ある退職教師のつれづれなるままに

38年間の教職26.3.31退職
4月1日再任用。自分の目でみたこと感じた事など
つれづれなるままに記します。

2025-21 33 回忌での1つの話題

2025年01月21日 | 日記
今日は義父の33回忌。久しぶりに親族が集まった。
法事が済んで会食会にて
色々な話題で盛り上がった。ふと誰かが
「何故、父(義父)は戦争にいかなかったのだろう?」と。
まわりの人たちは結構、出征していたのに。・・・
「そう言えば、聞いたことがないね。」
「戦争のことはあまり話したがらなかったし・・・。」
大正元年生まれだ。自分の父とは6歳違い。父は戦争に2度出征している。
20歳で満州事変の後と結婚直後と。
置き換えるとその時の年齢は26歳なのだ。そして30歳。
何故だろう?考えてみた。病気?
農家の長男だったから?・・・年齢制限?
義父の3つ下の弟は出征している。帰国した直後、結核で亡くなったそうだ。
軍服姿の遺影が残っている。
何故、義父は? 結局、わからずじまいだった。

1番上の姉が戦争の思い出を話してくれた。
B29が頭上を何機も飛んでいったこと。
当時は高い建物もなく、ここは高台だから数キロ離れていたA町に
パラシュートがたくさん降りてきた様子がはっきり見えたと。
当時は5歳頃だと思うが鮮烈に感じていたのだろう。
そして終戦後の物がない厳しい生活を生々しく語ってくれた。

貴重なこの地域の当時の話が聞けた33回忌だった。

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2025-20 日報論壇に公教育の水泳指導のあり方が掲載

2025年01月20日 | 日記
1月14日のブログ13で「公教育の水泳指導のあり方について」を
地元の新聞社に投稿、1週間後の今朝の日報に掲載されていた。

水泳廃止については黙ってはいられなかった。
この記事を書くに当たって
色々な人からも意見を伺った。県の教育関係者、施設の館長
現役の教師、コーチ、等々。

新聞を読み、知人から幾つかのメールで感想が届いた。

午後からある家を探しに車を降りて歩いて道を尋ねた方から
「00さん?」と。「今日の新聞に載っていたでしょう」と
全くの偶然、しりあいだった。
「おいくつになりましたか?」
「もう90歳だよ。」元気に雪かきをしていた。
「水泳廃止に黙ってはいけないと、興味を抱いて読んだよ」と。
「いい内容だったね」と思いがけなくお会いした大先輩の感想だった。
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2025-19 JAの集いで料理研究家のきじまりゅうた

2025年01月20日 | 日記
前号から続く。
今回はこれまでブログで取り上げなかった食の話題です。
いよいよ試食会。メニューは伝承料理「ひっつみ汁」なっていた。
そして鶏肉と厚揚げのカレー煮 長芋とネギのとろみ煮
さつまいもとりんごとヨーグルトサラダ 大根と切り干しの甘酢あえの5点。
作ったスタッフ20名。4人で5班。
特に長芋の入ったスープがまるで片栗粉をいれたようにとろみがでる味になるのには驚いた。
献立は料理研究家のきじまりゅうたさんが作成。
後半は彼の講演だった。
祖母があの有名な村上昭子料理研究家であった。
母がきじま直美同じ料理研究家。
彼は43歳と若い。
小さな時はおばあちゃん子でいつも祖母のそばでままごとならぬ
料理ごっごをしていたそうだ。
キューピー3分クッキング等々。色々活躍しているようだ。
今朝のNHKあさいち20日、9時30分頃出演するとのこと。
料理好きな好青年だった。



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2025-18 JA女性部集会と小岩井農場

2025年01月19日 | 日記
午後から珍しいJA女性の集いがあった。130人ぐらいの参加。
岩手には7つのJAがある。その中でもっとも大きい地域である。
コロナがあり今回の企画は5年ぶりの開催とか。内容は家の光りクッキング・フェスタ。
地域の食材を生かした料理の試食会と講演会と楽しいものだった。

主催者挨拶ではこの地域の特徴が話された
何でも開拓者の数が2番目に多いそうだ。1番目は一戸町の447人
そしてここが441人入植したそうだ。初耳であった。
土壌は岩手山の火山灰のため酸性で水はけがよい地域だと。
そのため作物作りに適しスイカ、リンゴ、サツマイモ、酪農が盛んだと。

同地域に3000haの小岩井農場がある。そこで勤務している方から
小岩井農場の歴史が改めて紹介された。
明治時代に遡る。井上勝鉄道長官が明治30年代盛岡まで鉄道が開通。
その時、代償に多くの田畑を潰したことからその役に立ちたいと
近くを歩き回り、小岩井に農場を作ろうと発案。その企画の資金援助を
三菱の岩崎弥之助に小野を仲介にして申し出たと。岩崎が快諾し、名称が
それぞれの名字の1字をとって小岩井農場になったというのは有名だ。
しかし発案者の井上が農業にしろうとのため7年で廃業の危機。
その後を引き継いだのが弥太郎の長男久弥であった。久弥はアメリカに留学して
農業・酪農を学んでいたことから今の前身の形がつくられたと説明があった。
そこで作られた乳製品は今でも天皇への御用達の品である。
また酪農の技術を地域に伝達して広めたのであった。
思いがけない地域との繋がりの話であった。
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2025-17 「問いから問いへ」豊かな学びの象徴の1本の映画

2025年01月18日 | 日記
これ程、豊かな学びの姿を的確に具現化した映画があるだろうか。

「型破りな教室」
場所はメキシコ、国境の町、2,011年、麻薬が蔓延る危険地帯。
実話である。
国家試験、日本でいう学力テストで数学、科学、国語の成績が全国最下位。
6年生の半分以上が卒業が危ぶまれているH小学校の新学期。
赴任したフアレス教師は教室の机を廊下にだして床は海と。
その中でボートが6、海に投げ出された人が36人、定員は5人。
どの様に救助するか という問い。
倫理観を問います。始め何をするんだこの先生は?と斜めに構えていた生徒は
教師の語りかけに次第と引き込まれ真剣に考えるようになります。
これは哲学者ジョン・スチアート・ミルの問題です。
全てこの調子です。座学より教室を飛び出して生きた教材へ。
貧困・麻薬・放任。家庭環境が底辺の子どもが学ぶ楽しさを味わい変わってきます。
そして・・・・・悲劇も。・・・
学力テストを前に問題を入手して不正に点数を上げようとする同僚。
それに応じないフアレス。指導要領に沿わないと授業と見なされ教育長の訪問で自宅謹慎に。
しかし、その年の学力テスト、昨年と段違いの90点以上の平均点、特に天才少女は全国1位。
仲間の10人が全国トップ10。・・・・
学びとは?

立場によって様々なことを感じると思います。
多くの方々に鑑賞してほしい1作品です。



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