、経産相は放射能汚染の原因官庁である」
以上、大鹿靖明(編集部)「経産省『電力閥』と保安院」(「AERA」2011年4月25日号)に拠る。
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電源開発を含む11の電力会社に、経産相から13人も天下っている。
資源エネルギー庁の前長官、石田徹は10数年前、電力の小売り自由化をめざして東電と戦った。その石田は、11年1月、副社長含みで東電の顧問に就いた。「監督官庁から取り締まられる側に転じて、なんの恥じらいもない」
同様に自由化の急先鋒だった迎陽一は、自由化に猛反対した関西電力の常務に就いた。
「最後は本人の生き方の問題だ」と2人の元上司は語る。
(2)松永事務次官
石田の天下りを認めたのは、松永和夫・経済産業省事務次官だ。
松永は、3月下旬、東電のメーンバンク三井住友の頭取にして全国銀行協会会長(当時)の奥正之頭取と秘かに話し合った。金融庁ではなく、経産相の事務次官がメガバンクの頭取と会うのは異例だった。会談の後、三井住友をはじめとする9行が東京電力に約2兆円を緊急融資した。松永が暗黙の保証を行った、と伝えられる。
その松永は、かつて東電を規制する職にいた。資源エネルギー庁の部長の後、02年7月から05年9月まで原子力安全・保安院の次長、院長を務めた。
在任中、阪神大震災を受けて、原発の耐震設計審査指針の改訂が行われた。改訂版(現行)の指針15ページのうち、津波への言及はわずか3行74文字。日本の原発は、すべて海岸にあるにもかかわらず、津波にはほとんど触れていない。
(3)日本の原子力行政
(a)資源エネルギー庁・・・・石油ショックのあった73年、エネルギーの長期的な需給政策を企画立案するために設立された。大きな柱が原発の推進だった。
(b)原子力安全・保安院・・・・01年の省庁再編の際、旧鉱山保安監督部が改組され、原発事故防止や事故時の対応を担当する規制部門として設置された。
(c)原子力安全委員会・・・・(b)とほぼ同時期に、原子力安全委員会の事務局もかつて旧科学技術庁から内閣府に移った。(b)と(c)とがダブルチェックで安全審査を行う、という建前だ。
(4)安全規制の空洞化
(3)の(a)、(b)、(c)の間で人事異動が行われ、実質的に一体の行政を展開してきた。経産相は、原発推進と原発規制の両面をコントロールしてきた。
(3)の(b)つまり保安院には、その来歴からして鉱山やプロパンガスの専門家が霞が関の本院に101人いる。原子力分野は、251人だ。出先機関にいる防災専門家は自衛隊出身者がいる。保安検査官は、メーカーからの転職組が占める。文科省など6省庁からの出向組も35人いる。院長は事務官だが、ほとんどの課長職は技官が占める。技官は、資源、化学など細分化されて採用され、ポストも冷遇されてきた。畑違いの技官が原子力を担当している。
米原子力規制委員会(NRC)が専門家をそろえた4千人態勢であるのに対し、いかにも貧弱だ。
(5)原子力行政再編の動き
(3)の(b)を経産相から分離し、(3)の(c)と統合し、国家行政組織法上の3条委員会とする案が政府内に浮上している。公正取引委員会などと同じく、「庁」と同格の権限を持たせるわけだ。
しかし、電力会社は強い政治力を持っている。「強い組織に担わせないと、電力にやられてしまいます」・・・・保安院と安全委を統合した上で環境省に移管する、といった抜本的改革をしなければ。
「あまりに無能な東電の陰に隠れて見過ごされがちだが、経産相は放射能汚染の原因官庁である」
以上、大鹿靖明(編集部)「経産省『電力閥』と保安院」(「AERA」2011年4月25日号)に拠る。
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