草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

財務省と大宏池会による総理総裁擁立は茶番だ!

2024年02月01日 | 政局
 今回の自民党の権力闘争の背後には、財務省の影が見え隠れするという。そこ出身の髙橋洋一氏がいうのだから、まんざら嘘ではないのだろう。財務省の目的は言いなりになってくれる総理大臣をつくることだ。岸田派が消滅して麻生派に吸収されて、そこで大宏池会が誕生し、上村陽子外相が総理大臣にでもなれば、財務省は万々歳なのである。国益などはどうでもよく、省益が優先され、自分たちの既得権益を守ればいいのだ。
 なぜそこまで財務省の官僚組織が巨大な権限をもつに至ったかというと。戦後の日本においては、社会主義的な公共事業が優先されることで、経済の舵取りを官が担うことになり、政治はお願いをする側に回ってしまったからだ。官僚出身の大物政治家や田中角栄が政界から姿を消すと、さらにその傾向は強まった。「権力は腐敗する。絶対権力は絶対に腐敗する」と言われるが、戦後80年近くも君臨していた官僚組織がまともなわけはない。とくに財務省は強制捜査権を持つ国税庁が傘下にある。今回のパーティ券の不記載問題でも、政治資金規正法がらみだと、せいぜい会計担当者を立件して終わりだが、脱税となると話は別である。どのように判断するかは、あくまでも財務省の匙加減一つなのである。
 思い起こせば、平成5年の金丸脱税事件などは、その最たるものである。脱税とやられれば、その段階で政治生命は終わりである。その武器を財務省は握っているのだ。
 今の我が国は「日本のチカラ」を発揮するためにも、政治の指導力が求められている。しかし、財務省はそれが嫌なのである。エリートの道を駆け上ってきた彼らからすれば、財務省があっての国家であり、国家があっての財務省ではないのである。
 岸田総理が駄目なのは、財務省に逆らえないことだ。積極財政派の保守派を一掃されてしまえば、日本経済はメチャクチャである。政治家が財務省に意向に反して、どこまで抵抗できるかである。その目安が高市早苗総理総裁の誕生なのである。官僚政治から脱却しなければ、いつになっても国民は浮かばれないのである。
 

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