草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

冬になるとなおさら読書三昧

2024年12月21日 | 思想家
 12月に入ると小林秀雄の『本居宣長』です。本物かどうかを見分けることの大切さや、常識の意味を教えてくれたのは小林でした。その影響からドストエフスキーの小説や『源氏物語』を読むようになりました。
 小林の書く物は、若いときにはスラスラと理解できた気がしました。あたりまえのことが書いてあるように思えたからです。しかし、老いた今となっては、奥が深く、断定的に語るので、眼光紙背に徹する読み方を心掛けるようになりました。あたりまえのことを言っているようで、なぜそうなるかまで言及をしているからです。
 これからどれだけの本を読めるかとなると、心もとない限りですが、ドストエフスキーの作品を再読し、『源氏物語』も現代文ではなく、原文にあたりたいと思っています。『三国志』は劉備というよりも、曹操の方に関心が向いています。
 食いかじっているマルクスは、仲正昌樹の『マルクス入門講義』はつい最近読破して感銘を受けました。初期マルクスの思想を究明し、よく話題になる「類的存在」を「類的本質」と訳したりで、刺激的な内容であったからです。
 的を絞れないままに、好きな本を手に取って楽しむしかありません。終活で本を整理するよりも、たいした蔵書ではなくても、本の方から語りかけてきますから、それに応じるしかないからです。
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常識を重んじる保守主義は極端な言説を口にしない

2024年11月12日 | 思想家
 自民党と立憲民主党の差がなくなり、新興の保守政党も方向が定まらず混乱している。保守主義という定義すら不明瞭になってしまってはいないか。
 あくまでも保守主義というのは常識を重視する。改革なるものの結果に責任を持てないからであり、混乱することを極度に恐れるからである。選択的夫婦別姓や同性婚に反対するのは、これ以上世の中が混乱すれば、取り返しが付かなくなるからだ。
 ことさら正義を主張しないのである。見通しがないのに、急激な改革を進めたことの失敗は、何度も私たちが経験してきたことではないか。マスコミが囃し立てた政治改革にしても、民意が反映されない小選挙区制度を導入しただけに終わってしまった。
 保守主義はイデオロギーではない。上から目線で人々に説教を垂れることもない。福田恆存の言葉を思い起こすべきだろう。福田は「保守派は無智といはれようと、頑迷といはれようと、まづ素直で正直であればよい。知識階級の人気をとらうなどという知的虚栄心は棄てるべきだ。常識に随ひ、素手で行つて、それで倒れたなら、そのときは萬事を革新派にゆづればよいではないか」(「私の保守主義観」)と書いていた。
 偉そうな御託を並べ立てる者たちは、保守主義とは無縁である。常識的に考えて、極端を嫌うのが保守主義の特長なのである。
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保守の原点は日本の国柄を守り育てることだ

2024年11月04日 | 思想家
 デモクラシーという言葉は、民衆の支配ということであり、一歩間違うと衆愚政治になりかねない。それを防ぐにはどうしたらよいか。それが国々によって異なるのであり、日本には日本の国柄がある。
 政治的な権力とは別に、国民統合の文化的権威としての皇室は、陛下がそうであられるように、無私に徹してこられた。だからこそ、政治権力としての政体は変遷しても、万世一系は変わることなく続いてきたのだ。
 政治的な争いにおいても憎悪をぶつけるのではなく、あくまでも「矩(のり)を踰(こ)えず」というのが原則であった。聖徳太子が十七条の憲法第一条に「和を以て貴しとなす」とお書きになられたのは、その原則をお述べになられたのである。
 保守を名乗る人たちに求められるのは、その精神があるかどうかである。日本の国柄を破壊しようとする者たちは排除しなければならないが、それを認めた上で、建設的な合意形成ができるかどうかなのである。日本は日本の国柄を守り育てることで、国際社会での役割を果たすべきで、歴史と伝統を無視しては、日本という国家の存在理由は失われてしまうのである。


