会津から日本や世界を語ることは、管(くだ)から見ているのと変わらず、いかに優秀な人であっても、限界があることは否めない。私ごときがあえて物を申すのは、日本のインテリが忘れている土着大衆の思いを知って欲しいからである。「八重の桜」に登場する山本覚馬の「管見」ではないが、押し黙っているわけにはいかないからだ。覚馬の場合には、あの時代を代表する思想家であった、佐久間象山から直接教えを受けた。私はあくまでも在野であり、大学を卒業してからというものは、まったくの独学である。しかし、会津に引きこもったことで、かえって見えない世界が見えてきた気がする。一切の政治権力や党派とは無縁な立場に身を置いてきたからだ。そこで痛切に感じたことは、保守政党である自民党の変貌である。とくに、小泉構造改革以降は、イデオロギー政党になってきた。それが大きな流れだとしても、ソフトランディングするすべを自民党は見失っているのではないだろうか。ブレーキをかけて、軌道修正をしてくれると期待されているのが安倍晋三首相である。まだ結論を出すのは早いが、もたもたしているように思えてならない。次の参議院選挙で自民学が勝つまでの我慢だとしても、もう少し保守派らしい指導力を発揮すべきだろう。そして、保守として守るべき日本の価値は市場原理とは相容れないことだけは、肝に銘じてもらわなくては。
←安倍首相は新自由主義に与すべきではないと思う方はクリックを