ある退職教師のつれづれなるままに

38年間の教職26.3.31退職
4月1日再任用。自分の目でみたこと感じた事など
つれづれなるままに記します。

2024-44 雛人形の男雛、女雛の位置は?

2024年03月13日 | 日記
町家を散歩していたら3月、いかにも古いひな人形が飾られていた。
何気なく見ていると、男雛が向かって右にあるものもあれば
向かって左にあるものあった。なぜ統一されてないんだ?
と疑問に思っていた。
今日、先人記念館のボランティア活動日。
正面の玄関に近いところにひな人形が飾ってあった。
古い格式のある人形であった。
男雛、お内裏様は向かって右側だった。
つまり女雛お雛様は向かって左。これにルールは?
江戸時代までは男雛は向かって右という答えが返ってきた。
明治に入って西洋思想が入ってから逆の位置になったという説明だった。
古式の場合は向かって右側がお内裏様なのだ。

雛人形の持ち主は村井茂兵衛だった。
あの悲運の豪商だ。江戸時代、盛岡藩で1番の豪商。鍵屋の4代目だ。
それが戊辰戦争で敗れたために、明治政府の策略で、藩の身代わりになり、
多額の借金の返済で経営していた尾去沢鉱山を強制的に取り上げられ
不運にも没落してしまいなくなったのだ。

雛人形を見ながら無念の鍵屋を偲んだ。



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2024-43 創業400年、盛久16代目誕生

2024年03月13日 | 日記
江戸時代の1825年から続く盛岡藩のおかかえの南部鉄器釜氏。
鈴木盛久の15代目が珍しい女性の釜氏だった。盛久志衣子さん。
この盛久は盛岡の誇る南部鉄器の名店だ。

13代がすごい。茶道をたしなみ釜氏としての作品も多数。ベルギーの万国博で金賞、
日展特選ブリュッセル万国博でグランプリ受賞など数々の優れた作品をのこし、
昭和49年1974年国の無形文化財を指定されるのだ。
14代は鈴木寛爾は東京藝術大学教授と釜氏の2足の草鞋
その娘が15代目を継いでいたのだ。しかも40年という間だ。
そして今年16代目息子の、鈴木しげお成朗さん51歳に引き継ぐ。
この3月13日から東京の日本橋三越本店で襲名記念展を開催とか。
東京藝術大学を卒業、アパレルデザイナーとしての経験を生かして
更なる発展を期待できるというものだ。

南部鉄器は3代目小泉仁右衛門が現在の南部鉄瓶を創案されたといわれる。
明治時代、皇太子も視察。大正時代が全盛期で販路が東北から全国へ。
戦争時代は制作も制限。大打撃をうけた。制作者は16人に絞られた。
戦後、生活スタイルの変化で生活必需品の地位を失ったが
これに代わりすき焼き鍋などのテーブルウェアで南部鉄器のブランド名で
全国に普及。国の伝統工芸品第1号として1975年昭和50年指定されている。

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