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政治家は悪魔とも付き合わなければならないのだ

2024年07月29日 | 思想家
 政治家はどうあるべきか。清水幾太郎は「ヴェバーとシュミット」の解説文において、政治家は悪魔とも付き合わねばならないことを理解していた、
 清水は、マックス・ヴェバーの「世界が悪魔によって支配されていること、政治即ち手段としての権力及び強制力に関係する人間は悪魔の力と契約を結ぶものであること、善からは善のみが生まれ、悪からは悪のみが生まれるというのは彼の行為に取って真実ではなく、屡(しばしば)その反対である事、これらは昔のキリスト教徒もよく知っていた。これに気が付かない者は、事実上、政治的には子供である」(『職業としての政治』)との言葉を引用した。
 その上で清水は、暴力を無視してはこの世に正義を実現することが難しいのであり、人を動かし、あらゆる力を動員するためには「彼は、すべての強制力のうちに身を潜めている悪魔の諸力と関係せねばならぬ」(『同』)という現実を直視した。
 清水は人間性を否定する側に立つわけではない。そうした現実を引き受けながら、それでもなお「私はこうするよりほかに仕方がない、私はこれに固守する」(『同』)という人間的な純粋さを高く評価するのだ。そうなることで責任倫理と心情倫理とは互いに相補うものとなり、政治を天職とする純粋な人間を作り上げることが出来るのだという。
 私たち日本国民は、日本の核保有をめぐる議論も避けては通れなくなった。平和を維持するためには、悪魔とも手を握らなければならないかどうかを、政治家は国民の前で語らなければならない。きれいごとで戦争になってしまうよりも、はるかにましであるからだ。しかし、それができる政治家が、今日本で何人いるだろうか。危機が迫っているにもかかわらず、あまりにも無責任ではないだろうか。
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母と父の復権とアメリカ大統領選挙

2024年07月24日 | 思想家
 アメリカの大統領選挙にに民主党からはハリスが立候補することがほぼ本決まりになったことで、トランプとの争点が明確になってきました。家族の絆を大切にし、キリスト教的な信仰心を重視するか、それとも多様性の名のもとに世界を混乱に導くかの二者択一であるからです。
 保守派の論客の福田恆存は、女が女らしくなくなり、男が男らしくなくなるということは、「みんなが醜くなるということであります」(『幸福論』)と書いています。
 女性が働くようになって、その金で洋服やハンドバックを買えるようになったというのは、福田にとってはどうでもいいことです。「女らしさ」を否定して置きながら、その実は女であることを武器にしているからです。
 結婚しない男性が増えたことに関して福田は、ある精神分析学者の「一般に男が女に求める母性を、女が失い始めたこと」に起因するとする説に言及しています。
 それでどこまで説明が付くかとなると問題ですが、福田が指摘したように、男と女の役割りの喪失が、人間相互のコミュニケーションを難しくしていることは確かです。時代と共に、男と女の関係が変わることは容認するとしても、極端というのは、お互いにとって悲劇を招くことになるからです。トランプが勝つことになるのは、アメリカ国民の多くが、落ち着いた暮らしを待望していると思うからです。その意味からしても、福田の言葉は未だに色あせてはいないのです。
「結論はすでに出ております。『女らしさ』などというものを、封建的にせよ、近代的にせよ、抽象強化してはなりません。それはもっと包括的なものです。女は男に取って、友人であり、姉であり、妹であり、子であり、相棒としての主婦であり、そしてなによりも、それらを結びつける要(かなめ)としての母でなければなりません。男についても同様のことが言えます。今日、私たちからもっとも失われているものは、女のなかの母であり、男のなかの父であります。しかも、多くのひとが、その喪失を独立と勘違いしています。新しさと勘違いしております。その結果、めいめいは独立しても、頼みにならぬ妻や母親、頼みにならぬ夫や父親が多くなってしまいました」(『同』)
 欧州で保守派が勢いを盛り返し、アメリカでトランプが勝つことがほぼ確実視されているのは、行き過ぎは是正されなくてはならないからです。
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日本は今音を立てて崩壊しようとしている

