ことしも残すところ後わずかである。マスコミの権威が失墜した記念すべき年であった。それは1970年前後の大学騒動のときと似ている。進歩的文化人といわれていたサヨクが、全共闘の学生たちの異議申し立てに、なすすべがなかった。抑圧された者の解放を主張しているくせに、大学教授の特権的地位に安住していたのを糾弾されると、言葉を失ってしまったのである。東大では「戦後民主主義の虚妄に賭ける」とまで大見得を切った丸山真男が、研究室がメチャクチャに破壊されたというので、オロオロするしかなかった。その矛先が大学教授でなく、マスコミに向けられたのが今年であった。NHKの職員の給与が破格で、天下り先も用意されている。それが明るみに出て、国民からの批判にさらされた。民放の各局も似たり寄ったりで、普通の国民と比べて、とんでもなく優遇されている。それだけに、ネットでは徹底的に批判された。象徴的であったのは、朝日新聞の「天声人語」が嘲笑の対象となったことだ。一流大学に合格するには、それを読むのが義務付けられていた。知的労働と肉体労働を区別するのが日本のサヨクの特徴である。NHKや朝日新聞の人間が高給取りなのは、受験競争を勝ち抜いたエリートだからであり、頭を使っているからだろう。著しくマスコミの権威が失墜したことで、私たちは自分自身で物事を判断せざるを得なくなった。しかし、それは結果的に、私たちが自由を手にすることでもある。敗戦後の日本の知識人やマスコミの言説は、その大半がお花畑であった。サヨクの綺麗ごとに終始していた。現実を直視することで、それに疑問を感じた若い人たちによって、型にはまった言説が打ち倒されるのは、至極当然のことなのである。
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