町家を散歩していたら3月、いかにも古いひな人形が飾られていた。
何気なく見ていると、男雛が向かって右にあるものもあれば
向かって左にあるものあった。なぜ統一されてないんだ?
と疑問に思っていた。
今日、先人記念館のボランティア活動日。
正面の玄関に近いところにひな人形が飾ってあった。
古い格式のある人形であった。
男雛、お内裏様は向かって右側だった。
つまり女雛お雛様は向かって左。これにルールは?
江戸時代までは男雛は向かって右という答えが返ってきた。
明治に入って西洋思想が入ってから逆の位置になったという説明だった。
古式の場合は向かって右側がお内裏様なのだ。
雛人形の持ち主は村井茂兵衛だった。
あの悲運の豪商だ。江戸時代、盛岡藩で1番の豪商。鍵屋の4代目だ。
それが戊辰戦争で敗れたために、明治政府の策略で、藩の身代わりになり、
多額の借金の返済で経営していた尾去沢鉱山を強制的に取り上げられ
不運にも没落してしまいなくなったのだ。
雛人形を見ながら無念の鍵屋を偲んだ。
何気なく見ていると、男雛が向かって右にあるものもあれば
向かって左にあるものあった。なぜ統一されてないんだ?
と疑問に思っていた。
今日、先人記念館のボランティア活動日。
正面の玄関に近いところにひな人形が飾ってあった。
古い格式のある人形であった。
男雛、お内裏様は向かって右側だった。
つまり女雛お雛様は向かって左。これにルールは?
江戸時代までは男雛は向かって右という答えが返ってきた。
明治に入って西洋思想が入ってから逆の位置になったという説明だった。
古式の場合は向かって右側がお内裏様なのだ。
雛人形の持ち主は村井茂兵衛だった。
あの悲運の豪商だ。江戸時代、盛岡藩で1番の豪商。鍵屋の4代目だ。
それが戊辰戦争で敗れたために、明治政府の策略で、藩の身代わりになり、
多額の借金の返済で経営していた尾去沢鉱山を強制的に取り上げられ
不運にも没落してしまいなくなったのだ。
雛人形を見ながら無念の鍵屋を偲んだ。