2024年05月04日 | 思想家
 国が壊れていくということは、まさしく今の日本の姿ではないだろうか。マスコミは真実を伝えず、ネットはネットで、わけもなくいきり立っている。国民の多くは何が何だか分からず、政治的な争点は、自民党の「裏カネ」だけだと思わされている。
 岸田首相は、財務省とアメリカの言いなりで、迫りつつある危機に、まったく対処しょうとしていない。こんなときこそ保守はまとまるべきなのに、分断が進み、平気で人格を否定するようなことを口にしている。
 そんななかで、時代遅れの特定野党が衆議院補選では3議席を獲得した。これを見て喜んでいるのはかの国ではないだろうか。日本がまともな国家になり、核武装をするような事態にでもなれば、全てが水泡に帰してしまうが、そんなことはまずあり得ないからである。
 このまま日本は、行くところまで行くしかないだろう。確実に台湾有事は置き、中国は武力を行使してくるだろうし、沖縄もまた戦場になるだろう。その騒ぎに乗じて、ロシアに、北海道の一部が占拠される危険性もある。
 未だに自衛隊は軍隊にしてもらえず、正当防衛の範囲内でしか、武器も使用できない。腑抜けになった日本は、どん底に落ちるしかないのである。そこから這い上がってこれるかどうかも疑問だが、あまりにも悲観的な材料ばかりである。
 どうすればようかという案も浮かんではこない。音を立てて日本が崩れ落ちていくさまを、今はただじっと見ているしかないのだろう。
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グローバリズムを乗り超える超民主主義への不安

2024年03月24日 | 思想家
 人類が今後どのようになっていくか。ジャック・アタリの『21世紀の歴史』によれば、下層ノモド(現代の遊牧民)がグローバリズムの世界を根本から揺るがし、超民主主義の世界が到来するのだという。
 下層ノモドは、現代の貧しい遊牧民であり、2035年には35億人以上に達し、貧困に耐えられず農村から都市部に異動し、暴動に加担し、海賊的な経済行為にも参画し、怪しげな宗教団体のターゲットになる。
 それでいて、超民主主義が実現した場合には、彼らがその原動力となるというのだ。これはまさしく、アントニオ・ネグリのマルチチュードの思想と一緒ではないか。
 貧困と抑圧された少数者の違いはあっても、多数派を形成することで、負け組が勝利者となるのである。革命と呼ぶにふさわしいだろう。
 アタリが言うように「市場民主主義をベースとした利他愛に基づく人類の新たな境地」としての超民主主義に向かうというのは一筋の希望の光ではあるが、それが実現するまでに夥しい人々が犠牲になるのではないか。それを経過せずに済むようにするための知恵を、今の私たちが手にしているとは思えないのだが。
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日本保守党は福田恆存の論争の仕方を学ぶべきだ

2024年03月20日 | 思想家
 日本保守党に期待していただけに、あまりにも残念でならない。口汚く罵るのはやめた方がいい。岸田首相に批判的な僕であっても、度が過ぎると眉を顰めたくなるからである。
 保守派の論客であった福田恆存をお手本にすべきだろう。福田は全学連集流派(60年ブンド)の若者たちを罵倒しなかった。彼らの気持ちになって『常識に還れ』と教え諭した。
 そして、短絡的な物の見方ではなく、日本近代史の弱点である「異常事に興奮しやすい、緊張に堪えられぬ個人の弱さ」を問題にした。異常な速さで達成した近代化と、精神が未熟なままの矛盾から「時折、国民を軽挙妄動に走らせる」と分析した。
 また、福田は「民主主義もまた必要悪であることを知らねばならぬし、何事にも必要悪が伴なうものである以上、それを回避するには何が必要かを深刻に考えなければならぬ」(『常識に還れ』)と書いた。政治はきれいごとでは語れないからである。
 福田は偉そうなことを口にしたわけではない。日本人全体の欠点を自覚し、その一人として、若者たちに、冷静になることを呼びかけたのであり、政治の本質であるリアリズムを説いたのだ。「汝の敵を愛せ」とは言わないが、相手の立場を思いやる余裕を持つべきなのである。
 福田が全学連主流派に呼びかけた文章は説得力に満ちていた。これによって正気を取り戻した若者が多かったのである。
「私が最も好意をもつ主流派諸君に忠告する、先生とは手を切りたまへ。ついでに、共産党から貰ったニックネームのトロッキストを自称する衒学趣味から足を洗いたまえ。歴史を手本とする教養主義を棄てたまえ。警官より物を知っており、郷里の百姓に物を教えうるなどという夢から醒めたまえ。あるいは、そんなことは十分心得ていると言うかもしれない。それなら『純粋なる学生の心』に賭けて戦術主義をさっぱり棄てたまえ」
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保守主義の根本にあるのは高貴な精神と品位だ

