私たちが自由を守り抜くためには自由諸国民が団結しなくてはなりません。改めてヤスパースの語った言葉を思い出します。カール・ヤスパースの『根源的に問う 哲学対話集<ハンス・ザーナー編>』(武藤光朗・赤羽竜夫訳)に収録された、武藤光朗との対話「人間の自由の未来のために」を読み返しています。雑『自由』昭和三十七年一月号に掲載されたものです。
ヤスパースは、ロシアと中国に対抗して、自由緒国民の結束を訴えたのです。東アジアが危機的な状況を迎えているからこそ、なおさら説得力のある言葉ではないかと思います。唯一そこに日本が含まれてゐるのが、重要な役割を担っているからなのです。
「自由諸国民の共同体とは、北米、ヨーロッパ諸国及び、日本であって、今のところそれ以外にはありません。私はインドを自由諸国民に数えるわけにはいきません。インドはきわめて動揺する姿を見せていますし、国内が安定していません。ですから、内にしっかりした力をそなえている真に自由な国民は、繰り返して申しますが、北米とヨーロッパ諸国と日本だけです。これらの国は、おたがいにたよりにできることがわかるように団結しなければならない。こうした連帯性は、もっとも強力な国を進んで指導的な国と認め、自由にかかわるような紛争の場合には、自国の国家的要求をひっこめ、また、かりに別のことをのぞんでいても、それらをあきらめて、その指導的な国に従う覚悟をもってはじめて、事実上可能となるのです」
ヤスパースの方針は間違ってはいませんでした。恐怖政治が中露全体に吹き荒れ、台湾までもその影響下には入ろうとしているからです。自由緒国民の陣営に与することでしか、自由であり続けることはできないし、抑圧された人たちの解放にも結びつかないのですから。NATOに日本が参加することも、今後検討されるべきではないかと思います。
オミクロンにかかったのだろうか。久しぶりに熱が出て、午前中は安静にしている。もともと扁桃腺があるから、高熱には驚かないが、今回は少しばかり気になる。大体3日くらいで峠を越すと言われるが、年齢的なハンディもあるので。あまり甘く見ることはできない。人とはできるだけ会わないようにして、一足早く冬ごもりである。
普通の風邪で騒ぐほどではない、と言っていた手前、慌てず騒がず対応するしかない。国が早く5類にしてくれれば、どこでも診療してくれるのに、未だに2類であるために、手間がかかって仕方がない。
政治が優柔不断であるために、色々な面でしわ寄せが出てくるのだ。この問題一つをとってみても、岸田首相はさっさと総理の座からおりるべきなのである。 どこの医院の受付にも「咳や熱がある人は申し出てください」という貼り紙がしてある。つまり病人を拒否しているのだ。風邪にかかっても、診察以前にPCR検査なのである。オミクロンだと、普通は1週間程度で治ってしまう。大騒ぎするのが間違っているのだ。インフルエンザと同じように、各医院でもPCR検査が出来るようにすればいいのだ。
そんななかで萩の山本貞寿医師は立派である。新型コロナの患者を率先して診察しているからだ。大病院でもないのに、すでに300人以上を治療している。患者を門前払いしないのである。戦後の一時期、結核の患者をたくさん診たこともあり、苦にしていないのである。それが本来の医師の姿ではないだろうか。 若い人などは、医院にかかるのは、せいぜい風邪をひいたときと相場が決まっている。にもかかわらず現状では、発熱外来がある医療機関でPCR検査をしなければ、風邪薬ももらえないのである。どうかしている。
政府が対策強化宣言を新設、若者への外出自粛要請を可能にするのだという。何を考えているのか理解できない。ようやく「全国旅行支援」などで日本の経済が回ってくると思ったらば、ここにきて急ブレーキを踏むというのは、一貫性がなく支離滅裂ではないか。注意すべきは高齢者であり、若者まで含める必要はないだろう。冬になれば新型コロナが流行するというのは予想されることだ。どこの医院でも検査ができ、治療ができるようにすればいいわけで、インフルエンザと同じ扱いにすべきだろう。重症者のベットを地域ごとに確保して置けばいいのであって、先に先に進まなくてはならないのである。