この美術館の目玉である舟越保武の作品について、具体的に展示をみながらガイドして頂いた。
女性を柔らかい表情で繊細に表現している幾多の像の作品。
完璧主義を求めていたと。それが1つ、萩原朔太郎の遺族の依頼で作成したが何度も駄目出し。
まだ途中でこれでいいのでは、とこの作品を見せたら遺族は満足したと。
やり過ぎて削りすぎることに気づいたとの1つの作品。
代表作、長崎の26殉教者記念像。
秀吉の禁教令により26人の外国人神父と日本人教徒 (6人の宣教師と信徒20人)
が京都から長崎まで1か月歩き長崎の西坂で処刑される。1,597年。
高山右近は石田三成により、除命される。
その一部の4人のレプリカが展示。
歩いて服もボロボロになっていたろうがきちんとした正装。
足がいすれもつま先立ち。いわゆる昇天している姿を表現している。
手や足が1本1本違う。1体ずつ時間をかけて丁寧に仕上げたといわれる。
代表作 原の城
島原の乱で3万7000人死亡。その中で地底から湧き上がる絶望的は鬨の声
保武の作品には実像と虚像の世界を兵士の姿に表している。
一見、埴輪のようにみえる眼がくりぬかれ亡霊の兵士を表現していると。
代表作 ダミアン神父 1975年作品。八年ぐらいかかったと。
ハンセン病患者を前かにして看病して1年後罹患。
ようやくライ患者と同じで目線で語れるようになった、と話していた神父。
その気高さをどう表現できるのか。思い悩みながら表す、血節、血種を顔や手に表す。
生き様が見える「ゴルゴダ」一九九三年、八一歳
保武さんは七六歳で病気で右手が使えなくなる。
その後左手で創作活動に打ち込む。石は硬い大理石からブロンズ像へ
初期の繊細な女性像から晩年の荒々しいそして胸を打つ作品だ。
子の桂氏がこの最後の作品を見て
「これを造るために今まで彫刻をやってきた。」と語ったといわれる。
生き様がダミアン神父と重なって見えた。
女性を柔らかい表情で繊細に表現している幾多の像の作品。
完璧主義を求めていたと。それが1つ、萩原朔太郎の遺族の依頼で作成したが何度も駄目出し。
まだ途中でこれでいいのでは、とこの作品を見せたら遺族は満足したと。
やり過ぎて削りすぎることに気づいたとの1つの作品。
代表作、長崎の26殉教者記念像。
秀吉の禁教令により26人の外国人神父と日本人教徒 (6人の宣教師と信徒20人)
が京都から長崎まで1か月歩き長崎の西坂で処刑される。1,597年。
高山右近は石田三成により、除命される。
その一部の4人のレプリカが展示。
歩いて服もボロボロになっていたろうがきちんとした正装。
足がいすれもつま先立ち。いわゆる昇天している姿を表現している。
手や足が1本1本違う。1体ずつ時間をかけて丁寧に仕上げたといわれる。
代表作 原の城
島原の乱で3万7000人死亡。その中で地底から湧き上がる絶望的は鬨の声
保武の作品には実像と虚像の世界を兵士の姿に表している。
一見、埴輪のようにみえる眼がくりぬかれ亡霊の兵士を表現していると。
代表作 ダミアン神父 1975年作品。八年ぐらいかかったと。
ハンセン病患者を前かにして看病して1年後罹患。
ようやくライ患者と同じで目線で語れるようになった、と話していた神父。
その気高さをどう表現できるのか。思い悩みながら表す、血節、血種を顔や手に表す。
生き様が見える「ゴルゴダ」一九九三年、八一歳
保武さんは七六歳で病気で右手が使えなくなる。
その後左手で創作活動に打ち込む。石は硬い大理石からブロンズ像へ
初期の繊細な女性像から晩年の荒々しいそして胸を打つ作品だ。
子の桂氏がこの最後の作品を見て
「これを造るために今まで彫刻をやってきた。」と語ったといわれる。
生き様がダミアン神父と重なって見えた。
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