2024年03月10日 | 思想家
 保守主義というイデオロギーを語るときに、よく引き合いに出されるのがエドモンド・バークである。バークは「自然は省察なしに知恵であり、省察にまさるのである。革新の精神は、一般に利己的な気質と限定された視野との結果である。祖先をかえりみない人々は、子孫にも期待しないであろう。さらに世襲という思想が、改良の原理をまったく除外することなしに、保守の確実な原理と伝達の確実な原理を提供することを、イギリスの人民はよく知っている」(『フランス革命の考察』水田洋訳)と書いたのである。
 人間が進歩するのは、自然の営みとして行われるのであって、勝手な妄想によるものではない、と断言したのだ。そこで世襲というものにこだわったのは、イギリスの貴族制度を容認したからである。高貴な精神に支えられた階級が世襲として受け継がれることは、文化の型を保全することでもあるからだ。
 そうした観点に立てば、日本に保守主義が根付いているかどうかとなると、はなはだ心もとない。自民党ですら、自由と民主主義いう党名を使用しており、戦後の目覚ましい経済成長を支えたのは、イノベーションの革命であり、本来の保守主義とは無縁に思えてならない。
 さらに、左翼からすれば、保守主義と反動との区別もつかず、一緒くたにしてしまった。日本保守党が誕生したが、そこに品位が抜け落ちているのが残念に思えてならない。保守主義は文化的な型を重視する。大衆を煽るようなこともせず、変えるべきものは変えつつ、守るべき文化を大切するのである。その原点を見失ってしまえば、保守主義と呼ぶべきではないのである。
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政党は政策で政治家は業績で評価すべきだ

2024年02月23日 | 思想家
 ネットを見ていて心配になることがある。政党や政治家を批判する場合に、単なる感情論でXしている人たちが多いからである。中村菊男は『政治家の群像』において政治評論について、次の四つを常に念頭に置くべきだという考え方を示した。
 第一に、政党の批判は政策を中心とすべきである。第二に、政治家の評価はその人の挙げた業績をもってすべきである。第三に、個人面では政治家の負担を減らすような評論が求められる。第四に、政党の権威をたかめ、国民が政党に親しみのもてるような環境をつくるべきであるーと書いた。
 自公政権で景気がどうなっているか、安全保障の面で充実が図られているかということで、痛いところを突くべきなのである。スキャンダルなどは二の次でいい。
 政治家はあくまでも何をしたかである。反対するだけが政治家の仕事ではない。野党であってもできることはあるわけで、そこで判断されるべきだろう。反対のための反対の政党は問題外なのである。
 あくまでも政治家は公的なサービスに徹しなくてはならない。小選挙区になってからなおさらだが、あらゆる相談に応じるとか、小さな会合にまで顔を出すようなことでは、公僕としての使命を果たせない。
 政党を悪しざまに罵るのは、政治不信を高めるだけである。政治を身近に感じてもらうためには、政治の果たしている役割を啓蒙する必要もある。
 中村はあたりまえのことを言っているだけである。スキャンダルだけで投票し、政権交代のかけ声に踊らされた過去を、私たちは反省しなくてはならない。冷静に物事を見るためには、床屋政談のレベルの議論に迎合してはならないのである。
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